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◆9VH6xuHQDo



ーーーこの世界の何よりも、裏切らないものがある。
それは逞しくて、とても強い。
多分、漢に生まれたなら,誰もがそれを欲しがるはずだ。
だがそれは,誰もがそれを纏うことがない。
そう簡単には手に入れられないことは、世界の漢達は解っているのだ。
だけど諦めなければ,誰もが纏える。
手に入れるべき漢達が、ちゃんとそれを纏えられる。

そういうふうになっている。

「黒間先生〜っ!ちゃんと聞いてくんなましよ〜っ」
男子、女子ソフトボール部の総部長の櫛枝実乃梨は、半ば呆れていた。
「むうっ?すまんな。今…ふぬっ!カールしていて返事が,ぬおっ!出来なかったが,くぅっ!聞いていたぞっ」
黒間がダンベルを上げるたびに、太く、黒い腕がビクビク脈打つ。
「♪はぁ〜っ↑↑、おらが〜のぉ,ほ〜にぃもぉ〜♪ それにつけて
も…って!何を唄わせるんですかっ!!先生っ」
「違うぞ、櫛枝。くおっ!カールってのは,しゅっ!スナック菓子ではなく,じょっ!上腕2頭筋をだな…」
「違うのは、先生ですっってぇ!!Oh、ディアッ…」
実乃梨は,お手上げのポーズをとる。
丁度3セット目のダンベルカールを終えた黒間は,やっと実乃梨の目を見て答える。
「ふぅうぅっ まあ落ち着け。ハアハア、要は、フウフウ、臨時のソフト部顧問兼、監督になればいいんだな?」
「落ち着くのは,先生なんですってばぁ… はい。先週,監督が長期入院されたのです。
 来月からの高校総体の予選にはベンチに監督が座ってないといけない決まりなんですヨォ」
実乃梨は,親友の亜美のウルウルしたチワワ瞳を真似してみた。目一杯可愛くしてみた。自分で言うのも何だが、
ソフトとバイトに魂を売ったMr.レディーにしては,まあまあイケる方なのではないかと思っている。密かに。
しかし,黒間は、実乃梨がアピールした箇所と,違う箇所を凝視していた。
「いい。いいカーフだな…キレてるっ」
ふくらはぎである。実乃梨のふくらはぎを見ていたのである。変態だ。実乃梨はふくらはぎを手で隠す
「ええっ?何?何ですか?ここってカーフっていうの?キレてるって…キレてな〜いっ,うっ!痛恨の寒いギャグっ」
「わかった。いいだろう。早速、俺の指導のもと、一緒にレジスタンストレーニングだ。礼はいらん」
サムズアップし,歯がキラリ。突然の黒間の提案に、実乃梨は、あわててSAY NO!
「だが断るっ 臨時の名前だけの監督でいいんですってば!黒間先生だって迷惑でしょ?」
「よく,球技に使う筋肉は、球技でつけるというが,間違いだ。筋肉は付いていて悪影響は皆無だ。
 近年、レジスタンストレーニングはトップアスリートには必須だ。お前なら、知っているだろ」
話が噛み合ない。そういえば,親友の亜美に脳味噌筋肉オンナと言われた過去を思い出す。黒間は続ける
「これをやろう。BCAAだ。じゃあ、30分後に体育館に来い。俺はアップして来る」
黒間は、体育準備室から出て行った。
天上を仰ぎ、実乃梨は渡されたアミノ酸カプセルを3つ。口へ放り込む。つい,噛んでしまった。
っしゃあああっ 仕方ないっ、それが条件なら、黒間先生に付き合うか…

実乃梨は、軽くカーフのストレッチをした後に,体育準備室から出た。
独特の大きなストロークで実乃梨は歩く。腕を振る。だんだん飛ぶように加速。
「あっ、実乃梨ちゃん…」
渡り廊下にいた亜美は、そんな実乃梨を見かけたが、声を掛けそびれてしまった。



「櫛枝。待たせたな。」
そんなに待っていなかったのだが…,ジャージ姿に着替えた実乃梨は黒間を迎え入れる。
「来たな!プレッシャーッ!!では,宜しくお願いしまーっす。へへっ」
黒間の筋肉は、大きく隆起している。実は実乃梨も、ウェイトトレーニングはしている。5kgのダンベルも持っている。
しかし,ここまでは太くはならない。実乃梨の実弟,高校球児のみどりも,マシントレーニングを取り入れているようだが,
黒間に比べると,迫力が違う。ムキッ!艶のある三角筋に見惚れる。その視線に気付いたのか、黒間は、ポージングを始めた。
左右のサイドチェストを繰り返す。タンクトップの下の胸の筋量が分厚い。ムキッ!血管が浮き出て膨張している。堅そうだ。
丸太のような太い腕は、脂肪がなく、筋肉の形がはっきりスジになっている。なるほど,これがキレてるって事か…。
「この世の中で裏切らないものがある。それは己の肉体。鍛錬すれば輝き、怠惰すれば鈍る。」
えっ?っと実乃梨は黒間を見入る。黒間は実乃梨の正面に立つ。
「ただ,限界もある。どんなに鍛錬しても突破出来ない。まあ、先天的なモノもあるんだ」
「はあ」
「櫛枝は、100万人に一人のいい肉体を持っている。俺には解る。」
黒間は、実乃梨の両肩をわし掴みする。大きな黒間の手に力が入る
「せっ,先生〜、解りましたっ。解りましたからっ!ちょっと,痛い…」
嫌がる実乃梨。しかし,肉体は抵抗しない。痛いが、気持ち良い痛み。いい筋肉だなあと呟きつつ、黒間は次に腰回りを触る。
「むぁああああっ 先生!!くすぐったいっすっっ!!うほほほほっ」
あろう事か、黒間は、実乃梨のTシャツを捲る。うっすら割れた腹筋が見える。
「わぁあああ。ナニナニ!何で、わたし脱がされてんのっ!」
「うむっ やはりな。実にナイス。ナイスバルクだ。」
「バル?バルバル,バル,ブロロロロっーーーーー!!」
実乃梨は,掛け声とともに黒間を撥ね除けようとするが、岩石のように黒間はビクともしない。
「ひええ,このヒト堅ぇ…あっ!そこっ,ああっ!!あんっ!ちょっ!お母さ〜〜んっ」
自分でも、女っぽい声を出したことに驚いた。いつの間にか腹筋、腰から、背筋まで触られている。
「櫛枝!変な声だすな!筋量を確認しただけだ。よしっ!トレーニング始めるかっ」
へなへなっ実乃梨は座り込む。少し後悔し始めたが、まあ、乗りかかった舟だ…
もしかしたらアストロ級の魔球を会得出来るかもだ。それとも単なる死亡フラグなのか…
「へいへい…ストロングイズビューティフル!!ってね!やりますか!!」
実乃梨は、かつてバイトしていたラーメン屋の店長のように黒間の細い目が開いたのを見逃さなかった。





「…ごおぉぉ,りゅおおおおおおく…」
ただの腕立てではない。ダンベルを握りながらの深い自重による負荷。
さらに黒間は実乃梨の足首を握っている。いわゆる手押し車の体勢だ。
「ななっ,はちっ,きゅ〜う! じゅうううううううっ!!ヴィクトリー!!」
「よおおおおおっし グッジョォォォブ!!よかったぞ!櫛枝っ!クールダウンしよう」
実乃梨の腕が、ピクッピクッと,軽く痙攣している。色も赤い。
「んはっ!んはっ!ふぁいッ!教官!もといっ! 先生!!あざーっす!」
黒間の手にはマッサージオイル。大量に手に取り、ネトネトこねている。
実乃梨は貞操の危機を憶え、唐突にセブンセンシズが目覚めた。
「BACOOOOON!!まさか…そいつぉ使うんですかい?」
「マッサージだ。櫛枝。トレーニングベンチに横になれ」
「わたし頑丈な方なので…大丈夫です」
「聞こえんのか?ベンチに横になれ」
「嫌です」
「櫛枝…ベンチに横になれ。ちゃんとマッサージしないと明日、筋肉痛が酷くなる」
わかりました…本当は、慣れない本格的なウェイトトレーニングで、マッサージしてほしかった。
しかしなんというか…オイルマッサージは何かの禁忌に触れてしまうような気がしたのだ。
実乃梨は仰向けにベンチに寝る。照明が眩しい。黒間は慣れた手で、横になった実乃梨の肩そして腕を揉み始めた。
「いいか櫛枝。俺が監督するからには、優勝以外考えられない」
「御意っ わたしもです」
触れられている肌が溶けるように気持ち良い。脱力して、黒間にされるがままになる。
「より実践的で効率的なトレーニングが必要だ。俺に任せろ。インターハイの頂点にお前を連れていく」
黒間の迷いのない力強い言葉。いままで実乃梨にこんな言葉を掛けてくれる人は…いなかった。
「野球やっている弟がいるんです。私も昔は野球やってまして、ぶっちゃけ私の方が才能上だった…
 でも続けられなかったんです。女子だって理由で。だから.お金を貯めて.自力で体育大に進んで、
 ソフトの全日本を目指すんです。それで世界中に叫ぶの私の選んだ掴んだ幸せはコレだぜって…
 あれ?わたし、先生に何話してるんだろ…」
油断した。はっと気付いた時に黒間に顔を向けるとなんと 泣いていた。
「ぶおおおおっ!!そうかっそんな想いをっ櫛枝!!ぅわかった!!一緒に世界の頂点をみようっ!」
黒間は感極まり大粒の涙。鼻水。仰向けの実乃梨に泣き崩れる。顔を埋める。諦めるな〜っと嗚咽している。
逆に、意地に縋って、どんな時でも泣かないと決めた実乃梨は、感情を剥き出しにして、自分のために
泣いてくれている黒間を想い、実乃梨のTシャツに黒間の涙やら鼻水やらが着いてしまった事を我慢した。
そろそろ泣き止んで欲しくなって、黒間の手を握ったその時、体育館の入り口に亜美が立っていたのが見えた。
「ふうん…」
ゼッテー誤解された…それに気付かず熱血教師は実乃梨の手を握り返し『この一球は、絶対無二の一球なりっ!』
と、どうやら修造が憑依したようだった。もう苦笑いしか出来ない。
亜美が逃げるように去って行く。先生っわたしトイレっ!!と抜け出し、実乃梨は亜美を追った。

「やっべーんじゃね?実乃梨ちゃん。でもまあ、もう18歳だからいいのかっ」
「違うの、違うの、あーみん!誤解、誤解なんだって!」
「わたし見てないから。見てない。見てない。本当だよ?うん」
「だから〜っ!誤解!誤爆!」
「実乃梨ちゃん、先生と手繋いで、目がとっろ〜んってなってたじゃん。それが誤解?誤爆…?」
「しっかり見てるじゃねえかっ!あーみんよぉ、でも誤解なんだってぇ」
ふふんっと面白がっている亜美。櫛枝は、今の亜美には何言っても無駄だと悟り、はぁ〜っと溜息。
「ほらっ!実乃梨ちゃんっ、彼っうふふっ…黒間先生がお呼びよ?」
櫛枝〜っ!っと、黒間が、T-850のように実乃梨を探している声が聞こえた。亜美がまた逃げていった。
もう、追うのはよそう。アイルビーバック。体育館に実乃梨は戻った。空はもう暗かった。

****

夢を見た。
最終回。フルカウント。実乃梨はマウンドにいる。あと一球で、世界一。エベレストになれるのだ。
実乃梨は、ボールをリリース。その0.5秒後。フルスイングしたバッターの先に、ミットに包まれたボール。
地鳴のような歓声、揺れるスタジアム。そして、ベンチから飛び出て来た監督の胸に飛び込む。監督っ!
この一球は、絶対無二の一球なりっ!おっと、投げる前に聞きたかったぜ!んんっ?黒間先生?ええっ?
「ぎゃあああああああっ」
うるせーっと部屋の外から母の声。夢から覚めた。思い切り覚めた。実乃梨は夢を思いだし凹んだ。
果たして夢の内容で凹んだのか、夢だったから凹んだのか…自分でも解らないが。今、何時だろう?
携帯で朝6時前と、時計を確認した時、携帯が鳴った。目覚ましではない着信音。電話だ。
「おはよう!櫛枝!!さっき、エベレストになった夢を見たぞっ!縁起が良い!待ってるぞ」
ツー・ツー・ツー…黒間先生…
ごく親しい友人は、その昔、警告夢を見たという。結果から言うとそれは警告夢ではなく予知夢だったが。
実乃梨は机の上に黒間からもらったゴールド色のプロテインに目をやる。そっか。昨日朝練の約束したんだ。
黒間に監督を依頼した事は部員に話している。皆、受け入れてくれるだろうか。どうやって説得しようか。
黒間は練習のメニューの改善をしたいという。例えば、朝練のメニューのランニングについての提言。
『持久力は、例えばサッカーなら必要だが、ソフトで必要なのは瞬発力。爆発力。つまり筋力だ』
一理あると思うが、タイブレーカーに持ち込んだ時にスタミナ切れを危惧していたら、
『何言っているんだ。7イニング以上やらん。基本コールド勝ちだ』
と、一蹴した。その自信が何処から湧くのか理解出来なかったが、今朝は身体が軽い。実乃梨は翔び起きる。
「とおっ!シャキーン!」
そこに答があるのかもしれない。

****

大橋高校のグラウンドでは、ピリピリした空気が流れている。
「…という訳だ!一緒に頂点を目指す!以上!」
部員達は、無言で互いの顔を見合わせている。そこで北村の右腕と言われた部員が沈黙を破った。
「納得できません。櫛枝部長!なんでド素人の黒間先生がなんで、シャシャってくるんすか!」
「いや、一応名前だけとはいえ、監督なんだし。」
黒間は割って入る。
「お前の言う事も解らんでもない。しかし俺は櫛枝に約束したんだ。いままでのやり方では、優勝はできない」
春季大会で、相手が強豪とはいえ初戦敗退した男子ソフトボール部としては、痛い言葉である。
「なん…だとっ…解った!黒マッスルは、部長が好きなんだな!」
話の流れがおかしくなってきている。右腕くんは、実乃梨に目を合わす。思わずビクッとする
「部長!いえ、櫛枝さん!俺、貴女の事が…」
まさか…
「好きだぁぁぁぁーー!!」
右腕くん、元部長に影響されたのか…
「黒マッスル!勝負だ!俺が勝ったら、部長から手を引けっ!」
ここに、第一回櫛枝争奪杯ソフト対決が開催される事になった。




右腕くんの本気球は実乃梨以外捕れない。バッターボックスの黒間は、捕手の実乃梨に話しかけた。
「櫛枝。はっきり言おう。彼には悪いが、俺は打つぞ」
はっきり言おう。右腕くんのボールは、大橋高校のソフト部、野球部もいれていい。誰も打てない。
コントロールが不安定だが、波に乗ると手に負えない。実乃梨は自分でも思いがけない言葉が漏れる。
「監督。打って…下、さい」
自分を賭けて勝負されるとは夢にも思わなかった実乃梨は、対処に困り、いつもの軽口が出ない。
っていうか、黒間を応援している…もちろん監督不在では試合に出られない。だから?それだけ?
「いくぞ!黒マッスルっ!」
右腕くんは溜めに入る。実乃梨は雑念を払う。黒間は剣道で言う上段の構え。
「いいか、櫛枝!指導者と認めさせるには、圧倒的な実力を魅せつけるんだ!」
右腕くんはモーションに入る。実乃梨は集中する。黒間は腰を落とす。
一瞬の出来事。
放たれたボールは直球。だが、マグヌス効果で縦に変化。黒間の踏み出した足が接地。フルスイング。
さらに落ちる。黒間のバットの軌道がボールに吸い付くように変化。芯でインパクト。ボールは歪む。
キンッ!
実乃梨は遠く飛んだボールの先に、空に白い月を見つけた。

****

ガラッ
「……」
実乃梨が扉を開けると、騒がしかった教室が静かになった。うむむむ…ゴシップって広まるの早ぇ…
(…櫛枝、黒マッスルと付…らし…ぜ)
みのりんレーダーはウィスパーな声でも拾えるんだぜ…
(なんでも、…君と勝負して…公認で…)
まあ…噂ってのは、拡大解釈されやすいもんだ…
「実乃梨ちゃんがさぁ、黒間先生と昨日、体育館で、ローションプレイしててさ…」
「だーーっ!あーみんっ!話デケぇ。話デカくしすぎ!だいたい声大きいしっ!大木杉っ!」
机をバンバン叩く実乃梨。亜美はまるで、面白い遊戯を見つけた悪魔のようだ。いや妖魔だ。幻魔だ。
「え〜?そうなの〜っ?でもお似合いだな〜っ?、実乃梨ちゃんと黒間せ・ん・せ・いっ」
ムキーッ!真っ赤になる実乃梨。この調子で今日一日過ごすのかーっ!いや、調子が戻ったのか、な?
「でも、櫛枝ほどのスペックを持ってして、いままでスキャンダルが無かった事は奇跡だったぞ」
わはははっといつの間にか教室の扉から顔を覗かせていた北村に教科書を投げつけたが、既にいなかった。
はあっ!はあっ!換気しなくては!こういう扱いに慣れていない実乃梨は、ご無沙汰のハゲヅラ装着。
この空気を換えようと試みる。ハゲヅラ自体は、絶好調。リアルで微妙な照り具合をかもし出してる。
「おらぁよぉ。人呼んで泪橋。この悲しい橋を逆に渡りてぇ。泪橋を逆に渡って、栄光を掴み取るんじゃ…」
元ネタを知らないクラスの連中は退いた。知らないから、誰と渡りたいかを言わなくてもすんだ。

****

「ありゃーしたっ!!」
放課後、今日の部活は終了。黒間のメニューは時間が短い。中心になるのは、筋トレと紅白戦。
有酸素運動がほとんどない。黒間の言う、実践的で効率的なトレーニングだ。
練習で鈍くても、試合で映える選手がいる。逆に、練習で俊敏でも、試合で実力が出せない選手もいる。
もちろん黒間は前者を試合に出すつもりらしい。全部員の動きをチェックしていた。機動力、判断力など。
実乃梨は、何故か管理し慣れている黒間監督に疑問を持つ。
「おつかれさまーすっ、黒間監督。あの〜監督って、もしかして、経験者じゃないんですか?」
「櫛枝。今日は個人訓練は無しだ。その代わりにミーティングしよう。帰りに体育準備室まで来い」
実乃梨の質問は聞こえているはずだが。答えぬまま黒間はグラウンドから出て行った。



高須竜児は燃えていた。正解には萌えていた。今日は毎月恒例ボランティア町内掃除大会だからだ。
実際には内申の微妙な3年生のための救済処置らしいのだが、竜児は丁度1年前くらいに初参加していた。
口角が上がり、クックッと忍び笑い。竜児の猛虎も黙る三白眼が、エモーショナルに動く。正直おっかない。
貴様ら、邪魔しやがったら、ゴミごと焼却炉にブチ込んで、2000℃の炎の中で、懺悔させてやる!!
と思っているのではない。凶悪なフェイスは竜児の仕様だ。ただのお掃除フリークなのだ。
「私たちの町内が、綺麗になると、楽しくなるわよね〜?おしっ、頑張ろーっ!」
やる気が無いにも関わらず、今回は亜美も同行する。
「嘘こけ。そんなに内申ヤバいのかよ。それとも好感度アップか?だいたい軍手もしてねぇじゃねぇか」
ひっどーい、亜美ちゃんはぁ…くどくど… と、聞く価値のないトークを続けている亜美を竜児は軽くあしらう。
竜児達3年生は、学校周辺を担当するのが習わし。制限時間は1時間。移動時間が少ない分、成果が期待できる。
校門を出た竜児は、学校の外壁沿いを縄張りにした。外壁の苔までも、自慢の高須棒で次々消し去っていく。
清掃マシーンと化した竜児は、何もしてない亜美を引き連れ、体育準備室沿いの外壁に段々近づいていった。

****

体育準備室では、黒間と実乃梨が、今後の練習について話し合っていた。紅白戦で明白になった個々の
部員の課題。イチローは、動体視力を上げるために、200キロオーバーのテニスのサーブを…云々。
「とまあ、こんな感じだな、今日はここまで。明日は部活の後、個人訓練あるからな。1日おきだ。」
実乃梨は昨日のマッサージを脳内再生し、ふぁいっ!と声がリバース。誤魔化すように、実乃梨は言葉を発す。
「やっぱり、黒間先生って…経験者ですよねぇ?いくらマッジヴでも、素人離れしすぎっすよ。おぬし」
そこんとこどうなの〜っ?と、黒間の逞しい上腕3頭筋をプニプニ突く。へぇ〜、結構。柔らかい。
「…誰にも話した事ないが、櫛枝。お前なら話そう。詳しい事は勘弁してくれ」
窓際に移動し、黒間は丸イスに座る。キュッとキャスターが鳴った。ずいぶん使い込んでいる丸イスだ。
「この世の中で裏切らないものがある…とか昨日言ったのを憶えているか?」
「アイアイサー!己の肉体っすよね!」
「俺はその昔、仲間に裏切られた。それから団体競技から手を引いたんだ。しかし…やっぱり、いいよな。
 一緒に目指し、感動を分ち合える仲間…櫛枝。お前は俺にチャンスをくれた。お前のおかげだ。」
「いや〜、そんな…照れるぜっ」
実乃梨は、本当に照れていた。わたしって、もしかしたら…これは死亡フラグどころか、このフラグは…
「ソフトボールはお前の方が上だな。実戦の状況ごとの判断が正確で素早い。
勉強になる。ソフトボール
 というスポーツをよく理解している証拠だ。そうだ、今日、バットを貰ったんだが…」
いままで実乃梨が培った、バッティング理論、ピッチング理論を黒間は聞きたくなったらしい。
今日はここまでっと言っていたのに…まあ、誰にも話した事ない黒間の過去を自分にだけ話してくれたし、
もう少し付き合う事にしようと実乃梨は判断を誤った。


「あ〜あ〜っ 退屈っ だりーだりー、ダルビッシュ」
亜美は悪態をつく。掃除に熱中している竜児は、全く相手にしない。亜美は竜児の背中を見ながら自問自答。
タイガーも、こんな想いで高須くんと付き合っていたのだろうか。毎日、なんとなく一緒にいて、二人の
関係が近づく事も、遠ざかる事もなく…ずっと一緒。やっぱりこれはこれで、アリなのかもしれなかった。
あの時…もし実乃梨ちゃんに高須くんを奪われても、この関係が続くのであれば、アリだったのかも、と。
…するとっ

「黒間監督っ、カマ〜ン♪」
「櫛枝!!俺のバットを握れっ!!」
突然聞こえた声に、亜美のセンチメンタルな妄想は吹き飛ぶ。実乃梨と黒間先生の声だ。俺の?バットぉ?
そそっそれ…まさかっ 高い塀越しで、2人の声しか聞こえない亜美は、大変な勘違いをしてしまった。
竜児は、気付かず掃除を続けている。しっかし、このオトコは鈍感にできているものだと感心するも、
(…ちょっ、ちょっと!!高須くんっ!!!動かないで、静かにしてて!)
竜児の口を手で塞ぐ。竜児は、おうっ!と驚いて、こっちの世界に還って来た。
(おうっ!な…どうしたんだ、川嶋っ)
(実乃梨ちゃんと,黒間先生っがいるのっ!気付かれちゃうっ!
邪魔しちゃだめっ)

「…監督っ 監督の黒バット…太っ…」
「そうだ…いいぞう櫛枝。そう…スゴいじゃないか…。今度はタマを握ってくれ。しっかりな」
「はいっ こんなっ感じですか?ちょっと転がしてみますよ?クリンクリン♪」
「おおっそうだ、むうう流石っ…やっぱり、バットを握ってみせてくれ…ゆっくり動かすんだ」
「もうっ、ワガママなんですねっ」
竜児と亜美は顔を見合わせる。ほらほらほらほらっ!大変大変!!という顔の亜美。いやいやいやいや!
そーかもしれんが、そーじゃないかもしれないし!!という顔の竜児。どっちもエロゲ脳って感じだが。
すると体育準備室から、ガタッ!という大きな音が聞こえた。まあ、座っていた丸イスが壊れた音なのだが。
座面と足がバラバラになった丸イスを修理しているのも、高い塀があって、外壁の2人には見えないのだ。

「監督、わたし足持ち上げますから、ここに入れてください」
「いいのか櫛枝。もうちょっと足を上げてくれ。入らない…」
「ええっ、無理です、これ以上…でも、んんっ…これで、入りますか?」
「いいぞ、櫛枝。よく見える。ゆっくり入れるからな…」
「もうちょっと…上…あっ、あたってる」
やっぱりやっぱりやっぱりやっぱり!!ヤバいヤバい!!という顔の亜美。うわわわわわわわ!!!!
マジかマジかマジかマジか!!という顔の竜児。二人とも涙目だ。

「ああんっ監督っ あせらないで、ゆっくり入れてくださいってばぁ」
「すっすまん。力んでしまった、実はあまり経験がなくてな」
「そうなの?今度はちゃんと入れてくださいねっ ストライクッ、なんちって」
「なんか塗った方がいいか。そうだ、マッサージオイルを使おう」
キャーキャーキャーキャー!!!鼻息が荒い亜美。おうおうおうおうおうおう!!自己崩壊の竜児。
二人の妄想は加速。亜美は脳味噌が沸騰しすぎて、エロモードになってしまった。
「むっふううん…、高須くん…わたし、キスしたくなっちゃったぁっ…かもっ」
「なななななななっ、やめろやめろ、抱きつくなっ」
「ちょっとでいい。ちょっとでいいからさぁ」
ドタバタドタバタ暴れ回る。二人は悪くない。青い果実達の想像力は果てしないモノなのだ。

「何やってんだ、お前ら…」
体育準備室近くの裏門から、黒間と実乃梨が出て来ていた。
彼らは、縦四方固めの体勢で、竜児のほっぺたに吸い付かんとしている亜美を目撃した。





ジャズの流れる店内。須藤バックスをようこそ〜っと、元気な女子大生の声が聞こえた。
そんな、いつになっても通報されない珈琲店の禁煙席で、4人は喜怒哀楽をそれぞれ担当していた。
喜んでいるのは亜美。
「…てーかぁ♪高須くんの事だったらぁ実乃梨ちゃんには黒間先生がいるからもういいじゃなーい♪」
 からかい甲斐のある禁断の恋バナと、未遂だが竜児とチッスできたのは充血するような体験だった。
怒っているのは実乃梨。
「違っげーよっ!大河にあーみん監視しろって言われてんだよ!監督は関係ねー。なんだよ昨日からっ!」
 大河の旦那に手を出したのはムカつくし、監督の目の前で竜児への想いを晒されたのもなんか嫌だった。
哀しんでいるのは竜児。
「先生なんか、イロイロ。すいません…ちょっとした誤解があってですね、掃除も途中で、すいません」
 勘違いで、まあ流れとはいえ亜美とイチャついてしまい、その体裁を整えるため掃除大会を強制終了した。
楽しんでいるのは黒間。
「ノーファットミルクがあるのか…素晴らしい。ん?何だ、高須、飲まないのか?」
普段、飲食はジム以外で摂らない黒間は、オサレな店内の全てに感嘆の声を挙げる。カウンターの店主、
須藤さんと目が合って、会釈。須藤さん的には、大橋高校の生徒は、最近騒がしい小柄な可愛い娘が
来ないな〜と思ったら、予想GUYでムキムキのニューキャラが出現たりして、こそこそ楽しんでいた。
「先生は関係ないって…本当〜?まあいっか。わかった、わかった、わらったw」
「わらってんじゃねえつーの!高須くんもっ!あたしゃー、大河に何といえば良いのやら…」
「いや…川嶋との事は、まあ、交通事故みてぇなもんで…まあ1発免停って感じだけどな…」
「なんだ高須、18歳だからってあせって免許取らなくてもいいだろ。お前には2本の脚がある。走れ」
じゃあ、明日の朝練遅れるなよと、黒間は風のように去って行った。なんてニュートラルな性格なんだろ…
とにかくっ大河になんて報告しようか…、林のように実乃梨は静かになった。黒間の事も話さねばなるまい。
その黒間が帰って、亜美の関心は竜児へ。火のような情熱で、公然わいせつ女は、竜児にぴったり寄り添う。
大反省中の竜児は、亜美を撥ね除けられず山のように動けないのだが、山のようになった下半身にさらに猛省…
どいつもこいつも…高須くんの事は、高須くんに任せるしかない。あーみんもそうだ。四六時中監視する
わけにも行かない。実乃梨は決めた。今は、とりあえず高校総体が終わるまでは、自分の目標に集中しよう。

大河っごめん。

高校総体の予選はトーナメント制。大橋高校の地区は、早い話、3日間で6回勝てば全国大会の激戦区だ。
黒間は、監督就任して約1ヶ月過ぎ、すっかり周りからも認知されていた。ただ、ちょ〜っと良くない噂話
もあるのだが…
「いいかっ、明日から本番だ。しかし、世界を目指す我々には通過点に過ぎん。最低でもインターハイで
 優勝して、渡米し、全米ジュニア代表をノックアウトするぞっ!行けばわかるさっ!1、2、3…」
ダァーーーーーッ!!!と、お約束通り全部員が同時に天に拳をかざす。特に打ち合わせしていないのに…
この1ヶ月。やることはやった。メンバー全員、明らかにビルドアップ。ユニフォームがパッツンパッツン。
表情にも自信にみなぎっている。そういえば、昨日の帰りに冗談で試しに缶コーヒーを思い切り握ったら、
プルトップが吹き飛び、コーヒーはブッシュウウっと飛び散って、超ヒンシュクをかってしまった…
また、連日の男女の紅白戦により、様々な状況での判断力が上っている。ちなみに右腕くんの本気球は、
レギュラーで打てない者はいなくなっていた。明日は、大橋駅に8時集合。
第一試合は、9時からフィールディング。9時半にプレイボールだ。
「解散!!」
実乃梨は部長として帰り際に一人一人に声をかける。期待してるぜ〜、良いトコ見せろよ〜…すると、
「…部長っ」
後方から小さい声。なにかねっ?と声の方に振り向いた実乃梨は驚いた。
「あれれれれ?ねえっ、どした?どうして泣いているの?」
肩を震えさせているのは、実乃梨の右腕と言われた部員。入部してから、ずっと一緒にやってきた娘だ。
ちなみに北村の右腕といわれた、右腕くんとは、まったくの別人。性別も違う。
「あのっ、部長は…黒間監督の事…本当に好きなんですか?本当に付き合っているんですか?」
ふっふっふ。前回は唐突だったが、今回は違う。予想出来た。わたしって流石。右腕さんに優しく話す。
「もう、貴女までそんな事言って…。あたしゃー、ソフトに命を捧げたのだよ。
 ジャイアントさらばしたのだよ。うん。貴女、黒間監督の事、好きなんだね?」
「ジャイアント?…何ですかそれ?違います」
違うか〜っ、じゃあ、そっちかよ…実乃梨は覚悟した。覚悟のススメだ。
「部長!いえ、櫛枝さん!わたし…貴女の事が…」
きた…
「好きでぇぇぇーーすっ!!」
もう、ソフト部員は、公然告白しなくてはいけないのか…まあ、うれしいけどね。
「あは…あははは、あんがとっ、うん。でもさ、覚悟のススメっていう、マンガにはね、
 暴力は極力避けるもの、恋は極力秘めるものつーのがあってだね…ま、こっちで話そ!」
と、引き連れてベンチの奥に移動しようとすると、目の前を黒い肉体…、黒間が道を塞いだ。
「お前達。明日から予選だぞ?大丈夫か?メンタル面というのは非常に試合に影響する」
知っている…。そう、実乃梨は去年末、練習試合で、逆転負けの失態を演じた。真面目に答える。
「はい…わかっています、だから今、はっきりさせます」
「そうだな。俺の監督初日のときも全員に話したが、俺と櫛枝には師弟関係以上の事は皆無だ。安心しろ」
黒間は、右腕さんに白い歯を魅せながら、きっぱりと否定する。そんなにきっぱり言わなくても…
「そうなんですか?でも、生徒も先生も知らない人いない位、学校中の噂になっていますよ。いつも一緒で…」
たしかに、廊下とかでヒソヒソ話される事が日常茶飯事になった。先週なんか、ゆりちゃん先生にも聞かれた。
「大丈夫だ。ただ今は、ソフトボールだけ考えるんだ。one for all - all for one」
一瞬春田くんの『arl』を思い出し、吹きそうになる。右腕さんは黒間の言葉に頷き、安心して帰っていく。
右腕さんとのロマンスは、まあ置いておいて…全部員を見送った後、黒間と実乃梨はグラウンドに二人きり。
「いや〜、わたくしモテ期に突入したようですなぁ」
しばらくして黒間が口を開く。

「ときめくな俺の心。揺れるな俺の心。恋は覚悟を鈍らせる」
えっ?黒間の言葉に実乃梨は反応。黒間監督も、マンガ読むんだ…、
と、思った以上に、その言葉を発した真意が実乃梨は知りたいと、強く思った。



AM7:00
集合時間の1時間前に実乃梨は大橋駅にいた。たま〜に、北口と間違える部員がいるからだ。
南口に近づいてくるユニフォームが見えた。まだ早い。誰だろ…どうやら…右腕さんだ。
「部長っ!お早うございますっ、ホントっ早いですねっ1時間前っす」
「オッス、マンサンコ〜ン!っあれ?このネタ使い回しちゃったかな…」
ちょっと曇り気味の空。今日は午前と午後に試合がある。あまり暑いと厳しいから丁度いいか。
1試合目は、大丈夫だろう。ただ、2試合目は去年の優勝校、インターハイでもベスト8だ。
しかし実乃梨は緊張するわけでもなく、ただ早く試合がしたかった。ウズウズしていた。
一緒に苦労したから、一緒に感激を分ち合いたいと、想うヒトがいるからだ。
そんな実乃梨に、右腕さんに抱きついた。この娘もそうみたいね…

AM7:30
「あれー?みんな来てるっ!わたしったら時間、間違っちゃったかしら?このユニフォームって、
 三十路(独身)には辛いわぁ…おはよーございまーっす!」
ゆりちゃん先生?実乃梨は目を丸くする。実乃梨と目が合う。
「おはよっ、櫛枝さん。あ、部長ね。ごめんなさい、櫛枝部長。あのっわたし大丈夫かしら…」
「えっ?なんで?大丈夫って何が?なんで、ゆりちゃん先生がここにいるの?」
「あっそうなの。わたし今日付けで、女子ソフト部の臨時だけど顧問兼監督になったの。よろ…」
実乃梨は独身の言葉を最後まで聞かずに、北口に走って行った。もしかしたらいるかもしれない。
そしてカモシカのように階段を3段抜かししながら、携帯のフリップを開けた。携帯は繋がらない。
南口にはもちろん誰もいなかった。

AM8:00
「もう時間だし。行きましょ、櫛枝部長…」
恋ケ窪ゆり(30)独身兼臨時監督は、実乃梨をなだめるように、肩に手を置く。部員は独身が
来る頃には全員集合していたのだ。実乃梨は、口には出さないが、黒間を待っているのがわかる。
「なんで…どうして…」
つぶやくような言葉を、独身は聞き漏らさなかった。独身はゆっくり話しだした。
「その…いま非常に敏感なんですよ。噂だけでも。高校教師というか、僕たちの失敗というか…」
黒間解雇の理由は、そんなツマラナイものか。実乃梨はやり場のない怒りを憶える。部長〜っ 
心配そうな部員達。…そうだった、わたしは部長だ。わたしがしっかりしなくちゃっ!
「おおおおっしゃああ!!出っ発ぁぁぁーーーーっつ!!黒間先生の弔い合戦じゃああ!!」
いや、死んでないし…という右腕さんのつっこみを受け流し、部員を引き連れ、いざ鎌倉!!

AM9:15
大橋高校の部員達は、すでにアップを初めていた。実乃梨はトイレで携帯を見つめていた。
「連絡くらい…しやがれっ」
吐き出した言葉に、自分の中で、黒間の存在が大きくなっていた事に気付く。どうせなら、
誤解されるなら、本当に付き合っても良かった。たとえ臨時だったとしても、チームを
活気づけてくれた。わたしの夢を理解してくれた、後押ししてくれた、初めてのヒト。
携帯を閉じるのと同時に、実乃梨はその恋心を閉じた。


AM9:30
黒間はひとりで、誰もいない大橋高校のグラウンドにいた。もうプレイボールの時間だ。
第一試合は、去年の練習試合で逆転負けされた相手。
今の実力なら、本当にコールド勝ち出来るだろう。みんなよくやった。頑張った。
やっぱり、俺には団体競技は向いていないのか?苦笑し、細い目をさらに細める。
黒間はいつかここで打ったホームランの軌道上、曇り空の合間に、白い月を見つけた。
「櫛枝…実乃梨…」
黒間はいつもは名字だけで呼んでいたが、無意識に、下の名前も口にした。

AM11:30
須藤コーヒースタンドバーへようこそ〜 あれ?女子大生のバイトの掛け声が変わった?
亜美はこの時期忙しい。モデルの仕事もそうだが、肌を露出する機会が多く、エステやら
ジムやらで、ゆっくりする時間がない。しかし時間は作るもの。亜美はプロフェッショナルだ。
スケジュール管理をきっちりすれば、今日みたいに丸1日オフにする事が出来るのだ。
ネイルサロン帰りにスドバで、冷たいキャラメルマキアートをイートインしに来たのだ。
いつもの指定席の禁煙席に行くと…あら?見たことある黒く、ムキムキした物体を見つけた。

PM00:00
「ぷはああああっ、もう1杯っ!」
実乃梨は、水筒に入ったアミノ酸飲料を飲んだ。もちろん黒間から譲ってもらったものだ。
球場の周りの河原で、実乃梨はメンバーと昼食を摂っていた。風が気持ち良い。
第1試合は10点差、3回コールド勝ち。おかげで疲労も少ない。元来、女子ソフトでは、
投手戦が多く、大差が付く試合は珍しい。思わぬ伏兵に、大橋高校へのマークが慌ただしかった。
第2試合は2時から試合開始。相手は本命、去年の優勝校だ。
「もしかしたら…勝てるかもですねっ!でも勝てたら、全国レベルって事ですもんねっ」
右腕さんに、いやいや、勝って兜の緒を締めるもんだぜっと、言い聞かせる。ただ…
ただ、実乃梨は密かに…密かに想っていた。わたしは、わたしのために全国レベルではなく
世界レベルを目指すと。 そして、あのヒトのためにも。

PM02:00
試合開始の時刻。ホームベース前に整列した大橋高校女子ソフトボールチーム全員、唖然。
相手は全国ベストエイト。今年の目標は、全国制覇!といっても納得のチーム。その相手が、
地区大会の予選で、全員一軍で固めて来たのだ。前代未聞だ。雑誌で見た選手が数人いる。
さわやかなスポーツマンシップって感じぁなく、完全にメンチ切っている。
ほ〜、おもしろいじゃないの…ベンチに戻った実乃梨は、円陣を組み、エンジン全開。
「みんなっ胸をかしてやろうじゃねえかっ!いっくぞおおおおおっ」
オー!!!!


PM02:50
強豪校が強豪校たるゆえん。それは、勝負所で、実力以上に力を発揮する所かもしれない。
大橋高校は、単発ヒットは出るが、打線が続かず、試合は一進一退のシーソーゲーム。
やってる方は必死だが、見ている方は、面白い。噂を聞きつけた人々が集まり、超大入り状態。
何かあるたびに、うおおっ、わああっと歓声が聞こえる。土手の上にいる亜美の耳にも届いた。
ただ、微妙にルールが解らない。できれば祐作に解説して欲しい所だが、当の本人は、生徒会
の仕事で来れないと、嘘付きやがった。…どーせ、ボストンから一時帰国している兄貴と合流
しているはずだ。あーあっ、せっかく完璧なスケジュール管理で空けた休日を、何が楽しくて
球場に来ているんだろうと後悔。今年の2月。高須くんとタイガー達を大橋で助けた時も
そうだったっけ…。困っている、悩んでいる人がいると、手を伸ばしたくなってしまうのだ。
だけど本当は…誰かにそうしてほしいんだ。考えたくないけど…わたしって、
「わたしって、本当。かわいそう……」
さてっ!亜美は、携帯を取り出し、ちょっとまえに赤外線でゲットした番号にダイヤルする。

PM03:10
最終回。あと一人で。大金星だ。
しかし、そうは問屋がおろさない。実乃梨は変化球を多用し、結構、そのヤバかった。
「ボーッルッフォア!!」
やっべ〜、歩かせちまった。クリーンナップの1人目を1塁に送り、満塁。最悪な事にここで、
今日3打数3安打の4番打者が相手だ。…こいつまでは打順を廻したくなかった。
ゆりちゃん監督が、うるうる心配そうな目で見ている。もういいのっ、よくやったわって目。
いやいやここからでしょ…。キャッチャーの右腕さんは、イン側のサイン。しかし、
相手も読んでるだろ…さて…実乃梨は頷く。
そんな実乃梨の状況もよく理解していない亜美は、土手から降りて来て電話をしている。
今日一番の名試合のクライマックスで、声援が大きく、電話の声が聞き取りにくい。
「え〜っ、何? 先生、まだそんな所にいるの?もう、試合、終わっちゃいますよっ!」
亜美の電話の相手は、まだ、朝の集合場所の大橋駅にいる。球場までは1時間かかる。


PM03:15
「すっげー、フルカウントから、もう5球目…大橋高校惜しかったけど…圧されてるなっ」
詳しそうな観客の1人に亜美は声をかける。
「それって…点取られちゃうって事?負けちゃうって事?」
「でもあのピッチャー、すごいよ。あの高校の4番、今年のU19日本代表のスラッガーだぜ」
へえ、と言って、亜美はグラウンドからちょっと離れた、小さい小屋に走っていった。
いっぽう、グラウンド上。
「はあっ、はあっ、」
実乃梨の肩は大きく上下に揺れ始める。どこ投げてもバットに当てられる。読まれている。
もうどこへ投げていいか解らない…あと1球、ストライクで勝つのに。あと一球…
実乃梨は、アウトコースいっぱいに投球っ!キンッ、ライナー性の打球、振り返るっ、
ボールはスライスし、ファールっっ! 生き延びたっ しかしっ今のカーブは、渾身の一球。
実乃梨は、外野から戻って来たボールも、キャッチできなかった。そして…追い込まれた。
仲間や、観客の声援が、どんどん聞きとれなくなる。ノイズが増して来る。頭の中に、
砂嵐のような音で、めまいがする。 その時、

「この一球は、絶対無二の一球なりっ!!!」
聞き覚えのある声が、大音量でスピーカーからグラウンドに流れた。放送室の亜美も、
びっくりして、マイクに向けた携帯を落としそうになったくらいだ。
「先生、ばっちり。じゃあ、急いでくださいねっ」

そして、実乃梨の本日最後の一球は、U19代表スラッガーのバットに擦らせる事も許さず、
右腕さんのミットの中に飛び込んで行った。

****

「先っ生ぇーーいっ!!遅ぉーいっ!終わっちまったよ〜っ!」
誰よりも早く黒間を見つけた実乃梨は、黒間のもとに走り寄る。近づいて来る黒間。
ちっくしょう、こいつをどうしてくれよう?せんせ〜いと、抱きつくふりして、
ドロップキック?ジャンピングニー?それともスペースフライングタイガードロップ?
それなら、この距離から、側転、バク転…、なにが頂点に連れて行くだ、初戦から
いなかったくせに、わたしに何も言わなかったくせに、放ったらかしにしたくせに…
黒間が近づくほど、細い目、短い髪、黒い肌、白い歯が、はっきり解るほど、実乃梨
の瞳には涙が溢れてくる。うぐっ…それ以上に、今まで感じた事ない感情が溢れ出るっ。
もうっ限界…
「もう、わたしを離さないでっ…」
好きですっ…実乃梨は黒間の胸に飛び込む。すまんっ、あまりにも逞しく、頼もしく、
大きくて、優しい胸。けっして華奢ではない実乃梨を、黒間は抱きとめ、キスをした。
遠くであたふたしている独身、顔を覆った手の指の隙間が大きい右腕くんと、右腕さん。
バイクで駆けつけてくれた、狩野先輩と北村くんも笑顔を交わし当ているのが見える。
「解った…離さない。ずっと一緒だ」

この世の中で裏切らないものがある。
それは、そのヒトは、わたしの夢を叶えてくれた。



大河は携帯とにらめっこしていた。
今日は、大好きなみのりんに逢える。今年のインターハイは、大河の転校先の近くなのだ。
さっすが、みのりん。ジャイアントさら…、ではなく、ジャイアントキリングを連発し、
インターハイ初出場、初優勝。テレビにも出ていた。ゆりちゃん監督が涙で何言っているか
解らなくて、コーヒー吹いたが…昨日の表彰式には門限があって行けなかったので、今日の
お昼に待ち合わせ。しかし…たしかにみのりんは言ってた。『自分の幸せは自分できめる』
でも… 
「黒マッスルかよ…」
っとメール着信。亜美からだ。

差出人  : ばかちー
件名   : おっはよー☆
受信日時 : 200×08.02  09:00

タイガー、元気?あのさ、わたしもお仕事でこっち来てるのよね。
すっげー、面白い話あるし、今から逢わない?内容は、実乃梨ち
ゃんと黒間先生の×××な話。 おほほほほほほっ

大河は大至急で準備した。

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