否定派主張

昭和13年1月17日、ティンパレーのこの「南京その他で30万を下らない民間中国人が殺戮された」という記事を広田弘毅外相名でワシントンの日本大使館に送信、それがアメリカ側に傍受され解読されていた。

これをもって、当時の日本の軍中央や政府の指導者が南京大虐殺を知っていた証拠だと嬉々として述べる人がいる。しかしこれは「こんな与太記事を流す記者がいる」と伝達しただけのもので、南京の暴虐を事実としたものではない。

また『レイプ・オブ・南京』には、昭和十三年に当時の広田弘毅外相が南京視察後打ったとされる秘密電報(「日本軍部隊はフン族のアッティラ王を思い出させるように振る舞った。三十万人以上の中国市民が殺害され、多くは冷酷な死を遂げた」という内容)が動かしがたい証拠として取り上げられている。
 しかし、これもとんでもない言い掛かりだ。この点も楊大慶(ダキン・ヤン)氏(ジョージ・ワシントン大学)がカリフォルニア大学バークレー校の研究会に提出した論文で、実際には広田自身ではなく、『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパリーが書いたニュースを送ったものに過ぎないと指摘している(『中央公論』1998年八月号)。

反論

これはアイリス・チャンの”Rape of Nanking”にある主張を否定したものである。素人南京研究家で、新発見も多いが、チョンボも多いアイリス・チャンの誤りに狙いをつけて、ほうら南京大虐殺の証拠はないだろう、と指摘するのは否定派の使い古された手口である。だが、アイリス・チャンが間違った証拠を持ち出したからといって歴史の事実がなくなるわけではない。

広田外相がティンパリーの電文を転送したのは事実であるが、広田弘毅が南京事件について認識していなかったというのはウソである。ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に「南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。

広田弘毅がティンパリーの電文を転送したのは、予想されるアメリカの抗議・批判に対応すべく、駐米大使に事実を伝えたものであった。
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