日本の周辺国が装備する兵器のデータベース


▼Ababeel「Project Sabre 2 | Pakistan's First Original Fighter Jet program」セイバー況弉茲療針を紹介した動画


▼Pakistan Defence Analysis「Pakistan's Original Fighter Jet : Project SABRE II」


セイバー鏡鐺機は、パキスタンの提案に基づきパキスタン、中国、アメリカの三か国が共同開発した戦闘機の計画名称。開発に当たったのは、パキスタンがパキスタン航空コンプレックス(PAC)、中国が第132航空廠(現在の成都飛機工業集団有限公司)が担当、設計は第611設計局(現在の成都飛機設計研究所)、アメリカがグラマン社(現在のノースロップ・グラマン)。

計画の初期段階では、J-7CP(殲7CP)、途中からは「スーパー7(超7)」と呼称が変わり、最終的に「セイバー供廚正式名称となった。さらにこの計画から派生した中国派生型であるJ-7Cの構想も存在したが、1989年の天安門事件による国際情勢の変化に伴って開発は頓挫した。

しかし、その成果は後のFC-1戦闘機(殲撃9/JF-17/スーパー7)に繋がり、21世紀になって実用化に漕ぎつけることとなった。

【計画の始動-パキスタンのJ-6後継計画とJ-7M改良案について】
セイバー鏡鐺機、そしてFC-1/JF-17に至る道程は1980年代から2000年代まで、およそ30年間に渡り紆余曲折を経ることになる。

最初のきっかけは、1980年代のパキスタンであった[1]。当時、パキスタンはソ連のアフガニスタン侵攻(1980)を受けて空軍力の強化に迫られていた。長年インドと対立関係にあるパキスタンとしては、アフガニスタンにソ連が進行したことで、インドとソ連という二つの脅威に挟まれた形となっていた。

当時のパキスタン空軍の数的主力は中国製J-6戦闘機(MiG-19)であったが、既に性能的に陳腐化しており、老朽化に伴い退役が進んでいた[1]。パキスタンはフランスからミラージュ5戦闘機50機を調達したが、J-6の更新としては150〜200機の戦闘機が必要であったため、これは一時しのぎに過ぎなかった。幸い、ソ連のアフガン侵攻に対する対抗措置としてアメリカからの支援が増加したことで、当時最新の第4世代戦闘機F-16A/B「ファイティング・ファルコン」戦闘機40機が供給されたため、戦闘機不足は解消を見た[1]。パキスタンはさらにF-16の調達数を150機にまで増やすことを計画。調達数の半分はアメリカの支援で賄う予定であった[1]。

パキスタンは、欧米からの戦闘機調達と並行して、伝統的友好国である中国からの戦闘機調達も継続する方針であったが、当時中国が供給できたJ-7戦闘機(殲撃7/F-7/MiG-21)は航続距離が短く装備も貧弱で、それを補うには多数の前線基地を建設せねばならず負担が大きいうえに、西側機に比べて安全性の面でも問題があると見なされていた[1]。1982年になって、ヨルダンが西側製装備で近代化されたJ-7M「エアガード」戦闘機を中国から導入する準備を進めているという話がパキスタン空軍に伝わった[1]。J-7Mは射出座席とアビオニクスを英国製として性能を向上させながら、低いコストも維持していた[1]。この、西側製装備によりJ-7/MiG-21を近代化するというアイデアはパキスタン空軍の注目を浴びることとなった。パキスタンではMiG-21の大ユーザーであったエジプトに調査団を送り、ちょうど中国からJ-7Mの調達を検討していた同国との間で情報交換が行われた。その結果、MiG-21は優れた戦闘機であるが、その問題は飛行性能ではなく、小型機であるがゆえの搭載力と航続距離の少なさ、それに先進的なレーダーやアビオニクスを搭載する空間に乏しい点にあるのが明らかになった。機体の基本設計に手を加えず能力向上を行うのは限度があり、さらに最も重要なレーダーがコストの問題でダウングレードされたことでパキスタンはJ-7M導入計画に対する興味を失った[1]。

1982年、パキスタンは中国に使節団を派遣[2]。同国のニーズに合った中国戦闘機を見出すための調査であった。中国側はまず瀋陽飛機工業集団公司のJ-8戦闘機(殲撃8/F-8/フィンバックA)の視察を許可したが、J-8は大型で優れた高速性能を有していたものの、その技術はJ-7をベースとしたもので共通の問題があり、J-7と同じくレーダーは機首インテイクのノーズコーンの限られた空間に収納されていたためより大型の先進的レーダーを搭載するのは困難だった。瀋陽は同社が開発中のJ-8II戦闘機(殲撃8B/F-8II/フィンバックB)についてもパキスタン側に紹介した。J-8IIは大型の火器管制システムを搭載するために機首スペースを確保して、サイドインテイク化した機体であったが、実用化にはまだ時間を要する上に価格も高いため、既にF-16を保有するパキスタンには魅力的ではなかった[2]。これに続いて、パキスタン側では成都飛機工業集団公司がヨルダン向けに開発が進められていたJ-7Mの調査を行ったが、こちらは非常に高い評価を得る結果となった。J-7Mはミラージュ契鐺機の三分の一となる200万ドルという低コストであるにもかかわらず、装備の近代化により十分な実用性を備えた戦闘機に仕上がっているとの結論に至った[2]。パキスタンではJ-7Mの調査を継続し、パキスタン本国で中国から派遣されたJ-7Mを用いて三か月に渡る戦術訓練や評価作業を行うなど、導入に向けた検討を進めていった[2]。

1980年代はさまざまな国や企業から既存の第3世代戦闘機を新型装備でアップグレードするプランが目白押しであった。パキスタンでもJ-7Mのさらなる能力向上に向けた検討を重ねていたが、そこで登場したのがアメリカの兵器やアビオニクスを用いて能力向上とF-16との互換性を確保するという一石二鳥のプランであった[3]。前述した通り、アメリカはパキスタンに巨額の軍事支援を行っており、アメリカ製コンポーネントを使用することで、J-7Mの近代化にアメリカの予算を活用することが可能となり、パキスタン自身の財政負担を抑えつつ戦闘機調達ができるという構想であった[3]。1984年9月からアメリカ企業との交渉が開始されたが、F-16の販売に成功したロッキード社以外のメーカーはこれを新たなチャンスと捉え、この新戦闘機はパキスタンのみならず、中東諸国への販路拡大にもつながると見なされた[1]。

【パキスタンと中国の交渉とJ-7CP計画の策定】
アメリカでの交渉と並行して、パキスタン空軍ではJ-7M改良型に望まれる要求の取りまとめを行った。J-7Mについては航続距離の短さと、その原因である重く燃料消費量の多いWP-7Bターボジェット・エンジンが問題視され、これをアメリカ製の先進的なF404ターボファン・エンジンに換装することで燃料消費量を増やすことなく航続距離を大幅に延伸できると見込まれた[3]。WP-7BとF404のサイズはほぼ同じで、F404は200kg以上軽量で、必要な空気流量も類似しているので、機体に大幅な改造を加えずにエンジンを換装できるだろうと考えられた[3]。アビオニクスについては、サイドインテイク化により確保された機首の空間を利用することとされた。すでにパキスタンではJ-6戦闘機をサイドインテイク化したQ-5攻撃機(強撃5/A-5/ファンタン)の運用経験を有しており、インテイクの変更が性能や運動性に問題を生じさせることはないとの経験を得ていた[3]。パキスタン側では、J-7M改良型にはF-16戦闘機のアビオニクスを簡易化したものを搭載することを考えていた。これはF-16との共通性を確保しつつ、高価なF-16を数的に補うだけの機数を調達し得る選択肢だと見られた[3]。

これらの検討を経て、パキスタン空軍の最初のJ-7M改良型に対する要求項目がまとめられた[3]。エンジン出力はF-16と同レベルかそれに近いものとする。航続距離の大幅な延伸。全方位警告装置を装備して、兵器搭載量の増加も求められた[3]。パキスタンは1984年10月23日、中国に派遣した空軍代表団を通じて、J-7Mをベースに全面的な近代化を加えて能力を向上させた発展型の共同開発に関する提案を伝えた。提案の主眼は、安価なJ-7Mに西側製レーダーや新型エンジンを搭載する事で比較的低コストで米F-16「ファイティング・ファルコン」に近い能力の戦闘機を実現できないかというものであった[3][4]。

中国側では、これはJ-7Mの改良ではなく新規設計に等しい作業になると判断。中国空軍では、多数のアメリカ企業がかかわることから、アメリカがこれだけの先進装備を提供する用意があるのか、同意が得られなければ計画は即座に頓挫するリスクがあることも懸念された。一方、J-7Mの製造元である成都飛機工業集団公司はこの計画に積極的であり、パキスタンの提案を歓迎し、アビオニクス搭載のためJ-7Mをサイドインテイク化するというパキスタンのアイデアにも賛意を示した[5]。成都ではパキスタン代表団が出国するまでに初期のデザイン案を作成して、サイドインテイク化が可能であるとの意向を示し、パキスタン側の納得を得られた[5]。この提案を叩き台にして、新型輸出向け戦闘機のスタディが開始された。

一方、アメリカではLTV社傘下のヴォート社とグラマン社がパキスタンのJ-7M改良事業への参加を競った。ヴォート社は計画参入に意欲を示したが、親会社のLTVはエンジンメーカーであるプラッ&ホイットニー(以下P&W)社の関連会社であり、F404はゼネラル・エレクトリック(以下GE)社の製品だったため、詳しい情報を有しておらず、ヴォート社自身の航空機開発能力についても懸念が持たれた[5]。他方、グラマン社は、パキスタンの政軍界に深いコネクションを有しており、F-14「トムキャット」戦闘機を生産中で開発・生産力は問題なく、シンガポール空軍のA-4「スカイホーク」近代化事業でF404エンジンへの換装工事を受注した経験も有していた。グラマン社としても、J-7M改良事業は自社に欠けていた国際市場に提供できる安価で効率的な戦闘機として、計画参入を強く望んだ[5]。

パキスタンでは1985年3月10日にJ-7M改良型に求める要望をまとめた100頁を超える意見書を中国に送り、中国は作成していた予備設計案をパキスタンに引き渡した。中国はこの開発案を両国の共同開発を意味する「J-7CP」と命名[5]。

パキスタン側の要望では、.▲瓮螢製コンポーネントの中国への直接供給は許可されていないので、最終組み立てはパキスタンかアメリカで実施。▲┘鵐献鵑隆港方法はJ-7の胴体後部を分割してから取り出す方式から、西側式のエンジン単独で引き出せる方法に変更、H翼に避雷針を装備、ぅーバーシュート対策として米空軍と同じ滑走路のアレスティングワイヤを引っ掛けるためのアレスティングフックを装備(中国はアレスティングネットを用いていたためフックは未装備)、ザ中給油能力を備えた複座練習機型の開発、ΕャノピーをJ-7より視界の良い一体型にする、Д蓮璽疋櫂ぅ鵐箸肋なくとも7か所は確保する、┻‖亮命の延伸、少なくともエンジンのオーバーホールと機体のオーバーホール間隔を合わせること。などが求められた。

中国側のJ-7CP開発案では、J-7Mをベースに、機首インテイクを機体の両側面に変更。機首インテイクだった空間にアビオニクスを搭載するというのが基本構想。空力設計と制御系統はJ-7Mを踏襲することとされ、設計変更のほとんどは胴体前部に集中していた。インテイクはキャノピーの手前の胴体両側面に配置した図と、キャノピー側面に配置した図が確認されるが、前者は設計変更を抑えるための工夫と見られる[12]。キャノピー側面のものはサイズが大きく、スリップベーンを備えるなどの相違が見られ、こちらの方が設計が本格化した段階での構想だと推測し得る。固定武装はJ-7Mの30mm機関砲×2から23mm二銃身機関砲×1に変更された[12]。23mm二銃身機関銃発射速度の速さに加えてコンパクトで機内容積を確保できる点も有利とされた[12]。主翼設計もそのままだが、ハードポイントは二箇所が追加され、合計7箇所を確保した。J-7Mの航続距離の短さについても改善が試みられ、機内燃料タンクの容量を2385リットルから3000リットルに増加させることで、航続距離を20%延伸可能で、さらに機体背部にタンクを追加するなどの措置を施せば航続距離をJ-7Mの60%増しにまでできるとされた[12]。

コクピットについてもJ-7Mで行われた西側機器の導入をさらに進めて、計器やコンソールのレイアウトを一新、コクピットの視界を良好にする、西側式ゼロゼロ射出座席を採用するなどの措置が取られる予定であった[12]。機体については、構造材の改良により機体寿命を3,000時間に延長[12]。主翼の基本形状は維持しつつ、翼面積の拡大や機動フラップの採用で、中〜低空域での機動性や離着陸能力を向上させ、航続距離の延伸にも有利にするとされた[12]。

性能向上を目指しつつも、できるだけJ-7Mの基本設計を維持したのは、作業規模を抑え開発期間を短縮するためであり、早ければ3年程度で実用化できるとの見通しを示した[5]。

1985年6月、中国側からの提案に対してパキスタンは、主翼下ハードポイントの追加には問題があり、F-16のような翼端パイロンを採用すべきであると提案。さらにエンジンをアメリカ製F404に換装するためには後部胴体にも大幅な設計変更を加える必要があると主張。中国側はパキスタンの要望を即座に設計に反映させる姿勢を見せていたが、パキスタンとしては設計作業では経験豊富なグラマン社による実施と指導が不可欠であると考えていた。グラマン社はパキスタンの意向を受けて、成都に視察団を派遣して、同社が要求を満たす戦闘機を生産するための技術的基盤を備えているか視察を行った[6]。ただし、この大会ではアメリカ政府の認可が下りておらず、財政支出の分担割合も未確定なため、グラマンによる具体的な開発作業への関与は手控えられた[6]。

1985年以降、アメリカ政府の計画承認作業が手間取る中で、開発作業は一年ほど停滞を余儀なくされる。反面、当時の中国は西側諸国と良好な外交関係を有していたので、この戦闘機開発を中国市場への進出のチャンスと捕らえた多くの西側防衛産業が計画への参加を求める事態になった[4]。アメリカ政府の手続き完了後、パキスタンはアメリカ企業に対して正式に設計案への入札を促し、それに対してヴォート、グラマン、ノースロップ、ボーイング、ロッキードが手を上げ、最終的にグラマンとボーイングが候補に残った[6]。ここでパキスタンと中国の思惑の違いが浮き彫りになった[6]。中国はこの計画をきっかけに自国の戦闘機として発展させることも考慮に入れていた[6]。

パキスタンが当初からF404エンジンと(F-16と共通の)AN/APG-66レーダーの使用を求めていたのに対して、中国はヴォート社が提案したP&W社製PW1120、ボーイング社が提案した同じくP&W社製PW1120とPW1216についても興味を有していた。中国側はパキスタンが推すF404についても、エンジン換装は単純な作業ではなくインテイクの完全な再設計が不可欠になると見ていた[6]。

1985年末、ボーイングとグラマンは計画の初期実現可能性調査に着手し、ボーイングはF404をGM社がスウェーデンのJAS39「グリペン」向けに改良したRM12を使用すべきと提案[i:。グラマンはかつてノースロップF-20「タイガーシャーク」に搭載したF404-GE-402を提案した[6]。レーダーについては、ボーイングがAN/APG-67、グラマンがAN/APG-66を提案[6]。ヴォート社はまだ完全な計画立案に至らず、PW1120エンジンの使用をあきらめていなかった[6]。この決定に影響を与えたのは、瀋陽飛機工業集団公司が進めていたJ-8II戦闘機(殲撃8B/F-8II/フィンバックB)の近代化改良型「J-8B型」の存在であった。この計画でも、レーダーはAN/APG-66が選択され、エンジンについてもF404に換装することも考慮されていた[6]。この計画がアメリカの承認を受ければ、J-7CPも輸出成約が無くなると考えられたが、グラマンは二つのプロジェクトが同時に進んでいたため、相互に悪影響が及ぶことを懸念し、慎重に作業を進めたためJ-7CPの進捗状況にも遅れが生じた[6]。

パキスタンは1985年10月、この計画を「パキスタン軽戦闘機代替計画」として計画名称にJ-7Mの発展型であることを示す「スーパー7」戦闘機計画と命名した[6]。アメリカの五社に正式に入札要求書が送付され、アメリカ政府も検討の結果、スーパー7計画に承認をあたえた。翌1986年1月8日のシンガポール航空ショーでは、中国は「スーパー7」計画を初公開して世間の注目を浴びた[6]。2月にはパキスタン国防省が開発計画について「セイバー供廚量松里鰺燭┐得擬阿雰弉茲箸靴動銘屬鼎韻[6][4]。パキスタンは3月9日に中国に使節団を派遣して「セイバー供弖弉茲龍饌療なワークシェアを提案した。この提案では、‘鰻弉茲魯▲瓮螢の軍事援助の形を取り、パキスタンに提供された資金で遂行される。∋邵邉,粒発にはパキスタン国防省が資金提供する、試作機の風洞試験と機体構造の設計は中国が担当、ち澗寮澤廚叛澤廛灰鵐汽襯謄ングはグラマン社が担当、ズ能組み立てはグラマン社がアメリカかパキスタンで実施、Τ銅鏤邯海犯行試験は必ずパキスタンで行う、量産は、中国が機体、アメリカが機首を製造し、最終組み立てはパキスタンで行われる、との内容が示された[7]。

機体の開発はグラマン社の協力で中国第132航空廠(現在の成都飛機工業集団有限公司)が担当、設計は第611設計局(現在の成都飛機設計研究所)が行う事になった。パキスタン側パートナーはPAC(パキスタン航空コンプレックス)。パキスタン側は11日には中国側に対して「スーパー7」に求める具体的な要求を提示した。ここでは「J-7Mに改良を施して開発する」とは最早記載されず、より詳細な項目が列挙された。主な内容は以下の通り[7]。
アメリカが承認したF404エンジンとアビオニクスを使用
中〜低速域での操縦性を重視、高高度の操縦性は優先されないが、最高速度はマッハ1.6以上とする。
機体寿命はF404の寿命と同じ3,000時間を確保し、最初のオーバーホール間隔は1,200時間以上とする。
機体構造は最大9Gの負荷に耐えること。
機内燃料は2,268L以上とする。
空中受油能力を確保、ないし将来的に装備可能なマージンを取っておく。
ハードポイントは7〜9箇所として、少なくとも7箇所には兵器や増加燃料タンクなどを同時に搭載できなければならない。ハードポイントの最大搭載量は2,700kg以上を確保すること。
アメリカ式の枠の無いバブルキャノピーとアメリカ式コクピット環境を提供する。
緊急着陸に備えてアレスティングフックを装備する。

この会議では中国とパキスタンの今後の計画の進捗に関する見解の相違も明らかになった[7]。中国では設計作業とテスト飛行に必要な試作機5機の製造には3年を要し、計画完了まで早くとも5年かかり、開発費用は3〜5億ドル、150機を生産した場合の一機当たりの単価は800〜1,000万ドルになるだろうと試算した[7]。パキスタンではこの単価は想定外で、800万ドル以下でないと許容できないと考えており、調達費用は12億ドルで5〜6年で生産を終え、その費用は全額アメリカの軍事援助によって賄えると見ていた[6]。

パキスタンはグラマンにコスト抑制のアドバイスを依頼。グラマン社は、現時点ではまだ全面参加していないが、同社が設計とエンジニアリングを主導する条件で、中国は機体構造と空力データの提供で済み、機体の完全な再設計は不要になるとした。予算を抑制するため、F-20「タイガーシャーク」の機首をJ-7Mの胴体に結合する提案も行った。これなら試作機は3機で済み、開発総額も2億5,000万ドルに抑えられるとした[7]。入札にはボーイング社も残っていたが、詳細な開発計画書こそ提出したものの、実際の作業については進捗が遅れたことで、大型旅客機や爆撃機を中心にしてきた同社の戦闘機開発の経験の少なさが懸念されるようになった。グラマン社に比べて政軍界とのコネが少ない点、収益の柱が旅客機事業にあるため、グラマン社よりも「スーパー7」計画に参加するインセンティブに乏しいため、途中の撤退もあり得ると見なされたことも入札で不利に働いた[7]。

開発では中国、グラマン社、パキスタンの三者の思惑が絡み合い、アメリカ政府からの技術提供の制約、中国側からの設計図面提供の代償要求、相互の情報交換がスムーズに進まないなどの問題を抱えたことで、中国は牽制の意を込めてボーイングや英ロールス・ロイス社に接近する姿勢を見せるが、グラマン社の参入は計画遂行に不可欠だというのがパキスタンの立場であり、1986年8月6日には中国AVICとグラマン社が入札勝利者として告知された[8]。8月19日から、パキスタン、中国、グラマンの三者会議が開始されたが、中国側はグラマン社が提案したF-20とJ-7Mのドッキング案を拒否。既に開発作業を進めており、グラマン社の提案に余計なリソースを割くべきではないと主張して、最終的にグラマンが提案を取り下げた。もう一つのグラマンの提案は主翼形状の変更で、J-7Mのデルタ翼の前縁部に延長部を設け、後退角はよりなだらかなものとした上で翼端パイロンを装着するF-16の主翼に似た形状の採用を求めた[8]。グラマンは、J-7CPの主翼設計ではパキスタンの要請を満たすには不十分であり、エンジン推力が強化されてもそれを有効活用できないと主張した[8]。こちらも議論の末、三者は空力設計に一定の変更を要することで合意に達した[8]。この会合では、開発期間は6年間で、予算総額を2億5,000万ドルに抑制すること、中国は試作機3機を製造して1991年には最初の試作機をロールアウトするという点についても合意に達した.[8]。ワークシェアは、グラマンが全体設計を、成都が機体構造の85%を担当することが取り決められた。元々のJ-7Mの設計の70%以上が変更され、空力設計も大幅に見直されることとなった[8]。設計作業はアメリカのロングアイランドにあるグラマン本社で行われ、成都からも技術者が派遣されて作業に加わることとなった[8]。

【中国によるJ-7C構想について】
1987年2月、パキスタンはスーパー7戦闘機の正式名称を「セイバー供廚坊萃[8]。これ以降、公式アナウンスでは「セイバー供廚北松里統一されたが、アメリカや中国ではそれ以降も使い慣れた「スーパー7」の呼称が並行して用いられ続けた[8]。

この時期の経緯は資料によって異同があるので、以下では異なる経緯についても紹介する。
資料[4]では、パキスタンは150機を超えるF-7CP/セイバー兇鯆潅し、インドのMiG-21bis戦闘機に対抗する計画だったが、インドがソ連から第4世代戦闘機MiG-29の調達を開始したことを受けて、パキスタンは「セイバー供弖弉茲虜童‘い鮃圓ぁ△修侶覯F-7CPの研究開発作業は1987年に中止となった[4]。

パキスタンは一旦計画から離脱したが、成都飛機工業集団公司とグラマン社に加えて、シンガポールもこの計画に興味を示したことで、研究開発作業は継続され、F-16「ファイティング・ファルコン」の設計やアメリカ製F404ターボファン・エンジンを取り入れて、飛行制御システムや機体設計にさらに大規模な改良を加えることで、第3世代戦闘機であるJ-7/F-7をF-16と同じ第4世代戦闘機に変身させる計画を立案した[9]。この新生F-7は、計画名称を「スーパー7」として、各国で広く用いられていたMiG-21、J-7、F-5、ミラージュIIIといった一千機近い第3世代戦闘機の後継機市場の獲得を目指した[9][4]。

いずれにせよ、1987年から中パ米による「セイバー供弑ζ嘘発が開始されたのは間違いないだろう。

同年4月、米P&W社の代表団が北京を訪れ、PW12112(A/B推力9,387kg、単価200万ドル)とPW1216(同7,425kg、130万ドル)の2種のエンジンを「セイバー供弖弉茲膨鶲討靴[1][8]。この時点での設計作業では、すでにF404の搭載が前提で進んでいたが、中国はリスク分散と自国での運用を踏まえてF404以外の選択肢についても検討を進めていたのである。翌5月には英ロールス・ロイス社の専門チームが中国に派遣されRB199-127/128(A/B推力7,430kg)の提案を行った[1]。これらに中国が開発中のWP-14(渦噴14)ターボジェット・エンジンを加えた5つのエンジンが候補としてラインナップに並んだ。

中国は「スーパー7」計画が各国の注目を集めたことを契機に、パキスタン向けの「セイバー供廚茲蠅眈し性能を落とした「J-7C」戦闘機計画を構想した[8]。この計画は、パキスタンとグラマンは参加しない中国主導の開発となるもので、P&W社がこのJ-7Cのために最有力エンジンとして提案したのがPW1216であった。PW1216はA-4「スカイホーク」攻撃機のJ52ターボジェット・エンジンを基にして中国製WP-7Bターボジェット・エンジンのアフターバーナ―部分を組み合わせて開発されたもので、エンジン推力はドライ5,400kg、A/B 7425kgとなり、ドライ推力は初期のMiG-21のA/B推力を超えていた。PW1216はWP-7Bに比べ燃料消費率で12%優れており、エンジン寿命も4,000時間と長寿命を達成。盛り込まれた技術水準が新しいものではないため、 アメリカ政府の輸出規制を被る可能性が低いことも重要な要素であった[8]。ただし、PW1216はこの時点ではペーパープランであり、試作機の完成も1991年を待たねばならず、中国が似通った性能のWP-14(A/B 7,954kg)を開発中だったことも不利に働いた。P&W社が提案したもう一つのエンジンであるPW1120はA/B推力9,387kgと強力なエンジンであったが、サイズ・重量・必要空気量ともにJ-7Cとの適合性は低かった。さらにPW1120は米軍の主力エンジンであるF100の技術が使われているので輸出規制に抵触する可能性が高く、P&W社も一応の候補として提示しただけであった[8]。

【「セイバー供弖弉茲凌陛犬函突然の中断】
1987年末から、グラマン社で米中技術者による共同開発作業が本格化した[10]。グラマン社は主翼をF-16のものに似た後退角40度の切り落としデルタ翼として、翼前縁フラップと翼端パイロンを追加した。翼長は原型の7.15mから9mに延長された。水平/垂直尾翼はJ-7Mのものをそのまま流用。エンジンについては、F404はWP-7Bより直径が小さく放熱も少ないことから、胴体にかなりのスペースを確保できると判断。胴体前部の設計作業はJ-7CPの原寸大模型を基にして中国人技師の手によって進められた。

設計では、F-16の機体構造が大いに参考とされ、同機に似たベントラル・フィンを採用する事で機動性を向上し、またサイド・エア・インテイクもグラマン社のアドバイスを基に内側に10度傾けて胴体にめり込む形式とすることで、大迎角飛行時の性能が大きく改善された[1]。主翼の設計変更に合わせて、降着装置の取り付け位置も調整され、降着装置の取り付け部分が主翼から胴体内側に移動したことで、主翼の多くの場所をハードポイント用に解放することに繋がり、要求されていた9箇所のハードポイント実現に繋がった[10]。

しかし、作業の過程でグラマン社はパキスタンの要求をすべて満たすのは困難であるとの結論に達することとなった[10]。具体的には機内燃料2,700kgという数値を1,900kgに減らさざるを得ない、空中受油能力の断念、胴体後部の設計上の問題から抗力が事前の予想よりも増加するなどであった。中国側も、機体の構造や配置に大きな変化があったため、設計要件の再調整が求められるとパキスタン側に伝えていた[10]。

計画要件の再調整には中パ米の参加メンバーの合意が必要で、パキスタン本国での調整が進められていた[10]。その間にも、1988年10月にはアメリカ政府との間でレーダーをはじめとするアビオニクス供給に関する契約が結ばれ、これを見たパキスタンはすかさず「セイバー供廚糧注に踏み切った[24]。グラマン社など米企業の協力の下で、開発は順調に進められていたが、グラマン社自身がF-14D戦闘機の開発作業にリソースを回さざるを得ない状況となったので、全体設計完了後、中国人技術者は成都に戻って機体設計を継続、グラマンはその支援を行うと開発体制の見直しが図られた。

1989年に入っても開発は順調に進み、グラマンは原寸大のコクピットモデルの製造を開始して、実際の機体と同じ計器を揃え、火器管制システムの開発とテストも始まっていた[10]。しかし、1989年6月4日に発生した第二次天安門事件によりアメリカは制裁措置を発動。事件発生から一週間後にはアメリカは全ての対中軍事協力を停止、1990年にはグラマン社を含む全てのアメリカ軍需企業が中国から引き揚げたことで、スーパー7計画にアメリカ企業の技術協力を得ることは不可能となった[11]。

パキスタンにとってはさらに不運なことに、前年の1988年にソ連がアフガニスタンから撤退したことでアメリカはパキスタンへの軍事援助を大幅に削減。F-16の調達計画の遅延に加えて、「セイバー供弖弉茲紡个垢襯▲瓮螢の資金援助も中断されてしまった[10]。この計画はアメリカの資金を前提としたものだったので、計画の続行は不可能となり、パキスタンは1989年の年末に中国側に「セイバー供廚涼杷阿鯏舛┐[10]。パキスタンは1983年から89年にかけて6,000万ドル以上を投資したにも関わらず、試作機はおろか、レーダーやエンジンすら入手することもできず、戦闘機の設計も未完であり、何の成果も得ることが出来なかった[10]。

これ以降の状況はFC-1 Block1「梟龍」/JF-17 Block1「サンダー」戦闘機(殲撃9/JF-17/スーパー7)の項を参照されたし。

【参考資料】
[1]北纬40°「“枭龙”战机计划始末」(文:谢里夫-萨-纳阿姆希、編訳:一挺、出典:『现代兵器』)(sean/2016年3月11日)http://www.bw40.net/7742.html/1
[2]北纬40°「“枭龙”战机计划始末」(文:谢里夫-萨-纳阿姆希、編訳:一挺、出典:『现代兵器』)(sean/2016年3月11日)http://www.bw40.net/7742.html/2
[3]北纬40°「“枭龙”战机计划始末」(文:谢里夫-萨-纳阿姆希、編訳:一挺、出典:『现代兵器』)(sean/2016年3月11日)http://www.bw40.net/7742.html/3
[4]知乎「划破长空(二)——JF-17的故事」(6BeA96)https://www.zhihu.com/column/p/28197327
[5]北纬40°「“枭龙”战机计划始末」(文:谢里夫-萨-纳阿姆希、編訳:一挺、出典:『现代兵器』)(sean/2016年3月11日)http://www.bw40.net/7742.html/4
[6]北纬40°「“枭龙”战机计划始末」(文:谢里夫-萨-纳阿姆希、編訳:一挺、出典:『现代兵器』)(sean/2016年3月11日)http://www.bw40.net/7742.html/5
[7]北纬40°「“枭龙”战机计划始末」(文:谢里夫-萨-纳阿姆希、編訳:一挺、出典:『现代兵器』)(sean/2016年3月11日)http://www.bw40.net/7742.html/6
[8]北纬40°「“枭龙”战机计划始末」(文:谢里夫-萨-纳阿姆希、編訳:一挺、出典:『现代兵器』)(sean/2016年3月11日)http://www.bw40.net/7742.html/7
[9]腾讯网-腾讯新闻「从歼5到歼20,中国成飞是如何一步一步成为“成洛马”的?」(
军武次位面/2022年3月7日)https://new.qq.com/rain/a/20220307A0525G00
[10]北纬40°「“枭龙”战机计划始末」(文:谢里夫-萨-纳阿姆希、編訳:一挺、出典:『现代兵器』)(sean/2016年3月11日)http://www.bw40.net/7742.html/8
[11]青木謙知『戦闘機年鑑2023-2024』(イカロス出版/2023年5月25日)219頁
[12]捜狐「从歼-7CP到“佩刀”II项目,两侧进气技术有多贵,沈飞开价200万」(2021年8月3日)https://www.sohu.com/a/481251402_121083281

【関連項目】
J-7戦闘機(殲撃7/F-7/MiG-21)
FC-1 Block1「梟龍」/JF-17 Block1「サンダー」戦闘機(殲撃9/JF-17/スーパー7) 【国際共同開発】
FC-1 Block2「梟龍」/JF-17 Block2「サンダー」戦闘機 【国際共同開発】
FC-1B「梟龍」/JF-17B「サンダー」複座戦闘機 【国際共同開発】
FC-1C Block3「梟龍」/JF-17C/JF-17 Block3「サンダー」戦闘機

中国空軍

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