東中野主張

中央宣伝部が総力を挙げて製作したのが、宣伝本のティンパーリ編『戦争とは何か』であった。この本は「死亡した市民の大部分は、13日午後と夜、つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き殺されたりしたものでした」とか、「強姦を拒んだ婦人も銃剣で突き殺されました。また、邪魔になった子供たちも突き殺されました」といった南京の「度重なる殺人」を描いていた。

ベイツ教授は「埋葬証拠の示すところでは」と述べ、市民1万2千人を含む4万人という数字を挙げて「日本軍(4万人)不法殺害」を主張していた。このようにベイツ教授やフィッチ師が描写した市民虐殺を裏付けようとしてか、中央宣伝部は英語版『戦争とは何か』の漢訳版『外人目撃中の日軍暴行』に、子供の死体、中国人の処刑、公開処刑などを多くの写真を掲載していた。

南京の状況をこのように描写する本を読んだあとで、その要約を求められたとき、私たちはどのように要約するであろうか。ごく普通に考えても、私たちは、いの一番に、南京の「殺人」と「虐殺」を挙げて必ず要約するであろう。ところがこの『戦争とは何か』を製作し印刷した国際宣伝処の対敵課は、極秘文書のなかの「対敵課工作概況」に次のように要約していたのである。

国際宣伝処の対敵課が著した「対敵課工作概況」においては『外人目睹中之日軍暴行』について「姦淫、放火、掠奪、要するに極悪非道(窮兇極悪)」と要約されていた。このことは「虐殺」「屠殺」「殺人」の2文字は見当たらない。このことは中央宣伝部が南京大虐殺は実際には起こっていなかったと認識していたことを示す。

反論

東中野氏の主張は矛盾に満ち、混乱しているので、反論するにはいったん、彼の主張を再整理しなけれならないほどである。
東中野の主張はこうである。

ティンパーリ編『戦争とは何か』には度重なる殺人が書かれている。ベイツ教授は4万人殺害を主張している。『外人目睹中之日軍暴行』には子供の死体、中国人の処刑、公開処刑などを多くの写真を掲載した。
なのに、『外人目睹中之日軍暴行』の紹介文には「姦淫、放火、掠奪、要するに極悪非道(窮兇極悪)」は書かれているが、「虐殺」「屠殺」「殺人」は書かれていない。だから、虐殺はなかったという認識があった。

東中野によれば『戦争とは何か』は中央宣伝処が総力をあげて編集したことになっている。では、虐殺の認識を持っていない中央宣伝処はなぜ、度重なる殺人を書いた章を編集したのかわけがわからなくなる。4万人殺害を主張するベイツの文章をなぜ編集から落とさなかったのかわけがわからない。多数の死体、処刑写真をなぜわざわざ挿入したのかわけがわからなくなる。

本書の大部分を占める、ベイツとフィッチの原稿は12月段階のものである。その時点では日本軍部隊による市民多数の集団的虐殺の詳細については安全区の外国人たちにもまだ知られていなかった。したがって、本書に書かれたのは略奪、放火、強姦、暴行であって、特に虐殺に多くのページを裂いているわけではない。読めばわかるが、 レポートでは姦淫件数の方が殺人件数より多い。したがってこの要約は正確である。

『戦争とは何か』の中国訳本である、『外人目睹中之日軍暴行』は翻訳者、楊明がティンパリーから草稿を譲り受け、漢口に持ち込んで出版された。しかし、ティンパリーはその後『戦争とは何か』にベイツの最新のレポートを急遽挿入した。この部分に市民4万人の虐殺の部分がある。しかし、楊明がもらった『外人目睹中之日軍暴行』の草稿にはその部分が入っていない。
したがって、『外人目睹中之日軍暴行』の要約としては正確なものである。本の紹介は書かれていることを反映させるのであって、中央宣伝処が南京大虐殺に対してどういう認識を持っているを反映させるものではない。

東中野はこの間、『戦争とは何か』が大量虐殺説の原本であり、それは国民党政府のデマであった、と主張してきた。しかし、事実は国民党政府は大量虐殺の事実を知った後でも『外人目睹中之日軍暴行』を自ら書き換えることはおろか、ティンパリーに書き直させることもしなかった。ということはティンパリーやベイツ、フィッチが国際宣伝処の思うままに動かせるコマではなかったということを示している。

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