多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

人物
北辺帝国第七代皇帝シーク一世は本名をシーク=カルサランと言い、彼はシーク家の三男に生まれた。
彼は皇位継承権を持っていたが、皇位継承第八位であったためよもや皇帝になるとは思われておらず、半ば皇室から無視されていた。
彼は大の魔術好きであったが本人に全く魔術師の素質が無かったため魔術師になることをあきらめ、その反動で錬金術に傾倒し大学校を卒業した後27歳になるまで錬金術に没頭した。
転機が訪れたのは彼が28になろうとした時であった。ラムティトー病の大流行である。この病気は感染力が非常に強く致死率も30%を超え、大陸中におびただしい数の死者を出し、北辺帝国もまた例外ではなかった。疫病の流行時には身分を問わず感染者の軟禁・隔離を行うのが通例だったが、当の皇帝がこの病気が元で死んでしまい初動が遅れたため王族を中心に後継者が次々と病死。
研究室に篭りきりで難を逃れたシーク一世に白羽の矢が立った。
彼は皇帝に就任した後も実務は宰相に任せ、代わりに帝国魔術院を廃止、錬金術アカデミーを設立。当時、魔術のできないものがする学問と考えられていた錬金術に魔術を超える社会的地位が与えられたことで、錬金術の研究は活気付いた。燈色火薬が発見されたのはその30年後のことである。

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