吉原遊郭Wiki - 吉原遊郭の構造 遊女 境遇

境遇

遊女たちはさまざまな事情により吉原に売られてきます。まだ幼い頃に売られ遊女の手伝いをしながら修行をさせられたり、凶作のために家族が食べられず泣く泣く売られてきたり、貧乏旗本の家に生まれながらも借金の方に売られてきたり。その数は時期によって変遷があり、2,000〜4,000人とも言われています。

遊女として商売できる期間中(18歳〜27歳くらい)に、身を売って得た代金(身代金)を返さなければならなかったため、連日連夜不特定多数の男との性行為を強制されるなど馬車馬のごとく働かされました。そのため、遊郭内ではかなり徹底した掟が定められており、中でも見世の若い衆と男女の仲になってしまうことが最も厳しく、凄惨な折檻を受けるのはもちろん、見せしめのために命を絶たれることもあったとのことです。

このため、遊女の境遇を「苦界(くがい)」と呼び、また妓楼に身売りして遊女になることを「苦界に身を沈める」といい、遊女が苦界から抜け出る方法は三つしかありませんでした。
  1. 年季奉公を勤め上げ年明きで遊女から足を洗う場合
  2. 金のある客に見初められて身請けされる場合
  3. 死んだ場合(梅毒や淋病などの性病、伝染病の感染、過労など)
遊郭内では、たしかに食べるものがふんだんにあり、住処に困らず、また綺麗な服を着ることはできましたが、遊郭に外に出ることは許されずほぼ奴隷のような生活を強要されていたのです。彼女たちはこうした目を覆うような労働環境に限界を感じていたことは事実ですが、それを耐えしのぐ力をあたえていたのは自らが犠牲となり貧困にあえぐ両親、兄弟姉妹を救うという使命感。「淫乱で男が好きだから遊女になった」というわけでは決してないのです。

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