最終更新:ID:2v+WUj/9yw 2013年03月17日(日) 11:59:24履歴
4月 公式サイトオープン。最初は幾人かの国家イベントNPCの立ち絵や
町の景観など、世界観をイメージさせるコンテンツがあった。
この時期からいくつかの個人Webサイトがオープンしてギルド結成など活動を始める。
- 当時のオンラインゲームといえばLineageやRagnalokといった攻城戦を売りとした
戦争ゲームであったが、これらのゲーム的な内情もひと段落しており、
かつて城やドラゴンの取り合いで血道を上げた者たちも人生のステップを登ることになった。
またそれらの焼き直し的派生ゲームも拡大することでプレイヤーが拡散、
大規模Onlineの繁栄期を迎えていた。これらの人気タイトルの大部分は東アジア産であり、
初期はそれらの国にある海外サーバーでプレイされていた。
- 一方、オンラインゲームといえばUltimaOnlineという現代のアバタ―ゲームの
はしりのような居住型プレイスタイルの人気も高く、主に北米サーバーでプレイされていた。
- そうした世情を眺めてか、三国志や信長の野望といったリコエイションゲームを
多数販売していた光栄(現コーエイ)が信長の野望Onlineという初国産Onlineゲームタイトルを
大航海時代に先立ちサービス開始していた。
政治システムや経済といった概念をシステムとして取り入れた日本らしいタイトルであり、
のちにPS3での対応もされ、元来の光栄ソフトファンも取り込んで多数のプレイヤーを抱えた。
- だが、政治システムのひとつであった各国家の意思決定の場である『評定』に問題があった。
複数キャラで敵国の評定に潜り込み投票結果を操作する『偽計』や、
敵国の会議チャットに潜り込み情報を探る『間者』がはびこり、収拾のつかない事態となりつつあった。
- この事態を憂慮した光栄は大航海時代Onlineを『複数キャラプレイヤーが過度に有利にならない』よう
仕様を考慮するといった開発者のアナウンスを発表した。
そうした風の中、旧信Onプレイヤーであり光栄ソフトファンでもあったRedfull氏が、ギルドを立ち上げる。
『ヴィクトリア カンパニー』 ・・・ 新しい歴史の幕開けであった。
町の景観など、世界観をイメージさせるコンテンツがあった。
この時期からいくつかの個人Webサイトがオープンしてギルド結成など活動を始める。
- 当時のオンラインゲームといえばLineageやRagnalokといった攻城戦を売りとした
戦争ゲームであったが、これらのゲーム的な内情もひと段落しており、
かつて城やドラゴンの取り合いで血道を上げた者たちも人生のステップを登ることになった。
またそれらの焼き直し的派生ゲームも拡大することでプレイヤーが拡散、
大規模Onlineの繁栄期を迎えていた。これらの人気タイトルの大部分は東アジア産であり、
初期はそれらの国にある海外サーバーでプレイされていた。
- 一方、オンラインゲームといえばUltimaOnlineという現代のアバタ―ゲームの
はしりのような居住型プレイスタイルの人気も高く、主に北米サーバーでプレイされていた。
- そうした世情を眺めてか、三国志や信長の野望といったリコエイションゲームを
多数販売していた光栄(現コーエイ)が信長の野望Onlineという初国産Onlineゲームタイトルを
大航海時代に先立ちサービス開始していた。
政治システムや経済といった概念をシステムとして取り入れた日本らしいタイトルであり、
のちにPS3での対応もされ、元来の光栄ソフトファンも取り込んで多数のプレイヤーを抱えた。
- だが、政治システムのひとつであった各国家の意思決定の場である『評定』に問題があった。
複数キャラで敵国の評定に潜り込み投票結果を操作する『偽計』や、
敵国の会議チャットに潜り込み情報を探る『間者』がはびこり、収拾のつかない事態となりつつあった。
- この事態を憂慮した光栄は大航海時代Onlineを『複数キャラプレイヤーが過度に有利にならない』よう
仕様を考慮するといった開発者のアナウンスを発表した。
そうした風の中、旧信Onプレイヤーであり光栄ソフトファンでもあったRedfull氏が、ギルドを立ち上げる。
『ヴィクトリア カンパニー』 ・・・ 新しい歴史の幕開けであった。
クローズβは抽選であり、これまでに集まっていたVC(ヴィクトリアカンパニー)
メンバーのなかで当選したもの、複数応募して融通したもの、など10数名がお試しプレイをしていた。
サーバーは上記のように4つ名前があったがクローズβではdelfinサーバーのみの公開であった。
- 当時は東地中海も開放されておらず、交易は地中海往復が主たるものであった。
- 光栄の大航海時代プレイヤーや、ネオアトラスという別の航海タイトルをプレイ済のメンバーは
マディラの砂糖をイベリアに持ち込むことが初期のドル箱路線であると期待していたが、
それは開始後まもなく裏切られた。
- イスパニアの持ち味といえば火器だが、当時はバルセロナ・セビリアとも投資報酬が見えなかった。
しかしながらアルケブス銃など初期の火器交易品はその優秀ぶりを見せつつあった。
- 第1回カサブランカ大海戦
ポルトガル対イスパニアで行われた記念すべき海戦はイスパニア大勝利に終わった。
理由としては初期のレベル上げにかかる労力は海事職に負担が多く大砲代で貧乏なものが多かった。
一方交易商人は若干レベルが上がりやすく、大型船に購入した大砲を載せて暴れまわる者もいた。
このイベント以来呪いがかかり、長らくイスパニアは海戦で勝利することができなくなった。
商会(Dolでいうギルド)の仕様が順次発表され、序盤は20数名での結成が見込まれた。
また当時初期選択可能であったのは、ポルトガル・イスパニア・イングランドの3か国であったので、
前述のギルド上限人数の兼ね合いもあり、希望スタート国ごとに分かれ3商会並立として
最終的に本部へ集合する予定とした。
ポルトガル・・・ VCポルトガル本部 商会長はRedfull氏
イングランド・・・VCイングランド支部 商会長はマクスウェル氏
そして
イスパニア・・・ VCイスパニア支部 商会長はルクレツィア氏 現王立商会の誕生である。
- 当時の交易ルートとしては、イスパニアは地中海3点交易(調味料)そして火器(アルジェ)
ポルトガルは食料品(生産で調理)イングランドは縫製とハンブルグの大砲といった特徴があった。
- 歴史的背景もあり地中海の領地はイスパニアが一番多く、交易スキル上げに適していた。
一方でイングランドのある北海は欧州内で儲かる交易品といえばウイスキーか羽毛しかなく、
序盤の交易アドバンテージが低かった。
そのためのちの宝石航路独占や海戦脳筋といった特徴を持つことになる。
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