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名前を呼んで

衝動ごと抱きしめて」の続編です。




北国、北海道のとある街の、とある通りに面したファミリーレストラン、ワグナリア。
そこで働くウェイターと、ウェイトレスが休憩室でじっと見つめあう。

「いいですよね、伊波さん。俺、もう我慢の限界なんです」
「た、小鳥遊くん…、でも他の人に見られたりしたら」

熱っぽいで少年が少女へと一歩また一歩と歩み寄る。

「大丈夫ですよ、他のみんなはさっきフロアに戻ったばかりですから」
「えと…、ほら私がまた、その、やっちゃうかもしれないし」

少年はいやいやするように懇願する少女の制止も聞かずにまた歩みを進める。

「それも問題ないですよ。伊波さんが目を閉じて、それからやっちゃえば抵抗しないの知ってますから」
「あぅ…、ら、乱暴にしない…?」
「もちろんです。優しくします。だから、目をつぶってください」
「う、うん…」

少年の言葉に従い、少女がすっとまぶたを閉じる。
その頬は朱色に染まり、緊張したように唇を強めに結ぶ。
そんな彼女を見て、少年は思わず笑みをこぼし、それから目の前まで移動する。

「それじゃいきます…」
「お願いします…」

そして少年が少女の一部に触れると、

「んっ…」

少女が一瞬驚いたように体を震わせると共に甘い声を上げる。
しばらく二人がその姿勢を保っていると、少年の方から少女を気遣う。

「どうですか、大丈夫ですか?」

目じりにほんのり涙を溜めている少女はおずおずと頷いてから

「大丈夫、何か気持ちよくなってきたし…」

微笑んで答えてみせた。
その言葉に少年は気が急きそうになるが、一つ深呼吸してから再度少女に触れようとする。

「もうちょっと我慢してくださいね、もうすぐですから…」
「うん、もうちょっと早くても平気だから、お願い、小鳥遊くん…」

そして、小鳥遊が伊波に触れようかという瞬間、

「だ、ダメだよ、かたなし君、伊波ちゃん、さすがにそれはここじゃダメー!!」

と種島ぽぷらが休憩室に飛び込んで、大きな声で二人の行為を制した。

「先輩…?」
「た、種島さん!?」

ぽぷらのあまりの勢いに小鳥遊、伊波の両名は動きを止め、目を瞬かせて彼女を見やる。
対してぽぷらはその二人を見て、あれ、と首を傾げていた。
頭上にクエスチョンマークを浮かべた表情でぽぷらが質問を投げかける。

「…二人は何をしていたの?」

その問いに小鳥遊は手に持っていたものをぷらぷらとさせて示す。

「見ての通りです。伊波さんの膝のかさぶたをピンセットで取ってたんですよ」
「うん、私、自分でやるのいつも踏ん切りつかないって言ったら、
小鳥遊くんがやってくれるって言うから、お言葉に甘えてたの」

伊波も続けて事情を説明すると、完全にぽぷらの口があんぐりと開く。

「種島さん、どうしたの…?」
「……さ…」

顔はそのままでぽぷらがこぼすように言葉を漏らしたかと思うと、

「さとーさーん!!!」

刹那の後、ぽぷらは大きな声で、自分に盛大な勘違いをさせた張本人の名を叫んでいた。

「さとーさん! どーしてウソついたの!」

ぷりぷりと頬を膨らませて、非難の声でワグナリアのキッチン担当の佐藤潤を追及するぽぷらに
佐藤が向き直ると、いかにも何を言っているんだお前はという顔で反論する。

「おい、種島。俺がいつお前にウソをついたっていうんだ?」
「ついたでしょ! 伊波ちゃんとかたなし君が休憩室で仲良さそうにしてるって!」
「で?」
「で?って…。もー、はぐらかさないでよ!」

頭から煙でも出して怒っている小柄な彼女の頭を、佐藤はむんずと掴むと、
どこかわざとらしいため息をついてみせる。

「種島、今自分で言ったな。伊波と小鳥遊が休憩室で仲良さそうにしているって」
「だから、それが」
「してただろ? 仲良さそうにかさぶた剥がし」
「え……」

佐藤にやれやれと言う感じで言われると、ぽぷらはまたもや硬直してしまう。
が、ここで言いくるめられてはいつもと変わらないとぽぷらは気丈にも立ち向かうことにする。

「で、でも、かさぶたを剥がしてるなんて話は聞いてないもん!」
「ああ、言ってないからな」
「じゃあ、わたしが勘違いしちゃうのもムリないでしょ!」
「勘違いしたのはお前が勝手にしたのにか?」
「え……」
「俺が仲良さそうにしてると言ったら、すぐに休憩室を見に行って、
それで小鳥遊と伊波の話にでも聞き耳立てた結果、お前は赤っ恥をかいた」
「そ、そう。そういう風にさとーさん仕組んだでしょ!」

まさか佐藤からいいパスが回ってくるとは思っていなかったが、話を要約してくれたので
ぽぷらはその話に同調して、攻め立てようとする。
が、それがそもそも間違いだったことに気づかされることになる。

「おいおい、いくらお前との付き合いの長い俺でもあんな言葉だけで
お前が、休憩室にあいつらの様子を見に行こうとするなんて想像なんてできないし、
小鳥遊と伊波がいかにもいかがわしいことをしようとしているカップルのように
勘違いするだなんて夢にも思わないぞ」

まるで全てを見ていたかのように話すが、ぽぷらはそっちではなく
何で自分の心が読めるんだろうという疑問に頭がいってしまい、最後の追求のタイミングを逃してしまう。
それを好機と見たか、佐藤はあくまで無表情のままでとどめをさしにかかる。

「種島、お前さあ」
「な、なに…?」
「お前、とんでもないエロいやつだったんだな」
「え、ええええぇぇっ!?」

ぽぷらはそんなことを言われるとは予想していなかったらしく驚いた声を上げる。
だが、顔を赤くし、そんなことはないと訴える。

「わたし、えっちじゃないよ!」
「だって、かさぶた剥がしてただけなのに変なこと考えたんだろ?
それは立派なエロい考えだ。エロい星からやってきたエロリアンめ」
「だからえっちじゃないってば!」
「……種島」
「えっちじゃないよ!」
「身長伸びたか、種島」
「えっちじゃないよ!」
「お前かわいいな、種島」
「えっちじゃないよ!」
「……驚くほど小さいな、種島」
「えっち…ちっちゃくないよ!」

そんな二人の様子を遠目に眺めていた小鳥遊と伊波は苦笑する他なかった。

「な、何か種島さんに悪いことしちゃった」
「そうですね。いいように佐藤さんにいじられる口実を与えてしまって…」

けれど、すぐに小鳥遊の様子がおかしくなり、どこか恍惚とした表情に変わる。

「あー、でも佐藤さんにからかわれてぷんぷんしてる先輩かわいい!」

隣でミニコンを如何なく発揮する少年に呆れ半分、ため息半分になる伊波。
何せこの変態チックな男、小鳥遊宗太は伊波まひるの恋人なのだから。

2週間ほど前、ちょっとした口ゲンカから発展した騒動の結果、
伊波は長らく秘めていた彼への想いを告白し、その時小鳥遊も伊波のことを
異性として好きになり、そのまま付き合うという運びになったのだ。
それからの時間は今までにないほど楽しいものだった。
気持ちを伝えることができた喜びと彼に抱きしめられたという事実が
彼女の胸を幸せで満たし、更に彼からの笑顔が以前とは違う優しいものになったのだから。

けれど、自分自身の男性恐怖症が壁となり、
初めて抱きしめ合って以降、そういった行為には至ったことはない。
というよりも、そこに至ることができずにいた。
伊波の男性恐怖症はただ単に男性が怖いのではなく、
その反動が防衛本能に作用して、目の前の男性を叩きのめすという形で表面化してしまうためだ。
何度も手をつなごうともしたが、恥ずかしさと未だ拭いきれない男嫌いが邪魔をして、
どうしても手をつなぐことができず、代わりに拳が飛んでしまった。

その度に伊波は小鳥遊に謝るのだが、ゆっくり治して行きましょうと優しく諭されて、今日に至る。
さっきのかさぶたも小鳥遊がかさぶたを剥がしたがる性癖があるというのは会話の上での建前で
むしろ本質は伊波の男嫌いのリハビリなのであった。

それを思うと、伊波の心は今までとは違う苦しみを覚える。
好きな人を殴る罪悪感は以前からあったが、なかなか先に進めないもどかしさだ。
二人でいる時は幸せな気分に浸っていられるのだが、一人になった時にふと考えてしまう。
やっぱり自分と付き合うことは彼にとっていいことではないのではないだろうか、と。
それ払拭したいが故に前に進みたい、もっと彼の近くに行けたらと、伊波は願う。

けれど、小鳥遊はどうだろう。
取り立てて、そういった焦りや欲求はないように見え、自分との付き合い方の根本は変わっていないと思えた。
そういう彼が好きなのは確かなのだけれど、何か伊波はこのままじゃいけないと想いを募らせていた。

小鳥遊も特殊な趣味は持っているが、それにも大分慣れてきて、
ある程度のことを流して見ることもできるようになった。
やはり伊波自身の男性恐怖症が大きな壁だった。

(こんなに近くにいるのになぁ…)

申し訳なさそうな顔で眺めていると、視線に気づいた小鳥遊が伊波を見る。

「どうしました?」
「え、ううん。何でもないよ、ちょっと見てただけ」

どこか顔色のよくない彼女を見て、小鳥遊はもしかしてと尋ねる。

「あの、先輩にかわいいって言ったの気にしてます?」
「え?」

伊波にとってそれは意外な発言だった。
小さいものをこよなく愛する彼が自分のそういった嗜好を今更気にするなどらしくない。
誰に何を言われようと、曲がらない一本の信念に近いそれだったにも関わらず、
今の彼はそのことを申し訳なく思っているような顔だった。

「どうしたの、小鳥遊くん。種島さんのことかわいいなんて、いつも言ってるじゃない」

言われて、彼は伊波の目から逃れるように目線を外す。

「いや、そのみんなには秘密とはいえ、付き合ってる彼女の前で
他の女の子をかわいいだなんて言うのは失礼なんじゃないかと…」

その言葉を聞いて、伊波は少なからず驚き、そしてほっとした。
自分だけが付き合ってる相手のことを気にしてるわけじゃないんだとわかって。
ちゃんと愛されているのだと教えてもらえて。

そのうれしさが溢れて、伊波はいつもよりも可愛く甘い笑顔を見せる。

「大丈夫。小さいものかわいがってる小鳥遊くんも好きだもん」

少女の言葉と何よりとびっきりの表情を目の当たりにした少年の心臓がどくんと大きく跳ねた。

(い、伊波さん、その顔は反則だ! 自制が効かなくなる!)

依然満面の笑みでいる彼女から離れるためにわざとらしく咳払いをして

「じゃ、じゃあ、そろそろ休憩終わりですから戻りましょうか」

そう提案する。
伊波はそう照れ隠しをしてみせた小鳥遊に更なる愛しさを感じつつ、

「うんっ」

と一際きれいな声で答えた。

その日の帰り、いつものように小鳥遊が伊波を、彼女の自宅近くまで送っていると
思い出したように小鳥遊が伊波に話を振る。

「そういえば今日は少し焦りましたね」
「? 何かあったっけ?」
「佐藤さんが俺たちのこと仲良さそうにしてるって言ってたみたいじゃないですか」

その言葉で伊波はどういう話なのかを理解し、元々ほんのりと赤かった頬を更に赤く染め上げる。

「そ、そうだね。もしかして佐藤さん、私たちのこと気がついてるのかな」

小鳥遊はまさかと思うが、いやしかし佐藤さんなら…と難しい顔をする。
伊波がその様子を見ていると、くすりと笑ってから、大丈夫だよと言ってやる。

「佐藤さんって無愛想に見えるだけですごく優しいじゃない」
「まあ…そうなんですけど……」

尚も歯切れの悪い彼、というかどうもはっきりと何か悪い考えにたどり着いてしまったような顔をしていた。

「小鳥遊くん、どうかした?」
「いや、佐藤さんは別に心配いらないのは確かなんですけど、
佐藤さんが気づいていて、あの人が気づいてないなんてことはないんだろうなと思って…」

そう言われてもわかんないよと思うが、すぐに伊波ははっとする。
彼女も彼の言う『あの人』が誰か理解したのだ。

「もしかして相馬さん…?」
「ええ…。そもそも付き合いだして2週間も経っているのに
相馬さんの方から何か俺たちに言ってくるでもないのって逆におかしい気がしませんか?」

青ざめた顔を小鳥遊を尻目にきょとんとするだけでどうにもそれ以上はピンと来ない様子の伊波。
おや、と小鳥遊は思い、伊波に問う。

「思わないですか?」
「確かに相馬さんは物知りだから知ってるのかもしれないけど、だからって私たちに何か言ったりするかな?」
「だって相馬さんですよ?」
「まあ、たまに何でそんなことまでって思うことはあるけど、それだけじゃない?」
「え……」

その発言ではっきりとお互いの相馬への認識にズレがあることを認識する。
ワグナリアのキッチン担当の一人、相馬博臣。
彼は独自のネットワークを持っているらしく、それを利用して周囲の人間の情報を仕入れ、
それが万端になったところで本人に近づく。

要するに弱みを握ってから、自分が優位に立ったところで相手が
その情報で歯向かえないのをいいことに相手をいいように『説得』する人間なのだ。
少なくとも小鳥遊の中ではワグナリアで敵に回ったら一番厄介だった。
小鳥遊自身の過去を知られているという意味で。

「い、伊波さん、相馬さんって、何ていうか時々秘密をばらそうとして
俺たちがそれに慌てるのを楽しんでるような節があるじゃないですか」
「……そうだっけ?」

うーんと頭を悩ませている伊波を見て、小鳥遊はあることを思い出した。
まだバイトを始めてそこそこの頃、相馬自身が言っていたことだ。

―伊波さんと上手くいっているのは君と佐藤君ぐらいだよ!―

そこでピンときた。

「なるほど、そういうことか…」
「え、何が?」

ひとりごちる小鳥遊に伊波は少し不安な顔になる。
彼女のその視線に気がつくと、小鳥遊は、すみませんと苦笑いを浮かべる。

「伊波さんって相馬さんにそこまでこっぴどくいじられてないんでしたね」
「うん、近くにいたら殴っちゃうから距離は取るようにしてるし…」
「相馬さんもうかつにこれを漏らしたら、自分に被害が及ぶかもと思ってるわけか…」
「??」

小鳥遊の推論はこうだ。
自分と伊波が付き合っていると、ばらされてもいいのかと相馬が自分たちに言ってきたとしても、
その発言をした時点でアウトなのだ。
小鳥遊ははっきりとそう判断できる材料を見ていた。
自分が伊波のヘアピンを褒めて、それから伊波がヘアピンを毎日変えるようになったと
相馬が言ってきた途端、伊波は恥ずかしさのあまり、彼を止めようと飛び出してきて、
相馬に駆け寄り、タコ殴りにしてしまった。

その出来事を相馬が教訓にしているのなら、うかつにこのことをばらそうとしても
相馬自身が再び伊波にボコボコにされる可能性が全くないとは言えないからこそ黙っているのだ。
いくら距離を取ったとしても、恐らく同年代の女の子よりも人一倍恥ずかしがりの伊波に
相馬が言ったとばれた時に一体どんな手ひどい報いを受けるか知れない。

ふむと小鳥遊は自分で納得するように頷いて、伊波に微笑みかける。

「すみません。何でもないです」
「そ、そう…?」
「はい。今のところ伊波さんが防波堤ってだけですから」
「ぼ、防波堤?」
「それじゃ行きましょうか、もう遅いですから」
「あ、うん」

止めていた足を動かしながら、帰途に就く二人。
マジックハンド越しに手をつないで、仲睦まじそうにしながらも、
小鳥遊は相馬がこのまま引き下がるとも思えないと判断し、
どうやって彼の魔手から伊波を守ったものかと頭を巡らせていた。

そして後ろを歩く伊波もまた、あることを考えながら歩いていた。

(どうしたら小鳥遊くんともっと進展できるのかしら…?)

今日のバイトでわかったのは小鳥遊は自分をとても大切にしてくれて、
ちゃんと恋人扱いをしてくれているということだ。
だったら、やっぱり彼ともっと近くなりたいと思った。

(でも、私からできることって何かあるかな?)

殴る癖さえなければそんなものはいくらでもあるのだろうけれど、
伊波の場合はそうもいかないため、物理的スキンシップはまだやめた方が無難だ。
であるならば、何だろうと考えてまず浮かんだのは笑顔を見せること。
が、それは以前やって既に失敗済みだ。
どうにも変に意識してしまうと照れが勝って手が出てしまったのだ。
実のところ無意識に笑っている彼女を見て、小鳥遊はなかなかに御しがたい衝動に
度々襲われていたのだが、自覚のない伊波はこの案はないかな、と他のことを考える。

(触るのはダメ、笑顔もダメときたら、後は言葉…?)

言葉、言葉、と伊波は、何か言葉を用いたアプローチがないかと自分の頭の中に検索をかける。
しばらくそれを続けていると、一つわかりやすい方法があったことに気づく。

(名前…、苗字じゃなくて下の名前で呼んだら小鳥遊くん喜んでくれるかな…)

自分はどうだろうかと想像してみる。

『はは、まひる、今日も可愛いなぁ』

瞬間伊波は体に火でもついたかのように熱くなるのを感じた。

(た、小鳥遊くんにそんな風に呼ばれたら、恥ずかしくて殴るの我慢できないかも…)

でも、と思う。

(いつかは通る道よね。このまま交際を続けて、最終的にけっこ…)

そこで何て飛躍した事態まで考えてるのだろうと顔をぷるぷると振る。
それ以上先に思考を進めると、今何の罪もない(大体いつもないが)小鳥遊を
殴り倒してしまうかもしれないと、ぐっと堪える。

(ちょ、ちょっと不安だけど、呼んでみようかな、名前で)

伊波はいつも以上に大きく深呼吸してから、意を決して小鳥遊を呼び止める。

彼女とは違うことをもやもやと考えていた彼は、その声にはっとしてすまなそうな顔を作る。

「あ、すみません、ちょっと考え事してて…。退屈でしたよね」
「う、ううん、気にしないで! ちょうど私も考え事してたから!」

気遣われて幸せの波に押し流されそうになるが、伊波はちゃんと言ってみないと、と
緊張した面持ちで小鳥遊をじっと見つめる。
どこか決然とした彼女を前に小鳥遊も体をまっすぐに向けなおす。

「あ、あの…たかな…じゃなくて…」
「伊波さん…?」

少女の赤面症がいつにもましてすごいことになっているので、
さすがに心配になり、小鳥遊は体をまっすぐに伊波に向ける。

「……たくん」
「え…?」

消え入りそうな声で漏らした伊波の言葉を小鳥遊は聞き取れず思わず聞き返す。

「伊波さん、今なんて…?」

俯いたまま伊波は再度大きく息を吸い込んでから、きっと顔を小鳥遊に向ける。
その顔は赤いままだったし、表情はかたいままだったが、決意に満ち溢れていた。

「宗太くん!」

大きな声で伊波ははっきりと呼んだ。
愛しの彼の名前を。
そのすぐ後に、言えたことにほっとし、同時にうれしさでいっぱいになる。

(言えた! 呼んじゃった! 宗太くん、宗太くんって言っちゃった!)

きゃあきゃあと恥ずかしさと歓喜で顔を押さえる伊波と対照的に
言われた側の小鳥遊は眉一つ動かさずにいた。
否、完全に彼の中の時間がある一点でリピートされていた。
それは言わずもがな伊波が彼の名前を呼んだ部分。

―宗太くん!―

何度も何度も頭の中で反響する伊波の声。
その度に小鳥遊の中にふつふつと衝動が湧き上がる。
しかも、それを止めようという思考回路が完全に停止しており、
小鳥遊の体は本能のままに動き始めていた。

結果、未だ一人で喜びに浸っていた伊波を、小鳥遊は抱きしめた。
さすがにその行動には伊波も正気を取り戻し、そのことに慌て出す。

「た、小鳥遊くん!?」
「違うでしょ?」
「ふぅえ!?」

突然だったので、体が反射的に小鳥遊を殴ろうと動くが、それは叶わなかった。
それほどまでの力で小鳥遊は伊波を抱きしめていたからだ。
そして、お互いの息がかかるほどに小鳥遊が顔を接近させて、どこかぎらついた目で伊波に言う。

「宗太でしょう?」
「へ、あ、え?」
「俺の名前は宗太ですよ」

彼のその瞳は有無を言わさないといった様子で、殴る殴らないの葛藤すら
完全にどこかへ吹き飛ばし、伊波の心を鷲掴みにしていた。

「ほら、言ってください」
「あ…はい…、宗太くん…」

ほとんど命ぜられるように伊波は彼の名を呼んだ。
すると、小鳥遊はどこか妖しさの宿る笑みを見せてから、伊波の頭を撫で、頬に触れる。
伊波は恥ずかしそうにしながらも、従順にそれに喜び顔をほころばせる。

「ふふ、可愛いですよ」
「あぅ……」

蟲惑的な笑顔で言われて、伊波はとろんとしたまま言葉にならない声を漏らす。
そして、小鳥遊が伊波の両の頬を優しく手で包み、最後の言葉を少女の心の真ん中に落とす。

「好きだよ、まひる」
「〜〜〜〜っ!!??」

そのまま彼は目を閉じ、伊波の顔に自分の顔を近づける。
そして、その唇と伊波が重なる。
しかし、その感触は小鳥遊の思い描いていた感触とはまるで別物だった。

そう、それは何か自分の唇というよりも顔面ごと何かに激突したような強い衝撃。
少年の手筈では擬音に例えると「ちゅっ」などという甘ったるいそれが聞こえる予定だったのだが、
現実は突き刺さるような「めきっ」、それに続いて深くめり込んでいくような「めりめり…っ」
という世にも恐ろしい骨ごと軋むような残酷な響き。

小鳥遊は世界がスローモーションになるのを感じつつ、悟った。
ああ、これは伊波さんの拳なんだ、と。

皮肉なことに彼の愛のささやきは、伊波の中に眠っていた獅子を呼び起こし、
その結果、少女の守護者たる獅子が小鳥遊の体を数メートル後方へと吹き飛ばしていた。

「本当にごめんなさい! 痛かったよね!」
「ははは…、いいんですよ、あれは俺に問題がありました…」

地面にそのまま腰を下ろす、というか足ががくがくで立つこともままならない小鳥遊が
乾いた笑いをこぼし、少し距離を取って伊波が何度も何度も謝り続ける。

「でも、小鳥遊くんがせっかく、その抱きしめてくれて…」
「伊波さん…」
「しかも私の名前も呼んでくれたのに…」

そんな風にもじもじと照れる少女を目の当たりにして、

(あー、可愛いな、伊波さん。これならもう殴られるのもやぶさかじゃあ)

一瞬血迷った考えがよぎるが、

「つい思いっきり殴っちゃって…。でも咄嗟に力を弱められてほんとによかった…」
(すみません、ものすごくやぶさかでした。さすがに死にたくはないです…)

薄ら寒い悪寒を背筋に走らせると共に、すぐに自分の愚かしさを恥じた。

「大丈夫? 立てる?」

大丈夫と答えるのが彼女のためになるのだろうが、体が先ほどから全く言うことを
聞いてくれないことにさすがの小鳥遊も焦りを隠せなかった。
さっきの照れくささや恥ずかしさ、うれしさ、幸せなどの感情の爆発した拳の威力は計り知れず、
完全に小鳥遊の体をKOしてしまった。

このままだと彼女にバレて心配をかけてしまうと判断し、
小鳥遊は体が動くように回復するまで話を引き伸ばせないか試みることにした。

「そ、そういえば伊波さん」
「え、何?」

どこか慌てた様子で言う彼に釣られて伊波もわたわたと答える。

「どうして急に俺の名前を?」
「あ、あれは…、小鳥遊くんが喜んでくれるかな、って思った、から…」
「……」

恥ずかしそうに言う彼女をかわいいと思うのと同時に、
伊波の掴んでいるマジックハンドの柄が粉々に握りつぶされているのを見て、
小鳥遊は何ともいえない複雑な感情に襲われた。
とはいえ、やはり彼女のそういう好意は素直にうれしかった。
だからこそ、タガが完全に外れて暴走してしまったのだ。

「そうですね、伊波さんに名前を呼んでもらえて、すごく幸せでした」
「じゃ、じゃあもう一回呼んでみる?」
「い、いやそれはまた後日に!」

この一切の抵抗ができない状態で殴られる可能性のある選択肢を選ぶのは憚られ、
つい彼は力いっぱいそう言ってしまった。
その時のほんの一瞬、伊波のことを理解している自分にしかわからないのではないかと思うほど
小さく伊波の表情に影が差す。

「そうだよね! ごめんね、小鳥遊くん!」

またもほんの少しだけいつもよりも「小鳥遊くん」と呼ぶ彼女の声が揺らいだ気がした。

「どう? 小鳥遊くん、もう立てるようになった?」

けれど、もう目の前に立つ伊波の顔も声も平素の状態に戻っていた。
それはあまりに元気で逆に不自然だった。

「ちょっと…無理みたいですね…」

隠そうと思っていたことを口にしてしまった。
心配させまいとやっていたことなのに、急にこの場から逃げたいと思ってしまった。

「しょうがないんで、タクシー呼んで帰ります。最後まで送れなくてすみません」
「じゃあ、私電話かけるよ」
「はい、お願いします…」

きっとこの行為は、言葉は優しすぎる彼女を深く傷つける。
そんなことはわかっていたはずなのに。



タクシーに揺られながら、小鳥遊は伊波のことを想った。
そんなことは今更にもほどがある。
自分は彼女を傷つけた。
そして、そのまま逃げている。

「ひどい顔だ…」

窓ガラスに映った自分の顔を見て、ぽつりと呟いた。
殴られた跡もくっきり残っているが、そういう意味じゃない。
自分の最低な醜い心がはっきりと顔に表れていた。

おもむろに携帯電話を取り出してみる。
そして電話帳で「伊波まひる」を選び出し、通話ボタンに手をかける。
けれど、ボタンを押し込むことが怖かった。
きっと彼女は泣いている。
恋人に傷つけられたのだ。
しかも、元々男嫌いな彼女がそんな目に遭ったのだ。
悲しまないわけがない、つらくないわけがない。
ならば、すぐにでもかけて、謝って、元に戻ってもらいたい。
それはウソではない。けれど、何と言えばいいのか、それがわからない。

「これでよく女慣れしてるなんて言えたよ…」

小鳥遊は自らの情けなさに歯噛みする。
その力はすさまじく本当にぎりぎりと音が響くほどだった。

と、そこで急に車が停止する。
はっとした小鳥遊が外を見やると、別に自分の家の近くに着いた風でもないのだが、

「着きましたよ、お客さん」

運転手はそんなことを言ってくる。
何を言っているんだろう、と小鳥遊が反論する。

「あの、ここ俺の行きたかった場所じゃないですよ。住所勘違いしてますよ」

けれど、運転手はちっちっと舌を鳴らして、小鳥遊の意見を否定する。

「君が本当に行きたかった場所はここのはずですよ」

そう言って外を指をさすと、そこには家が一軒建っていた。
別に見覚えがあるわけじゃなかったのだが、すぐにあることに気がついた。

「伊波さんの家…?」

表札に伊波とそう書いてあったのだ。
恐らくここは伊波まひるその人のいる家なのだ。

「ほらほら、早く行かないと、君のお姫様が待ってるよ?」

呆気に取られていた小鳥遊に運転手がやけに親しげに言ってきて、
不思議に思い、そちらを向くと、あまりにも見知った顔がそこにはあった。

「そ、相馬さん、何で…!」
「細かいことはいいじゃない。伊波さんに言うことあるんでしょ?」

そう言われて、小鳥遊はため息をつくが、しばらくして笑みをこぼす。

「はい! 言わないといけないことがあります!」

吹っ切ったように言い切ると彼は車から降りて、すぐさまチャイムを鳴らす。

「はいはーい、どちらさまー?」

のんびりした声と共に伊波の母と思しき女性が小鳥遊を出迎える。

「何かご用ですか?」
「あの、娘さんに、まひるさんに会わせていただけませんか!?」
「はい?」

突然のことで目をぱちくりさせているのを見て、小鳥遊が言葉が足りないのに気がつき

「俺、まひるさんと同じバイト先で働いている小鳥遊です!
すぐにでも彼女に言わないといけないことがあるんです! お願いします!」

それを補いつつ更に増した勢いで頼み込む。

「あら、そうなんですか? でもまひるはまだ帰ってなくて…、あら?」

言っている途中で伊波の母が何かを見つけたように声を上げる。
その視線は明らかに小鳥遊の後ろへ行っている。
小鳥遊が振り向くと、そこには彼の求めた少女が立ち尽くしていた。

「た、小鳥遊くん、どうして…?」

伊波が驚いた顔で聞くと、少年は彼女に歩み寄ってから、頭を下げる。

「お願いがあってきました!」
「お、お願い…?」

何がなんだかよくわからず伊波は少し腫れた目をぱちぱちとさせる。

「俺のこと名前で呼んで欲しいんです!」
「……」

言われた彼女は口を半開きにして、言葉を失う。
先ほどあんな目に遭わされたのに、どうしてそんなことを言えるのだろう。
しかも、自分が勝手に呼んだのが事の発端なのに、お願いしてきてくれるんだろう。

「お願いします、まひるさん!」

―どうして、私の名前を呼んでくれるんだろう―

気づけば伊波はぽろぽろと涙をこぼしていた。
心が幸せと安心で満たされて、それでも自分の心の受け皿だけじゃ足りないから、
涙になって伊波の頬を温めた。

だが、小鳥遊は泣かせてしまったと慌てて、どうすればいいか焦ってしまう。

「す、すみません、嫌でしたか!? っていうか、そのさっきも悪いことをしてしまって、
失望されても、嫌われてしまっても当たり前と言いますか…!」

そんな彼を見て、伊波はこれ以上ないほど優しく微笑むと、小鳥遊の手をきゅっと握る。

「そんなことない…」
「……伊波さん」
「まひるって、呼んで?」

頭の中をとろけさせてしまいそうなほど甘えるような声に少年は

「ま、まひるさん…」

半分命ぜられたように少女の名前を口にする。
伊波は笑顔という名の花を大きく咲かせて、心からの想いを込めて言葉を紡ぐ。

「はい、宗太くん…」
「あ……」
「宗太くん、大好きです…」
「俺も…その…まひるさんのことが好きです…」

すっかり照れてしまった小鳥遊だが、目の前の少女に見惚れてしまい、視線が外すことができず、
彼女の言葉に釣られて本心がすらりと外に出てきていた。

「宗太くん…」

また満ち足りた笑顔で伊波が言っていると、

「あらあら、二人は仲良しさんなのねー」

いつの間にかちょうど彼らのすぐ隣に伊波の母が立っていた。
その事実にあっという間に伊波の精神が現実に引き戻され、
小鳥遊の手を取っていた手と反対の手に力がこもる。

小鳥遊は自分が危険な位置にいることを察知するが、
もはや回避できる余裕はないと覚悟を決め、目をつぶった。

けれど、声を上げたのは彼ではなく伊波だった。

「痛い! いたいよ、お母さん!」
「もうダメじゃない、まひるったら。好きな人は殴ったりしちゃいけないでしょー?」
「ご、ごめんなさい、でもいたたたたっ!」
「ごめんなさいね、小鳥遊さん。この子がいつも迷惑かけてるみたいで」
「い、いえ、そんなことは…」

小鳥遊が目を開いてみると、そこには母に拳を受け止められて、腕をひねられている伊波が映った。
もしやと思うが、それしかないようだった。
伊波の拳を、この女性、伊波の母は片手で受け止めたのだ。
小鳥遊は不謹慎とは思いつつも、とんでもない母親だと肝を冷やす。

「あら、もしかして小鳥遊さんって小鳥遊くん?」
「え? あ、はい、小鳥遊宗太です。まひるさんと、その、お付き合いさせていただいてます」

あまりにもふわふわとした笑顔で問われたがために、
小鳥遊は秘密にしていたはずの交際の事実を簡単に漏らしてしまった。

「あらー、そうなのー? もうまひるったらあんまり話してくれないんですもの。
そうなのー、よかったわねぇ、まひるー。こんな素敵な人が彼氏で」
「う、うん…。そう思う。けど、お母さん、痛いです…」
「あら、ごめんね、まひる」

そこで伊波はようやく解放されて、ほっとしたように息をつく。

「変なところ見られちゃったね…」
「いえ、そんな…」
「さあ、もう夜も遅いんですから、家に入りなさい」

お互いにはにかんだように笑う二人に伊波の母が声をかけた。
小鳥遊はそうだったと思い出して、伊波に声をかける。

「あ、じゃあおやすみなさい」
「うん、おやすみなさい…」

伊波も少し名残惜しそうだが、笑って答えるが、

「え、小鳥遊くん、今日泊まっていくんじゃないの?」
「「え゛」」

母の台詞にその場に再び固まる若い男女。

「わざわざ来たんだからそういうことなんじゃないの?」

悪意などこれっぽっちもなく言う女性に小鳥遊は苦笑しながらも

「すみません。今日はまひるさんに会いたかっただけですから、また今度改めて伺わせてください」

丁重にこの場は断った。

「あら、そう? 別に遠慮しなくてもいいのに」
「お、お母さん、宗太くん困ってるでしょ!」
「どっちかっていうと、まひるの方が困ってない?」
「そ、そんなことないよ! と、とにかく今日はムリ! いろいろありすぎてもう…」
「ですね」

残念そうに伊波の母はそれじゃあ、またいらしてね、と小鳥遊を見送り、
娘のまひるもそれに続く。

「宗太くん、今日は来てくれてありがとう。すごくうれしかった…」
「俺の方こそ名前で呼ばれてうれしかったです」
「じゃあ、今度こそおやすみなさい、宗太くん」
「はい、おやすみなさい、まひるさん」

穏やかに笑い合って、二人はその場で別れた。
小鳥遊が道に出ると、まだ相馬がタクシーに乗って待っていた。

(そうだった…)

幸せでいっぱいだったのが、何となく暗い気持ちに塗り替えられてしまう。

「よかったねー、小鳥遊くん、仲直りできて」
「ええ、ありがとうございました、相馬さん」
「いやいや、いいんだよ、お礼なんて」
「…何でタクシーの運転手なんてやってるんですか?」
「単なる深夜のバイトだよ」
「ウソっぽい…」
「……じゃあ本当のこと知りたい?」

そこまでで小鳥遊はこれ以上の詮索も反論も無駄だと悟って、座席に座りなおす。

「相馬さんにはもう一生かかっても勝てる気がしないです…」
「それって褒めてるのー?」
「ええ、多分…」

そして小鳥遊は相馬のタクシーに乗り、幸せに水を差されて少し沈んだ気分で家路に就いた。
それでも彼の心の底はしっかり暖まったのを相馬は確認して、いつもよりかは純粋な笑顔で車を走らせた。



その日以降、二人きりになると、伊波は小鳥遊のことを『宗太くん』と呼び、
反対に小鳥遊は伊波のことを『まひるさん』と呼ぶようになり、着実に恋人として前進した。

その際、少女の甘い笑顔と『宗太くん』の合わせ技により、少年の青い衝動に耐える苦行は
壮絶を極めることになるのだが、それはまた別の話…。






2010年05月14日(金) 23:43:12 Modified by kakakagefun




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