Lo Cant dels Aucells 翻訳草稿
ステファノ・グロンドーナの肖像
ステファノ・グロンドーナは容易なアーティストではない―彼について語るのもまた容易ではない。それは彼の軌跡を20年間追い続けてきたものにとってすらそうだ。彼はどこかしら孤独な人物である。それは存在としてもそうであるし、音楽的な観点から言ってもある程度は孤独といえるだろう(彼が深く芸術的共感を覚えている人物がチェリビダッケやミケランジェリであるという事実は見逃せない)。彼は妥協に走るということがない。その結果、彼の音楽的選択は(レパートリーにせよ解釈にせよ)、しばしば難しいものになりがちだ;彼にとっても難しいし、またそれとは別の意味で聴衆にとっても難しい。結局、彼の選んだ芸術的進路は―それは非常にパーソナルであり変化を求め続けるものであるが―、いろんな点で彼を“old-fashioned(古風、非流行的)”なものにした:彼のレパートリーはどんどん"eccentric(風変わり)"になっていく兆候が見られるし、彼の解釈のディーテイルもまたおなじくeccentricになっているともいえそうである。その結果、グロンドーナはますます20世紀初頭のある種のヴィルトゥオーゾたちに似てきている。彼の演奏を聴くと、人は彼の技術の高さをかんたんに忘れることができる―実際は彼の技術はすばらしいものであるにもかかわらず。彼の高い技術は彼の純粋な音楽性とふかくからみ合っているからである(たとえば彼の音色のコントロールや、音のたくさんのレイヤー間のバランスや、楽器を歌わせる能力などにそれを見ることができる)。
グロンドーナはまた特別な雄弁な演奏家として恵まれている。彼の演奏の性質はまるで語りかけるようなものであり、それはバッハやフローベルガーのような作曲家に対する彼の解釈に特徴的に現れている。(つづく)
2007年06月04日(月) 03:54:03 Modified by ID:QzHY6Jk4tg