日本の周辺国が装備する兵器のデータベース

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053K型フリゲイト(ジャンドン型/江東型)#531「鷹潭」から発射されるHQ-61。この発射機を搭載したのは鷹潭のみ。

▼鷹潭に装備されたHQ-61連装発射機。

▼鷹潭の艦内弾薬庫で装填準備中のHQ-61


▼053H2G型フリゲイト(江衛I型)から発射されたHQ-61B/M。マスト中部の皿型レーダーがHQ-61管制用の342型レーダー。

▼053H2G型フリゲイト(江衛I型)に装備されたHQ-61B/M用の6連装ミサイル発射機「H/EFB02箱式発射装置」。

▼HQ-61B/M用ランチャーを搭載作業中の053H2G型フリゲイト(江衛I型)。


性能緒元
全長3.99m
直径28.6cm
翼長1.166m
重量300〜310kg
弾頭重量40kg
最大速度マッハ3.0
射程2.5〜10km(12km説もある)
最大射高8,000m
誘導方式無線指令誘導 + セミアクティブ・レーダー誘導
装備艦種053K型フリゲイト(ジャンドン型/江東型)
 053H2G型フリゲイト(ジャンウェイI型/江衛I型)
※江東型フリゲートは既に退役

HQ-61(紅旗-61)は中国が独自開発した最初の中〜低高度用地対空ミサイルシステムである。HQ-61には、地対空型と艦対空型の2つがあり、地対空ミサイルにはHQ-61A、艦対空ミサイルにはHQ-61Bの名称が付与されている。HQ-61のほかにもPL-9、SD-1等の名称もある。艦載型(HQ-61B)は西側からCSA-N-2のコードネームが与えられた。

HQ-61は、ソ連から供与された高高度用対空ミサイルであるS-75(SA-2)やそれを国産化したHQ-1/HQ-2 SAMを補完する中〜低高度用地対空ミサイルとして開発が行われた。開発は1965年9月から開始された。当初の開発名称は紅旗41だったが、その後陸海軍で共同開発を行うこととされ陸軍向けはHQ-6、海軍向けはRF-6と改称された。さらに1970年前後になって、HQ-61(紅旗61)に再改称され現在の名称となった[12]。

HQ-61の開発は中ソ対立後の国際的孤立の中で行われ、当時の中国には対空ミサイルに関する技術的蓄積はほとんど存在しなかった。そのため最初は、海外の公開情報を収集し、地対空ミサイルの構造や運用方法を研究することから開始された。この検討を経て、開発の手本としてアメリカのAIM-7スパローAAMをモデルとすることが決定された。開発するミサイルの形状、大きさもスパローと同じとされ、推進装置に固体ロケットモーター方式を採用、誘導方式がセミアクティブ・レーダー・ホーミング方式であることもスパローと共通している。ただし開発の進展に伴い、HQ-61はスパローより一回り大きなミサイルになった(全長3.8m→3.99m、直径203mm→286mm)。これは当時の中国のロケットモーター技術の遅れに起因するものであり、スパローと同等の射程を確保するにはスパローよりも多くの燃料を搭載する必要があったためである。

HQ-61の開発のネックとなったのは中国の電子技術の基礎研究不足であり、各種コンポーネントの開発は遅遅として進まなかった。この状況を打開するきっかけとなったのは、1966〜67年に海南島近海で墜落したアメリカ軍機から改修したスパローの現物を入手したことである。中国はこのスパローの分析によって技術的空白をある程度補うことに成功した。しかし、その後も電子装備の小型化や信頼性の確保、グラウンドクラッターの中から目標を探知する技術の確立等の様々な技術的難題に直面し、文革の混乱もあってこれらの問題を解決するには長い時間を要することとなった。

地対空ミサイルとして開発が開始されたHQ-61であったが、1967年からはHQ-61の艦対空ミサイル化を優先して行うことになった。当時の中国海軍には対空砲以外の防空兵器が存在せず、対空ミサイルの導入が強く求められたためである。HQ-61の開発は北京の第25研究所が担当していたが、艦対空ミサイル開発を優先するとの決定を受けて上海の上海機電第二局に担当が変更され、同局と海軍との協力の下で開発が行われることになった。限られた開発リソースを集約するため、HQ-61の地対空ミサイル型の開発は一時中断された。

当時の中国では、艦対空ミサイル開発の経験は無く、塩害による電子装備の腐食、船体の動揺や艦砲発射の衝撃が繊細な電子装備に及ぼす影響、ミサイルの発射が艦の設備や兵員に及ぼす影響など、全てが手探りの中で解決していく必要があった。ミサイルのイルミネーターにはミリ波モノパルス式のZL-1(342型)管制レーダーが用意された。ZL-1はイルミネーターであると共に、ミリ波連続波を使用した対空捜索用レーダーの役割も兼ねていた。レーダーアンテナにはスタビライザーが設置され、塩害対策用に錆止め加工が施された。ミサイル本体は回転式弾薬庫に垂直に格納され、発射時に艦上の連装発射機に送り出される。発射機は油圧駆動式で、縦横二軸の安定化装置が取り付けられた。ミサイルの発射前の点検と発射準備は艦内の射撃操作装置により行うことが可能。1つの格納庫には12発のミサイルが収納されていた。

しかし、技術蓄積の少なさと文化大革命による開発の混乱と海外情報の途絶によりHQ-61の開発は遅々として進まなかった。HQ-61のミサイル発射試験では、飛行速度の低下や飛翔中のミサイルの振動などの多くの問題が発生し、開発陣はそのつど問題の解決を迫られた。ミサイルの形状変更、ロケットモーターの再設計、電子装備の小型化などを行い5年以上の歳月を経た1975年の3〜4月に行われた4回の発射試験ではいずれも良好な結果を得ることに成功した。1976年には、射撃統制システムの試験、ミサイルの誘導、レーダーによる目標補足などの試験が実施され、HQ-61の設計の実用性を証明することに成功した。これまでの試験は陸上の実験施設で行われたものだったが、1976年12月には053K型フリゲイト(ジャンドン型/江東型)の#531「鷹潭」艦上において、初の海上におけるミサイル発射試験が実施された。この試験では、ミサイルの発射、射撃統制システムの運用、レーダーによる目標測定の三項目が試験された。45日間に渡る試験の結果、システムとしてはなお熟成を必要とするとの結果が提出され、技術的問題の解消と実用性の向上が続けられることになった。HQ-61の実用試験を実施することになった#531「鷹潭」には、射撃統制システム、ZL-1(342型)ミサイル誘導用イルミネーター兼目標捜索用レーダー×2、381型三次元レーダー(対空捜索用)、ミサイル連装発射機×2とミサイルの弾薬庫×2が装備された。ミサイルの発射機は艦の前後に設置され、全方位からの航空脅威に対処することが可能であった。ZL-1イルミネーター兼目標捜索用レーダーも2基搭載されていることから、一方がミサイルを誘導しつつ、もう一方が別の目標の追尾を行うことが出来た。

開発が難航していたHQ-61の開発が進展したのは、1970年代末から関係が正常化した西側諸国より各種技術の導入が可能となったことが大きく寄与していると言われている。HQ-61の実用化に向けた開発と試験は1980年代に入っても続けられも、1983年までに410項目にわたる問題が解決された。1984年11月には地上試験において標的機を目標とした射撃試験が実施され成功を収め、1986年11月〜12月には海上での兵器システム試験が実施され、異なる空域での射撃試験において合計6機の標的機撃墜に成功した。これらの試験の成功を受けて1988年11月には、国務院と中央軍事委員会工産品定型委員会がHQ-61の設計案を正式に批准した。制式化されたHQ-61艦載型には、HQ-61Bの名称が付与された。

1960年代の中国海軍の構想では、海鷹1型SSMを搭載する053H型フリゲイト(ジャンフーI型/江滬I型)とHQ-61 SAMを搭載する053K型フリゲイト(ジャンドン型/江東型)をセットにして運用することを計画していた。053K型フリゲイト(江東型)は2隻が建造されたが、HQ-61の実用化の遅れによって実際にHQ-61を搭載したのは#531「鷹潭」のみであった。「鷹潭」は、HQ-61の運用ノウハウの確立のための試験艦としての役割を果たすことになったが、1988年にはヴェトナムとの間で行われた西沙諸島をめぐる国境紛争に投入されている。ヴェトナム空軍の攻撃を受ける可能性があり、中国海軍航空隊のエアカバーが十分に及ばない西沙諸島付近の海域において、運用試験中とはいえ中国海軍で唯一艦対空ミサイルを装備する「鷹潭」は海軍にとって艦隊防空の切り札となるものであった。実際には「鷹潭」がHQ-61を発射する機会は訪れなかったが、この件は中国海軍に艦隊防空における艦対空ミサイルの重要性を再認識させることとなった。

HQ-61はスパローをモデルとして設計されたため、外見はスパローの拡大版の様な形状になっている。ただし、スパローはミサイル中央に操縦翼、尾部に安定翼をそれぞれ十字型に装着したが、HQ-61はミサイル中央部に十字型に安定翼が、尾部にはX字型で操縦翼が装着されている。推進装置は固体ロケットモーターを採用しており、最大速度はマッハ3、射程は2,5〜10km、最大射高は8km。ミサイルの誘導はI/Jバンド連続波レーダーを使用したセミアクティブ・レーダー・ホーミングと無線指令誘導の併用で、ミサイルの命中率は64〜80%とされる。HQ-61Bミサイルシステムは、ミサイル発射機、、射撃統制システム、各種制御装置、イルミネーター用レーダー、対空捜索用レーダー、ミサイルと回転式弾薬庫などから構成されている。イルミネーター用の342型管制レーダー(NATOコード Frog Lamp)は、H/Iバンドの皿型レーダー。HQ-61Bは1つのミサイル発射機に各1基のイルミネーターを用意しており、1基のイルミネーターで誘導可能なミサイルは1発。「鷹潭」は、対空捜索用レーダーとして381型三次元レーダーを採用したが、これは中国海軍初の三次元レーダーであった。381型はXバンドのレーダーであり、最大探知距離は200km、戦闘機探知距離は100km以上。50個の目標を探知しつつ、そのうちの20個の目標の追尾が可能であり、対水上目標探知能力も有していた。しかし、シークラッターにより探知の難しい低空域の目標に対する探知能力には限界があり、これを解決できなかったため「鷹潭」以外の艦に381型が搭載されることはなかった。

HQ-61Bは、1988年に制式化された後も更なる研究開発が継続された。イタリアから購入したアスピーデAAMの技術を元にミサイルの改良が行われると共に、発射機の設計変更も行われた。「鷹潭」に搭載された連装発射機は、1発発射するたびに弾薬庫からミサイルを出して再装填するため即応性に劣ると共に、ミサイルは発射機に素の状態で装着されるので、外気温の変化や天候の悪化等による影響を受けやすいという問題を有していた。これらの点を改善するために新たに6連装発射機(制式名は「H/EFB02箱式発射装置」)が開発された。H/EFB02型6連装発射機はミサイルを気候や温度の影響を受けにくいキャニスターに収納しており、即応性と整備性が向上した。しかしHQ-61ミサイル本体の翼が折り畳めない構造になっているため、ミサイルを収めるキャニスターが短SAM用としてはかなり大型になってしまった。これらの改良を受けたHQ-61B(HQ-61Mと呼ばれる事もある)は、1991年に一番艦が就役した053H2G型フリゲイト(ジャンウェイI型/江衛I型)に搭載された。ミサイルは、発射機のキャニスターに6発が収納されている。ただし、「鷹潭」にあった弾薬庫は無くなっており、継続戦闘能力には欠ける所があった。HQ-61のミサイルは300kgを超える重量であり、キャニスターを合わせると350kgを超えてしまう。この重量では人力での再装填は困難であり、クレーンなどの機材の無い洋上でミサイルを再装填することは実質的に不可能であった。053H2G型フリゲイト(ジャンウェイI型/江衛I型)の対空捜索用レーダーは「鷹潭」の381型三次元対空捜索レーダーから、長距離対空レーダー 517H-1型(Knife Rest)と対空対水上レーダー 360S型(SR-60)に変更された。また、イルミネーター兼目標追尾用レーダーには「鷹潭」と同じ342型管制レーダーを搭載したが、搭載数は1基とされたため、同時に誘導できるミサイルの数は「鷹潭」の2発から1発に減少し、ミサイルの誘導中は他の目標の追尾も出来なくなってしまった。

【最終発展型HQ-61Cについて】
053H2G型フリゲイト(ジャンウェイI型/江衛I型)は4隻が建造されたが、HQ-61Mの性能は中国海軍を満足されるものではなかった。これを受けて開発陣では、HQ-61B/Mのさらなる発展型HQ-61Cの開発に着手することになった[13]。

HQ-61Cは、ミサイルの安定翼と制御翼の配置を見直し、米シースパローなどと同じ「X-X」字型配置を採用した[13]。これはミサイルの制御改善と空力学的洗練を意図したもので、この改造に伴ってHQ-61Cは25Gの最大荷重に耐えられるようになり、艦対艦ミサイルの迎撃能力を向上させることに成功した[13]。射程の短さを改善するため、ロケットモーターは全面的な設計変更が施され、最大射程は10kmから15kmへ、最大射高は8,000mから12,000mにまで延伸され、防空エリアを40%以上拡大する性能向上を達成した[13]。制御系統についても改良が加えられ、探知・追尾能力の向上、電子妨害や低空のクラッターからの探知能力の改善がなされ、低空から飛来する対艦ミサイルへの対応能力が強化された[13]。総じて、HQ-61Cは、米RIM-7H「シースパロー」に近い性能になったと評価されているが、羽の折り畳み機構を持たないことに起因する大型キャニスターの問題は依然として解決されていなかった[13]。

最終的に053H2G型フリゲイトの改良型053H3型フリゲイト(ジャンウェイII型/江衛II型)では、艦対空ミサイルとしてHQ-16Cではなく仏クロタール艦対空ミサイルを模倣・国産化したHHQ-7艦対空ミサイルを採用。これ以降、HQ-61シリーズを搭載した艦が登場することは無かった。そのため、HQ-61B/Mを搭載したのは、053K型フリゲイト(江東型)1番艦#531「鷹潭」と053H2G型フリゲイト(ジャンウェイI型/江衛I型)の2クラスに留まり、HQ-61Cは搭載艦無しのまま開発を終える事になった。HQ-61B/Mの部隊配備が限定的なものに留まった原因としては、技術水準が古く射程が短い、HHQ-7に比べて発射機が大型でミサイルの装弾数で劣る、HHQ-7の方が生産コストが安く技術水準や性能で優れており運用も容易である、などが挙げられている。また、HHQ-7のミサイルの重量は100kg以下であり洋上でも人力でミサイル再装填が可能であったことは、持続的な対空戦闘能力をHQ-61に比べて大いに増加させるものであった。改良型のHQ-61Cでも上記の問題を解消できなかったことが不採用の決め手となったとみられる。

HQ-61シリーズは、政治的混乱や国際的孤立・技術的立ち遅れの中で開発に着手され、20年以上の歳月を費やして何とか実用化に漕ぎ着けた。これは同時期に着手された兵器開発計画で立ち消えになったものが多いことを考えると、関係者の努力が実を結んだ点で幸運であったといえる。ミサイルの技術水準は1960年代の技術をベースとしており、実用化された1980年代末の水準では性能、運用面で立ち遅れた物になっていたのは致し方のないことであった。HQ-61B/M/Cの歴史的意義としては、対空ミサイルとその関連技術の蓄積、陸海軍における対空ミサイル運用ノウハウの確立、そして海軍が対空ミサイルによる艦隊防空の必要性を認識するきっかけとなったことを指摘することが出来るだろう。

【参考資料】
[1]艦載兵器ハンドブック改訂第2版(海人社)
[2]現代艦船-海上力量版 2005年4基B版「射天之箭-技術進歩対中国早期中低空地空導弾発展的影響」(現代艦船雑誌社)
[3]艦載武器 2007年5月号(No.93)「従「江湖」到「江凱」-中国海軍現代護衛艦研制的躍変」(衛天/中国船舶重工業集団公司)
[4]艦載武器 2007年2月号(No.90)「中国江湖級護衛艦的発展及現代化改装前景分析」(銀河/中国船舶重工業集団公司)
[5]航空週刊増刊B 「中国"紅旗"系列導弾」(国際航空雑誌社)
[6]GlobalSecurity
[7]Chinese Defence Today
[8]Missile.index
[9]中国武器大全
[10]武漢方志「科学志-自然科学-工業科学」(武漢市地方志弁公室編纂)
[11]龍虎網「531導弾護衛艦」
[12]Jane's Strategic Weapon Systems「HQ-6/RF-6 (SD-1 and CSA-N-2) (China), Defensive weapons」
[13]卫天「剑指海天 中国海军舰队防空导弹武器系统的技术发展 舰载近程防空导弹武器系统」『舰载武器』2019.10号/No.323(中国船舶重工集团公司)10〜22ページ

【関連項目】
HQ-61A中距離地対空ミサイル(紅旗61A/SD-1/PL-9)

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