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 18世紀の音楽史(主に鍵盤音楽)に関して書いてみます(第3回 その1) (第3回 その2 はこちらです)

 第1回では、バロックと古典派の音楽の違いについて概観した。
続いて第2回では、音象徴法や情緒説といったバロック音楽に特徴的な項目を挙げ、J.S.バッハの対位法を駆使した作品を通して、技巧的でポリフォニックな側面を考察した。
 今回は、第1回で触れた協奏様式並びに、協奏曲などとも絡めながら、ポリフォニー以外のバロック音楽の特徴について説明を加え、その過程を通して、後の時代に起こった音楽上の変化や発展を浮き彫りにして行こうと思う。

 1.バロックから古典派へ

 「バロックから古典派への転換(バッハは1750没)は多層的に進んだ。新しい潮流は1730年頃にフランスの<ギャラント様式>から、そしてオペラ・ブッファ、ソナタ、シンフォニアにおけるイタリアの<新しい音調>をもってはじまる。その流れは1750/60年頃に前古典派として音楽上の<ロココ>を形成し、<多感主義>と音楽上の<疾風怒濤>を通って古典派へ導く。」(『カラー図解音楽事典』333頁)

 「〔この〕18世紀の新しい音調は、クラヴィーア音楽〔鍵盤音楽〕にも新たな曲種や構造をもたらした。感情表出が求められ、それは旋律に委ねられる。伴奏は付随的である。複数の対等な声部をもつバロックのポリフォニーに代わって、リズムや動機の新しい要素をもつ左手のホモフォニックな伴奏上で、今や和声が支配する。<ギャラント様式>と<名技様式>では、通奏低音の多様な和声が単純な和声に道を譲る。」
(『カラー図解音楽事典』363頁)

 それでは、ギャラント、名技の両様式の具体例として、前古典派のイタリアの作曲家、ガルッピのチェンバロ協奏曲を取上げておきます。
  http://www.youtube.com/watch?v=hll_8ZFueXM

 楽曲解説:まず、オーケストラが主題を呈示し(-0:46)、続いてチェンバロが冒頭主題の呈示を伴ってこれに加わります。ここの部分で、チェンバロでは、左手の単純な伴奏の上で、右手が旋律を歌いあげていきます(0:47-1:46)。続いて、主題の冒頭部分が再度現れるやいなや、即座に楽曲の展開が始まり、転調等を繰り広げます(1:47-2:58)。その後のカデンツァでは、急速な走句や左右の手の交差、或いは下降アルペジオといった華やかで技巧的な名技が、チェンバロ奏者によって披露され(2:59-3:50)、主題の後ろの部分がオーケストラによって再現され楽章が締め括られます。

 ガルッピのチェンバロ協奏曲にみられるように、バロック期の器楽合奏においては、もっぱら、通奏低音を担当していたチェンバロという楽器が、前古典派にて、独奏楽器として表に現れたことは、時代の変化を感じさせる極めて象徴的な事柄のひとつであると言えるでしょう。


 2.音楽上の具体的な変化について

 バロックから古典派への転換期に起こった、おもだった音楽上の変化については以下のような項目が考えられます。

      ●通奏低音の消滅
      ●ソナタの変遷と組曲の消滅
      ●自由書法とギャラント様式の台頭
      ●協奏曲の形態の変化
      ●ソナタ形式の完成
      ●協奏曲とソナタにおける楽章構成上の変化

 それでは、各項目に関して、具体的に論じることにします。


 3.「通奏低音(数字付き低音)」の衰退

 第一回でも少し触れましたが、通奏低音に関して、改めて説明しておきます。

 通奏低音とは、上声部以外は、低音部のみが楽譜に記され、各々の音の真下に数字が書かれている記譜法の呼称です。通常、鍵盤楽器(一般的に、チェンバロまたはオルガン)奏者は、数字に基づいて、低音以外の音も加えて和音を奏でます。さらに、適宜、即興的に装飾も行います。

 バロック期は、「通奏低音の時代」とも呼ばれていますが、それはほぼ全期間に亘って、あらゆる種類の音楽に通奏低音が用いられたからに他なりません。

 さて、通奏低音の判り易い例として、時代を逆行しますが、初期バロックに活躍したイタリアの作曲家カステッロ(15??-1630?)のソナタを二つみてみましょう。どちらも、リコーダーと通奏低音のために書かれています。

 1)http://www.youtube.com/watch?v=dAgonZlfgVI

 解説: ここでは、チェンバロだけで通奏低音を受け持っています。チェンバロで和音を演奏しているのがよく判ると思いますが、上述したとおり、数字と実際に記譜されている低音を基にして、和音が奏者によって再現されています。また、時折、装飾的な音が、和音に即興的に付加されています。

 2)http://www.youtube.com/watch?v=4OmzMHF_ZFY

 解説: 前列左から、リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボ、奥がチェンバロです。
リコーダーが主旋律を奏で、残り三人が通奏低音を担当しています。
 この通奏低音の三人は、低音の弦楽器であるヴィオラ・ダ・ガンバが核となっている低音を弾き、撥弦楽器のテオルボは低音に基づいて分散和音も演奏します。
 上述した例と同様に鍵盤楽器のチェンバロは、楽譜に書かれた低音を基にして和音を奏でるのは勿論のことですが、単に和音を鳴らすだけでなく、適宜、その他の音を付け足して装飾を行います。

 バロック音楽において「通奏低音が和声の土台となった」ことにより、それ以前の時代と比較すると、「上声部は自由に、〈協奏的〉に動くことができ」るようになりました。(『カラー図解音楽事典』101頁)

 つまり、通奏低音の出現とそれに伴う様式的変化は、ホモフォニーの発展を促進すると同時に、他の声部から上声が解放されることによって、旋律が自由自在に動けるようになり、それまでのポリフォニーを中心とする作風から和声を基盤とした音楽へと楽曲上の変化をももたらすこことなりました。
 その後、単純な和声への音楽的嗜好が増す中で、楽曲に調性上の安定がもたらされ、結果として、通奏低音は調性音楽が確立される上での礎となりました。

 また、調性音楽の確立とともに、その後の古典派の音楽では、単純な和声とそれに支えられた滑らかで自然な旋律が、楽曲を構成するうえで重要な要素となっていきました。

 ここで、前二曲とは対照的な二つの作品を取上げてみます。これらの作品は何れもフランス人作曲家によって18世紀前半に出版されたもので、ロココ風のギャラント様式による優雅で華やかな作風に仕上げられています。

 1)ラモー(1683-1764)作曲、『コンセールによるクラヴサン曲集』(1741年出版)から
                         第五番より第一楽章『フォルクレ』
 http://www.youtube.com/watch?v=q91uKmNW8js

 楽曲解説: この曲は、ヴァイオリンまたはフルート、及び、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロ(フランス語ではクラヴサン)の為に書かれた合奏曲ですが、タイトルからも判るようにチェンバロを中心とした楽曲と考えられます。
 なぜなら、ヴィオラ・ダ・ガンバと、チェンバロの左手の低音部の動きは別々になっているからであり、実際にチェンバロのパートは独立して記譜され、チェンバロ独奏曲と同様に、数字付き低音ではなく、きちんと低音以外の音が書き込まれているからです。
 また、興味深いことに、ラモーはその曲集の中で、合奏用の楽曲に含まれている5つの楽章を、わざわざクラヴサン独奏用の曲としても書き、これらの作品を同曲集に載せています。
 なお、この演奏では、繰り返しに際し(2:05以降)、ヴァイオリンのパートに、フルートが参加しています。

 実際に聴いていると、「独奏楽器(ここではフルート)と通奏低音によるトリオ・ソナタ」のような響きではなく、後のピアノ三重奏曲などに近いと、何となくでも感じられるのではないでしょうか。

 2)モンドンヴィユ(1711-1772)作曲、
   『ヴァイオリン伴奏つきのクラヴサンのためのソナタ集』(1734年出版)より第四番

 第一楽章: http://www.youtube.com/watch?v=g2G2siKuuDk
 第二楽章及び第三楽章: http://www.youtube.com/watch?v=P64GdMGQGbs

 解説: この曲はヴァイオリンとチェンバロの為に書かれた曲ですが、その題名が示すように、ここではヴァイオリンは独奏楽器としての扱いではなく、チェンバロを補うための伴奏楽器として用いられているのがよく判ると思います。
 一般的に、ヴァイオリンが主で、チェンバロ等の鍵盤楽器が従であった、それ以前では当然とされていた関係がここでは覆されています。


 以上、1730年辺りのフランスのこれら二作品と、その前に例示した前期バロックの二つの作品とを比較してみると、明らかな違いを感じ取ることが出来るでしょう。


「18世紀中頃から、通奏低音は重要性を失った。初期古典派の簡明な和声と「連打バス」においては、通奏低音の硬直した和音打奏が妨げとなったのである。作曲家たちは内声も楽譜に書くようになった(オブリガート伴奏)。」(『カラー図解音楽事典』101頁)

 すなわち、今までみてきたように、通奏低音にて書かれていた低音から和音を形作るという習慣が、それまでは奏者の裁量によって加えられていたその他の音も作曲家によって具体的に記譜されるという現象が生じたことにより、その重要性を失ってしまったのです。
 また、低音部は、絶えず固定されていたので自由に動かすことが出来なかったので、その分表現が制限されていましたが、遅くとも1740年頃迄にはその状況に変化が現れました。
 そのような音楽的嗜好の変化とともに、通奏低音は次第に用いられなくなっていったのですが、音楽作品が通奏低音からの呪縛を解かれたということは、それまで奏者に委ねられていた内声の具現化を、作曲家自身で実践する、つまり、譜面上にきちんと内声部の音が書き込まれるという結果をもたらすことになったのです。



 注)本文中、引用文にて〔〕内に書かれている言葉は、著者によって加筆されたものです。

 参考文献
『カラー 図解音楽事典』白水社、1996年
『新音楽辞典 楽語』音楽之友社、1996年

謝辞
本原稿の執筆に関しまして、無償で映像を借用させて戴いている<You Tube> の演奏者の皆様方に心より御礼申し上げます。
I appreciate using some movies on the <You Tube> for free and players who render music works for showing on this article in public.

COPYRIGHT: Sep 9, 2009 T.Todoroki

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