福岡県の郷土のものがたりです。

  • 香春町

一山、二山、三山越え……と炭坑節に歌われ、筑豊の名所に数えられた山に田川郡香春岳があります。

現在この山は、石灰岩採取でだんだん昔の面影を失いかけていますが、その昔中腹には、天慶二年(九三九)

藤原純友が九州地方を固めようと次男純年に築かせ“鬼ヶ城”と名付けた山城がありました。

この地は北九州に対する戦略拠点に適したところなので、この山城をめぐって波乱万丈の攻防戦が

繰り広げられましたが、寛永九年(一六三二)細川氏が肥後に去り、小笠原忠真が小倉城主になって、

廃城となったといわれています。

しかし鎌倉時代から安土桃山時代にいたる約七百年間のこの山城攻防戦にまつわる数多くの伝説は

いまなおこの地方に残されています。今回はそのひとつを紹介してみましょう。

応永元年(一三九四)鬼ヶ城には、千手信濃守興房が城主となって、豊前一円を制圧していました。

ところが九州地方を攻めようと日ごろから野望をもっていた周防(現在の山口県)・大内義弘の

実弟、大内盛見は約五万の大軍を率いて、企救(きく)・京都(みやこ)両郡に築かれた城を

ことごとく攻め落とし、田川郡にまで触手をのばそうとしていたのです。

そしてこの血なまぐさい戦いの波は静かで平和だった香春の山里にも、ひたひたと押し寄せて

きました。

大内盛見の軍勢は、破竹の勢いで鬼ヶ城をとり囲み、四日間の死闘が展開されたのです。

折りからしんしんと降りしきる雪は、倒れ傷ついた兵の血で、真赤に染まり、武具・甲冑類などが

いたるところに散乱しました。

こうした血なまぐさい戦いが続くなか、香春岳の西ふもとの村、五徳谷に平五郎という若者が

住んでいました。

平五郎は百姓のせがれで、隣りに住む娘のお由とは親も許しあった親しい仲でした。

それが去年の夏、村をあげてにぎわう祭りの夜に、ふとしたことから城主千手信濃守興房に仕える

美しい侍女お房に心をひかれ、いつしか人目をしのぶ間柄となってしまったのです。

それ以来、冷たくなる平五郎の態度に、お由は悲しい日々を過ごしていました。鬼ヶ城をめぐっての

戦いが始まったのは丁度このころでした。

戦いはいよいよ激しさをまし、流れ矢が飛びかい、トキの声は山や谷にこだまし、この世の終わりを

思わせるほどでした。

このときお由は、平五郎の心を引き戻したい一心から

「平五郎さん、戦いでこの村も全滅するという噂です。村を離れ遠くに逃げる人も目立ちます。

怪我などしないうちに彦山の伯母の家にいっしょに行きましょう」と寂しそうなまなざしで

誘いました。

しかし、恋に狂った平五郎はいっこうに動ずる気配がなく、

「何を言うのだ、そんなに心配になるのならお前ひとりで早く行くがよい。わしはこの村から

一歩も動かぬ」とつれない返事。

「あなたが村を離れないなら、わたしも行きません。あなたと一緒にここにいます」とお由は

涙ながらに訴えましたが、平五郎はお由の話などいっこうに耳には入らず、頭の中は戦いで

おののく城中のお房のことでいっぱいでした。

戦いもすでに四日目をむかえ、正月十二日の夜、とうとう鬼ヶ城から火の手が上がりました。

「アッ、お城が燃える……」平五郎は狂気のようにお城へ向かって駆け出しました。

「平五郎さん、どこにゆくのです。私も連れて行って下さい…」とお由は必死に

とりすがりましたが、

「うるさいぞ、じゃまするでない」平五郎は邪険にお由を突き放しました。

「あゝ……」

と雪の中に倒れたお由は、かわいそうに道端の石にしたたかに頭を打ち付けそのまま息を

引き取ってしまったのです。

しかし平五郎は振り返りもせず、間道づたいに燃え上がる城中に走り込んでいきました。

「お房よ、お房はどこだ、お房……」

右往左往する城兵の間を駆け巡り、平五郎は必死にお房の姿を探し求めました。煙と

炎の中に倒れたお房をやっとのことで見つけ、おもわずお房のからだを抱きしめました。

そして降りしきる雪の中、もと来た道を城外へと逃れたのです。

「お房、しっかりせよ、おれだ平五郎だ」

平五郎は気を失ったお房を雪の上に静かにおろし、ほほを軽くたたいては背中をさすり

一生懸命に介抱しました。そのかいあってかお房はやがて目を開き、平五郎に気づき、

手に手をとって生きていることを喜びあいました。奇しくもそこはお由が石に頭を

打ちつけて死んだ場所でした。

二人が座った雪の下には、すでに冷たくなったお由が埋もれており、彼女の腰紐が

かすかに雪の下からのぞいていましたが、二人は気づく筈もありません。

二人が喜びあっているうちにトキの声がひときわ高く、周囲に響き渡りました。

それは、寄せ来る敵兵をなんとか防ごうと城兵たちが最後の力を振り絞り、

かねてから準備していた石をころがす音でした。

大・小の石は、雪崩をあげて攻めよせる将兵の上に、そして抱き合った二人の上に

落ちてきました。

アッという間もなく二人は大石の下にのみこまれてしまったのです。

愛する人のために命を落としたお由、その命を奪った平五郎、それにお房の三人の

悲しい物語を秘めて大石はただ静かに横たわり、それから数百年の歳月が流れました。

しかし風や音もない雪の降る夜、この石のそばを通ると、悲しい恋に散ったお由の

すすり泣く声がかすかに聞こえてくると言われています。

その後、この地方の人たちは、この石を夜泣き石といい、雪の降る夜は、このお由の

物語とともに鬼ヶ城のようすを思い起こしているそうです。

また、三人の命を奪った大石は、現在五徳谷の中ほどにある真行寺横にその一部が

こけむして残されています。

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