最終更新: nano69_264 2011年05月05日(木) 21:04:50履歴
225 名前:砲手と観測手の徒然なる日々 [sage] 投稿日:2010/10/20(水) 20:00:09 ID:jTigyTAM [3/7]
226 名前:砲手と観測手の徒然なる日々 [sage] 投稿日:2010/10/20(水) 20:01:43 ID:jTigyTAM [4/7]
227 名前:砲手と観測手の徒然なる日々 [sage] 投稿日:2010/10/20(水) 20:03:18 ID:jTigyTAM [5/7]
228 名前:砲手と観測手の徒然なる日々 [sage] 投稿日:2010/10/20(水) 20:04:55 ID:jTigyTAM [6/7]
砲手と観測手の徒然なる日々2
誘いを受け、それに行くと答えたのだから、行かなければ失礼にあたる。
いつも以上にかわいい服、洒落た赤いパンプスに淡いブラウンの落ち着いたロングスカート。
上に着るオレンジカラーのハイネックのシャツは、女性的起伏に満ちたボディラインを強調し、首元に光る唯一の装飾品たるシルバーのネックレスが外連とならぬ程度に華を添えている。
その装いには、年頃の乙女の背伸びした色香とディエチらしい朴訥な愛らしさが見事に同居していた。
きっとこの日の為に何度も悩んで選んだ服装なのだろう。
今年で十五年目になる結婚記念日のホームパーティーの場にあって、ディエチの姿はそれなりに目立つものだった。
「ディエチ、ちゃんと来てくれたんだな」
唐突に掛けられた、低く静かな響きの中に強い意志を感じさせる声。
聞き覚えのあるその声に、ディエチは振り返る。
そうすれば、愛しい男がそこにいた。
四十を過ぎて少しだけシワを刻まれた引き締まった顔、白髪交じりの金髪に綺麗に整えられた口髭の男性。
優しく厳しく少女を支える、燻し銀の観測手。
今日ディエチをこの場に誘った主である。
「ええ、せっかくのお誘いですから」
少女はそっと髪を掻き上げ、視線を俯かせて答えた。
目を合わせるのが怖い。
この人の眼差しを近くで見たら、きっと今よりも好きになってしまう。
今日はこの人が奥さんと結婚した事を祝う日なのに。
それはきっと、とてもいけない事だと思った。
でも、自分は抑えられないだろうな……
心のどこかでそんな事を考える。
そんなディエチの様子に何を思ったのか、彼は苦笑を浮かべた。
「すまないな、やっぱり居辛かったか?」
「え……?」
彼の言葉の意図を一瞬図りかね、だがすぐに理解した。
ディエチはこの場所で浮いた存在だった。
今この場にいる人間は二つに分けられる。
一つは彼の知人、管理局に属している人間で、大概が男性の武装局員だ。
もう一方は彼の妻の知人なのだろう、いかにもご近所の奥様方といった壮年の女性達がいる。
この二派は綺麗に分かれていた。
武装局員の男性達は仲間うちで酒を片手に話している、いかにも前線で修羅場を潜ってきた野生的な雰囲気だ。
それに比して女性達、おそらくは近所の主婦といった風体の人々は自分達の作った料理の話で盛り上がっているようだ。
ふと、ディエチの視線がある一点に向けられた。
主婦の思わしき女性達の中に、一際目を惹く美しい人がいた。
周囲の女性に比べて群を抜く美貌、大人の色香をありありと見せ付ける魅惑的な風貌。
どんな事を話しているかは分らないが、彼女が場の中心であるという事が伝わってくる。
すぐに分った、あの人が……彼の奥さんなんだ。
思わず湧き上がる嫉妬心。
その嫉妬心を自覚して生まれる自虐心。
好きになってはいけない相手を好きになってしまうという自分の罪深さに打ちのめされそうになりながら、視線を傍らの彼に向けた。
彼の眼差しは先ほどまでディエチの見ていた、彼の妻へと向けられていた。
その瞳に映る色を、少女は不思議に思う。
(なんでこの人……こんな、悲しそうな……)
自分の妻を見ているというのに、その視線はとても悲しそうな、寂しそうな色を帯びていた。
同時に思う疑問。
結婚記念日だっていうのに、何故二人は一緒にいないんだろう。
世の夫婦がどんな風に過ごすかという常識は持ち合わせていないが、こんな日は二人でお客さんをもてなすものではないのだろうか?
それがどうだろう。
彼は一人所在なさそうにしている自分にわざわざ声を掛けてきた。
幾許かの逡巡を以って、ディエチは問うてみる。
「奥さんと……一緒にいないんですか?」
「ん? ああ、まあな」
どこか曖昧な返事。
泳ぐ視線に秘められた寂しそうな雰囲気に、少女の心に相反する諸々が生まれた。
□
「よう、お前が俺を誘うなんて、珍しい事もあるもんだ」
青年は喫茶店に入って目当ての席に来るなり、気さくにそう告げた。
濃いブラウンヘアーの、長身で整った顔立ちの青年。
名をヴァイス・グランセニックという。
元機動六課のヘリパイロット兼スナイパーである。
そして、そのヴァイスを誘ったのは、少し外にはねた栗毛を首の後ろで細く長く結んだ、いかにも大人しそうな少女。
金色の美しい眼差しに憂鬱の色を湛えた、ディエチ・ナカジマである。
「はい、お呼び立てしてすいません」
「いや、まあ別に今日は暇だったから良いけどな。で、用件ってのはなんだ? まさか色っぽい話じゃないだろうな」
と、彼は気軽に言う。
よくよく考えれば、かつてディエチはヴァイスを危うく殺めるところだった。
スカリエッティの元にいた時、ヴィヴィオの乗ったヘリごと撃ち落そうとした事がある。
無論ヴァイスもその事は忘れていまい。
だが青年の告げる声音には微塵の敵意も、それを隠した風情もなかった。
怒りや憎しみを燃やさず、ただ平素でいてくれる事に感謝しつつ、だがディエチは和やかな空気を潰すように、言った。
「いいえ、その……あの人の事で聞きたい事があって。ヴァイスさんも、あの人に教えてもらったんですよね? 狙撃の事」
と。
それは人づてに一度聞いた話だった。
ディエチの恋した観測手は昔名を馳せた狙撃手であり、ヴァイスもまた彼に教えを受けた一人であると。
そして、どうやらその話は事実らしい。
その事を告げるや否や、快活な笑みを浮かべていたヴァイスの顔が真剣味を帯びる。
「ああ、確かにそうだ。俺もあの旦那に狙撃のいろはを教えてもらったクチさ。よく知ってるな。で、一体何が聞きたいんだ? 狙撃についてなら俺よりあの人に直接……」
「いえ、違うんです。私が聞きたいのは、プライベートな事で……」
「プライベート?」
「はい」
テーブルの下でディエチはギュッと手を握った。
まだ引き返せる。
今ならまだ何も聞かずに済ませられる。
だがディエチは自制心を消し去り、己の欲するままに問うた。
「この前、あの人の家に招かれました。結婚記念日のホームパーティーで、それであの人の奥さんを見たんです……」
「……」
ヴァイスは何も言わず、先ほどさりげなく注文したコーヒーにも手をつけずに言葉の続きを待つ。
その真摯な眼差しに応えるように、ディエチは静かに告げた。
「それで思ったんです……あの人と奥さんって……上手くいってないんですか?」
と。
告げた自分ですら思う、不躾な質問だったと。
だがこれは偽らざる乙女の本心であり、希望でもあった。
もしも彼ら夫婦が不仲であったなら、ディエチには恋心を実らせるチャンスがある。
そして、そんな浅ましい事を考える自分への自虐と自嘲が心を満たす。
縋るような儚い希望と、それを醜く思う自虐と自嘲の多重奏が心を満たす。
そんな少女の問いにヴァイスはしばし瞑目し、逡巡してから口を開いた。
「人には言わないって、誓えるな?」
「……はい」
ため息を一つ吐いた後、青年はどこか遠くを見つめて、話を始めた。
「今から、何年か前の話だ。あの人に俺やお前と同じように観測手に付かれた若い狙撃手がいたんだ……そいつは若くて才能があった、良い射手だったんだ。俺のダチだった」
でもな、と言葉を繋げ、ヴァイスは過去の話を続ける。
「ある日、そいつは犯人を射殺した。仕方ない任務だったんだ、物理破壊の弾を使わなきゃいけない状況だった。そして同じような任務は一度ならず、何度も続いた。周りの人間は慰めたが、でもな、だからって人の納得できる事とできない事があるのが人間ってもんなんだろうな……」
ヴァイスの眉間にシワが寄る、昔の傷を抉る表情、痛みと苦味を噛み締めて、過去を吐き出す。
「そいつは自らの命を絶った」
言い切り、ヴァイスはテーブルの上に置かれたコーヒーを飲み干した。
まるで過去の古傷も一緒に飲み干すように、まだ湯気の立つ熱い液体を一気に胃に送る。
「あの人は、その時の事が忘れらないんだろうな。あの日以来昇進の話を蹴って現場で若いやつを指導し続けてる。どうやら、奥さんはそれが気に入らないようでな」
「……気に入らない?」
「ああ。本来、あの人はもっと上の地位にいて良い人だったんだ。奥さんは、そういうのを望んでたんだろうな……現場で頑張るよりも高い地位に就いて欲しかったんだろうな。上昇志向の強い人なんだ。それが、気に入らないらしい」
その話を聞いて、ディエチは信じられない気持ちでいっぱいになった。
好きな人と一緒になれば、それだけで満足できないのだろうか?
地位や名誉やお金なんて、大好きな相手に付くただの付属品ではないのか?
分らなかった、理解できなかった。
でも、そういう事にこだわる人がいる事はなんとなく分る。
それがあの人の奥さんだという事が、悲しくて悔しい。
自分なら一緒にいるだけで満足できる、傍にいてくれるだけで心を満たせる、それ以上なんて決して望んだりしない……
ディエチが顔を俯けてそんな思慮に沈んでいると、少女の様子を黙って見ていたヴァイスがふと口を開いた。
「やめておけ」
「え?」
「やめておけ、悪い事は言わねえから」
何を、とは言わない。
言わなくても、お互いにそこに込められた意は察していた。
ヴァイスだってガキじゃない。
ディエチの様子から、言動から、彼女の胸の内に宿る想いを悟ったのだろう。
だが、少女はその言葉に頷く事はなかった。
その想いの先にどんな結末が待っていたとしても、決して捨てることの出来ない気持ちだったから。
「……そうか。じゃあ、俺はもう行くぜ」
憐憫とも悲哀とも取れる眼差しでしばし見つめた後、ヴァイスはただ一言そう残して店を去って行った。
ディエチは去り行く青年の背中に別れの言葉を告げる事もなく、ただ静かに俯いていた。
最初に注文してから放置し続けた紅茶はすっかり冷めていて、口にすると酷く不味く感じた。
それから一週間後の事だ。
彼が長年連れ添った妻と離婚したと聞いたのは。
続く。
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目次:砲手と観測手の徒然なる日々
著者:ザ・シガー
226 名前:砲手と観測手の徒然なる日々 [sage] 投稿日:2010/10/20(水) 20:01:43 ID:jTigyTAM [4/7]
227 名前:砲手と観測手の徒然なる日々 [sage] 投稿日:2010/10/20(水) 20:03:18 ID:jTigyTAM [5/7]
228 名前:砲手と観測手の徒然なる日々 [sage] 投稿日:2010/10/20(水) 20:04:55 ID:jTigyTAM [6/7]
砲手と観測手の徒然なる日々2
誘いを受け、それに行くと答えたのだから、行かなければ失礼にあたる。
いつも以上にかわいい服、洒落た赤いパンプスに淡いブラウンの落ち着いたロングスカート。
上に着るオレンジカラーのハイネックのシャツは、女性的起伏に満ちたボディラインを強調し、首元に光る唯一の装飾品たるシルバーのネックレスが外連とならぬ程度に華を添えている。
その装いには、年頃の乙女の背伸びした色香とディエチらしい朴訥な愛らしさが見事に同居していた。
きっとこの日の為に何度も悩んで選んだ服装なのだろう。
今年で十五年目になる結婚記念日のホームパーティーの場にあって、ディエチの姿はそれなりに目立つものだった。
「ディエチ、ちゃんと来てくれたんだな」
唐突に掛けられた、低く静かな響きの中に強い意志を感じさせる声。
聞き覚えのあるその声に、ディエチは振り返る。
そうすれば、愛しい男がそこにいた。
四十を過ぎて少しだけシワを刻まれた引き締まった顔、白髪交じりの金髪に綺麗に整えられた口髭の男性。
優しく厳しく少女を支える、燻し銀の観測手。
今日ディエチをこの場に誘った主である。
「ええ、せっかくのお誘いですから」
少女はそっと髪を掻き上げ、視線を俯かせて答えた。
目を合わせるのが怖い。
この人の眼差しを近くで見たら、きっと今よりも好きになってしまう。
今日はこの人が奥さんと結婚した事を祝う日なのに。
それはきっと、とてもいけない事だと思った。
でも、自分は抑えられないだろうな……
心のどこかでそんな事を考える。
そんなディエチの様子に何を思ったのか、彼は苦笑を浮かべた。
「すまないな、やっぱり居辛かったか?」
「え……?」
彼の言葉の意図を一瞬図りかね、だがすぐに理解した。
ディエチはこの場所で浮いた存在だった。
今この場にいる人間は二つに分けられる。
一つは彼の知人、管理局に属している人間で、大概が男性の武装局員だ。
もう一方は彼の妻の知人なのだろう、いかにもご近所の奥様方といった壮年の女性達がいる。
この二派は綺麗に分かれていた。
武装局員の男性達は仲間うちで酒を片手に話している、いかにも前線で修羅場を潜ってきた野生的な雰囲気だ。
それに比して女性達、おそらくは近所の主婦といった風体の人々は自分達の作った料理の話で盛り上がっているようだ。
ふと、ディエチの視線がある一点に向けられた。
主婦の思わしき女性達の中に、一際目を惹く美しい人がいた。
周囲の女性に比べて群を抜く美貌、大人の色香をありありと見せ付ける魅惑的な風貌。
どんな事を話しているかは分らないが、彼女が場の中心であるという事が伝わってくる。
すぐに分った、あの人が……彼の奥さんなんだ。
思わず湧き上がる嫉妬心。
その嫉妬心を自覚して生まれる自虐心。
好きになってはいけない相手を好きになってしまうという自分の罪深さに打ちのめされそうになりながら、視線を傍らの彼に向けた。
彼の眼差しは先ほどまでディエチの見ていた、彼の妻へと向けられていた。
その瞳に映る色を、少女は不思議に思う。
(なんでこの人……こんな、悲しそうな……)
自分の妻を見ているというのに、その視線はとても悲しそうな、寂しそうな色を帯びていた。
同時に思う疑問。
結婚記念日だっていうのに、何故二人は一緒にいないんだろう。
世の夫婦がどんな風に過ごすかという常識は持ち合わせていないが、こんな日は二人でお客さんをもてなすものではないのだろうか?
それがどうだろう。
彼は一人所在なさそうにしている自分にわざわざ声を掛けてきた。
幾許かの逡巡を以って、ディエチは問うてみる。
「奥さんと……一緒にいないんですか?」
「ん? ああ、まあな」
どこか曖昧な返事。
泳ぐ視線に秘められた寂しそうな雰囲気に、少女の心に相反する諸々が生まれた。
□
「よう、お前が俺を誘うなんて、珍しい事もあるもんだ」
青年は喫茶店に入って目当ての席に来るなり、気さくにそう告げた。
濃いブラウンヘアーの、長身で整った顔立ちの青年。
名をヴァイス・グランセニックという。
元機動六課のヘリパイロット兼スナイパーである。
そして、そのヴァイスを誘ったのは、少し外にはねた栗毛を首の後ろで細く長く結んだ、いかにも大人しそうな少女。
金色の美しい眼差しに憂鬱の色を湛えた、ディエチ・ナカジマである。
「はい、お呼び立てしてすいません」
「いや、まあ別に今日は暇だったから良いけどな。で、用件ってのはなんだ? まさか色っぽい話じゃないだろうな」
と、彼は気軽に言う。
よくよく考えれば、かつてディエチはヴァイスを危うく殺めるところだった。
スカリエッティの元にいた時、ヴィヴィオの乗ったヘリごと撃ち落そうとした事がある。
無論ヴァイスもその事は忘れていまい。
だが青年の告げる声音には微塵の敵意も、それを隠した風情もなかった。
怒りや憎しみを燃やさず、ただ平素でいてくれる事に感謝しつつ、だがディエチは和やかな空気を潰すように、言った。
「いいえ、その……あの人の事で聞きたい事があって。ヴァイスさんも、あの人に教えてもらったんですよね? 狙撃の事」
と。
それは人づてに一度聞いた話だった。
ディエチの恋した観測手は昔名を馳せた狙撃手であり、ヴァイスもまた彼に教えを受けた一人であると。
そして、どうやらその話は事実らしい。
その事を告げるや否や、快活な笑みを浮かべていたヴァイスの顔が真剣味を帯びる。
「ああ、確かにそうだ。俺もあの旦那に狙撃のいろはを教えてもらったクチさ。よく知ってるな。で、一体何が聞きたいんだ? 狙撃についてなら俺よりあの人に直接……」
「いえ、違うんです。私が聞きたいのは、プライベートな事で……」
「プライベート?」
「はい」
テーブルの下でディエチはギュッと手を握った。
まだ引き返せる。
今ならまだ何も聞かずに済ませられる。
だがディエチは自制心を消し去り、己の欲するままに問うた。
「この前、あの人の家に招かれました。結婚記念日のホームパーティーで、それであの人の奥さんを見たんです……」
「……」
ヴァイスは何も言わず、先ほどさりげなく注文したコーヒーにも手をつけずに言葉の続きを待つ。
その真摯な眼差しに応えるように、ディエチは静かに告げた。
「それで思ったんです……あの人と奥さんって……上手くいってないんですか?」
と。
告げた自分ですら思う、不躾な質問だったと。
だがこれは偽らざる乙女の本心であり、希望でもあった。
もしも彼ら夫婦が不仲であったなら、ディエチには恋心を実らせるチャンスがある。
そして、そんな浅ましい事を考える自分への自虐と自嘲が心を満たす。
縋るような儚い希望と、それを醜く思う自虐と自嘲の多重奏が心を満たす。
そんな少女の問いにヴァイスはしばし瞑目し、逡巡してから口を開いた。
「人には言わないって、誓えるな?」
「……はい」
ため息を一つ吐いた後、青年はどこか遠くを見つめて、話を始めた。
「今から、何年か前の話だ。あの人に俺やお前と同じように観測手に付かれた若い狙撃手がいたんだ……そいつは若くて才能があった、良い射手だったんだ。俺のダチだった」
でもな、と言葉を繋げ、ヴァイスは過去の話を続ける。
「ある日、そいつは犯人を射殺した。仕方ない任務だったんだ、物理破壊の弾を使わなきゃいけない状況だった。そして同じような任務は一度ならず、何度も続いた。周りの人間は慰めたが、でもな、だからって人の納得できる事とできない事があるのが人間ってもんなんだろうな……」
ヴァイスの眉間にシワが寄る、昔の傷を抉る表情、痛みと苦味を噛み締めて、過去を吐き出す。
「そいつは自らの命を絶った」
言い切り、ヴァイスはテーブルの上に置かれたコーヒーを飲み干した。
まるで過去の古傷も一緒に飲み干すように、まだ湯気の立つ熱い液体を一気に胃に送る。
「あの人は、その時の事が忘れらないんだろうな。あの日以来昇進の話を蹴って現場で若いやつを指導し続けてる。どうやら、奥さんはそれが気に入らないようでな」
「……気に入らない?」
「ああ。本来、あの人はもっと上の地位にいて良い人だったんだ。奥さんは、そういうのを望んでたんだろうな……現場で頑張るよりも高い地位に就いて欲しかったんだろうな。上昇志向の強い人なんだ。それが、気に入らないらしい」
その話を聞いて、ディエチは信じられない気持ちでいっぱいになった。
好きな人と一緒になれば、それだけで満足できないのだろうか?
地位や名誉やお金なんて、大好きな相手に付くただの付属品ではないのか?
分らなかった、理解できなかった。
でも、そういう事にこだわる人がいる事はなんとなく分る。
それがあの人の奥さんだという事が、悲しくて悔しい。
自分なら一緒にいるだけで満足できる、傍にいてくれるだけで心を満たせる、それ以上なんて決して望んだりしない……
ディエチが顔を俯けてそんな思慮に沈んでいると、少女の様子を黙って見ていたヴァイスがふと口を開いた。
「やめておけ」
「え?」
「やめておけ、悪い事は言わねえから」
何を、とは言わない。
言わなくても、お互いにそこに込められた意は察していた。
ヴァイスだってガキじゃない。
ディエチの様子から、言動から、彼女の胸の内に宿る想いを悟ったのだろう。
だが、少女はその言葉に頷く事はなかった。
その想いの先にどんな結末が待っていたとしても、決して捨てることの出来ない気持ちだったから。
「……そうか。じゃあ、俺はもう行くぜ」
憐憫とも悲哀とも取れる眼差しでしばし見つめた後、ヴァイスはただ一言そう残して店を去って行った。
ディエチは去り行く青年の背中に別れの言葉を告げる事もなく、ただ静かに俯いていた。
最初に注文してから放置し続けた紅茶はすっかり冷めていて、口にすると酷く不味く感じた。
それから一週間後の事だ。
彼が長年連れ添った妻と離婚したと聞いたのは。
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著者:ザ・シガー
- カテゴリ:
- 漫画/アニメ
- 魔法少女リリカルなのは
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