上野の楽しさを伝えていきます。

上野恩賜公園



上野恩賜公園は、明治6年の太政官布達によって、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に、日本で初めて公園に指定されました。
ここは、江戸時代、東叡山寛永寺の境内地で、明治維新後官有地となり、大正13年に宮内省を経て東京市に下賜され「恩賜」の名称が付いています。

当初は、寛永寺社殿と霊廟、東照宮、それに境内のサクラを中心にした公園でしたが、
その後、博物館や動物園、美術館などが構築され、文化の薫り高い公園へと衣替えがされました。

公園入口


西郷隆盛像


しのばず池


花見シーズン


夜の公園


◆歴史
江戸時代、三代将軍・徳川家光が江戸城の丑寅(北東)の方角、すなわち鬼門を封じるためにこの地に東叡山寛永寺を建てた。
以来、寛永寺は芝の増上寺と並ぶ将軍家の墓所として権勢を誇ったが、戊辰戦争では寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅したため(上野戦争)、
伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化した。
1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医ボードウィンが、公園として残すよう日本政府に働きかけ、
その結果1873年に日本初の公園に指定された。このことをもってボードウィンは、上野公園生みの親と称されている。

日本国内でも有数の都市公園で、公園の内外に歴史建築物や文教施設が多数存在しており、一帯が文化・芸術の集合地域を形成している。

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