忘却からの帰還〜Intelligent Design - 1990年代のSTSの気候変動否定論(5) Brian Wynne
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1990年代のSTSの気候変動否定論(5) Brian Wynne


1990年代の社会学者たちによる気候変動否定論への関与を調べたSven Ove Hansson (2020) は、DouglasとWildavskyに続いて、社会学者Brian Wynneを取り上げた。彼はButtelと同様の傾向が見られた。一方で、彼は、自らが化石燃料ロビーと同一視されることを好まず、社会学による科学改竄と受け取られることも好まなかった。
Brian Wynneは科学社会学及び環境社会学の第一人者である。1994年から1996年の間に、彼は気候変動に関する一連の論文を執筆した。これらの論文は、数年前にFrederick Buttelと彼の共同研究者たちが発表した論文と多くの共通点があった。

Wynneは自らが「IPCCの強力なスーパーコンピューターモデルの還元主義イディオム (the reductionist idiom of the powerful supercomputer models of the IPCC)」と呼ぶものを強く批判した (Wynne 1994, p.174)。彼はそれらを「天気予報モデルの直接の子孫であり、その範囲を数日から関連する変数の実行可能な予測制御の外側の範囲に拡大し、約12日と考えられ、現在は信頼できる予測を提供するために30年から40年拡張されている」と書いた (Wynne 1994, p.172)。これらのモデルの問題の性質のため、気候モデリングからの結論を「実際にはモデリングの文化によって事前に定められた可能性があるときに発見された」ものとして説明するのは誤りである (Wynne 1996, p.370)。IPCCはWynneが言うところの「表面上は環境保護論者のメッセージ」を伝えた(Wynne 1996, p.366)が、その結論は「程度の差こそあれ、物理的現実との関係という点ではそれほどではないが、文化的権威と世界的な社会的足掛かりに対する明白な期待の観点からは、モダニズムの妄想と見なされるだろう」 (Wynne 1994, p.188)。彼は、化石燃料産業の反対派組織をより前向きな言葉で説明した。「これらの関係者は、GCM [大循環モデル]科学の弱点を調査し、IPCCの見解に反して重要な科学的宣伝に資金を提供してきた」(Wynne 1996, pp.387–388)。彼の見方では、政策決定は気候モデリングの結果に依存するべきではなく、代わりに「支配的な地球温暖化科学の脱構築と一致し、実際にそれを必要とする、より応答的環境的立場」に基づくべきである(Wynne 1996, p.372)。

Wynneは、自らの議論が気候科学だけでなく、それに基づく政策や政策提案を弱体化させるために利用される可能性があることをよく知っていた。

All of these sociological observations about the scientific knowledge of global warming could of course contribute to a deconstruction of the intellectual case for the environmental threat, and thus also to a political demolition of the ‘environmentalist’ case for internationally effective greenhouse gas controls. (Wynne 1996, p.372. Cf. Wynne 1994, p.170)

地球温暖化の科学的知識に関するこれらの社会学的観察はすべて、もちろん、環境脅威の知的事例の脱構築に貢献する可能性があり、したがって、国際的に効果的な温室効果ガス管理の「環境保護主義者」の事例の政治的解体にも貢献する可能性がある。


彼は、「これが関係する科学的知識に疑問を投げかけることを伴うことを認めることを恐れてはならない」と強調した(Wynne 1996, p.379)。共同論文で、彼とSimon Shackleyは、人間起源の気候変動について話すときに「存在する場合は」という留保を追加した(Shackley and Wynne 1995, p.222)。

しかし、Wynneは自分の批判が「脱構築する科学知識の単なる改竄にあたるものではない」ことを指摘したがった (Wynne 1996, p.379)。彼の分析は「科学が地球環境の脅威を社会的に構築したといっても、そのような脅威が実際には存在しないと示唆するものではない」 (Wynne 1996, p.374)。彼はまた、自らが「国際的な化石燃料ロビーとその政治的友人」と呼んだものと自分自身を同一視されたくないことも明言した (Wynne 1994, p.170)。これを回避するために、Wynneは、科学的コンセンサスに頼ることなく、温室効果ガス削減のための他の正当化する方法を見出さなければならなくなった:

If, as we argue, science alone is unable to provide a sufficient basis for underpinning political commitment to policy actions, then a public discussion about the many other possible justifications for acting on the issue of climate change is imperative, not least to ensure the political robustness of present and planned policy actions. (Shackley and Wynne 1995, p.228)我々が主張するように、科学だけでは政策行動への政治的コミットメントを支える十分な基盤を提供できない場合、気候変動問題に取り組む他の多くの可能な正当化についての公開討論が、特に現在および計画されている政策行動の政治的頑健性を確実なものにするに、不可欠である。


彼はこれらの「他の可能な正当化」を作るために、大したことはしていないようである。そして、彼は「そのような人間の領域の再開はそれ自身のリスクがないわけではない」ことを知っていた (Wynne 1994, p.188)。私は、彼の記述の中に、彼が望む方向性の2つの兆候を見つけた。これらの1つは、「地球温暖化との闘いに役立つ可能性が最も高い政策は、環境に対して何をするかしないかにかかわらず、社会的、政治的、道徳的、さらには経済的理由で、とにかく行う価値がある」というものだった (Wynne 1994, p.188)。もう1つは、「予測可能性は科学が認めるよりもはるかに安全性が低く、実行可能性が低い」が、温室効果ガス削減は、現在の政策よりも「実際にははるかに予防的」な政策によって正当化できるということものだった(Wynne 1996, p.375)。(特に、これらのアプローチはどちらも「独自のリスクなし」ではない。気候とその他の理由の両方で何らかの措置が正当化される場合、前者の正当化が否定されると緊急性が失われる傾向がある。さらに、可能性である脅威への対策と、確実にあると考えられる脅威への対策が、同じ優先順位となることは期待できない。)

Wynneは「IPCCが使用するスーパーコンピューター気候モデルで構築された主要な科学的知識は、地球環境悪化の中心にある社会的および政治的不平等を曖昧にすることへの先進国の関心を反映している」というButtelたちの議論にシンパシーを示した。そして彼は、社会学者が「地球環境科学の構成物を無批判に受け入れた」ことで、誤りを犯したことについても同意した。これを是正するためには、「地球環境科学の社会学的脱構築」が必要だった (Wynne 1994, p.185. Cf. Wynne 1996, p.378.)。

後の著作、特に2010年の論文で、Wynneは気候モデリングについてより前向きな見方を採用した。彼は現在、IPCCで使用されているモデリングは、「1970年代に技術的に始まった数値天気予報とは大きく異なる」と主張している (Wynne 2010, p.292. Cf. p.296.)。いわゆるClimategateに応えて、彼は、それが明らかにした人間の失敗が何であれ、「IPCCの科学的結論と判断の検証の形式は、そのような非合法とされる特定の事例によって深刻な被害を受ける可能性があるよりもはるかに実質的で、多次元的で、堅牢である 」(Wynne 2010, p.295)。彼は現在、IPCCが実際には「問題を真剣に過小評価している」可能性があることを強調している (Wynne 2010, p.293. Cf. p.291.)。1990年代からの気候科学の社会学的研究を振り返り、彼は次のように主張した。「気候科学的知識に対する構築主義的STSアプローチは(他の科学的知識と同様に)、関係する提案的主張を直接否定することではない。それは、それらの条件付き妥当性、およびそれらとそれらのフレーミングに深く具体化された潜在的な認識論的軌道を含む、暗黙の多様な意味と代替の潜在的軌道を理解することについてであった」(Wynne 2010, p.301)。これは、「これが関連する科学的知識に疑問を投げかけることを伴うことを認めることを恐れてはならない」という14年前の彼の声明と比較できるだろう (Wynne 1996, p.379)。

Shackley, S., & Wynne, B. (1995). Global climate change: The mutual construction of an emergent science-policy domain. Science and Public Policy, 22(4), 218–230.
Wynne, B. (1992). Carving out science (and politics) in the regulatory jungle. Social Studies of Science, 22, 745–758.
Wynne, B. (1994). Scientific knowledge and the global environment. In M. Redclift & T. Benton (Eds.), Social theory and the global environment (pp. 169–189). London: Routledge.
Wynne, B. (1996). SSK’s identity parade: Signing-up, off-and-on. Social Studies of Science, 26(2), 357–391.
Wynne, B. (2010). Strange weather, again. Theory, Culture and Society, 27(2–3), 289–305.


[ Sven Ove Hansson: "Social constructionism and climate science denial", European Journal for Philosophy of Science volume 10, Article number: 37 (2020) ]
今世紀に入って、Brian Wynneは立場を修正したようである。


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