2chに投稿されたSSをまとめたサイトです。




実乃梨の手の中で小さく光るオレンジ色の光を、
竜児の鋭い目は確かに捉えた。



『小さなユメノウタ』



「……それ。どうしたんだ」

修学旅行1日目の夜、薄らと効いたエアコンがさらなる倦怠感を抱かせる中で、竜児と実乃梨は互いに齟齬が生じる会話を続け、そしてそれが唐突に打ち切られた。

「ん?ヘアピン?大河がくれたんだよ。『宝物だから絶対大事にして』とか言って。」
可愛いよね、あ、私がじゃなくてヘアピンがな。そういった実乃梨の言葉は殆ど竜児の頭には入って来ない。
「……はは…」
笑って顔を押さえた。
自然と口から出た微かな声。
もう、いいや。

崩れてしまう。壊れてしまう。全てが。
無理に合わせようとした歯車が。
その耳障りな音が聞こえてくるようで、竜児はもっと強く顔を手で押さえつけた。
このままでいたい、変わりたくない、実乃梨の願いが少しづつ自分たちの歯車を噛みあわせなくする。
実乃梨が無理矢理に繰り広げる『何事もなかったワールド』に竜児を巻き込み、何もなかったぜー、忘れちゃったぜー、と言うことを無理強いさせようとする。
もう付き合えない。傷口から吹き始める血。
心だって生きているのだから、殺そうと思えば血を噴き出すのだ。
そんな欺瞞に満ちた世界に、どうして耐えられる?
「………そうか、そう、だったんだな、おまえは……」
「…え?なに?私、どうかした?」
「いや、何でもねえ!」



いつか言った――私は傲慢でずるくて、その言葉の意味をはっきりと理解する。
傲慢でずるい私が好きならそれを承知の上で好きでいてよと、『何事もなかったワールド』
を展開しつつ遠まわしに伝えようとしているのだ。
自分の想いを受け入れる気は決してないのに、
それなのにおまえが嫌いだから付き合う気はないとは言ってくれない。
――はは、傲慢でずるいから、そんな勇気はないというのか。
でもそのことがより一層心を抉り、血を噴き出させるというのに。

「高須くん! どうした?ごめん、私なんか言っちゃった?」
ないない、なにもないよ。顔を上げて片手を振り、出来れば笑おうと思い、失敗した。
心配そうに竜児を覗きこむ無邪気な顔と、柔らかな髪で光るオレンジが痛いほどに眩しい。  
「ヘアピン、可愛いな」
「……へ?」
無意識だったかのようにその言葉が零れた。
ヘアピンを褒めたのか、実乃梨を褒めたのか竜児はよくわからない、
わからないけれどとても似合っていた。
間接的になってしまったが、自分からの初めてでそして恐らく最後のプレゼント。
それがどこから来た代物なのか言うことすらきっとないのだろう。
例え言うことが出来たとして、その事実を実乃梨が知ったとして、何が変わるというのだろうか。

ゆっくりとソファから立ち上がり、二歩、三歩と実乃梨から離れるように距離を置く、そしてそのまま踵を返し、どこいくの?という声にも答えず騒がしい会場へと足を向けた。
人生最悪記録をこんなにもいとも簡単に更新してしまうとは、呟きながら涙すら出ない目をこする。

「高須くん?――――ぁっ」

その時、ガタンッとロビーに並べられたテーブルが不自然に移動する音が響き、
何かが床に落ちる音がした。
その音に反応して不意に竜児は振り返ってしまったのだ。振り返らないつもりでいたのに。絶対。
そして



「く、櫛枝……!?」
細い眼を精いっぱい見開いて、その光景を見た。
「おい、櫛枝、どうした?」
急に、実乃梨が倒れたのだ。
テーブルの脚に引っかかったわけでもない、自身の足を縺れさせたわけでも当然なく、
平生キラキラと輝かせている大きなどんぐり眼は静かに閉じられていた。
慌てて抱きかかえ広い手のひらを実乃梨のでこに当てる。
熱は、ない。
「なな、なんなんだ?」
あまりに唐突な出来事に頭がついていかない。
しかし今どうにか出来るのは自分しかいないということはわかる。
「先生…に言うより救護室か?……どこにあったっけ?くそっ」
少し荒っぽくその体を背負いあげる。
隣人様よりは確実に重いが、初めてしっかり触れた実乃梨の身体は予想以上に細くて、
まるで太陽のように温かかった。
「………っ」
あれ程傷ついたのにまだ胸を高鳴らせている自分がいて、竜児は無性に情けなくなる。

『高須くん。私のこと、きっとすっごくイイもんみたいに思ってる。
でもさあ、いつか全部わかってさあ、私のことが全部わかったら――そしたら、きっと、』
師走のある日、初めて一緒に下校した日の実乃梨のそんな台詞を思い出した。
あの日は憂鬱そうで、複雑な笑顔を見せていた。
自分で遮ってしまって聞けなかった台詞の続きを想像して、先とは違う痛みに襲われる。
実乃梨は分かっていたのだろうか、いつかこんな日が来てしまうことを、あの時すでに。
いつもとは異なる笑顔の裏で、そんなことを考えていたのだろうか。

そして疑問に思う、実乃梨の全てが本当に『これ』なのだろうかと。
そうでないと信じたかった。
もういいやと諦める一方で、本当の本当の本心を知りたくなる。
複雑すぎる太陽の内面を。
もう傷つくことなんてしたくはないのに。



***


「……んぶっ!」
全身を強く打ちつけ目が覚めた実乃梨は混濁していた意識がはっきりしてきたのと同時に、
はて?と小首を傾げる。
見慣れない僅かなシミがついた古ぼけた天井……。
先程原因不明の激しい頭痛に襲われ、足元がふらついたところまでは覚えているのだが、
その後が全く記憶にない。
生まれてこの方17年、病気らしい病気も大きな怪我もしたことがない
健康体の自分になにが起こったのかさっぱり理解できない。
一つわかることはここは確実にホテルのロビーではないということだが。

「お、おう!?」
――おう?
見慣れない風景に聞きなれた声、どこか働きの鈍い頭を押さえながら体を起き上がらせると、
「……は?」
そこは一度だけ親友の部屋から覗いたことがある、高須竜児の部屋であった。

「なななな、なんぞや?」
普段驚きのギャグセンスも発揮することが出来ず、
平安貴族のような台詞で思いっきり仰々しい動揺を見せてしまった。
「おい大丈夫か?てか何で落ちるんだよ」
目の前の紺色ジャージに身を包んだ男――高須竜児はそう言うと床に座り込んだままの実乃梨の手を掴み、
その体をベッドに座らせようと引き上げるが、
「アーイーウォー!」
「おうっ、なんだ?」
その少し湿った手のひらの温度に驚きを隠せず、
思わず竜児の手を振り払い奇声を上げて反動でベッドに転がる。
「どうしたんだ、櫛枝?」
「……なめんな。」
「え?」
「あ、いやいや何でもないよ、無問題無問題」
ついつい突然の出来事に動揺してしまったものの、今はそれどころではなく
一体自分の身に何が起こったのかを確認する方が正当と言えるだろう。




「私は、どこ…ここは誰……?」
「お、おう……どこから突っ込んでいいのかさっぱりだが、おまえは櫛枝実乃梨だ。
ここは俺の部屋で、ついでに言うと俺は高須竜児だ」
「……ふむ。」
自分の認識に間違いはないようだ。がしかし、しかしだ。
「ここは高須くんの部屋?」
「お、おお、そうだぞ?」
今ばかりは自分の認識が間違いであってくれないと困る。
なぜなら実乃梨は今までに先までいた場所から数十キロ以上も離れたところへ
瞬間移動的なものを行ったことなど無いからである。つまりは異常事態。

「何で私はここに?」
「おまえがふざけてるうちに寝ちまったんだろ?久しぶりのデ――勉強会なのによ」
実乃梨の期待した答えとは少し見当違いなことを言う竜児は少し不機嫌、
というよりかは残念そうな表情で口を曲げ、笑えば般若、泣けば夜叉、口を開けば指名手配の凶悪ツラを実乃梨に向けている。
「ベンキョウカイ?修学旅行は?」
ここは雪山であり今は修学旅行中でなければいけないのに、竜児は今の状況がさも当然であるかのように
何の疑問も感じていないようだ。
それどころか
「…は?修学旅行は終わっただろ?――半年以上も前に。」
トンデモ発言。
「半年……ほわぁあっつ!?今なんと?」
「お、おう!?なんだ」
「今なんとおっしゃいましたか!」
あれ、おかしいな、耳はいいはずなんだけど。そんなことを思う間もなく
竜児の胸倉を掴まんばかりに詰め寄る。
「なんだ、だが」
「違う!その前。」
「修学旅行は終わっただろ?」
「ちゃうちゃう、もう少し後」
「…………?」
「忘れちゃったの!?君、春田くん!?いつ終わったって?」
「あ、あぁ、すまん。半年前、だろ?」



「……は、半年前?半年って1年の半分で2年の4分の1で3年の6分の1で……
ってそんなことどうでもいいんだ。半年前ぇ!? ねぇ、ちょっと今いつ?何年何月何日何時何分何秒?」
「おう!?どうしたんだよ。えっと今は」
机の上に置いてあったデジタル時計を引っ掴み竜児が秒数まで几帳面に教えてくれのは、
先程までの時刻とは全く違う、確かに半年以上たった日付であった。
「なんだこれは」
「なあ櫛枝?大丈夫か?さっきからおかしいぞ、熱か?」
唖然とする実乃梨はでこに当てたられた竜児の手に過剰反応することも出来ず唸る。
これは一体、夢なのだろうか。
しかし実乃梨はこれまでに鮮明な夢を未だかつて見たことがない。
だとしたら所謂『タイムスリップ』というものなのか。
「……熱はないな」
タイムスリップ。いい年こいて何言ってんだ、と実乃梨は一人ごちる。
幽霊やUFOだって心のどこかでは居ないと考えている実乃梨にとって、
タイムスリップという異常現象も『ありえないこと』の一つであることに変わりなかった。
しかしもしこれが未来の世界であるというのなら、そんな実乃梨の脳内会議に突然介入してくる竜児の声。

「櫛枝、おまえまだ寝ぼけてるんだろ」
「え?」
「まだ寝てろって。今日はもういいから」
竜児は呆れたように、また見る人が見ればわかる優しげな笑顔でそう言い、端にある布団を掴みながら、
「お、俺も一緒に寝よっかな」
と少し目を泳がせながら頬を朱に染め、実乃梨の肩に手をかけたところで、
「ヴぉああああああ!!高須くりにっくんっあんた何すんの!?」
まるで被爆者のような声を上げた実乃梨に思いっきり突き飛ばされた。
わざとではない、唐突かつ本日数回目の信じられない出来ごとに驚いたのだ。

「おうっ……す、すまん。だがいくらんでもひでぇ。首の骨折れるかと思った……」
「ご、ごめん。殺す気はなかった」
「あ、あってたまるかよ!?」
ベッドから突き落とされ後転2回、そして開脚後転で見事立ち上がった竜児は
首を押さえながらも生還。




「でもノーノー、駄目だよ!男女が一緒に寝ていいのは小学校のお泊まり会までって決まってんだから!」
少し温度の上がってしまった周りの空気をかき乱すように実乃梨は手を振る。
「決まってねえよ別に! いいじゃねえか寝るくらい、付き合ってんだし」
「…………ん?釣りやってる?ウキウキ釣り天国?」
「付き合ってる!」
竜児はわざとやっているのか真剣にやっているのか判断のつきにくい
実乃梨のボケに負けじと大きな声で反撃。
「付き合ってる?はて、誰と誰が?」
「え?俺とおまえが、だろ」
そして次第に不安になってくるのだ、
もしかして本当にボケているのではないだろうかと。
同じ時、実乃梨は実乃梨でまたも頭がパニック状態であった。
「……付き合ってんの!?」
「え?付き合ってないのかよ?」
「ちょっと、質問に質問で返さないでよ」
「だ、だっておまえしただろ?開国宣言……あれってそういう意味だよな?
というか俺はこの半年近くずっとおまえのこと彼女だと思ってたんだぞ?
今さら違いますって、そりゃないだろ?俺、どんだけ妄想激しい奴になっちまうんだよ?なあ」

恥ずかしそうにしおしおモジモジ答える竜児にどうやら嘘はない様で、これは困ったことだ、
と実乃梨は最近短く切りそろえたばかりの髪の毛を軽くかきあげるのだった。

自分と高須竜児が付き合っている未来。
実乃梨にとって存在することなどあってはならない世界。
これは夢なのか、それとも最近の疲れが起こしてしまった激しすぎる妄想なのか。
はたまたイブの日の行い対してバチがあたったのか。
わからない、何一つとしてわからない。
ただ、想像もしたことがなかった一つの未来を目の当たりにしてどうすることも出来ず、
実乃梨は未だ恥かしそうに指いじりをする竜児を見ているのだった。


つづく。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

管理人/副管理人のみ編集できます