福岡県北九州市にある古本屋さんの協同組合 北九州市古書組合のWebサイトです。

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もうろく じじいの もくろく ばなし
耄碌爺の目録噺(1) 『書宴』の巻(上)   
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 約三十年前。私もまだ「青年」だった頃。並居る古書店の発行する 「古書目録」がキラ星のように輝いていた時代がございました。 その古本屋の誇りに満ちた「目録」の思い出をポツリポツリと書き残しておこうと、本欄をお借りする事にした次第。
記憶違い思い違いも多分にございます。どうか"まだら惚け"店主の戯言たわごととお見逃し頂いて、お付き合いの程をお願いいたします。
 インターネットで古本を探す、というのは、今ではごく普通の事のようになりましたが、つい10年程前までは、古本屋を一軒一軒巡るか、古本祭や古書展覧会の会場へ出向いて、眼を皿にして目指す本を見つける、というのが常道でした。そして仕事上、健康上などの理由で、現場に出向けない方、遠隔地の場合などは「古書目録」
今風に申せば、「古本通販カタログ」これを取り寄せて注文する、という方法がございました。
実はこの時代は長く続いてきたのです。
 ちなみに『紙魚の昔がたり/明治大正篇』(反町茂雄氏著/平成2年八木書店発行)によりますと、明治23年(1890年)に最初の古書目録が発行されたとありますから、ざっと120年も続いてきた販売形態、という事になります。私、東京は中野の私鉄の駅裏に開業し、程なく、スーパーの古本まつりなどに参加させて頂いておりましたが、いつしか、この「古書目録」という販売形式に魅入られてしまったのです。
果てには目録発行こそが天職である、と確信してしまいました。閑で楽そうで、本が沢山読めそうだ、などという安易な動機で古本屋を始めたような按配で、高邁な目標を持っていた訳でもなく、マンガ・文庫本・エロ本を並べる、「街の古本屋」で充分満足していたのですが、中央線支部の古書組合の諸先輩、仲間の皆さんの「目録出さなきゃ、ひとかどの古本屋とは言えない」という雰囲気に自然と感化されていったのだと思います。まあ実際は、切迫した経済状態のせいだったのは言うまでもありません。
 2008年発行の青木正美氏著、「古本屋群雄伝」(ちくま文庫)に、[東京郊外中央線沿線の草分け=竹岡書店-竹岡新吉]の項がございます。戦後いち早く、昭和22年には目録を発行する展覧会を開催し、広く全国の読書人のご注文を受けるという道を開拓。また古本屋開業以前は同人誌に創作を書き、版画も彫っていた、という素顔も持っていたとの事で、目録を発行するのが性にあっていたのでは、と推測されます。中央線支部の古書店が目録を重視する気質のルーツは、この竹岡書店にあったのかと、改めて気づかされた次第。昭和35年、惜しまれつつ62歳で亡くなったという事であります。
「古本屋群雄伝」他にも多彩、異彩の古書店主が登場して、興味は尽きない一冊です。御一読お勧めいたします。
 前置きが長すぎました。「目録」のお話。当時、最も憧れたのが『書宴』。芳雅堂書店、出久根達郎氏の発行されていた目録。上の画像は昭和59年7月発行の第19号。氏の"本を料理する"手さばきの見事さにも感嘆しますが、読み物も散りばめられていて、販売だけの目録とは趣を異にしています。端的に申せば、古本屋の店主とお客様との、"本を通じての交流"が、この目録の最大の魅力と申せましょう。
巻頭は佐々木靖章氏の「西山勇太郎『低人雑記』のことなど」というコラム。辻潤の周辺には文学事典にほとんど顔を出さない人達がいた。その内のひとり西山勇太郎が、昭和14年に出版したのが、『低人雑記』。この本を核に、辻の心優しき友人達のエピソード紹介しています。巻末には「雑書雑読メモ帳」というコーナーがあり、「戦前は自転車税があった」とか、「辰巳柳太郎は近眼で、ある日眼鏡をかけたまま国定忠治で舞台に出てしまった」とか楽しい薀蓄、TV番組で言えばトリビア、が3pに亙って公開されています。更にその後には『追ってがき』という読者からの通信欄があり、西沢爽さんなどが、この欄を通じて「文通」されています。 やがて当店も、このユニークな目録を真似て「泥花」という目録を発行するに至るのですが、芳雅堂さんの知識と見識の深さ高さと我を比べ、落ち込むという事態に陥るのです。
 

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