ウィキペディア Wikipedia は、第一位のインターネット百科事典と世間から認知されていますが……。                                                                          ウィキペディアに掲載できない原稿や、真面目な批判的見地からの記事、そのためのウィキペおたく百科事典です。


概要

新聞報道やウィキペディア記事で、容疑者名公表について、よく議論される。
新聞報道については、ウィキペディア記事「実名報道」がある。
ウィキペディア記事では、ウィキペディア「フランス紙襲撃テロ事件」においてすらも、容疑者名公表に否定的な意見により、容疑者名公表が削除されることもある。

お断り

特に、ウィキペディアなどの百科事典での容疑者名公表についてい取り上げる。

ウィキペディアでは何故容疑者名が公表されにくいか

第一に、逮捕歴などは個人情報であり公開は不当であると言う最高裁判決の存在が挙げられる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%B3%E...)。つまりプライバシーの侵害である。善良なウィキペディア編集者は不法行為を行ってはいけない。また、法律上も、一定期間経過後に「前科」は効力を失う(刑法34条)。

第二に、社会的名誉の毀損の問題である。事実や虚偽やを問わず他人の名誉を公に失墜させた場合、罪に問われる場合がある。そもそも「容疑者」である。容疑者はあくまで、犯罪を犯した疑いのある人にすぎない。確定した「犯人」でも書いてはいけないものを、「容疑者」で書かれることはまずもって許されない。

第三に、「大抵の事件では、容疑者・犯人の氏名などどうでもいい」という事実がある。それが必要になる場合は、容疑者・犯人が色々な意味で「大物」である場合のみである。また、犯人が犯行後、それを公にし特筆すべき活動をしている場合などは、プライバシーの侵害には当たらず、また特筆すべき活動を行っているのであるから、記述もやむをえない、もしくは記述すべきだと解される場合が多い。これは著名な例ではパリ人肉食事件の佐川一政などが挙げられるだろう。

もちろん麻原彰晃など、あまりに大きな事件の首謀者はこの限りではない。だが、オウム真理教の起こした一連の事件で逮捕・服役した人物の一人が直接ウィキペディアにプライバシーが侵害されていると訴え、記述が削除されたと言う事例はある。佐川や麻原が例外なのであり、やはりウィキペディアでは通常は記載されないルールなのだ。

ウィキペディア記事

容疑者名公表

浅沼稲次郎暗殺事件
1960年10月12日に日比谷公会堂で、時の日本社会党委員長・浅沼稲次郎が刺殺された事件で、未成年の犯人の実名を公表している。犯人についても項目がある。
ウィキペディア「浅沼稲次郎暗殺事件」

東電ОL殺人事件
1997年3月9日発生、のち逮捕有罪となったネパール人に対し、再審無罪が確定する。
ウィキペディア「東電ОL殺人事件」

附属池田小事件
2001年6月8日に起きた小学生無差別殺傷事件で、犯人の実名を公表している、
ウィキペデイア「附属池田小事件」

秋葉原通り魔事件
2008年6月8日に東京の秋葉原で7人殺された殺人事件で、犯人の実名を公表している。
ウィキペディア「秋葉原通り魔事件」

容疑者名未公表

JT女性社員逆恨み殺人事件
殺害事実を認め執行された死刑囚の名前が公表されていない
ウィキペデイア「JT女性社員逆恨み殺人事件」

少年ライフル魔事件
浅沼稲次郎暗殺と同様に未成年者の事件であるにも拘らず、犯人の実名は公表されていない(加筆されたが削除された)。
ウィキペディア「少年ライフル魔事件」

ウィキペおたく百科事典記事

容疑者名公表

板橋高校卒業式事件
ウィキ主の判断では、起訴自体が許せないものと判断し、容疑者とされる元高校教師の実名を公表した。

さいたま地方検察庁検事痴漢事件
容疑者名を語る人物より削除依頼がなされたが拒否した。

外部リンク

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