ベイツは記者に出鱈目なメモを渡した


1937年12月15日に南京を去ったNY・タイムズのダーディン記者やシカゴ・デイリー・ニューズのスティール記者に出鱈目メモを渡したのもベイツだった。

そもそも、15人の安全区国際委員や多くの日本人記者などは12月15日以降も長く南京に滞在したのに1件も日本軍による市民虐殺を目撃しなかったのだから15日の昼に南京を去ったダーディンやスティールが虐殺を目撃した訳がなく、ベイツのメモを記事にしたことは記事を読んでも判る。

ベイツは長く南京に滞在したのだが、ベイツ自身が目撃した虐殺は0件だ。ベイツが所属した安全区国際委員会の公文書にある殺人事件の報告を基に犠牲者を数えると、出鱈目ばかりだが、それでもたったの約50件。

反論

ベイツが自身が見聞したことをメモにしてダーディンとスティールに渡したのは事実である。
 
南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集第1巻』一〇五頁
一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspondence American Embassy Nanking)には次のように記されている。「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学および歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・デイリー・ニューズ』 のアーチボルト・スティール氏が当総領事館の館員に手渡したものである」


同じことを書いているからすべてベイツからもらった情報だというのはおかしな理屈である。 ダーディンとスティールはベイツからの情報も書いていますが、自身の目撃あるいは他のソースから、ベイツのメモにはない、日本軍の暴行の記事を書いています。ダーディンは少し中国語ができ、中国人からの情報を得ているし、他の外国人、大使館員からも情報を得たことを後日証言している。

また、ベイツからメモをもらっていない、スミス、マクダニエルも日本軍の暴行について記している。メンケンはカメラマンであり、記事ではなく短い発言を残しただけである。日本軍の暴行については、ベイツを含む、安全区国際委員会の外国人、外国大使館員が記録しています。日本人記者も日本軍の暴行を目撃している(別項目で触れる)。 他の情報すべてがベイツの証言を支持しており、ウソだという証拠はない。

東中野が挙げるスティール、ダーディン記者がベイツのメモを元に記事をかいたという論拠は次の共通記事があるということである。
(1)日本軍が来て、一安心と思っていたら、その期待は裏切られた。
(2)日本軍の警邏隊が逃げ出すものにはだれでも発砲した、市街には至るところに民間人の死体が転がった。
(3)難民キャンプ、病院に押し入って略奪した。
(4)外国国旗を引き裂き、車を盗んだ。
(5)400人の男性が連行された。

しかし、ベイツからレポートを渡されていないスミスの記事にも(1)、(2)、(4)が書いてあり、(5)に似た事件として、500人の市民の下関への連行が書いてある。(4)は一件の出来事ではなく、多数発生しており、スミスは直接の目撃を書いている。(3)は安全区内のことであり、記者らが安全区委員であるベイツから情報をもらうのは当然である。

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