夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。吉田松陰

ホームタウンデータ

徳島市、鳴門市、美馬市、松茂町、板野町、北島町、藍住町を中心とした徳島県全県。
人口 818,998人
商業圏

ホームスタジアムデータ

徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場
(20,411人収容、メインスタンドが約5,100人,北サブスタンドが約4,800人,南サブスタンドが約4,400人,芝生のバックスタンド約6,100人)
■位 置
【1】所在地〒772-0017 鳴門市撫養町立岩字四枚61番地
【2】事業所財団法人 徳島県スポーツ振興財団
【3】交通機関
(1)JR鳴門駅下車徒歩25分
(2)JR鳴門駅から鳴門市バス
(3)JR徳島駅から徳島バス
(4)自動車の利用鳴門ICより10分 徳島ICより20分 徳島駅前より30分
駐車場 スタジアムに760台。周辺の大塚製薬工場600台、鳴門市役所220台分、市文化会館の330分を開放。合計1,910台分。乗り合いの推奨。シャトルバス。タクシーの統一料金などの対応をしている。
最近の改修 徳島県(担当:県都市計画課)
2004年 Jリーグ加盟条件にあわせ改修。
主な内容は▽常緑芝の導入▽照明の明るさを千五百ルックス以上(現在六百五十ルックス)に保つため、電球を取り換える▽更衣室の拡充▽ドーピング検査室の設置。
改修費用 6億6000万円。
※公式サイトでは「高知県立春野総合運動公園陸上競技場」もホームグラウンドとして紹介されているが、今年・昨年とここでの試合は無い。
※1993年までは徳島市にある大塚製薬徳島工場グラウンド(ナイター設備あり)を試合でも使用していた。また、一度Jリーグ昇格構想が上がった1993〜95年ごろに、徳島県名西郡石井町の県有地にサッカー・ラグビー専用スタジアムの「徳島県スタジアム」(仮称)を建設する方針だったが、Jリーグ参戦見送りを受けてこのスタジアム建設計画も白紙・凍結された。Jリーグ昇格後の現時点でも新スタジアムの建設計画はなされていない。

ホームスタジアム所在自治体データ

鳴門市 徳島県の北東部 大塚製薬の工場 人口 64,537人
高速道路・高速バスにより、大阪・神戸とのアクセス
人口・立地条件・商業圏等を調査。

観客動員数

スタジアムは全て鳴門
節 開催日 対戦チーム    
2 3月11日(土) 14:00 ベガルタ仙台 晴 4,316
3 3月18日(土) 14:00 横浜FC 雨 6,970
5 3月25日(土) 14:00 ヴィッセル神戸 晴 3,226
7 4月5日(水) 19:00 湘南ベルマーレ 曇 2,163
10 4月18日(火) 19:00 コンサドーレ札幌 晴 2,221
13 5月3日(水・祝) 14:00 サガン鳥栖 晴 5,023
16 5月24日(水) 19:00 ※1 東京ヴェルディ1969 晴 4,060
18 5月27日(土) 14:00 ザスパ草津 曇 2,776
20 6月7日(水) 19:00 水戸ホーリーホック 晴 2,098
22 6月17日(土) 14:00 柏レイソル 雨 2,028
24 6月24日(土) 14:00 愛媛FC 晴 5,748
26 7月8日(土) 19:00 モンテディオ山形 雨 1,504
29 7月22日(土) 19:00 ヴィッセル神戸 曇 3,023
31 7月29日(土) 19:00 横浜FC 晴 6,154
32 8月6日(日) 18:00 コンサドーレ札幌 晴 3,360

自治体の支援状況


クラブに対しての支援・サポーターに対しての
支援等、行政はどんな支援をしているのか調査。
出資 徳島県 1億 徳島市1千万 鳴門市 1千万 板野町 200万 松茂町 200万 藍住町100万 北島町100万 美馬市

J加入までの道のり


クラブの歴史
1993年から(旧)JFLに在籍していた大塚製薬サッカー部(1955年結成)を母体として徳島県に四国から初めてのJリーグチームを誘致しようという動きが活発になり、約24万人の署名を集め1994年に本格的に準備が進められたが、年間7億とも算定された赤字を補填する主たるスポンサーが見つからず法人化に失敗、同年9月13日に準会員申請を断念した。
1995年「大塚FCヴォルティス徳島」(ヴォルティスとは鳴門の渦潮からヒントを得たもので、イタリア語のヴォルティチェ(VORTICE)に、T-土佐(高知)、I-伊予(愛媛)、S-讃岐(香川)と四国各地の旧国名を絡ませて四国全域で応援していく姿勢を表現した)という愛称をつけてJFLで活動し続けた。
1999年に大塚製薬サッカー部に登録チーム名を戻して(新)JFLに参戦し、その年6位。2000年4位、2001年シーズンは2位。
2002年シーズンでは初優勝を狙ったが、結果は17試合10勝7分と無敗にもかかわらず3位に終わる。 2002年天皇杯は3回戦で名古屋グランパスエイトに敗退。このシーズンの公式戦初黒星。
2003年、JFL初制覇に挑む。後期第14節、首位大塚FCは、勝ち点差5をつけてホンダFCとアウェー浜松都田で対戦。3-3で引き分け、残り1試合を残してJFL初優勝を達成。
天皇杯は1回戦、2回戦を大勝し、3回戦は一昨年に0-5と大敗を喫した相手ジェフユナイテッド市原に挑むもこの年も0-5の大敗。Jとの差を見せつけられる。
2004年は徳島県がJリーグ参戦を目指したプロジェクトを本格的に立ち上げて、J2昇格へ向けた大事な年となる。この年の7月、チーム名を公募した結果かつて使用していたニックネーム「ヴォルティス」が支持を集めて復活、2005年から「徳島ヴォルティス」として再スタートすることになった。そして10月24日に開かれたデンソーサッカー部との対戦に11-0で圧勝した段階で、J2参入の成績面での条件である2位以内を確定させ、事実上Jリーグ加盟が決定した。その後11月21日に開かれたホンダFCとの都田での対戦を2-0で圧勝し、横浜FC(1999-2000)、ホンダFC(2001-2002)に次ぐ史上3チーム目の2連覇を達成した。
2005年より、当初単独チームでJリーグ入りを目指していた「徳島FCカバロス2002」を徳島ヴォルティスに移譲し、第1種のアマチュアチーム「徳島ヴォルティス・カバロス」に移行した。主として将来のプロ入りや国民体育大会出場を目指すアマチュア選手によって構成されており、プロチームとユースチームの中間的な位置づけを持っている。この事例はジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフ・クラブ)と同様のケースである。
2006年、2月5日第1種のアマチュアチーム「徳島ヴォルティス・カバロス」が四国リーグ昇格を機に「徳島ヴォルティス・アマチュア」と名称を変更した。

人口に占めるサッカー人口の割合

Jクラブ誕生で街は変わったか

無料招待

クラブ運営状況

運営会社
2004年9月8日に徳島県、ホームタウンの各自治体(市町)、並びに大塚製薬、徳島新聞販売所(徳島新聞本体は社団法人のため販売店を運営する子会社が出資)、四国放送、ケーブルテレビ徳島、阿波銀行、徳島銀行、JR四国、日本航空ジャパン、トヨタカローラ徳島など県内外の企業・団体などが出資して「徳島ヴォルティス株式会社」を設立した。資本金は3億8200万円。
ホームゲーム観客動員について1試合4,000人を想定。(ファンクラブ2,700人一般客1,300人)

その他特記事項

大塚FC応援団「きっく・オフ」結成 鳴門市職員有志
 鳴門市職員の有志が、大塚製薬サッカー部(大塚FC)のサポータークラブ「きっく・オフ」を結成した。「自分なりのスタイルで応援しよう」を合言葉に、四国初のJリーグチーム実現へ向けて市民の間でムードを盛り上げていく考えだ。職員有志十三人の呼び掛けで六月下旬に結成。約百七十人が入会している。職場内で世代や部署を超えた職員間の交流も狙っている。クラブは、会員証と「がんばれ大塚FC」と書いたミニシール二種類(縦二・四センチ、横一・七センチと縦三・三センチ、横二・四センチ)を作製。シールを名札に張る職員もいて、市民に対してもさりげなく「Jリーグチーム実現」をアピールしている。呼び掛け人の一人、秘書広報課の三居康伸係長は「自分たちが楽しみながら市民のムードを盛り上げていき、サッカーに関心を持つ人が増えてくれればいい」と話している。

総括

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