「最後に…
 ありがとうございました。小波君。
 少しだけ、お父さん以外の人を
 信じてもいいかなって思うことができました。
 本当に忘れていた感情でしたが、
 それでも少しだけ気持ちよかったです。」
今まで、私のために頑張ってくれた彼への、最後になるであろうお礼を言って。
「さら、やめろ!」
「バイバイっ!」
私は、身を投げた。
「くそっ!」
彼の声が聞こえた。
ああ、きっと声が聴けるのもこれで最後かな。
そう思うと、急に名残惜しくなってくる。
…そうか、私は、彼が好きだったんだ。
こんなところで気づくなんて、自分でも馬鹿だとしか思えない。
すべての後悔をかき消すように、目を閉じる。
きっと数秒後には、激痛が全身を走るだろう。
そんなことを考えながら、私は落ちていく。

「…?」
おかしい。もう落ちていてもおかしくないのに、痛みがない。
もしかしたら、もう死んでしまったのだろうか。
それとも…?
「さ…さら…っ!」
「…!」
目を開けてみてわかった。
今、私は空中でブランコのように宙ぶらりんになっていて。
その上で、彼が片手で私の手をつかんで、もう片方で屋上につかまっていた。
「は、離して!離してください!」
「嫌だ、絶対に離さない!」
「い、いやっ!」
「いいか、よく聞け、さら!
 俺はお前が大好きだ!だからお前を絶対に死なせたりしない!
 お前が俺を信じられないっていうのならそれでいい。
 でも、お父さんを信じてないのはおかしいだろ!」
「そんなことないっ!私はお父さんを信じてるっ!」
「じゃあなぜ目が覚めると信じない!?
 まだ生きてるって、そう信じないのはなんでだ!?」
「…!」
「お父さんも、きっとお前にまた会えるように必死で頑張ってるはずだ!
 そこにお前がいなくちゃ、意味がないだろ!」
彼の言うとおりだ。私はお父さんが目覚めないと決めつけて、信じることを忘れていた。
「だから、絶対に死なせない!
 お前が人を裏切るなんてこと、絶対にさせない!」
「で…でも!
 このままじゃ小波君も…」
「俺はおそらくもう持たない!でも、お前だけは必ず助ける!
 いいか、今から右手を思いっきりあげる。
 そうしたら、お前は屋上につかまってそのまま上がるんだ!」
「でもっ!」
「行くぞっ!」
そういって、彼は一気に右手をあげた。
私はつかまるために手をかけて
「きゃっ!」
…滑らせた。
小波君につかまったまま、元のところに戻る。
「…くっ…もう、限界…っ!」
ついに彼の手が離れる。
「うわぁぁぁぁっ!!」
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
どんどん落ちていく。それはもう、ボールを落とすように。
「くっ…こうなったら!」
彼は私を上に、自分を下にする。
「こっ、これって…」
「俺自身をクッションにする。少しは衝撃も和らぐはずだ。」
「そんなことをしたら、小波君が…!」
「俺はいいさ。さらを守れれば、それで。」
彼にはまだ未来がある。プロになる、という未来が。
それを、私が潰してしまうのか。
「そろそろ…か。
 さら、…今までありがとう。
 さらと会えて、よかった。」
「わ、私も…すごく、楽しかったです!
 だから…!」
「さら、一つだけ約束してくれ。
 俺が死んだとしても、さらは生きるんだ。
 自殺なんてしないでくれ。いいか?」
「は…はい…っ」
「よし。なら、もう思い残すことはない、かな。」
そして次の瞬間。
私と彼は、地面に落ちた。

「う…ぅん…」
気が付くと、私はベッドの上にいた。
「そうだ…私、飛び降りて…っ!」
体を動かそうとしたが、全身が痛んだ。
激痛ではなく、ピリッとした痛みだ。
「こ…小波君は…?」
看護士さんに聞いてみる。
「あ、あの…」
「はい、どうされました?」
「こ、小波さんという方はここにいますか?」
「ああ、小波さんですか。
 彼は、確か…そこです。ちょうど隣の病室ですよ。」
「あ、ありがとうございます。」
そうか…。まだ生きているんだ。よかった…

隣の病室に行ってみると…
そこには、安らかな顔で眠っている彼の姿があった。
「…!」
一瞬、死んでいるのかと思ったが、息をしているので生きているようだ。
ほぅ、と息をつく。
「う…さ、さら…」
彼の寝言だろうか。小声で何かを言っている。
「お前は…俺が…絶対…守るから…」
夢の中でも彼は私のことを守ってくれているのだろうか。
「ん…?」
「起きましたか…?」
「さら…?」
「…はい」
「よかった…生きてたのか。…いてっ!」
「だ、大丈夫ですか?」
よく見ると、彼の腕や足にはギプスとともに包帯が巻かれていて、
骨を折っている、ということを明らかにしていた。
「こ、これじゃ…」
確か彼の試合はもう1ヶ月もない。
地区大会決勝まではおそらく動けないであろう。
「わ、私のせいで…」
そういうと、彼はにこっと笑って、
「大丈夫!甲子園には間に合うわけだしね。
 その間にリハビリをがんばらなくちゃ。」
「でも、もし負けちゃったら…」
「あいつらなら大丈夫!去年も一度星英には勝ってる。
 俺抜きでも、あいつらならやってくれるさ。」
「でも…」
言いかけた私に、彼は身を乗り出して、
「いいか、さら。
 親切高校野球部は俺だけのチームじゃない。
 荷田君、岩田、越後、疋田に真薄…
 たくさんの仲間がいてこそのチームなんだ。
 だから、俺は安心してあいつらに任せられる。」
「…裏切られるとは思わないんですか?」
「ふふっ。たまにはあるかもしれないけどさ。
 でも、俺ってやっぱりバカだからさ。
 どうしても、あいつらを信じたくなっちまう。
 …それに、信じる力ってのはすごい力を発揮できるらしいんだ。」
「…」
「怪我が治るって信じて、骨折を六日で治したり。
 方法があるって信じて、爆弾を止めたり。
 …実際にあったことらしいんだ。」
「え…」
「だから、俺もあいつらを信じる。
 俺がいなくても行けるって、信じる。
 無限の可能性ってやつにかけてみるんだ。」
そう話す彼の目は、まぶしいほどに輝いていて。
「そうすればきっと…いてて。」
「ああ、動いちゃだめですよ。
 そんな前例があるとはいえ、大怪我なんですから。
 …そういえば、」
「ん?」
「どうして、あの状況から、このくらいの怪我で助かったんですか?
 あの高さから、人を上に乗せた状態で落ちたら、ひとたまりもないと思うのですが。」
「…ずいぶんはっきり言うなあ。
 でも、言われてみると確かにそうだよな。」
「え?小波君も知らないんですか?」
「うん。覚えているのは…
 そうだ、ぶつかったのが地面じゃなかった気がする。」
「え?」
「なんとなくだけどさ。こう、落ちる方向が変わったっていうか。
 うーん、言葉で表すのは難しいな。えーと…」
確かに、そんな記憶がある…気がする。
あとは…なにかに、服の袖が引っ張られた気がする。
「まあいいよ。今こうして二人とも生きているんだから。」
「…そうですね。よかったです。本当に…」
あの時のことを思い出して、ふっと力が抜けてしまう。
「…なあ、さら。」
「はい?」
「もう、自殺なんてしないよな?」
「はい。
 私のことを、必要としてくれる人がいるって、気づきましたから。」
「そうか。よかった。」
「それと、小波君。」
「うん?」
「そ、その…わ、私も、小波君が大好きです。
 小波君が、私にしてくれたことを信じることができるから。
 これからも、絶対に裏切らないって、そう思えるから。」
私の気持ちをぶつける。
「だから…そ、その…
 わ、私と、付き合ってくれませんか?」
「さ、さら…」
顔を赤くして、うつむいてしまう私。
「もちろんだよ!むしろ、こっちからお願いするよ!」
「じゃ、じゃあ…」
「うん、…これからもよろしく。桜空。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。小波君。」
そういって、お互いに手を握って。
軽く、甘いキスをした。

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