日本の周辺国が装備する兵器のデータベース

▼704中戦車

外部リンク:腾讯新闻「红箭8导弹最初载车:霸气侧漏的中国704导弹坦克」(作者:虹摄库尔斯克、2016年4月29日)URL:https://new.qq.com/rain/a/20160429012950 (洛陽に現存する704中戦車の試作車輛の写真が掲載されています)

704中戦車(704中型坦克)は、河南省洛陽の704分廠により開発が行われた122型戦車の発展型[1]。開発は1970年代を通じて行われたが、量産化には至らず。

【開発経緯】
洛陽の704分廠は、洛陽でトラクターの生産に当たっていた洛陽第一拖拉機製造廠(拖拉機はトラクターの中国語訳)に中国第二の戦車生産工場を担当させるという方針から設立された[1][2]。中国はソ連の支援の下で内モンゴル自治区の包頭に戦車の生産工場を建設していたが、中ソ対立に伴うソ連との関係悪化で内モンゴルに戦車工場があると対ソ有事の際にソ連の攻撃を受ける危険性が生ずるようになり、1969年に中ソ両軍が実際に砲火を交える国境紛争が勃発したことでソ連の脅威は極めて強く認識されるに至った[2]。これを背景として、ソ連の攻撃を受けにくい内陸の地に第二の戦車工場を建設する計画が持ち上がり、1970年4月には兵器工業第五機部と民用機械第一機部が共同で、洛陽第一拖拉機製造廠に中国第二の戦車生産ラインを建設することで合意に達した[2]。新工場の名称は協定が結ばれた1970年4月にちなんで、「704分廠」と命名された[2]。

704分廠では1974年から59式戦車(WZ-120)の生産を開始[1]。それに先駆けて、1970年10月からWZ-122中戦車をもとにして704分廠独自の改良を加えた戦車の開発に着手[1]。この戦車はソ連のT-62に対抗し得る性能を獲得することが目指され、工廠の名前から「704中戦車(704中型坦克)」と呼称された。122型中戦車「三液型」(WZ-122A)試作車をもとにして4輌の試作車が1972年までに完成。量産化を目指して試験が行われるが、盛り込まれた新技術がまだ未成熟なものが多く、当時の中国の工業水準では量産化が難しいものであった[1]。そのため、試作車ではエンジン、足回り、戦車砲など各部で問題が発生して対応に追われることになる。これらの問題に加え、1976年に実施されたソ連のT-72を想定した装甲貫通試験において、122型/704中戦車のものをベースに開発された48口径120mm滑腔砲は着弾時の速度1,650m/秒、204mmの均質圧延装甲板を貫徹する性能を発揮したものの、目標とされたソ連のT-72の正面装甲を模して造られた装甲板を貫通できないことが判明[2]。これらの問題の解決には相応の時間を要することは明らかであり、1970年代後半には改革開放政策が始まり経済成長が優先され軍事プロジェクトの整理が進められる中で、704中戦車も量産に至ることなく開発は終了する[1]。

【性能】
704中戦車は、122型中戦車「三液型」(WZ-122A)をベースに開発されたので、多くのコンポーネントをWZ-122Aと共有している[1][2]。

兵装については、WZ-122Aのものを踏襲したが、704分廠独自の改良として、装填手の負担を軽減し発射速度を上げるため、砲塔後方に張り出し部を設けて即応弾用の装填補助装置が設置された[1]。即応用の砲弾4発はコンベアの上に縦向きに並んでおり、装填補助装置の上に乗るとチェーン駆動を利用して前方にスライド、装填手が砲弾を持つ位置には湾曲した金属板を配置しており、砲弾を板に乗せることで重量の一部を負担させ、楽に装填ができる工夫が施されていた[3]。砲塔後部の張り出しは隔壁では仕切られておらず、戦闘室と一つの空間を形成しているので、被弾時には砲弾の誘爆による大きな被害が生じる危険性が指摘されている[3]。即応弾以外の砲弾は、戦闘室右側の後方に5発入り弾薬ラック、戦闘室前方右側に13発入りラック、そして操縦手席の隣となる車体右側に燃料タンクと一体化した18発入りラックを配置しており、合計40発の砲弾を搭載する[1][2]。

WZ-122A/704中戦車は120mm滑腔砲と共に、対戦車ミサイルの搭載も予定されていた[1]。1969年9月、中国は122型中戦車に搭載する中国第二世代と対戦車ミサイルの開発を決定し、開発計画名称として「302対戦車ミサイル」の名を付与した[6]。洛陽での704分廠の建設と並行して、陝西省西安市で、軍・大学・民の連携で対戦車ミサイル開発チームが組織され、1970年には最初の試射を実施するにいたった。しかし、302対戦車ミサイルの開発は難航し長期化したことにより、切迫するソ連戦車部隊への対抗策の一環としての対戦車ミサイル実用化が急がれた結果、ソ連の9M14「マリュートカ」をコピーしたHJ-73が量産化されることが決定[6]。302対戦車ミサイルの開発はいったん中止されたが、その成果をもとに第二世代対戦車ミサイルの開発が1972年に再始動。最終的に1987年に制式採用を勝ち得て、HJ-8対戦車ミサイル(紅箭8)として結実することになる[6]。704中戦車は、302対戦車ミサイルの連装発射機を砲塔の左右にそれぞれ一基ずつ搭載する予定であった[2]。

FCSは、122型戦車用に開発された当時の中国戦車では最新のものが搭載された[2]。WZ-122A/704中戦車のFCSは、レーザー測遠器、弾道計算機、暗視装置、砲安定装置などから構成されており、砲手が目標を捉えるとレーザー測遠器で距離を産出、弾道計算機により射撃諸元を割り出して射撃を実施する現在戦車のFCSの基本となる方式が採用されていた[2]。砲手席はレーザー測遠器/昼間用照準器/暗視装置が一体化した砲手用サイトとMK-4ペリスコープの二ケ所の視認装置が用意され、これとは別に車長が独自に外部を視認するため独立した車長用サイトが設けられた[2]。これは暗視装置が内蔵されており昼夜を問わない使用が可能。車長用独立サイトを中国戦車で搭載したの122型/704中戦車が初となり、先進的な装備であると評価されている[2]。

704中戦車の暗視装置は、69式中戦車のアクティブ式赤外線暗視装置に変わって、微光増幅式暗視装置が採用されている。微光増幅式暗視装置はパッシブ式装置であり、アクティブ式赤外線暗視装置と異なり装置の使用を相手に悟られない利点を有する。WZ-122/704中戦車向けに開発された微光増幅式暗視装置も開発は難航するが、704中戦車の開発中止後も改良が継続され、1980年代以降の中国戦車に広く搭載されることになる[2]。

エンジンについては、第一機械部濰坊ディーゼルエンジン廠が農業用車輛向けディーゼルエンジンをもとに開発した出力730馬力のV8160型[1](8N160型の表記も[2])と、洛陽407廠が船舶用エンジンをもとに開発した出力800馬力のV816型(資料[2]だと59式戦車の12150L型エンジンの改良型としている)の二種類のエンジンが検討された[1]。前者は250時間の試験を経て試作車輛に搭載されたが、後者は試験中で車輛に搭載され、その時点での最高出力はまだ700馬力しか出すことができなかった[1]。両エンジンとも信頼性の確保に苦労しており、V8160型は車輛搭載後の試験で深刻なトラブルが相次ぎ、最終的に開発は断念された[2]。後者は、704戦車の開発中止後も開発作業が継続され、最終的に80式、 88式96式戦車が搭載する12150ZL型12気筒エンジン(730馬力)に発展することになる[2]。

トランスミッションの開発は難航した。まず、流体・全自動トランスミッションが試作されたが、車輛に乗せる前の試験段階で頓挫。次は、より保守的な設計に変更したものの、歯車の折損問題が解決せず試作が繰り返された。最終的に704廠では同社が製造していたミサイル輸送用のTS-980 8×8大型トラックの流体変速機を転用することによりトランスミッションの信頼性を確保した[1]。

足回りにはWZ-122Aと同じく、油気圧サスペンションが用いられていたが、油気圧系統の密閉の不十分さからしばしば故障が発生し、この問題は最後まで完全に解決されることはなかったとされる[1]。

704中戦車は、文革と国際的孤立というきわめて緊張した状況の中で開発が進められた戦車であった。要求された高い性能は、当時の中国の技術水準では開発・量産化が困難なものも少なくなく、開発の難航を余儀なくされた。開発が長期化したことで、ソ連の次世代戦車T-64/T-72という新たな脅威に対して対抗するにはさらなる攻撃能力の強化が必要であるという検討結果が出たことが決め手となり、量産化には至らず開発を終えることになる[1][2]。しかし、その開発で得られた成果や人材、ノウハウは、1980年代以降の中国戦車開発においてさまざなな遺産として生かされることになった。

戦車工場としての704分廠は59式戦車を中国軍と輸出向けに製造し、独自の改良型である59-IIA式中戦車を開発。さらに、アメリカのキャデラック・ゲージ・テキストロン社と輸出向け戦車である「ジャガー」戦車(美洲虎)の共同開発も行うが、1980年代末から民間向けの工業製品を生産する工場への転換が開始され、冷戦終結後の輸出市場での戦車需要の落ち込みも相まって同工場では戦車の生産を終えることになった[1][2]。洛陽第一拖拉機製造廠は、現在では中国一拖集団有限公司として、トラクターなどの農業用車両、工作機械、エンジン、車輛コンポーネントなどを生産する大規模な総合機械製造企業集団として存続している[2]。704中戦車の試作車輛は現在でも洛陽の704分廠の敷地で保存されている[2][3]。

【参考資料】
[1]王笑梦「从“704产品”到“美洲虎”坦克-中国第一拖拉机制造厂研制生产坦克装甲车辆始末」『兵器』总248期 2020.01(中国兵器工业集团有限公司、55〜85ページ)
[2]虹摄库尔斯克「一代军工人的梦想-中国的704中型坦克」『兵器』总204期 2016.05(中国兵器工业集团有限公司、39〜60ページ)
[3]张辰翔 王笑梦「东方的幻影战车 隐藏在122工程背后的神秘原型车」『坦克装甲车辆』2016年第3期(中国兵器工业集团公司/坦克装甲车辆杂志社、9〜14ページ)
[4]中国一拖集团有限公司 公式サイトhttp://www.yituo.com.cn/ (2020年1月23日閲覧)

▼WZ-1223 試製戦車(中型戦車試験車)

▼WZ-1223と推測される車両(砲塔は122型中戦車)


中国軍は各国の第3世代戦車の登場を受けて、1978年4月に開催された党組拡大会議において「レオパルド2の水準を基点とし、T-72に対向できる第2世代戦車」の開発と、西側との関係改善に伴って入手可能となった各種新技術を基にして西側第2世代戦車に準じた性能を持つ戦車の開発が決定された。この決定に基づいて122型戦車(WZ-122)を基にしてWZ-1223、WZ-1224、WZ-1226、WZ-1226F2の4種類の次世代戦車のテストベットが開発され各種新技術の実証に用いられた。

WZ-1224、WZ-1226、WZ-1226F2が次世代戦車のために開発された新技術の技術実証試験車であったのに対して、WZ-1223は西側との関係改善に伴って入手可能となった各種新技術を実地試験し、第二世代の中戦車を早期に実用化するためのテストベット車両として位置づけられた。そのためWZ-1223は中型戦車試験車(中型坦克試験車)とも呼ばれる。WZ-1223は、122型中戦車の上部と69式中戦車の車体下部を結合させて製作されたとされている。ただしその詳細な開発過程については、資料に乏しいため不明な点が多い。WZ-1223の開発によって得られたノウハウをベースとして、中国第二世代戦車として80式戦車88式戦車85式戦車96式戦車と続く一連のWZ-122系列の戦車がここから派生することとなる。

なお、北京郊外の中国人民解放軍坦克博物館には、80式戦車と同系統の小転輪6個の車体 に122型中戦車の砲塔を搭載した戦車が展示してある。展示説明では「80式戦車」として紹介されているが、この車両がWZ-1223である可能性がある。

▼WZ-1224試製戦車

▼WZ-1224試製戦車 西側第三世代戦車のコンセプトを導入して設計された

▼砲塔前方に複合装甲ブロックがあるのが分かる

▼WZ-1224試製戦車側面図


性能緒元(WZ-1224試製戦車)
重量45t以下
エンジンmb8v331tc41型水冷ディーセルエンジン(1000hp)
最高速度 
武装120mm滑腔砲×1(砲塔後部17発+車体?発)
 副武装については不明
装甲砲塔溶接装甲+複合装甲 車体溶接装甲
乗員4名

毛沢東の死と文化大革命の終結をうけて、1977年の第11回三中全会で各分野での秩序回復が決議され、以後兵器工業での混乱も沈静化していった。これを受けて兵器部では、棚上げになっていた次世代戦車開発について再検討を行った。

当時開発中の次世代戦車である122型中戦車(WZ-122)は、実用化にはなお一層の技術的成熟を要し、性能的にも各国の第三世代戦車に対抗することが困難であることが予想され、西側との関係改善に伴って各種の新技術の入手が可能となったことも、戦車開発を再検討する要因となった。

122型中戦車開発の中心だった「五種新型車両会戦領小組」は、1978年4月に山西省大同で党組拡大会議を開催し、新しい国産第二世代戦車の達成目標についての検討を実施した。検討の結果、122型中戦車の開発は終了すること、西側技術を導入するための試験車両の製作、そして次世代戦車の開発に先駆けて必要な各種技術を研究・実用化するための技術実証車を開発することが決定された。これは122型中戦車が技術的裏づけの充分で無い状態で開発されたために実用化に手間取り、最終的に配備に至らなかった教訓を受けてのことであると思われる。技術実証車は、車内配置、全体設計、動力装置、変速機、走行能力、火砲技術、射撃統制システムなど次世代戦車に必要な総合的技術を設計開発し、実地試験を行い次世代戦車に必要なノウハウを蓄積することとされた。

この会議では達成すべき技術水準として「レオパルト2の水準を基点とし、T-72に対向しうる第二世代戦車の開発」が提示された。具体的な目標としては重量43〜45t級、エンジン出力は900〜1000hp、最大速度65km/h、路上平均速度45km/h。120亞蟾佶い鯏觝椶掘▲灰鵐團紂璽燭砲茲訌躪臈射撃統制システムを採用し赤外線暗視装置による夜間戦闘能力を有する。そしてNBC防御装置、自動消火装置、煙幕発生装置と発煙弾発射機を装備し、潜水渡河能力を有するものとされた。開発は内モンゴル自治区包頭(パオトウ)の第617工場(現FIRMACO)と北京の201研究所(現NEVORI)の合同で行われることも決定された。この時期(70年代末〜80年代初)中国軍では次世代戦車の技術実証車を製作するのと平行して、西ドイツからレオパルト2を購入する交渉を行っていた。ソ連機甲部隊の脅威は当時の中国陸軍にとって深刻な問題であり、軍内には時間のかかる次世代戦車の開発を止めてその予算でレオパルト2を輸入しライセンス生産することで、T-72等のソ連新型戦車に対抗しようという派閥が存在した。国産派と輸入派の論争は数年にわたって続いたが、最終的には財政上の問題からレオパルト2の導入は見送られ、レオパルト2に代表される西側第三世代戦車のコンセプトを取り入れた技術実証車を開発するという派が勝利を収めた。

生産番号WZ-1224と命名された技術実証車の開発に当たっては900〜1000hp級の高出力エンジンがネックとなった。当時の中国で最も強力な実用戦車エンジンである12150水冷ディーゼルエンジンは730hpの出力であり、636工場で開発中のより出力の高い8気筒165型水冷ディーゼルエンジンは開発未了で生産には入れない状態であった。最終的にWZ-1224は西ドイツから輸入した民生用mb8v331tc41型水冷ディーセルエンジン(1000hp)を搭載することとされた。エンジンは横置きとされ機関部のコンパクト化に務めた。エンジン冷却装置はドイツ流の機関室上部に2基の環状放熱機を設置する方式がとられた。エンジン、変速装置、冷却装置をパワーパック化したのも初めての試みであった。変速機には油圧式流体クラッチが採用され、油圧式パワーステアリングとともに操縦性の向上に寄与した。足回りはトーションバー式で59式戦車以来の大型転輪から小型転輪六個(上部小転輪付き)に改められ、以後この形式が中国戦車に引き継がれることになる。また履帯にはゴムパッドの装着が可能となったのも新基軸であった。

WZ-1224の実証項目には複合装甲の実用化も含まれていた。砲塔は従来の鋳造方式からレオパルト2等西側第三世代戦車を意識した溶接砲塔が採用された。砲塔前面には中国戦車として初めて複合装甲が採用された。これは砲塔前部に複合装甲ブロックをネジ止めしたものであり着脱交換が可能であった。この装着方式は以後の中国戦車に採用されることになる。砲塔内部の設計は人間工学を配慮したものとなっているのも新しい試みであった。WZ-1224の武装は122型中戦車「三液型」(WZ-122A)に採用されたのと同じ形状の排煙装置を持つ120亞蟾佶い採用された。レオパルト2に習って砲塔後部に砲弾バスルを設置し、砲弾装填には自動装填装置(弾薬17発搭載)を採用。しかしこの自動装填装置は技術的に未成熟で、また当時の砲塔設計の中心的方針はなお59式戦車以来の半球型鋳造砲塔であり、WZ1224の西側式溶接砲塔はその後の中国戦車には継承されなかった。

WZ-1224は1979年末に完成し、200時間近い試験を行い走行距離は1557kmに達した。夏季試験と1981年の冬季試験でも331型エンジンは良好な機動性を発揮した。しかしmb8v331tc41型エンジンは本来民生用で、軍用としては重量過多であり軽量化を必要とした。設計変更後の試験では、原型に比べ冷却系統での出力の消耗が多くなってしまった。油圧式流体クラッチについては要求性能を満たしたが、より一層の技術的発達が必要となった。足回りの性能は良好であったが、振動吸収能力は油気圧式サスペンションと比べると劣ると評された。

▼WZ-1226、WZ-1226F2試製戦車

▼WZ-1226試製戦車


▼WZ-1226試製戦車側面図


性能緒元(WZ-1226/WZ-1226F2試製戦車)
重量(WZ-1226)45.3t
重量(WZ-1226F2)45.8t
全長9.947m
エンジン(WZ-1226)8気筒165型水冷ディーゼルエンジン(1000hp)
エンジン(WZ-1226F2)12気筒150型水冷ディーゼルエンジン(1000hp)
最高速度 
武装120mm滑腔砲×1
 54式12.7mm重機関銃×1
 59式7.62mm機関銃×1(推定)
装甲砲塔鋳造装甲(200mm) 車体溶接装甲+複合装甲
乗員4名

WZ-1224の開発と試験の完了を受けて、第二の技術実証車の検討が開始された。高出力エンジンの問題は依然として解決していなかったため、異なる国産エンジンを搭載した2種類の車両を製作することが決定された。この車両には生産番号WZ-1226、WZ-1226F2の名称が与えられた。両者の違いは、WZ-1226はようやく実用化された165型水冷ディーゼルエンジン(1000hp)を採用したのに対し、WZ-1226F2は617工場で別途開発された12気筒150型水冷ディーゼルエンジン(1000hp)を搭載した点である。

WZ-1226、WZ-1226F2はWZ-1224よりも大型化し戦闘重量はそれぞれ45.3t、45.8tとなった。砲塔はWZ-1224とは異なり122型中戦車の砲塔に類似した従来型鋳造装甲(重量11.6t)とされ、車体は溶接鋼板で車体前面に複合装甲を封入した。足回りにはドイツ式の波型サイドスカートが装着された。両車とも動力部はパワーパック化され整備面での効率性を向上。エンジン冷却装置は温度変化に対応した軸流ファンと平板式放熱機を採用し、油水熱交換器とした。変速装置は両者とも同じ油圧式流体クラッチ(前進4段、後進1段)を採用し、操縦性は容易に、変速時のショックも小さくなり、加速性・方向転換も良好となった。小型転輪6個、油気圧/トーションバー方式の足回りを採用し、良好な振動吸収能力・走行性能を発揮し足回りの寿命も延長したことで従来の大型転輪方式に比べ優位が立証された。WZ-1226、WZ-1226F2は、WZ1224とは排煙装置の形状の異なる120亞蟾佶い鯏觝椶靴拭Kっ討榔親哀┘優襯ー弾、HEAT弾、HE弾があり、半燃焼式薬筒式。砲弾の装填は装填手が行うが、装填補助用の半自動装填装置が搭載された。射撃統制システムは弾道コンピュータと昼間/夜間用サイトとレーザーレンジファインダーを兼ねたペリスコープ照準器から構成される。

WZ-1226、WZ-1226F2の開発は1981年から82年にかけて行われ、当初目標の多くを達成することに成功した。ただし、信頼性と整備性にはなお多くの問題があった。主な問題点は変速装置の容積が大きく車内の多くの空間を占めていること、自動変速装置の動作に不具合があり寿命も短いことがある。この自動変速機のような大型複雑な部品の開発は初めての経験であり、問題の発生は避けられなかった。当時の中国の脆弱な工業基盤では克服すべき難題があり、WZ-1226、WZ-1226F2の開発ではこの問題の解決を迫られることになった。

WZ-1224、WZ-1226、WZ-1226F2の研究開発は、WZ-1223試製戦車や80式戦車による西側技術導入とともに中国における第三世代戦車開発のための技術蓄積に大きく貢献した。その一方で開発過程や試験運用から、レオパルト2に代表される西側戦車の技術水準の高さと、それに匹敵する戦車を中国の技術水準で開発実用化するためには、更なる技術的発展が求められるなどの点も明らかになった。また建国以来、ソ連式戦車を運用生産してきた所に異なる設計思想の戦車を導入することは、生産ラインや運用上で大きな負担を要することが予想された。これらの検討結果を受けて、西側第三世代戦車のコンセプト導入は実施されないこととなった。その後、次世代戦車が参照すべきモデルとしてT-72とメルカバ戦車が候補に挙がりそれぞれのコンセプトを取り入れた2つの設計案が策定されたが、最終的に中国軍の次世代戦車はT-72に範をとったソ連系戦車の設計を基本としつつ、西側より導入・中国国内で開発した技術を結合させてT-72の性能を上回る車両とするとの決定がなされるに至った。

98式戦車(WZ-123/ZTZ-98)で結実することになる中国の第三世代戦車開発は、このあとさらなる紆余曲折を経ることになるが、WZ-1224、WZ-1226、WZ-1226F2の開発は次世代戦車の方向性を決定したという点で中国戦車開発史において重要な転換点の一つとなったといえるだろう。

(参考:孔凡清「三代主戦坦克在孕育-中国122中型坦克」『坦克装甲車両』2005年3月号、『坦克装甲車両』雑誌社/王軍「試金石-中国下馬主戦坦克型号内幕」『国際展望-尖端科技報道』総第529期 2005年12月号、国際展望雑誌社/Chinese Defence Today-Type 99 Main Battle Tank/「中国坦克族譜」中国武器大全/「図説我国早期研制的二代坦克」兵器知識網)/「中国99式中型坦克」坦克與装甲車両/「1226主戦坦克図片」中華網/

98式戦車(WZ-123/ZTZ-98)
80式戦車(WZ-122/ZTZ-80)
122型戦車(WZ-122)
中国陸軍

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