福岡県北九州市にある古本屋さんの協同組合 北九州市古書組合のWebサイトです。


 古本屋の書いた本-古本屋の出てくる本  文責(草) 少し枠を広げました

図録/雑誌/写真集/カストリ/図鑑/新聞切抜/文庫本/SF/絵葉書/古地図/エンタイヤ/初版本/辞書/和本/郷土史/漫画/革装天金/アンカット/経典/豆本/絵本/ちりめん本/戦史/洋書/映画パンフ/双六/料理本/法帖/肉筆原稿/ポスター/理工書/楽譜/哲学/曼荼羅/自販本/附録...
JAZZ/歌本古本乙女の 日々是口実 カラサキ.アユミ掛軸/琺瑯看板/怪獣図鑑/手相/体位カード/色紙/まくり
料理メニュー/ビニ本/旅行案内/時刻表/限定本/署名本/私家本/煙草のパッケージ/古版本/謡本/硬券切符/メンコ/TVガイド/画集/映画シナリオ/駅弁包装紙/和菓子掛紙/講談本/袖珍本/台本/SM/棋書/新書/アニメ原画セル/ペーパバック/伝単/大福帳/地券/浮世絵/版木...


『日々是口実』古本大好き乙女の探書珍道中
古本漁りの楽しみとは「感性の無限の追求と遭遇の快楽(エクスタシー)」

 唐津の西海洞さんから、楽しい本を送って頂いた。「古本乙女」の書いた古本愛に満ち満ちた一冊。4コマ漫画(続きものもあり)を中心に、「本人真剣・周囲爆笑」の抱腹絶倒-古本アルアル話が繰り広げられている。漫画と交互に、幼少の頃の古本体験から、相方との出会い結婚を経て、なおかつ古本道をひたすら驀進し続ける筆者のエッセイが挟み込まれている。漫画は吹き出したくなるようなパワーが溢れているが、エッセイの方は気取らず、論理的で読みやすい好感のもてる名文なのである。まず表紙と見返しの「仕掛け」にニンマリ。こりゃ相当古本好きであるな、と、仕掛けを撫で回してしまった次第。


 古本が実際に並んでいる現場にこだわる著者。「この本」と、決まったものを探すならネットも有効だが、何か事務的で味気ない。どんな本に出会えるのだろう!!と胸ときめかせて、古本屋や古本市、古書展に踏み込む事こそ、古本集めの醍醐味なのである。古本漁りを「楽しみ」「趣味」「生きがい」とするなら、断然現場へ狩猟のごとく出撃する方が幾倍にも喜びに浸れるというものだ。カラサキさんも、「そこに古本屋があるから探書する」と言い切っている。
 特定のジャンルの研究者が、筋目を追って集書するのと違い、彼女は、手に取り、目で見てピンとくるかどうかで判断して買い蒐めるのである。感覚、センスである。何やらその好みの傾向が誰かに似ているなあと追想してみたら、今は亡き「上野文庫」さんだ、と気づいた。目録からは一切買わず、展覧会の会場で猛烈な勢いで本を抜き、段ボール何箱分もお買い上げ頂いたのを思い出す。実際に手に取り、琴線に触れる本を集めていたのだ。エロ.グロ.ナンセンス...当時はまだ[サブカルチャー]などと言われていた。今やサブが主流である。しかし、カラサキさんのような、うら若き乙女がいわゆる「エロ古本」を蒐集するなどというのは、過去にあまり例のない画期的流れで、嬉しい限りだ。爺も「エロ」は大好きで、実店舗を持っていたら、あれこれ陳列してお待ちしたいところだ。
 独り古本渉猟をしていた(大体孤独が当然だが)が、SNSという道具を得て、本に魅入られた多くの人々と交流できるようになり、本書の発行にまで繋がった、とある。スマホ時代の大いなる功績でもあろう。まあ、魂の根源から湧き上がる古本への執着は、「広がり」を持たずとも、失せる事は無かったではあろうが...

 古本業界も時々、「風雲児」と目される店主が現れる事がある。件の「上野文庫」さんもそうだし、風の便りには「頭突き書房」さんとか「月の輪書林」さんとか...ごく身近では西部展の後輩、「千年堂」さんがいた。彼の出品物は、値付けが途方もない額でも、飛ぶように売れていくので、ある日意を決して聞いてみた事がある。「どういう基準で本を集め、値付けしてるの?」彼の答えに呆然とした。決して真似できないからだった。「ドロドロしてるか、してないかだね」というのだ。彼の独特の感覚が、お客様のフィーリングと一致していたのである。
 先達たちは書痴-紙魚-ビブリオマニアの楽しみのレベルを下から、本を「読む楽しみ」-「集める楽しみ」-「探す楽しみ」-「買う楽しみ」などと分類してきた。本編でも「本を読むなんて、まだまだ素人」と、古書蒐集の王道が描かれている。
 古本屋のオヤジにとっては、究極の「買う喜びの為に本を買う」という一種、桃源郷か、禅の境地まで達したお客様が毎月10人程来店頂ければ、糊口を凌げるのだが...

※御本人のツイッター(pugyurata@fuguhugu)を拝見させて頂いたところ、東京堂の5月1日調べで「週間ベストセラー1位」というどえらい事になっている。陰ながら「おめでとうございます」と申し上げたい。また、このこの『日々是口実』を端緒として、多くの「感受性の無限の開放と昇天の快楽」を実践する特に女性の方が増えて頂けたらと切に願うのであります。
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本屋になりたい―この島の本を売る  宇田智子著 高野文子絵
[ちくまプリマー新書235]2015年6月10日筑摩書房発行/定価=820円+税


 平成版「街の古本屋入門」の出現である!著者は2011年、沖縄那覇市の第一牧志公設市場前の市場中央通りに、1.5坪、つまり三畳の店を始められた。以前ここで営業されていたご店主は「日本一狭い古本屋」と銘打っていたらしい。その棚と在庫を引き継いで開業、店名は「市場の古本屋ウララ」。営業時は店の外の路上にもう三畳分、棚を引き出して広げるので六畳大になるが、店内にスペース無く、店番は路上。
 宇田さんは、東京の大型の(何と1500坪)の新刊書店に勤務された経験があるというのだから、その落差に驚くが、ご本人はいたって心豊かに前向きで、明るくバイタリティ溢れる充実した日々を過ごされている。店番は一人なので、ちょっと席を空ける時は隣の漬物屋さんが会計をしてくれるという。人情溢れる光景も沖縄ならではで、誠に微笑ましい。
 その、"ウララ"に並ぶ本のほとんどが沖縄に関する本という事だ。これこそ宇田さんが、目指した本屋の姿、つまり「思い」が具象化された店なのだ。

 昨今は「一箱古本市」が各地で開催され、読書子も「売る側」を体験できる機会も増えた。退職後の転身を考える中高年、また若い世代にも古本屋に夢を描く方も増えてきたようだ。ただこの撰択には、全ての責任は自分自身で負い、独力で生き抜いていく、という覚悟が必要。自立、起業と言っても、古本屋の仕事は傍から見ると複雑怪奇で、二の足を踏んでいる方もあると思う。

 「本屋になりたい-この島の本を売る」はそんな人に向けて書かれた好著です。プリマー新書の"primer"は「初歩読本・入門書」の意。[あとがき]に自分が初心者なのに、入門書をどう書いたらいいのか悩んだ、と書かれていますが、込み入った古書業界の紹介を、これだけ読み易く書けるというのは、並大抵の力量ではありません。

 本書で新鮮だったのは、宇田さんが新刊書店におられた経験から、展示方法、核になる本の在庫等、売り方にとても配慮している点。そんな新刊書店同様の「仕掛け」も考慮しつつ、古本は「お客様に育てられていくのだ」という所もしっかり押さえてます。「お客様が棚をつくる」感は古本屋の方が強いと。古本屋は受け身の仕事。営業を成り立たせる為には店で売れる本を集める羽目になるし、置きたい本、欲しい本が持ち込まれるとは限らない。新刊と違い仕入が全くもって不確実なのです。
 奔放に流入してくる書物。古本屋にとって一番肝心なのが「買取」です。それに纏わるノウハウ、誠実な買受姿勢が語られて好感が持てます。仕入れた本の値付についても、お客様に反感を持たれないような丁寧な説明をされてます。
 古書組合や、古書市場の必要性。古書目録、インターネットでの情宣や販売、これはどのようなものか記述されていますが、時流とはちょっと違う著者のスタンスを垣間見る事ができます。あくまで"ネットより地域や店を中心に"という姿勢です。これがまた潔いですね。
 本の手入れ方法、什器や棚、沖縄の本の事も語られます。また再販制度から図書館の話、商店街や地域の事まで、より広い問題にまで触れられてます。
 各章の合間に挟まれた短いコラムも、実体験ならではの楽しさが溢れています。

 巻末、「本屋をやっていても『本が好き』とはあまりいいたくない。『本っていいよね』と言っているだけでは本が好きな人しか来てくれない気がするするのです」の一文には頭をポコンと叩かれたような気がした。分かる奴だけ分かりゃいい、という[斜]に構えがちなのが我々古い古本屋の体質。読まない人にこそ来てもらわなきゃ、そりゃ衰退するよね。
 更に、「本は好きだけど好きでない本もたくさんある」と続き「好きでない本もひっくるめて、気になる。どんな人が読むのか、どこで買うのか、誰が書いて、誰が編集したのか、装丁は誰か、帯やしおりは付いているのか...(中略)読者として本屋としてなんでも知りたい」と熱く結ばれていく。本当に本屋になる為に生まれたような人だと羨ましく感じた。

 書籍を取り巻く情勢は現在、30数年前、耄碌爺が開業した頃からでも隔世の感がある。失望や憤りを通り越して諦めの境地に陥っていた老人。そんな時、新刊屋の棚で偶然見つけたこの「本屋になりたい」。このみずみずしく真っ直ぐな言葉たちは、風雪に傷めつけられ、松の根っこのように曲がりくねった根性に堕し、初心を忘れた我が身にとって、まことに眩く見えたのであります。

 「本屋になりたい」は単なる入門書ではなく、「本」への愛情に満ち満ちた哲学と提言を有する書。古本屋を目指す人の必読の一冊と言えます。「これを読まずして開業する事なかれ」である。


 
(注1)「街の古本屋入門-あなたも古本屋になりますか!」

本書は昭和57年に志多三郎さんこと、神奈川の古書店一艸堂石田書店の石田友三氏が著した開業の手引書。古書売買の実際や、市場の形態などの解説に始終する単なるハウツウ本ではなく、古本屋の実態と、古書売買について厳しく自らを律する著者の姿勢も詳らかにされていて、当時はこの本を読んで古本屋になった者も多かった。実は私もそのひとり、当時お店まで伺い、更にそのままご自宅まで招かれてご馳走にまでなり、酔いつぶれ一泊させて頂いたのを懐かしく思い出します。その「街の古本屋入門」が出て、もう35年にもなるらんとしている。
(注2)一箱古本市の歩き方

「一箱古本市」は、素人の本好きの方が集まり、段ボール数箱分の蔵書に値段を付け販売する、本のバザーのようなもの。野外が多いが、先年小倉では銀天街の商店の軒先を借りて開催された。2015年は門司の赤煉瓦倉庫の保存地区で開かれた。今年第二回目が開かれるとの事。「一箱古本市」の詳しい話はこの一冊に詰まってます。
(注3)
草木堂の最初と二番目の店も、3坪。つまり六畳であった。熱海移転で、やっと15坪の理想の店舗を展開できたのだが....それもまた潰した。今は店も無い。
(注4)
私は沖縄には行った事が無い。高所恐怖症。そもそも飛行機が空を飛ぶのを今だに信用していない。勿論外国なんぞに行ける訳もない。南は奄美大島までは行った。古本屋になる前自作の26fのヨットで海からの寄港である。
(注5)
[古本屋ウララ]のブログを見つけました。ネットも活用されているようです。
http://urarabooks.ti-da.net/
(注6)【奄美沖縄文献参考図書】

奄美、沖縄 本の旅 [南島本、とっておきの七十冊] /神谷 裕司
2000年南方新社発行/[B6判255p]/ どこから読もうか、琉球孤。歴史、民俗から政治、社会状況、もちろんグルメ、遊びまで。数多い南島本の中から名著を厳選し、エッセンスを紹介する。朝日新聞記者が探った南島本の世界。 /(1)奄美ほん紀行(「ひとがみな自分の家で死ねる島」;「聖なる島奄美」;「南島遡行」;「海南小記」ほか) (2)南島本探訪(「楚辺誌『戦争編』」;「MABURAI」;「バガージマヌパナス」;「いじゅん川紬篇」ほか)
※「本屋になりたい」に写真版で登場する「山之口貘詩集」も取り上げられています。

奄美・沖縄関連
部屋中に無秩序に積み上げられた在庫、手の届くところから沖縄奄美関連を引っ張りだしたら、ほんの僅かながらありました。参照くだされれば幸いです。

「さまよえる古本屋―もしくは古本屋症候群」 須賀章雅 著
平成27年4月25日燃焼社発行
          
あの日、あの時、あの場所で、出逢ったあの人、あの本。滑稽と哀愁、独自の視点とスタイルで綴られる古本屋とその周辺。若き日の日記から、エッセイ、小説、漫画原作まで、末端古本屋が物語る過去と現在(そして未来はあるのか?)。
店主を包む、暖かくも有難い「布施」の精神       
 北海道の須雅屋さんが二冊目の本を出版された。題して「さまよえる古本屋」。早速当店にお送り頂いた。突っ伏したまま、うなされつつ読了。いえ、本の内容にではない、悪質な風邪の為である。三月は、帯状疱疹の再発でひと月痛んでいた。昨年、年金を貰い始めてから、免疫力が格段に落ちたのを実感している。認知症も入ってきて、朦朧としてきた頭で、感想文を書くなど、おこがましいのだが、須賀氏の生活を向上させる為にも、ここはキャッチーな啖呵売をせねばなるまいと、掻巻を引っ被って、パソコンの前に蹲った次第。
 とはいえ、東京から熱海へ店を移転し、更に店を畳んで北九州まで流れ付き、自宅を倉庫と事務所にしてネット販売で暮らす我が身は、須雅屋さんと同類、同族で、この本の中に描かれた暮らしを、俯瞰して見たり、分析したりできる境遇では全く無いのである。細部にまで感情移入してしまい、「フムフムそうだよな。それそれ。偶にはイイ事もあって良かったね。ホント幸せになりたいよなあ」と頷きながら、涙目になるばかりなのである。この悲惨さには既視感があって、つげ義春氏の漫画「石を売る」だ、と膝を打つ。主人公は多摩川の河原で石を売る仕事を始めるのだが、そこら辺に転がっている石と変わらないから、売れないのである。検索した事は無いが、ヤフオクに「石」は出品されているのだろうか?当然主人公はパソコンは買わないだろうし、とても使えまいが...
 須雅屋さんは前書巻頭の事務所見取り図を見ても分かるように、「文芸書専門店」である。無節操に本が繁殖せぬような箍、歯止めはあるのだ。私は最初に属した東京の中央線支部に、オールマイティな古本屋さんがおられ、それに憧れ「どんなジャンルも知ってる古本屋になりたい」などと無謀な志を立てた為、今こうして無限増殖の在庫に閉じ込められつつある。部屋中の雪崩を起こしそうな本を見渡せば...
哲学、仏教、キリスト教。日本史、世界史、現代史。動物、植物、山岳書。陶芸、染織、絵画に、こけし。落語、講談、ミステリ。SF、SL、SM、AV。LP、SP、LD、CD。切手に絵葉書、囲碁、将棋。古地図に木版、何でもござれ。で、分類すら困難な有様。おまけに珍本-稀覯本など皆無で、入門書、基本図書、廉価本、難ありのゴミ屑。それでも、一旦注文あると、眼の色変えて、見つけ出すのだから、当店も相当切羽詰まってます。
 須賀氏はむしろ恵まれてます。専門以外は市場に売ってしまえばいいのだから!!枕が長すぎました。
(在庫のとこ、声に出して読んで下さい。ラップ風にしてみたんです)さて本題。

 前回の本「貧乏暇あり」は2005年から2011年まで、店主がインターネット上のブログに書き綴った「日記」を本に仕立てたものだった。
1996年、PC導入の頃、私は皆にこう説明していた。「パソコン買ったから何でもできる、とか考えるのは幻想です。急に絵が描けるようになる訳でもないし、家計簿つけるようになる訳もない。小説が書けるようになるはずもない」と。この公理からして、須賀さんは、若い頃から帳面に日記を書き綴る習慣と文才があったからブログが成功した、と言える。更にその内容のユニークさ故、出版にまで至った。やはり「継続は力」である。
 勿論パソコン買えば、「本が売れて、金が儲かる」という事もあり得ない。PC一台で末端の古本屋が一流店に変貌できるはずも無いのである。「IT革命」以前から稼いでいた古書店、経営努力に努めてきた人がもっと稼ぐ、というだけの事である。
 ただ、ネット販売と言っても中身は通信販売。目録販売の命であるところの「顧客名簿」が不要なので、東京でも地方でも同じ土俵で営業が可能になったとは言える。しかしこれも一長一短でした。ネットが値崩を生んだのである。
 組合の古書市場に出して本屋同士の売り買いの相場で処分するなら、「店頭相場より幾らか安くしてもネットで直接売ってしまおう。」次の段階は、「市場の値段と同じでいいや。」と相成り、遂には「お客様から買った値段でも、現金化が急務だ!」「もう面倒だ幾らでも結構、ホイ一円!!倉庫代が浮くわ」てな調子でデフレでふ。これじゃ廃業が続出も当然の帰結。本書の中でも触れられているが、お客さまが直接ネットで売る時代ですから、何をか言わんやでありますが。
「さまよえる古本屋」
◆1章は、人生のスクランブル交差点でふと袖すり合わせたような人々の思い出が語られ興味深い。推測を含めて語られるエピソードには、福永武彦や、西村賢太郎、出久根達郎などの名も。一般の方には少し羨ましい面もあろうかと思いますが、古本屋は目録販売で作家、研究者のご注文を受ける。ご縁は割りと多くできる。ただ注文と発送という関係であって、店主との交遊までには大体至らない。お客様は「本に付く」ので、「古本屋に付く」訳ではないからだ。著名人から頂いた注文ハガキ、手紙などは大事にとっておくにしても、生前は売らないのが仁義である。生原稿なども市場には出せない決まりだ。
 昨今、外国人も見物に来る渋谷の交差点がスクランブル、喩えが悪かった。古書の世界は霧の森、幻影のように人と人が交差する「逢魔が辻」というのが当たっている。1章は題して「古本屋症候群」。
◆2章から5章は著者の来し方が年代を追って展開される。[古本屋以前]・[足を踏み入れて]・[店を開いてから]・[足を踏み外して]。IV章から失敗談のひとつを紹介。山本文庫-57番、「新しいイブと古いアダム」である。高く売った積りが...。文中にも紹介されているが、八木福次郎氏の「古本便利帖」(1991年)に『この本は特に少ない。1冊しかないともいわれ、ほとんど市場に現れた事がない。』と記載されていたのだから悔しさ倍増である。「古本便利帖」、10年後には別刷の参考古書価格付の索引が付いた。この別刷では「新しいイブ...」2002年の時価で3万円となっている。現在日本に何冊あるのだろうか?
 この章に反町茂雄氏の作った「文車(ふぐるま)の会」をもじって、著者は札幌で「古熊(ふるぐま)の会」を結成したとある。「火車の会」より断然洒落ている。
 5章[足を踏み外して]には漫画の原作シナリオや、マンガそのものも掲載。やはり漫画にすると救われる感じもする。また彷書月刊の第四回本屋小説大賞受賞作「ああ 狂おしの鳩ポッポ」の加筆定稿版が再録されている。大賞の価値あり。
◆6章からは創作漫文的日記や、落語風連作「古本ノンキ堂咄」が登場。「『熱湯』社会で『会いてえ』の時代だ」なんて台詞で笑わせてくれる。勿論ネット社会でITの時代の事。『熱湯』、ソフトバンクのCMの先取りだ。これからも、店主のブログ-日記が続く限り、続編が出そうな気配を感じる。
  

 読後残るのは、須賀氏の生き様は「遊行」なのではないか、という事である。空也、一遍、芭蕉や蕪村、山頭火、山下清などの放浪を連想させるのだ。そして、本を綴じて、次に想われるのは店主を取り巻く人々の暖かさである。多くの古本屋の面々。古い友人。冷蔵庫からコンロ、パソコン、アルバイトの口まで頂き物。これは一種、「布施行」ではないか。
 「布施」の行(ぎょう)というのは、六波羅蜜、すなわち、(この辺は私の昼の仕事の有難いお話となりますゾ)「布施」「自戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」。菩薩の修行としては、対社会的項目、「布施」・「忍辱(にんにく)」が含まれる六波羅蜜が大乗仏教では大事なんじゃ。特に「布施」は「三輪空寂の施」と申して、施者、受者、施物の三者を意識せず、施による報果を期待せず行われる空無我のもとになされなくてはならない、とされていますな。砕いて申せば、こちらが「こうしてあげている」という意識を持ったら駄目、頂く方も卑屈になったりしてはいけない。与える側はむしろ「布施」をさせて頂けるのを喜ぶ。というスタンスでんな。インドなんぞに行くと、貧しい人々が「恵んでくれ」と、ワンサカ寄ってくるらしいが、卑屈になっている様子は無いらしい。当然である。布施をできる喜びを旅行者に与えてくれる、聖者なんですからね。
 「本の山地獄」で藻掻くご主人を決して見捨てずいる須賀氏の奥さん。ご亭主に向かい、「あなたは高等遊民よ」と宣告するシーンに、人間をありのまま許して下さる、菩薩様を見るのは私だけでしょうか。
 「さまよえる古本屋」を読む事は、「ユーモアとペーソス」を味わい、笑ったり同情したりするだけではなく、遊行の聖人に布施の行をする行為だと申せましょう。一冊1800円税別。是非お読みあれ。ご注文は須雅屋まで、句入サイン本もあるとの事。詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/nekomatagi/をご覧下さい。
 ※「高等遊民」今年上半期のTVドラマの傑作「デート」の中で漱石好きの主人公が「自分は高等遊民」と称していました。これも先取りでしたね。主役の長谷川博己さんは、「八重の桜」でもいい役してました。

福岡古書組合七十五年史
平成15年10月4日発行[A5判231p・上製本]発行人は天導書房の群田紀久雄氏・編集委員長は田中和隆氏 
カバーは大正13年の橋口町の地図。昭和20年の福岡大空襲まで、七軒の古本屋が店を構えていて、
「橋口の古本屋」と呼ばれて、半世紀の間市民に親しまれた。
 
 昭和2年に結成された福岡古書組合、今日までの歴史を編年体で纏めたもの。ざっと目次を抜粋して記してみる。
(1)明治大正時代-組合前史/博多の古書店の創業、営業状態
(2)昭和の時代1-昭和19年まで/昭和2年組合結成・昭和5年警察の許可を得「福岡市古書籍商組合」として正式に任意組合となる・玉屋古書即売会と全国古書籍商連盟・左翼出版物と古本業界・古本公定価格と炭鉱港湾労役
(3)昭和の時代2-昭和20年代/焼け跡からの出発・藁半紙の組合規約・組合員20人代に
(4)昭和の時代3-昭和30年代/古物台帳免除と青少年育成条例・余香館時代を迎える・九協ニュース創刊・福岡古典会市の創設と挫折
(5)昭和の時代4-昭和40年代/九州連合大市会・今泉会館へ移転・即売会と全連申合わせ事項・組合直営市より同人制市会へ・初版本ブーム
(6)昭和の時代5-昭和50年代/天神大丸即売会、九州二世会発足・大盛況の岩田屋即売会・ビニ本し自販機
(7)昭和の時代6-昭和60年代/スーパー等の即売会花盛り・今泉会館の幕引き・全連大市が初めて九州へ
(8)平成の時代--平成14年迄/プレ全連、九州ブロック大市会・九州古書籍商協議会の創立・二年後その廃止決議・福岡県古書籍商組合結成ならず・筥崎宮放生会即売会始まる・筑後古書籍組合と合併・組合ホームページ開設
◆巻末の資料編、組合規約から始まり、歴代組合役員一覧・大正14年から平成14年までの組合史年表・組合市会出来高(最近29年)一覧とグラフ・組合員(もしくは共同の)発行の目録一覧-一覧と書影・福岡県の古書店の加盟店数の推移・末尾に屋号索引まで完備している。(日頃古本屋が本を評価する目安に「索引があるかどうか」があるんです)
          
 豊富な写真が散りばめられていて、巻頭グラビアは橋口町の古本屋と通り・市会風景・組合員の古書目録。
本文中には、昭和12年の組合規約書・戦前戦後の福岡古書店の正札一覧。ガリ版刷の清規やタイプ印刷の規約、機関誌の「古本屋」などの書影、よく取って置かれたなあ、と感心する。新聞の切り抜き、旅行のスナップなど有為転変の激動史のなかにホッとする画像も配されている。
 往年の大市の落札表=落札価格一覧もあって、例えば昭和48年の全連理事歓迎大市では、「百万塔陀羅尼」が59万、スターリン全集が28460円などの数字が読める。出品した人落札した人、懐かしいのではないだろうか。
 また随所に散りばめられた囲み記事「エピソード」が面白く読める。「掘出し物」のタイトル、昭和39年12月の「ふくおか古書展」の出来事。1500円で出品されていた、ヘルヴァルト・ヴァルデン画集にクレーの50部限定の銅版画が挟まっていたのだ。これを購入した幸運児は郷土の新進画家山内重太郎氏で、しかもその日はクレーの誕生日だったという、小説より奇なる逸話ではないだろうか。

 戦前の検閲、、敗戦後の混乱、全連大市の試練、九州古書籍商協議会の設立-解散、各種法律との対応対処、幾つかの組合との合併などなど、福岡古書組合が時代時代の困難に直面しつつも、乗り越えてきた歴史が、余す所なく記述されている本書は、今までの組合の歴史に一区切りをつけたであろうし、未来に向けての大きな指針ともなる事でしょう。

 最後に貴重な本書、北九州古書組合、佐藤同人長から、本書お借りする事ができました。ありがとうございました。

 

※追記、編集の田中和隆氏、本書を纏めても、まだ、「橋口町」への想い、書ききれず残っておられたようで、「古書通信」誌上に2012年5月号と6月号の二回、6頁半に亙り、「福岡・橋口町の古本屋」を寄稿されている。本書の付記として、是非お読み頂きたい。組合史はあくまで公文書として、やや硬い記述なのに比して、こちらは感情の込められた読みやすい名文となっています。
 田中氏の愛してやまない福岡市天神橋口町は大空襲で灰燼に帰し、戦後の区画整理事業で町名と共に消滅したのである。

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