こんな感じはとても良い。お仕事と家族に纏わる気になる記事とメモ

(現在)
そろそろ24年位になるかな?住友生命、ソニー生命など人生の節目や収入とのお見合いの際にベストなものを考え契約変更を繰り返してきた「生命保険」、現在でも「損保」自動車の任意保険と合わせると結構な月額コストになっていて、家族の収入管理上で大きな支出ファクターになってます。このことについて検証しないといけないな、、、

昨年父が他界した時、それまでの介護施設費用や医療費について兄弟で約2年にわたり介護など色々と協力しあいました。父や母のことであり、至極当然のこととして出来る限りのことをしてきましたが、必要な費用については公的支援では賄えない部分の発生をどうしていくか?との現実的な問題に直面したのです。我が家でも生活費を切り詰めたり、貯金を取り崩したり、「生保」の一部解約をしたり、工面に奔走しました。

解約の際、返金が発生した時は、少しびっくりしたのです。月額の支出を切り詰める目的で保険内容の相談を開始したのですが、70万単位のお金が戻ってきました。よく話を聞きますと私たちが掛け捨てで掛けていたと思っていた一部の保険契約は、そのように仕組みが出来ていたのです。
私の家庭では大凡月額4万円以上の保険を支払っています。あれから時間がたち、収入が下がってきて、尚子供の教育費用が増加している今、人生で初めて保険商品について考えることを開始してます。

確かに、人(好きなセールスウーマン、セールスマン)を介しての契約であったしこの付き合いにある程度の満足をしてきましたが、これまで私にとっては契約書は専門用語を含めて読み切れないものです。単純に根拠のない信用で支払いを続けてきたのです。

この半年ほど、保険についての本や雑誌を読みふけってきました。今回は表題「生命保険のからくり」を読み終えて
そろそろ家族にとって必要な保険とは何なのか?商品の内容はどうなっているのか?そして保険契約の見直しを。

(気になる記事)
生命保険とは、期待値がとても高い“宝くじ”なの!?【保田隆明の連載コラム】
2009年12月15日10時04分 / 提供:ダイヤモンド・ザイ・オンライン
 生保業界を騒がせているライフネット生命。その副社長である岩瀬大輔氏が書いた『生保のカラクリ』(文春新書)を読んだ。

 ライフネット生命は、ネットを活用することで保険料の引き下げを行っており、その存在自体が既存生保にとっては“迷惑”なのであるが、さらに最近では、保険契約者が支払う保険料のうち、通常どの程度が保険会社の費用として「浪費」されているかを開示し、完全に他の生保企業から恨まれている存在ですらある。

 そんなお騒がせ生保の副社長が書いた同書は、当然ながら既存生保企業には耳の痛いお話満載、一方でなるべく自社の売り込みは控え目にしようという意図が見え、なかなかうまい仕上がりになっている。

■生保のカラクリがわかっても、保険の見直しは進まない?

 さて、そんな本を読み終わり、確かにカラクリは理解した。既存大手生保の生命保険に加入するのは無駄が多いということも十分にわかった。

 でも、だからと言って、本書を読み終えて「これはまずい! 今すぐ保険契約を見直そう!」と思って行動に移した人はさほど多くはないのではないかとも思った。

 また、そもそもこの本を手に取る人は、もともとある程度リテラシーが高く、本来一番読んでほしい人たちにはこの本が届かないかもしれない。

 支払い保険料は安くしたい、というのはおそらく万人が同意する。それであれば、同じ保険内容なら安い保険料の生保に民族大移動が起きるはずである。しかし、ことはそう簡単には動かない。
 
 それはなぜか。

■生保の本当の魅力は、いざという時にもらえる「宝くじ」であること?

 以前、宝くじを買うぐらいなら、株式投資のほうがいいのではないか、という話を当コラムで書いた。

 その理由は宝くじは手数料が高く(約半分は手数料)、また、1億円が当たる確率は気が遠くなるほど小さいからである。その点、株式投資は300円が1億円にはなかなかならないが、手数料はほとんどゼロに近く、期待値では宝くじを上回る。株式投資のほうが合理的だ。

 しかし、実際には宝くじ売り場に行列ができる。

 人は、確率がどんなに小さくてもいいから、1億円が当たる可能性に賭けてしまう。これは人間の行動ファイナンス的行為である。

 生保も、実は同じ構造だと思われる。『生保のカラクリ』から拝借すると、日本では公的保険が充実しているため、民間保険は公的保険の補完で考えるべきであり、また、貯金がある程度あれば、保険はさほど必要ない、という。

 「なるほどその通り」なのであるが、もし民間の保険に入っていれば、いざという時には「追加で」保険金が支払われる。人はこの“追加の保険金”ほしさに民間の生保に入っているのではないか。

 私は今35歳であるが、35歳男子が1年以内に死亡する確率はざっと0.1%。死亡保険に入っていれば、0.1%の可能性で1年以内に私の家族に保険金が下りることになる(その場合、私は天国に行ってしまうが・・・)。これは、宝くじを買って1億円が当たる確率よりは、ずっと高い。

 縁起でもない表現ではあるが、保険を「死亡したら当選する宝くじ」だと考えると、我々の保険好きも少しは納得がいく。そして、我々がもし無意識のうちに宝くじと同じように保険を考えているならば、宝くじ同様、手数料が高さや期待値の低さは気にならないのかもしれない。

(2)株式投資の経験を生かせば、
家計全体の無駄もなくなる!?
 ギャンブルをする際、たとえば競馬、パチンコ、宝くじなどの当選確率を冷静に比較してギャンブルを行う人は多くないであろう。

 重要なのは「いったいいくらになるか」であり、多少コストが違ってもあまり気にならない。保険も同じではないだろうか。

■インパクトの強い事象の発生確率は過大評価

 また、これは有名な話であるが、人はインパクトの強い事象に関しては、実際に起こる確率よりも高い確率で起こると思いこんでいる。

 飛行機事故は発生すると必ず大きく報道されるのでそのイメージが強く、死亡率は高いように思いこんでしまうが、実際には自動車事故や溺死による死亡率のほうが高い。

 生保の場合も、ガンは「怖い」というイメージが強すぎて少し過剰に反応している可能性があるし、自分の親族やかつての同級生の死などに直面すると、自らの死亡確率を実際より高く錯覚するであろう。また、逆にそういう事態に直面したときが保険加入のきっかけにすらなっている。

 したがって、いくら費用対効果の低い無駄な特約や医療保険を削って月々の保険料を節約することが家計にとって重要だと頭で理解しても、「怖い」「不安」という感情の前には冷静な計算に基づく判断が成立しなくても不思議ではない。

■費用合理性以外の満足度

 幸いなことに、我々株式投資家は、そうした行動バイアスの罠を嫌というほど経験してきている。

 であれば、その経験を、資産運用以外の家計面に応用させない手はない。行動ファイナンスは、主に株式投資における人間の非合理的な行動を説明するときに登場するが、実はこれは、投資以外の家計全般において適用できる。

 しかし、多くの人が合理的判断のみで株式投資を行うわけではないように、家計の場合も、頭で理解することと、実際の行動とに乖離が生じている可能性は高い。

 かく言う私自身も、生保はネット生保に加入したが、自動車保険は自動車購入時のディーラーに勧められるままに入ったものを変更していない。今では自動車保険の保険料が生保の保険料の約3倍になっている。

 自動車保険もネットでもっと安い契約に変更できるはず、と思ってはいてもなかなか行動には移せない。つい、事故があった時のロードサービスや、その他さまざまな手厚い特約、特典を解約できないでいる。

■自動車保険の特約は株式投資の“優待”といっしょ?

 それら多くは必要性が高くはないものである。しかし、一度手に入れたものは、それがたとえコスト高であっても、やすやすとは手放せない。

 株式投資で考えると「株主優待」がこれに該当する。経済合理的に考えると同額を現金で配当してもらった方がよっぽどいいのに、あるいは、投資対象銘柄としては大して魅力的ではないのに、なぜか優待に惹かれて株式を購入してしまう状況がある。

 以前当コラムで書いた「毎月分配型投信」の話にも通じるが、我々が常に合理的判断を行うという前提で語られることの多い金融商品周りの事柄に関して、本来は一定割合で合理的判断をしない、あるいはできない層が存在することを前提にすべきなのであろう。

 それは合理的行為ではないですよ、と説明することも重要だが、合理的判断をしない人に向けての商材提供も一方で必要だということになる。

 金融商品は、合理的判断を前提としなくなると、ますます奥が深い。今までの保険商品はそれがわかったうえでの義理、人情、プレゼントということだったのであろうか?

 それであれば、株主優待に次ぐ何らかの魅力を株式投資に兼ね備えさせるヒントが、保険商品にあるのかもしれない。生保レディならぬ、証券レディはいまさら時代錯誤か・・・?

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