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概要

会社組織としては、1911年より1964年まであった海運会社。創業者は、山下亀三郎である。
1964年1月、新日本汽船と合併して、株式会社山下新日本汽船となる。それ以降、合併を繰り返している。2012年現在、株式会社商船三井が、存続会社である。

沿革

創業以前
1894年、創業者の山下亀三郎が、洋紙販売の山下商会を立ち上げる。すぐ、廃業となる。

創業
1903年、山下亀三郎が、イギリスのベンベニニー号を購入し、喜佐方丸と名づけ、横浜・上海間の海運事業を手がける。
1911年、山下汽船合名会社が設立される。
1914年、第一次世界大戦により、山下汽船が繁盛することとなる。

株式会社化以降
1917年5月1日、山下汽船合名会社が、資本金一千万円の山下汽船株式会社に改組となる。
1922年3月16日、山下汽船株式会社が山下汽船鑛業株式会社と改称する。
1924年12月25日、名称をの山下汽船株式会社に戻す。
1941年、山下汽船株式会社は、55隻のオーナーとなる。
1942年、山下太郎が二代目社長に就任する。
1944年12月13日、創業者の山下亀三郎が死去する。
1946年、連合軍総司令部より、山下汽船株式会社が、第二次持株会社指定をうける。山下太郎が社長を解任される。
1947年、連合軍総司令部より、山下汽船株式会社が、第五次持株会社指定をうける。
1951年、山下太郎が会長に就任する。
1954年、山下太郎が会長から退く。

合併以降
1964年3月31日、山下汽船株式会社が、新日本汽船株式会社と合併して山下新日本汽船株式会社となる。
1989年6月、山下新日本汽船株式会社が、株式会社ジャパンラインと合併し、株式会社ナビックスラインとなる。
1999年5月、株式会社ナビックスラインが、大阪商船三井船舶株式会社と合併し、株式会社商船三井となる。

人物

一時期は、財閥とされていた

社長

山下亀三郎
1867年生まれ、1944年死去。
山下汽船の創業者であり、一代目社長である。
ウィキペディア「山下亀三郎」参考のこと

山下太郎
1896年生まれ、1970年死去。
1942年に、二代目社長に就任する。
ウィキペディア「山下太郎 (山下汽船) 」参考のこと

管理職

石原潔
1899年生まれ、1951年死去。
1914年に山下汽船に入社する。1943年に、山下汽船東京副長に就任する。死去時には、山下汽船関連会社の重役となった。
石原慎太郎と石原裕次郎の父親である。

元社員

宮澤裕
1884年生まれ、1963年死去。
東京大学卒業後に、内務省に就職するものの、山下汽船に一時期就職していた。山下亀三郎の友人で衆議院議員にもなった小川平吉の娘と結婚する。
1928年、衆議院議員となる。その後、1945年まで連続当選するものの、公職追放となる。
なお、内閣総理大臣となった宮澤喜一の父親である。
ウィキペディア「宮澤裕」参照のこと

外部リンク

Google
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