作曲家・多田武彦〔通称・タダタケ〕のデータベース。

混声合唱組曲「柳河風俗詩」(作詩:北原白秋)

柳河風俗詩ヤナガワフウゾクシ指示速度調性拍子備考
1柳河ヤナガワやや早く、優美に4分音符=126ニ短調4/4Tenor Solo
2紺屋のおろくコウヤノオロク早く、焦り気味に4分音符=144イ短調5/4
3かきつばたカキツバタゆったりと(そしてわびしく)4分音符=60イ短調3/4
4梅雨の晴れ間ツユノハレマ早く、律動的に2分音符=88ニ短調2/2

作品データ

作品番号:T56:G10n
作曲年月日:1985年冬?
自主編曲

初演データ

初演団体:混声合唱団京都木曜会
初演指揮者:吉村信良
初演年月日:1986年7月13日
混声合唱団京都木曜会第28回定期演奏会(於八幡市文化センター大ホール)

楽譜・音源データ

作品について

歌詩の解釈で、『紺屋のおろく』を初恋の相手への屈折した愛を表現との解釈が一般的であるが、北原白秋研究家の最近の調査では、初恋の相手のいる紺屋の女中に“おろく”という女性を確認できるとの事である。文字の額面通りの“にくいあん畜生”であったのだ。
『梅雨の晴れ間』はタイトル通りの風景をコミカルに書いた詩であるが、今から演じようとしている田舎芝居の演目は登場人物の名前から“義経千本桜”と考えられる。その四段目・吉野山の最後を飾るのが“狐六法”である。

時折現在の行政区分(柳川市)と照らし合わせての、『柳川風俗詩』という表記が稀に見受けられるが、詩集が上梓された1911年時点では「柳河町」となっているので『柳河風俗詩』が正しい。
詩の出典
『思ひ出』(東雲堂書店、1911年)
詩との相違
『紺屋のおろく』の終盤において、当初は「赤い夕日にふとつまされて…」という歌詩で作曲された。ただ、原典では「赤い入日に…」となっており、のちに原典どおりの形に改訂されている。
『梅雨の晴れ間』の「青い空透き、日光の」となっている部分は、原詩では「青い空透き、日の光」であり作曲者が取り違えた可能性がある。参照

歌詩

柳河
もうし、もうし、柳河じや、
柳河じや。
銅の鳥居を見やしやんせ。
欄干橋をみやしやんせ。
(馭者は喇叭の音をやめて、
 赤い夕日に手をかざす。)

薊の生えた
その家は、……
その家は、
旧いむかしの遊女屋。
人も住はぬ遊女屋。

裏の BANKO にゐる人は、……
あれは隣の継娘。
継娘。
水に映つたそのかげは、……
そのかげは
母の形見の小手鞠を、
小手鞠を、
赤い毛糸でくくるのじや、
涙片手にくくるのじや。

もうし、もうし、旅のひと、
旅のひと。
あれ、あの三味をきかしやんせ。
鳰の浮くのを見やしやんせ。
(馭者は喇叭の音をたてて、
 あかい夕日の街に入る。)

夕焼、小焼、
明日天気になあれ。
 * 緑台、葡萄牙の転化か。
紺屋のおろく
にくいあん畜生は紺屋のおろく、
猫を擁えて夕日の浜を
知らぬ顏して、しやなしやなと。

にくいあん畜生は筑前しぼり、
華奢な指さき濃青に染めて、
金の指輪もちらちらと。

にくいあん畜生が薄情な眼つき、
黒の前掛、毛繻子か、セルか、
博多帯しめ、からころと。

にくいあん畜生と、擁えた猫と、
赤い入日にふとつまされて
瀉に陷つて死ねばよい。ホンニ、ホンニ、……
かきつばた
柳河の
古きながれのかきつばた、
昼は ONGO の手にかをり、
夜は萎れて
三味線の
細い吐息に泣きあかす。
(鳰のあたまに火が点いた、
 潜んだと思ふたらちよいと消えた。)
 * 良家の娘、柳河語。
梅雨の晴れ間
廻せ、廻せ、水ぐるま、
けふの午から忠信が隈どり紅いしやつ面に
足どりかろく、手もかろく
狐六法踏みゆかむ花道の下、水ぐるま……

廻せ、廻せ、水ぐるま、
雨に濡れたる古むしろ、円天井のその屋根に、
青い空透き、日の光
七宝のごときらきらと、化粧部屋にも笑ふなり。

廻せ、廻せ、水ぐるま、
梅雨の晴れ間の一日を、せめて樂しく浮かれよと
廻り舞台も滑るなり、
水を汲み出せ、そのしたの葱の畑のたまり水。

廻せ、廻せ、水ぐるま、
だんだら幕の黒と赤、すこしかかげてなつかしく
旅の女形もさし覗く、
水を汲み出せ、平土間の、田舎芝居の韮畑。

廻せ、廻せ、水ぐるま、
はやも午から忠信が紅隈とつたしやつ面に
足どりかろく、手もかろく、
狐六法踏みゆかむ花道の下、水ぐるま……

参考文献

なまずの孫 3びきめ 「I 青春の背中3―柳河風俗詩をうたうために―」

リンク

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