414 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 23:58:34 ID:KdN6ujRI
415 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 23:59:37 ID:KdN6ujRI
416 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 00:00:41 ID:KdN6ujRI
417 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 00:01:36 ID:jGNap90V
419 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 00:02:25 ID:jGNap90V
420 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 00:03:32 ID:jGNap90V
421 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 00:04:33 ID:jGNap90V
422 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 00:06:03 ID:jGNap90V
423 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 00:06:57 ID:jGNap90V
425 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 00:07:41 ID:jGNap90V
426 名前:放浪騎士 その朽ち果てる先[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 00:08:40 ID:jGNap90V


 好きな女性がいた。
 無骨な自分には決して似合わない美しい女性だったから諦めていた。
 愛など知らぬ不器用な自分だから、思いを言葉になんて出来なかった。
 秘める恋なんてカッコいいものではない。
 部下と上司。
 職場の同僚。
 そんな関係で、常に周囲に戦いに満ちていたけれど、どこか心が安らぐ自分が居たのは事実だったけれど。
 決して口にはしなかった。
 決めていた誓いがあった。
 同じ理想を抱く友人の支えになろうと決めていた。
 手に握った槍は正義に捧げると決めていた。
 愛する世界は悲劇の火種ばかりで、治安は乱れて、上の組織は常に力を欲し、こちらの力を削ぎ続ける。
 何度も勧誘があった。
 立場を与えると言われたこともある。
 脅迫じみた誘い文句もあったが、それを自分は撥ね退けた。
 親など既に死んでいる、恋人もいない、いるのは友人のみで彼もまた頑強。
 恐れる必要などなかった。
 走って、走って、現場であっけなくゴミのように死ぬのだろうと漠然と思っていた。
 部下の女性に言われた。

「隊長はもう少し家庭とかを持ったほうがいいですよ」

 それは惚気か? と、養子の娘を二人持った部下に告げると、彼女は照れ隠しに微笑んでいた。
 とても幸せそうだった。
 自分が家庭を持つなど想像すらしたことはなかったが、幸福だということは理解出来た。

「好きな人とかいないんですか?」

 もう一人の部下の女性が聞いてきたことがあった。
 それはお前かもしれない。
 などと、正直に言うわけがなく、自分は横を首に振った。
 あえて言うなら仕事が恋人だな。と、冗談めかして告げると、彼女は寂しそうな顔を浮かべて。

「それじゃあ悲しすぎますよ」

 といった。
 どこか心配そうな顔を浮かべていて、自分はそんなに物欲しそうな顔を浮かべていたのだろうかとしばらく悩んだほどだった。
 他にも沢山の部下がいた。
 どれもいい人材で、自分にはもったいないほどだった。
 得意なのは槍を握り、戦うことだけな不器用な自分。
 こんな自分に付いてきてくれるだけでも嬉しかった。
 その信頼に応えたいとと思っていた。
 気が付けばストライカーとさえ呼ばれていた。
 友は魔力素養に恵まれなかったが、自分は戦う素質があった。それだけで嬉しかった。
 友は言った。


 
「お前には苦労ばかりかけるな。私が戦うことが出来ればいいんだが」

 自分は答える。

「戦うのは俺の役目だ。その分お前は偉くなってくれ。一秒でも早く治安が取り戻されれば、俺たちの負担が減る」

「ああ」

 友は優れた男だと言えた。
 魔力素養が尊ばれる魔法社会において、魔力素養もなしにその手腕によって次々と昇進していき、管理局に食い込んでいった。
 少々強引とも言えるやり方に敵は多かったが、優れた味方や現場の改革などに力を入れていた。
 無理はするなよ、と俺が言うと、お前が言うなと苦笑された。
 年齢の割りには心労の所為か、顔の皺が多くなっていく友を見るたびに、こちらの心が痛んだ。
 発生する犯罪は現場で対処出来る。
 けれど、犯罪そのものを食い止め、対応を早めるには組織の改革が必要だった。
 ただ戦い続けるだけでは犯罪は止まらない、悪意を消し去ることは出来ないと自分は知っていた。
 爆弾テロで多くの犠牲者が発生し、いつまでも嘆き続ける沢山の者たちの悲鳴が脳にこびりつく。
 息子を誘拐され、対処が遅く帰らぬ人となった両親から浴びせられる罵倒の声がどこまでも耳に木霊する。
 強盗に襲われ、妻と娘を目の前で汚された夫の虚無めいた瞳が恐怖となって神経に染み込んでいく。
 悪意は終わらない。
 まるで夜が醒めないように。
 救われた時の笑顔を超える量の悲しみに、薬に頼ることが多くなった。
 精神安定剤。
 自らでは発散出来ないストレスを緩和するための錠剤。
 頑強なことだけが取り柄だと思っていた自分が神経を患うなど思ってもいなかった。
 眠ることが出来ずに、錠剤を齧る自分が居た。
 吐き気が止まらず、食事を抜く自分が居た。
 敵対する違法魔導師を捕縛し、戻る際の輸送車の中で意識を失うこともあった。
 部下は心配する。
 けれども、自分は大丈夫だと言い張った。
 Sランクオーバー、血を吐くほどの修練の果てに高めた己の限界性能。
 圧倒的な力、ストライカー級と讃えられた。
 けれど、そんな賞賛の声は空しいと思った。
 力の量に興味は無い。
 それでどれだけの悪意を叩き潰せるか、ただそれだけを求めた。
 鉄すらも切り裂く一撃を繰り出せる、それで建物に立てこもった犯罪者を犠牲無く叩き潰せるか?
 音速を超える速度で移動できる、それで犯罪が発生する前に駆けつけることが出来るのか?
 無理だ。
 どんなに強かろうが、どんなに力があろうが、全知全能の神でなければ犯罪は終わらない、人は救いきれない。
 助けようとした人たちはボロボロとこの手から零れ落ちていく。
 無力さを痛感していた。
 誰かの泣き叫ぶ声が無くなるのならば魂すら売り渡してもいい、そんな思いすら抱いていた。
 部下が言った。

「広い次元世界、それを救う海。それは必要なのかもしれないけれど、自分の故郷を犠牲にしてもいいわけがない。あいつらは大義名分に酔った正義の味方なだけだ!」

 戦力が足りない理由の一つ、海からの人材の引き抜き。
 それに対する愚痴を洩らしていた部下を自分はその時嗜めた。
 その部下は麻薬犯罪で中毒者となった少女を監禁場所から救い出したばかりだということは知っていた。
 クラナガン、そこで過ごして、低ランクながらに熱心に任務に励む部下だった。
 彼は言っていた。

 
「時空管理局が謳う次元世界、他の世界なんてどうでもいいんです。俺はこの町が好きで、ここで暮らしているから、平和にしたかったんです」

 幼い彼が生きて行けたのは、母親が売春婦となって客を取っていたからだとゼストの部隊に入って数年後に愚痴交じりに明かしてくれた。
 母親が荒っぽい客に殴られて、痣を残した顔で帰ってくるのが嫌だったと嘆いていた。
 その時に力があれば、母親を殴った客を全員殺していたかもしれないと告げていた。
 次元管理局、それに入るための陸士訓練校に入った理由は母親の死だと告げた。
 客から感染した性病、それに冒されて苦しみ抜いた果てに母親が死んだ。
 陸士訓練校に入ったのは入学金が安く結果次第で補助金が入るため、そして力が手に入るからだとその部下は告げた。
 世界を変えてやる、腐ってない世界に。
 そう願っていた部下は数ヵ月後、質量兵器による銃撃であっさりと死んだ。
 二十代の半ばだった。
 まだ家庭も持っていない早すぎる死だった。
 狂った世界に生まれて、歪んだ世界に使い捨てのように殺された。
 何のための人生だったのだろうか。
 戦力という意味でなら苦しいが、なんとか補充は利く。
 だが、その人物と人格は補充など決して利かないのだ。
 若い少年少女、就労年齢の低年齢化、魔力素養とスキル、それだけで取り上げられる。
 入ってくる部下の経験できる人生を四分の一すらも謳歌していないその若さに、決して死なせたくないと思う。
 けれど、自分は神じゃない。
 ストライカーなどと謳われても自分の非力さを痛感する。
 がむしゃらに戦い続ける。
 浴びせられる鉛玉がめり込む激痛に、絶叫を上げながらも槍を振るった。
 叩きつけられる衝撃波に骨が折れるのも構わずに生み出した障壁で受け止め、部下を護りきった。
 召喚魔法で呼び出される異形の怪物、それが生み出す災厄の如き業火を自分が燃えるのも構わずに叩き切った。
 その時代、まだ安定化していないカートリッジシステムを己のデバイスに組み込み、使用。
 反動がキツイ、クールダウンが上手く出来ずに魔力酔い、後日になってもリンカーコアが痛み続けることがあった。
 凶悪化する犯罪、戦力が増え続ける、それらに対抗するためにフルドライブスキルを習得、しかし、反動が大きすぎた。
 医者から言われる、使い続ければ後遺症が残る、寿命が削れると。
 構わない、自分の人生は四十を迎えれば本望だと考えていた。
 救いは部下が無事であること、知っている人間の人生が全うできればいいと思えてきていた。
 望みは友人、彼が生きてさえ居れば理想は叶えられると信じていた。

 
 しかし、何故か部下は悲壮な顔を浮かべていた。
 自分が無茶するたびに心配をかけてしまった。
 部下曰く、生き急いでいる。
 部下曰く、もう少し頼って欲しい。
 友人曰く、無理はしないでくれ。
 気が付けば、多くの人間に慕われていた。
 嬉しいと思える。
 だけれども、止まるわけにはいかなかった。
 無理をしなければ悲劇が増える、誰かが悲しむ、だからこそさらに踏み込む。
 理想のための犠牲、それが自分だけならばどれほど幸福なことか。
 悪夢を見ないほど疲れきればいい、後悔など出来ぬほど力を尽くせばいい。
 薬を齧る、水を飲む、栄養剤などを服用しながら体を保つ。
 休息を取れば体からではない痛みは増える一方だった。
 痛みを恐れている。臆病だと自覚はしていた。
 強いといわれる。そんなことはなかった。
 誰かが幸福になる、部下の一人が結婚をした。
 そして、事件調査の結果残された犠牲者の戦闘機人の少女が二人、その子を養子にした。
 幸せそうだと思えた。
 他の部下が無事で、家庭を持つ、恋人を持つ、笑みを浮かべる。
 それだけが己の幸せだと思えた。
 例えるなら幸せとは空に輝く太陽のようなものだ。
 太陽は空に輝いているからこそ温かい。
 地に落ちれば眩しすぎる、熱すぎる。
 自分にとって幸せとはそんなものだ。
 太陽のように眺めていればいい。
 その陽光だけで心は温まる、温もりが持てた。
 自分は間違っていなかったと信じられる。
 そうして。
 そうして。

 ずっと、ずっと、自分を酷使して、誤魔化して、誰かを護り続けていた。

 そんな時だった。
 彼女が、ただの部下だった彼女が声を掛けてきたのは……





【一人の部下と上司 その思いの結末から今に至るまで】



 
 夜も昼も時間というものを磨耗しかけていた。
 とんっと書類をまとめる手の触感は確かに現実で、ため息を吐く際の感覚が自分の居場所を知らせてくれた。

「ふぅ」

 いつまで経っても書類作業には慣れる気がしない。
 電子データの類に目を通し、データを入力するだけなら手早く終わるが、証拠として紙の書類が重宝されることは多い。
 ペンを手に取り、文字を走らせる。
 この細かな作業が、何枚、何十枚と増えればもはや一つの戦場だ。
 消耗物品の陳情、被害報告書類、部下からの反省文など、部隊を預かるものとして目を通さなければいけないものは多い。
 とりあえず明日中に出さなければいけないものだけを餞別して、サインと記入を終えたのだが……拳と槍を振るうよりもペンを振るうのは遅く、窓の外を見れば既に夜の帳は幕を下ろしていた。

「……書類整理だけで時間が潰れたか」

 やれやれと軽く伸びをした後、疲れた目蓋を揉み解す。
 焦げ付くような戦闘の疲労とは異なりべとつくような眼球の疲労。
 体力には自信のあるゼストだが、この疲労だけはどうにも耐えがたく疲れやすい。
 しばらく丹念に揉み解し、しばし目を休めていると、不意に背後で気配と声がした。

「お疲れ様です、隊長」

 手には二つのコーヒーカップ、それをゼストの机の上に差し出すように置いた一人の女性の姿が目に映った。
 紫という色を筆に乗せて流れるままに振るったかのような美しい髪、女神のように整えられた儚い肢体、白い制服を乱れなく着こなした清楚な女性。
 メガーヌ・アルピーノ。
 ゼストの部下にして、陸戦AAランクの高位魔導師。
 貴重な召喚魔法の使い手である女性。
 ゼストの心を密かに捕え続ける美しき女性。

「ん? メガーヌか、こんな時間までどうした?」

 彼女の髪から漂うどこか甘い香り。
 髪に付けた香料、そして彼女自身の体臭の香りだろうか。
 連日の過酷労働でゼストはカラスの行水にも程がある程度にシャワーを浴びているだけに済ませているのに、メガーヌやクイントなどの身だしなみには呆れを通り越して感心すら憶えていた。
 女性は強いな……そう考えるのは疲労のせいかもしれない。
 他愛無いことを考えながら、ゼストは尋ねる。
 他の部下たちは全員隊舎に帰ったか、仮眠室で寝ていると思っていたのだが。

「いえ、先に仮眠を取らせて頂いたのですが……こんな時間に目が醒めてしまって。まさか隊長がまだ仕事をしているとは思いませんでしたよ」

「まあな。俺も驚いている」

 もう少し早めに終わらせる予定だったのだが、この分だと眠れるのは数時間程度か。
 また薬に頼ることになりそうだ。
 疲労は抜けない、だが体を動かすには支障ない。

「隊長……眉間にまた皺が寄ってますよ」

 苦々しいコーヒーを啜り、その熱が喉を通って胃に流れていく感覚を味わっていると、メガーヌが不意に告げた。
 それに従い人差し指を眉間に寄せると皺が確かに出来ていた。
 どうやら気付かぬうちにしかめ面をしていたらしい。

「疲れているのならば、もうお休みになってはどうですか」

「いや、俺はもう少し起きている。メガーヌ、お前の方こそさっさと休め。寝れなくても目を閉じているだけで違うはずだ」

 薬に頼るなら中途半端な睡眠はむしろ必要ない。
 睡眠欲は浅く眠れば強くなる、ならばいっそ眠らぬほうがマシだ。
 そして、あまり薬に頼る姿は部下には見せたくない。いらぬ心配をかけるからだ。

 
「しかし」

「自己管理は自分で出来る。心配をするな」

 どこか冷たい、と自分でも自覚できるような言い回し。
 卑怯だなと突き放すような態度を取る自分を自嘲した。
 嬉しいくせに、幸せだと感じるくせに、苦痛のみを選び続ける。
 怖いのか? そう蔑む自分がいる。
 怖いのだろうと自分は結論を持っている。
 想いを曝け出すつもりはない、だがそれが辛いとは感じていた、満たされていく感覚が恐ろしかった。
 故に苦々しいコーヒーを啜り、言葉と態度を誤魔化そうとした。
 しかし、メガーヌは言葉を重ねた。

「心配します」

 どこか透き通るような、刃のような言葉がゼストに向けられた。
 常に無い強さを秘めた語調。
 不審に感じてゼストが目を向けると、メガーヌは真摯な双眸を浮かべて自分を睨み付けていた。

「また薬に頼るのですか?」

「なに?」

「隊長。自覚してください、そんなのは体を壊す……いえ、もう体はボロボロなんですよ」

 悲しみを湛えた瞳。
 きゅっと口元が結ばれて、どこか泣きそうな顔だった。
 何故? と思う。
 不器用な自分には悲しませる理由が咄嗟に思いつかず、ただ誤魔化しの言葉のみが自然と口から洩れ出ていた。

「俺は大丈夫だ」

 ああ、なんて空しい言葉だろうか。
 どこが大丈夫なのだろうか。
 健康であればいい? それなら不適格だ、今は疲労を帯びて、夜もロクに眠れない体の癖に健康など図々しい。
 体が動く? それなら適格だろう、指は動く、手は動く、脚も動く、魔法も使える。戦うことが出来る、いずれ崩れ落ちる身であろうとも今動けるのならば問題ない。
 だから、嘘ではない。

「嘘です」

 脆い嘘は容易に引き剥がされた。
 メガーヌの細腕が、不意を突いてゼストの手を握り締めていた。
 冷たく、温かい彼女の体温。
 それが伝わってきて、込み上げる感情を押し殺すために不愉快そうな顔を浮かべるしかなかった。


 
「震えていますよ」

「なに?」

「気付いていないんですか? 隊長」

 そうだ。
 自分は気付いていなかった、いや目を逸らしていた。
 コーヒーを受け取った時から、いやそれ以前にペンを握り、書類を書いていたときから手の震えは収まらず、何度も書類を書き損じていた。
 だから、これほど遅くなった。
 一文字一文字書くのが困難なほどに握力が衰え、啜るコーヒーは常に波紋が生じていた。
 体は既にボロボロだった。
 疲れは限界まで来ていた、けれども休むことを自分は選ばなかった。
 眠れぬから、仕事以外に意識を向ければ自分の心に誤魔化しが聞かない、怨嗟の声が耳に木霊し続ける。
 強迫観念にも似た恐れ、戦えば如何なる強敵であろうとも怯まずに立ち向かうとされるゼストは、ただ己の臆病さに怯えていた。
 意識をすれば呼吸すらも辛くなる。
 呼吸器官に異常はないというのに、息さえ吸えぬ吐き気が生じる。

「……お前には関係ないだろ、メガーヌ」

 触るなと拒絶の心があった。
 お前は俺を苦しませたいのかと、罵倒したくなった。
 呼吸が荒れる。
 眩暈がする。
 やろうと思えば数分にも渡り息を止め続けられる鍛えられた体が心から発せられる苦痛に挫けそうになっている。
 なんて弱いのだと嘆きたくなる。
 なんて脆いのだと絶望したくなる。
 力が欲しいと僅かに考える、渇望する力への執念、決して挫けぬ折れぬ曲がらぬ鋼のような意思が欲しいといつしか願っていた。
 なのに、目の前の女性はただの一振りで、その意思とその願いを無残までに踏み砕いた。

「関係ありますよ」

 強引に指を絡めてくる、侵食されるような感覚。

「ないわけなんてないですよ」

 伝わってくる柔らかい感触、染み渡ってくる体温、穢されるような恐怖感。
 まるで強姦魔の目の前に晒された少女のように怯える自分が情けないと思う。
 恐ろしいと心の中で悲鳴を上げているのに、自分の歳よりも一回りも二回りも低い年頃の女性の眼光から目を離せなかった。
 瞳は伝えてくる、悲しいと。
 その双眸は伝えてくるのだ、やめてくれと。
 どこまでもゼスト自身を心配し、思いやり、労わる慈愛の瞳。
 それが上司と部下、ただの立場と親愛を越えた感情だとその時の自分は気付かなかった。
 どこか気恥ずかしく、頬を紅潮させるメガーヌの顔に、吸い込まれるように半ば呆然としていたから。

「……迷惑ですか」

 目が潤んでいた、まるで朝露に濡れるアサガオのように美しく、どこか切なく胸を締め付けられるような瞳が目の前にあった。
 メガーヌは心底悲しんでいた、想いを吐き出そうと、その感情は顔に、態度に、纏う透明なローブの如き雰囲気に現れていた。
 何故こうも己の心を掻き乱すのか、目の前の女性はと叫びたくなった。
 迷惑だ。
 そう冷たくあしらえればどれだけ楽だろうか。
 幸福が恐ろしい、怯える自分は苦痛という安易な道を選び続けている。
 それから外れるのが恐ろしい。
 だから、迷惑というのはあながち間違いではない。
 ギチギチと己の中の歯車が噛み合わなくなることを自覚しながら、ゼストはゆっくりと言葉を選んだ。

「迷惑なわけがないだろう」


 
 それはどういう意味だ?
 自問。
 上司として部下の心遣いが嬉しいという親愛の意味か?
 それとも目の前の女性、その思いが嬉しいという情愛の意味か?
 自分に問いかける、ゲラゲラと己を嘲笑する道化師を幻想する。
 錯覚するな、ただの思いやり、それに特別なものなど一ミリたりとも含まれてなどいないのだから。
 夢など見るなと決意する。

「お前の心遣いは嬉しい。だが、俺は後悔したくない」

 走って、走って、走りぬいて。
 細胞の一粒たりとも余力なく力尽きる。
 それに後悔など含まれるものか。
 それに悲しみなど覚えるものか。
 満足だ。
 己の力不足を、行える行動に全て全力を尽くした。
 そんな大義名分が持てるのだから。

「いずれ倒れますよ」

「倒れんさ。終わるまではな」

「終わりとは……いつなんですか?」

 メガーヌは泣きそうな顔をしていた、声が震えていた。
 何故そんなにも悲しそうな顔を浮かべるのか、鈍い自分には分からなかった。
 その返事は自分は返さない。
 返したところで、余計に心配を掛ける内容でしかないから。

「貴方が死ぬときですか」

 沈黙のみが肯定を返していた。
 もはや十分だろうと、ゼストは手を翻し、出来るのならば握り続けたかったメガーヌの手を振り払おうとした。
 そのままあっけなく彼女を拒絶し、そのまま部下と上司、その一線を保ち続けるはずだった。
 それが正しいと彼は思っていた。
 だけど、それは、正しく、彼一人だけの妄信だった。
 夢から醒めさせるかのように、振り払われかけた手はそれでもゼストの手を握っていた。
 振り払う力は半ば本気だった、細いガラスのような彼女の手では成すすべもなく引き剥がされるような動作だったのに、彼女は離さなかった。
 嗚咽が洩れていた、人魚が流す宝石の雫のように彼女の目尻から美しい涙が流れていた。

「いやです。そんなことは!」

 絶叫のような泣き声、それと同時にパシンと頬に衝撃が走った。
 叩かれたと気付いたのはらしくもなく、数秒後のことだった。
 真っ直ぐに前を見る、メガーヌは戸惑いと衝動に少しだけ視線を震わせていたが、やがて心を定めたかのように真っ直ぐにこちらを睨み付けていた。


 
「……疲れているようだな、少しやす――」

「好きなんです」

 疲労ゆえの気の迷いだと流そうとしたゼストの動きが、メガーヌの唇から紡がれた言葉に硬直した。
 まるで呪いの呪文でも告げられたかのように不自然に止まり、信じられぬとばかりに目が見開かれる。
 幻聴か。
 それとも単なる錯覚か。
 有り得ないと、理性が悲鳴を上げて、ゼストは思わず問い返していた。

「なにを……」

「好きです……ゼスト隊長。それが貴方を心配する理由にはなりませんか……?」

 震えた言葉だった。
 想像すらもしていなかった言葉は頭部を殴り飛ばされたかのような衝撃だった。
 これは現実なのかどうかすら一瞬疑った。
 夢見ることすらも罪深いと考えることを忌避していた可能性。
 己が手を伸ばしたいいものではない、己程度では彼女を求めることなど罪悪だと唾棄していた。
 ありえない。
 ありえないのだ。
 友愛ならばまだしも、情愛など向けられてはいい人間ではないのだと、幸せのみが絶望への道だと知り尽くしている己は喜びに満ち溢れる自分を罵倒していた。
 そんな己の恐れを悟ったのか、メガーヌはポロリと涙の一滴をさらに流すと、嗚咽を繰り返していた口をゆっくりと引き結んだ。

「すみません……こんな、こんな言葉言っても迷惑ですよね」

 心を吐き出して、言葉を吐き出して、涙をも零れさせた彼女は壮絶なまでに美しいと思えた。
 彼女は踵を返す、その小さな背を震わせて、抱き寄せれば脆く崩れてしまいそうな儚い背中を見せて。
 そして、そして、どこまでも愚かな自分はこう叫んだ。

「ありがとう」

 と。
 放っておけばいいのに。そうすれば幸福という残酷な痛みは遠ざけられる。
 言葉などかけなければいいのに。さすれば、彼女は己以外の誰かを想うことが出来る、きっと幸せになれる。
 なのに、なのに。
 感謝の情念を、己の喜びに屈した。
 だからこそ、溢れ出る感情を押さえ込むことが出来なかった。

 そして、その後振り返った彼女の浮かべた笑みは今のこの瞬間まで心に焼き付いて消えることはなかった。




 
「……だん……!」

 暗く水の其処に沈んでいるような感覚。
 呼吸は出来ない、光も届かない、重力すらも感じられずに、ただ重い感覚。

「旦那!」

 そんな中で目を覚ます。
 苦痛と共に、誰かが叫ぶ声と共に。

「……メガーヌ?」

 必死な叫び声が彼女に似ていた。
 幻影のように焼きついた妄執が、追憶の感情を湧き上がらせた。
 故の発言。
 それに目の前に浮かんでいた人影は、覚醒すると共に蘇る記憶の中の少女はどこか悲痛に顔を歪ませて、声を荒げた。

「旦那! 目が覚めたんだね!」

 パタパタと翼をはためかせて、紫色の瞳をぎこちない喜びに歪めた少女は嬉しそうに声を上げる。

「ここは……そうか」

 意識を失う前の記憶を確認。
 ルーテシアとの合流地点、局の探査から免れるだろうと事前に調査しておいた廃棄都市の一角にある廃屋。
 探査から逃れるための偽装処理を施し、やってくるだろうルーテシアを待つ間に膝を下ろしていたのだが、いつの間にか意識を失っていたのだろうか。
 眠りの心地よさというよりも気絶に近い、それを耐えられなかった己の未熟をゼストは憎んだ。

「よかったよぉ……顔色も悪くて、死んじゃうかと思った……」

 翼を弱々しく動かしながら、アギトが己の炎熱で暖めたのだろう薬湯の入った器を差し出した。
 ゼストは震える手でそれを受け取り、啜る。
 苦々しく、不味い。
 まるであの日啜ったコーヒーのようだと考えるのは、夢に見た幸福の所為か。
 なんて罪深い己の惰弱。
 護れなかった己にそんな資格はないというのに。


 
「心配をかけたな」

 骨が砕かれた、肉は裂け、血は緩やかにだが出血を続けている。
 腸をナイフでえぐられるような激痛は続いているが、鋼の如き意思でその発露を押さえ込み、ゼストはアギトの頭を撫でた。
 彼女の頬が紅潮に染まり、ぼっと蒸気のような熱気が吹き出るが、それには構わずにゼストは告げる。

「すまない。己の弱さが、お前に苦労を掛ける」

「そんなことない。旦那は十分強いよ!」

「思い返せばあれはよい騎士であり、ロードだったな」

 対峙した鉄槌の騎士を思い返す。
 不満足な同調しか果たせぬ己とは異なり、心身共に息を合わせ、十二分に力を発揮した一人の騎士の姿。
 己が勝てたのは奇策を用いたが故に、実力では劣るとゼストは自嘲する。

「いつかお前には俺以上のマスターが見つかるだろう」

「そんな……」

「全てが終わる前には見つけ出す。そう終わる前に」

 ゼストは未来を語りながら、己の未来を捨てていた。
 彼は傍に佇む少女の悲しみを知らない。
 彼は最後まで思い続けた女性の想いを知らない。
 彼はどこまでも信じ続けた友人の思いを知らない。
 何も知らぬ。
 愚者。
 愚かな男。
 ただ真っ直ぐに進みすぎて、誰よりも傷ついて、誰よりも愚かだった。


 不器用な騎士。

 その想いの果てはどこに辿り着くのか。

 それは現時点では誰も知らぬ。



 ただ過去を語る融合騎のみが知っている。





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目次:放浪騎士 その朽ち果てる先
著者:詞ツツリ ◆265XGj4R92

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