二葉館
1920(大正9)年
名古屋市東区撞木町3-23
木造2階建地下1階
「日本の女優第1号」の川上貞奴と「電力王」福沢桃介が、
大正時代に居住していた和洋折衷の建物で、当時は「二葉御殿」
と呼ばれた。福沢桃介は福沢諭吉の娘房の婿となり養子だった。
妹はアララギ派の詩人、杉浦翠子でその夫は日本の近代グラ
フィックデザイナーの多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)
の初代学長となった杉浦非水だった。この二葉館のステンド
グラスは杉浦非水の作品。杉浦非水の作品は現在見ても驚く
ようなセンスのよい作品ばかりである。
福沢桃介は木曽川での水力発電を進める為に名古屋に拠点を
構え、貞奴はこの頃、ヨーロッパ向けの上級絹製品を名古屋市
北区大曽根に「川上絹布株式会社」を設立して作っていた。
厳しい労働と安い給料で酷使されていた当時の女工の待遇から
考えると、夢のような生活を送ることのできる、まったく
新しい会社で、夜にはお茶、お花、和裁などの習い事ごとや
プールまであり、休み時間にはテニスまでできたようだ。
名古屋市東区撞木町3-23
木造2階建地下1階
「日本の女優第1号」の川上貞奴と「電力王」福沢桃介が、
大正時代に居住していた和洋折衷の建物で、当時は「二葉御殿」
と呼ばれた。福沢桃介は福沢諭吉の娘房の婿となり養子だった。
妹はアララギ派の詩人、杉浦翠子でその夫は日本の近代グラ
フィックデザイナーの多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)
の初代学長となった杉浦非水だった。この二葉館のステンド
グラスは杉浦非水の作品。杉浦非水の作品は現在見ても驚く
ようなセンスのよい作品ばかりである。
福沢桃介は木曽川での水力発電を進める為に名古屋に拠点を
構え、貞奴はこの頃、ヨーロッパ向けの上級絹製品を名古屋市
北区大曽根に「川上絹布株式会社」を設立して作っていた。
厳しい労働と安い給料で酷使されていた当時の女工の待遇から
考えると、夢のような生活を送ることのできる、まったく
新しい会社で、夜にはお茶、お花、和裁などの習い事ごとや
プールまであり、休み時間にはテニスまでできたようだ。
2011年12月09日(金) 19:56:40 Modified by ckimu
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