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rglc85tj8h 2007年10月07日(日) 21:08:13履歴

■性能緒元(M114A1)
重量 | 5.8トン(移動時)、5.76トン(射撃時) |
全長 | 7.315m(移動時) |
全幅 | 2.438m(移動時) |
全高 | 1.803m(移動時) |
武装 | 23口径155mm榴弾砲 |
砲身長 | 3.628m |
俯仰角度 | 0〜+63度 |
左右射角 | 左23.52度〜右25.2度 |
最大射程 | 14,955m(M107) |
発射速度 | 1発/分(通常)、3発/分(最大) |
砲員 | 11名 |
M114A1 155mm榴弾砲は、1954年に締結された米華共同相互防衛援助協定に基づき、朝鮮戦争終結後にM101A1 105mm榴弾砲と共に多数が供与された中口径野砲である。この2つの榴弾砲は、長らく台湾陸軍と海兵隊の主力野砲の地位を占めることになった。
M114は、アメリカ軍の第二次大戦中の主力榴弾砲の1つであるM1 155mm榴弾砲を大戦後に改称したものである。M1は、M1918 155mm榴弾砲(原型はフランスのM1917 155mm榴弾砲)を更新するために開発された。当初は、M1918の砲身を新設計の開脚式砲架に搭載する計画であったが、最終的には砲身も新規開発することに変更された。開発はロックアイランド兵器廠が担当し、1941年にM1 155mm榴弾砲として制式化、1942年から部隊配備が開始された。M1は、大戦中のアメリカ軍の主力中口径野砲として活躍し、その生産数は6,000門以上に上る。大戦後の命名基準変更に伴い、M1A1砲架を使用するタイプがM114、M1A2砲架使用型がM114A1と改称された。なお、M114とM114A1は砲架以外にはほとんど違いは存在しない。のちに、砲身を延長して射程を伸ばしたM114A2などの派生型も開発された。
M114は、アメリカでは朝鮮戦争とヴェトナム戦争でM101 105mm榴弾砲とともに主力牽引式野砲として運用された。戦後のアメリカでは、野砲の自走砲化が進展しており、牽引式で射程も平凡なM114はともすれば時代遅れな装備と見なされる傾向もあった。しかしM114は、戦後の2つの戦争では信頼性の高さと有効な攻撃能力を実証したことでその存在を高めることに成功した。特に、ヴェトナム戦争では、M114はヘリコプターによる空輸が可能な重量であったことから、陸路での移動が困難な地点にも迅速に展開して歩兵部隊へ強力な火力支援を与えることが出来る装備として重用されることになった。また、アメリカの同盟/友好国に対して多数が供与され、西側諸国の標準的な中口径野砲となった。M1/M114を輸入もしくは供与された国々は、アルゼンチン、オーストリア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(1997年、ムスリム勢力に116門を供与)、ブラジル、カンボジア、カナダ、チリ、デンマーク、エルサルバドル、エチオピア、ギリシャ、イラン、イラク、イスラエル、イタリア、日本、ヨルダン、韓国、ラオス、レバノン、リビア、モロッコ、オランダ、ノルウェー、パキスタン、ペルー、フィリピン、ポルトガル、サウジアラビア、セネガル、ソマリア、スペイン、スーダン、台湾、タイ、チュニジア、トルコ、ウルグアイ、南ヴェトナム、イエメン、ユーゴスラビア(のちにM114をモデルとしたM65榴弾砲を開発生産)など多数の国々に及ぶ。
M114シリーズは、アメリカではM198 155mm榴弾砲により代替されていったが、堅牢で兵器としての信頼性が高いことから現在でも多くの国々で運用が行われている。また、M114を供与された国々では、M114の国産化、そして独自の改良を加える例も多く見受けられる。アジアでは、台湾がT65(65式)として国産化した他にも、日本が155mm榴弾砲M1の名称で生産、韓国ではM114A1をベースにして39口径155mm榴弾砲に改良したKH179 155mm榴弾砲が開発されている。
M114は、M1もしくはM1A1砲、M6シリーズ復座機構、M1A1砲架(M114)もしくはM1A2砲架(M114A1)から構成される。M1とM1A1の違いは、M1A1の方が使用された鉄鋼の強度が高い点である。M1A1砲架とM1A2砲架の違いは、射撃時に使用するジャッキにあり、M1A1がギアを利用したrack and pinion方式であるのに対して、M1A2ではネジ式を採用している。M1/M1A1砲の各種数値は、口径155mm(23口径)、砲身長3,628mm、砲身重量、1,359kg。砲尾の閉鎖機は強化螺旋式。駐退復座機には可変式油気圧式が採用され、高射角での射撃では後座長が短くなる。平衡器はバネ引き上げ式で、砲の俯仰角度は0〜+65度。M1A1/M1A2砲架は開脚式で、射撃時には回転式砲床付きのジャッキで車輪を浮かせて、砲床と2基の砲脚で砲を安定させる。砲脚にはスペードが装着されており、射撃時には地面に突き刺して反動を吸収する役割を有する。緊急時には砲脚を開くだけで射撃が可能。通常時の左右射角は、左23.52度〜右25.2度となっている。砲架には防盾を装着することも可能。照準装置としてM12A7C光学パノラマ照準機が装備されている。砲弾は分離装薬方式で、M107榴弾、M110黄燐発煙弾、M116着色発煙弾、M118照明弾、M449ICM(子弾散布)弾、M121A1ガス弾、訓練弾、カッパーヘッドレーザー誘導弾など多様な砲弾が使用可能。 M107の場合、砲弾重量42.9kgで、砲口初速564m/sで発射される。砲の最大射程は14,955m。砲弾の発射速度は、使用する装薬の量によって異なるが、最速で最初の30秒に2発の発射が可能、10分で30〜34発、30分で45〜50発、持続射撃では一時間に40〜60発とされている。砲一門の運用に要する人員は11〜12名。牽引状態から、5分で射撃を開始することが可能。
戦後の台湾の防衛体制は、アメリカとの同盟と支援に強く依存してきた。しかし1970年代、中国の西側諸国への接近に伴い台湾は次第に国際的孤立を深めることになり、自力での安全保障体制の構築とそれに必要な兵器の自給を目指すようになった。まず目指されたのが現用兵器の国産化であった。この方針の一環として、1975年からM114A1を国産化するための作業が聨勤202兵工廠第11所で開始された。当時、台湾はM114A1の現物は多数保持していたが、M114A1の設計図や大砲製造に必要な各種の製造機器の類は保有していなかった。陳笏上校(大佐)を開発主任とする研究チームは、そのような状態でM114A1のリバースエンジニアリングの作業を行った。翌1976(中華民国65)年3月23日には最初の試製榴弾砲が完成し、研究開始から8ヶ月を経てM114A1のコピー生産と試射に成功した。台湾製のM114A1は、開発年次の中華民国65年(1975年)に由来する65式155mm榴弾砲と命名された。ただし、この名称は1983年に国軍研製武器準則に従ってT65 155mm榴弾砲と改称されることになった。T65は、1980年から部隊への配備が開始された。
T65はM114A1と共に、現在も250門が台湾陸軍の砲兵営(大隊)や海兵隊の砲兵団(連隊)に配備されている。さすがに開発から60年を超えるため旧式化は否めず、台湾陸軍でも1970年代末からT65の後継の検討が行われた。当初は、友好関係にあった南アフリカから高性能なG-5 45口径155mm榴弾砲の導入が図られるが価格的な折り合いが付かず頓挫している。その後、1990年代に入って、韓国のKH179 155mm榴弾砲と同様に、T65の砲架に39口径155mm砲を搭載したXT86/XT86A1 155mm榴弾砲が開発されたが、限定配備の域を出ることはなかった。
これは、1990年代に入ってからの台湾の国防政策の転換により、海空軍の装備近代化が重点的に行われると共に陸軍の縮小再編が意図されたことが背景にある。これにより、砲兵装備を近代化しうるだけの予算が確保できなくなり、陸軍自体も砲兵部隊の近代化の重点を、M109 155mm自走榴弾砲やM110A2 203mm自走榴弾砲などの導入による自走砲化に置いたため牽引式榴弾砲への新規投資は見送られることになった。そのため、現在も台湾の陸軍/海兵隊の牽引式野砲の主力は依然としてT65という状況が続いている。
T65の派生型としては、前述したXT86/XT86A1 155mm榴弾砲の他に、アメリカから供与されたM108 105mm自走榴弾砲のシャーシにオープントップ式にT65(砲口にマズルブレーキを装着した改修型)を搭載したXT69 155mm自走榴弾砲が存在する。
【参考資料】
週刊ワールド・ウエポンNo.96 2004年8月(デアゴスティーニ・ジャパン)
『現代兵器』 2005年10月「『精実』復『精進』拒統何太急-台湾陸軍及連兵旅現状」(曽威/中国兵器工業集団公司)
FAS
Military Matchups PRC vs. ROC
陸軍後勤學術半年刊公式サイト
維基百科 T-65 155毫米榴彈砲
青葉山軍事図書館
大砲と装甲の研究
中国軍網資料庫
中国武器大全
台湾陸軍