(メモ), メディア

「カナダ・アニメーション・フェスティバル 2006」

ヨコハマメリー

ヴェンダース上映

ヴェンダース写真展

dance and media

椿山荘



分類について

面倒だ。
といっても始まらないので。
wikiのページを作る際、タイトルを決めなければならず、それは後に変更できない。
タイトルは、一般的にそのコンテンツの内容を示唆するもの、つまりカテゴリ名だったりする。
カテゴライズは思考の制限であって、もしく指向性の付与なわけです。
ここでやりたいことは、混沌の編集、再構築、つまり新しいカテゴリ構築につながりうることなのです。
んなところで、カテゴライズをしてしまうと、プロセスの妨げになりうる。
なんぞ良い方法はないものか。

で、プロセスの段階のみを明記し、あとは縛りをつけないことにした。
”(資料リスト)”や”(メモ)”などをプロセスステップとして明記する。
基本的にその後のコンマ(カンマ)で区切られた言葉の順序は無意である。
しかし、コンマは美しくみえない。

システム論的に言うなら、ネストではなく、ネットワーク構造にしたいのです。
今っぽく言うなら検索抽出指向?

だから、wikiには検索と再構成機能が必要なんだって。
あとは譲さんよろしくおねがいします。

書き方もしくはpunctuation (句読点{くとうてん}、句読法{くとうほう})

直感的、直観的であること。

http://someya1.hp.infoseek.co.jp/G-punctuation.htm...
3. コロン
  通常、英文中のコロンは「つまり」という意味で使う
4. セミコロン
  セミコロンはその形からも想像できるように、コロン、コンマおよびピリオドを合わせて2で割ったような複雑な性格を持つ句読記号である。文学的な陰影を出すためにはなかなか便利な小道具だが、実用文ではコンマの代用として便宜的に使用するほかは使わないほうが無難である


映像を介在した経験(経験された過去)の伝達について

遺書としてテキストをかけ

目と耳の違い

ローレライより。
ちんぴらと話しているときに教えてもらった。

北山想像研究所


ルイスボルツ

監視カメラ

ウィーン象徴主義


デイター アペルト


ゲイズ 視線の探検 凝視

gaze
see
look at
の違い


サムテイラーウッズ ウッド




見る目がない事を認める所から始めよ

杉本博について


フィクションとドキュメンタリのカテゴリが無くなって行く 意味がない それが映像の宿命

うん、そうだった。




自分のフレーミングをしてその中に落とし込め


伝えるべきこと

湾岸戦争 夜逃げしなければならない腎臓を売らなければならない世界
それを解決するために
そのために必要なのはコミュニケーションである
その根源にあるべきなのは陶酔である
(え?)

大切なのは、陶酔もしくは恋人に語るべきことがあるかどうかだ

レースやフリーソロに得られた陶酔
それを実現するためには身体性をコミュユニケーションに取り入れるべきだ
それを軸にフレーミングを行え

作品に鑑賞者のトリガーを埋め込め



高密度情報化社会における相対主義実践としての多様性確保について

相対主義

多様性の確保

統一化の回避の為には
それぞれの文化の行為者、担い手が強度を持たなければならない

高密度情報化社会の有効なサイドを生かす為に

コミュニケーションの限界が社会の限界を規定する 社会の維持のためにはコミュニケーションが必要であり故にコミュニケーションが規模を制限する それは量的な面や活動量など多岐にわたる


移動について

移動はそれ自体メディアなのです。という前提から。


あるギャラストが言っていた私は関西出身なんです 新大阪の駅の改札を出た途端関西弁ですよ

移動している時間は宙ぶらりんな時間なのだろう
移動の快楽の一因かもしれない
2006年05月01日(月) 17:43:37 Modified by sky360




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