ある初夏の夜。闇を四角く切り取るように扉が開き、にわかに下村家の玄関前が賑わう。
夕飯を食べに来ていた松子と竹夫の家族が、それぞれ家へ帰るところだった。
何か特別の日と言うわけではなく、たまには土曜の夜を、こうして兄弟の家族が集まって過ごしていた。
「じゃあ信郎君、また飲もうね」
「今度は100メートル圏外を目指しますか」
お酒の入って陽気になった加藤と竹夫が大きな声で別れを告げ、子供を連れた松子と静子が苦笑いで会釈するのを、
梅子と信郎が見送っていた。
2組の家族が安岡製作所のある角を曲がっていき、梅子と信郎は目を合わせて微笑みあう。
微笑みあいながら、いましがた仲良く別れの挨拶を交わしていた信郎と竹夫や加藤たちについて、梅子はふと思った。
元々は義理の兄弟と言う関係でしかなかった3人組は、今や揃うと連れだってみかみへ飲みに行くのが定番となる程の仲だ。
――みかみで、また私たちの悪口を言ってたんでしょ。
食事の時に静子がした話を思い出し、梅子も真似をして釘とやらを刺してみようかと思ったが、何故か口から言葉は出てこなかった。
何かモヤモヤしたものが喉の奥につかえているような気がして、立ち止まり、喉をさすりながら顔をしかめる。
「どうした?」
玄関に入りかけた信郎が振り返り梅子へ声をかけると、梅子は「ううん。何でもない」と首を振ってつかえる何かを飲み込み、
信郎の背中に寄り添うようにして家の中へと入っていった。

「悪いけど、先に休ませてもらうわね」
祖母の正枝が、さすがに疲れた様子で自室へ下がっていった。今まで大勢で賑わっていた家の中が、急にガランとする。
梅子は二階の部屋へ布団を敷いてくると、信郎たちを呼びに居間へ戻った。居間には誰もおらず、おや、と思い隣の部屋を覗く。
するとそこには、半分夢の中へ落ちかけた太郎を抱っこする信郎の姿があった。
信郎は体をゆっくりと揺らしながら、太郎の背中をポンポンと叩いていた。
視線は、足元へ敷いた布団の上ですでに寝てしまっていた新へと向けられている。
体が大きく揺れた際に、信郎の表情が見て取れた。とても、愛情のこもった目をしていた。
襖の横で様子を見ていた梅子は、幸せそうに微笑むと、小さな声で信郎へ話しかける。
「お布団、敷けたわよ」
「おっ」新へ注いでいた視線のまま、信郎が振り返る。梅子の胸が、何故だかズキンと痛んだ。
太郎を抱いた信郎に続き、梅子も新を抱いて階段を上る。
部屋について布団の上へ寝かせると、二人ともスゥスゥと安らかな寝息を立てていた。
「ああ」と声を出して、信郎は自分の布団の上で胡坐をかき、後方へついた腕で斜めになった体を支える。
そして、梅子と信郎は子供たちの様子を確認すると目を合わせ、黙って目を細めあった。
「お疲れさん」
寝巻の用意をしていた梅子は、信郎から労いの言葉をかけられると、嬉しそうにして更に目を細めた。

「ノブ、お風呂は?」
「俺は、いいかな」
何だか眠たくなっちまった、と言ってゴロリと横になってしまった信郎へ、もう、と言いながらも梅子は微笑んだ。
「ほら、着替えて」と梅子が催促しても、当の信郎は「んー」と生返事をするばかり。
そのうち梅子が「しょうがないわね」と言ってポンと叩いた信郎の足から靴下を脱がせ始め、
信郎は腕を枕にしてそんな梅子の様子をニヤニヤと眺めていた。
やがて、ほとんど梅子の手伝いによって信郎が着替え終わると、梅子は自分の寝巻と信郎の脱いだ服などを持って立ち上がる。
「それじゃ、お風呂に入ってくるわね」
横向きに寝転がりこちらを見ている信郎の満ち足りた顔を確認しながら、梅子は静かに襖を閉めた。

襖を閉めると、梅子はフゥと小さなため息をついた。
階段を下り、足早に脱衣所へと向かう。早く風呂に入りたかった。
さっきから胸の辺りでつかえたままになっているモヤモヤを、汗とともにさっさと洗い流してしまいたかった。
脱衣所で衣服を脱ぎ、結っている髪をピンで手早くまとめる。
浴室へ入るとき、引き戸のガラスに映る自分の顔が見えた。何だか疲れていた。
洗い出しの床は夏でもひんやりとして、足の裏から頭の先までピリッと引き締まる気がする。
けれども、モヤモヤが胸の辺りから動くことはなかった。
洗い場でしゃがむと、湯船から熱い湯を一すくいしてザバリと体へかけた。
持って入った白いタオルへ石鹸を擦りつけ、泡をたてて腕から洗い始める。
若い頃のようなハリを失いつつある腕からは、小さな泡たちが弾けて、力なくダラリと垂れた。
次に、タオルを移動して、円を描くように乳房を洗う。
元々胸が大きいほうではないので垂れて下がることもなさそうだが、押し戻すような弾力はなく、擦られるままに揺れている。
服を着ている分には変わりなく見える体型も、こうしてみると、どこもかしこも昔とは違う。
洗っても、洗っても梅子の胸からモヤモヤが消えることはなかった。
「はぁっ……」梅子は大きなため息を一つつくと、体中の泡を湯で流す。
分からない振りをするのにも、疲れてしまった。
ドブンと湯船に入り、滑り落ちるように鼻までつかる。
脳裏に浮かぶのは、夜の工場で楽しげに話していた信郎と山川の姿。
艶やかな長い黒髪に、新しい世界をキラキラと映すような瞳。
本当は分かっていたのだ。
「私、あの人に嫉妬している……」

風呂から上がった梅子は、信郎や子供たちの眠る部屋まで戻ると、自分の布団の上へ座ってその様子を眺めていた。
愛する夫と、可愛い子供たち。
壁を背にして子供たちの方を向いて寝ている信郎に、寝かせた時とはまるきり別の位置で、同じような格好をして寝ている子供たち。
こんなに幸せな光景を前にしても、まだ梅子の胸はスッキリと晴れないでいた。
ふと、風呂に入る前に見た信郎の顔が脳裏をよぎる。
梅子が嫉妬などという感情を抱いているとは、微塵も思っていないだろう。もちろん、知られたくもない。そんな事。
なぜ自分がさっき玄関前で言葉に詰まったのか、梅子にはもう理解できていた。
梅子は濡らしてしまった襟足あたりの髪の付け根を拭きながら、重たい息をハァっと吐く。
ノブの目に、山川はどう映っているのだろう。自分は、どうなのだろう。
ノブが、その瞳に他の女性を映すなんて我慢できない。けれど、自分がそんな事を考える女だなんて、ノブにだけは思われたくない。
不安な黒い想いがチクチクと胸を刺し、一方で信郎への恋慕が身を焦がす。
ノブに触りたい。ノブに抱きしめられたい。ノブが好き。大好き。
まるで、年端もいかない娘の恋心のよう。なんで今更、と梅子の口からはため息ばかりが浮かんでは吐き出される。
ノブの気持ちが知りたい。こんなに近くにいるのに、なんでこんなに遠い気がするのだろう。
梅子は堪らなくなって、ソロリと立ち上がり、信郎の横へ並ぶように横たわると、その顔を覗き込む。
目も口もしっかり閉じられていて、軽くいびきをかいている。
「ノブ……」梅子が手を伸ばして、そっと信郎の頭部を撫でる。その手が頬に差し掛かった時、指先にゾリとひげの感触が当たった。
よくよく見ると、小さなしわが目立つようになってきた。一言でいえば、ノブも老けた。
子供の頃からずっと、こんなになるまで一緒にいたのは、この私だ。
『ノブは、私の物なんだから』
そんなことを考えながら、恋しい信郎の頬をゾリゾリとなぞっていると、寝ている信郎の手が伸びてきてその辺りをポリポリ掻いた。
慌てて手を引っ込めた梅子は、少しだけ横にずれて、信郎の胸に頭を寄せる。
目を閉じて、匂いを嗅ぐ。わずかな埃の匂いと、少し酸っぱい汗の匂い。その奥に、いつもより濃い信郎の匂いがした。
ノブで全身を満たしたい。匂いだけじゃ、足りない。
梅子は信郎の体に細い腕を回して、キュッと力を込めた。
「……ん?……梅子か……」
確認のような、確信のような、信郎の寝ぼけた声が頭の上から聞こえてくる。
梅子は頷いて、信郎の寝巻を掴む。信郎の腕が梅子の体を包み込んだ。
「どーした……」
まだ酔いが残っているのか、何時になく上機嫌な声色で信郎が聞いてくる。
自分の背中をさする信郎の手の感触を、梅子は息をのんで感じていた。上下に数回移動した後、軽く叩きだす。
ポンポンと梅子の背中を叩く信郎の手が、徐々に速度を落としていく。
そうじゃないのに、寝かされてしまいたいわけじゃない。もっと……。ノブの、……ばか。

梅子は肘をついて上体を起こす。信郎の腕は、まだ梅子の背中にあった。
片手で信郎の頬を支え、顔を覗き込むようにして口をつける。髪がハラハラと流れ落ち、二人を世界に閉じ込めた。
うっすらと開かれた信郎の口へ、梅子は濡れそぼった口を深く押し付ける。
舌をもぐりこませ、二人の唾液がまじりあった。信郎のは、ビールの苦い味がした。
犬のようにして、わざと音を立てて味わいながら、寝巻の裾を割って信郎の上へまたがる。
梅子の尻に信郎の硬くなった物が当たり、梅子は顔を上げて信郎の様子をうかがった。
カーテンから漏れる月明りで、薄らと見える信郎の顔。多少眠たそうではあるが、その時の顔にはなっているようだった。
「俺、風呂入ってねぇぞ」梅子の下で浅い息をしている信郎が、少し苦しそうな表情を見せる。
「うん」梅子は大きな瞳で信郎を見つめ返して、コクリと頷く。それが、始まりの合図となった。

梅子は再び信郎の方へと倒れ込み、ゾリゾリする顎へ軽く口をつける。
襟の間から手を差し込んで胸に手を乗せると、口を喉に這わせていって、露わになった鎖骨の辺りにも口をつけた。
触れあっている男女の部分を強く密着させて、擦るようにずらし、信郎の足の方向へ移動する。
足の間に座り込んだ後、信郎の足首の方から腿まで撫で上げるようにして、裾を開いていった。
下着に手をかけ、信郎の様子を見る。きっと期待しているのだろう。頭だけ持ち上げて、信郎も梅子の様子をうかがっていた。
中心部に顔を近づけて下着を下ろしていくと、蒸れた信郎の分身が顔を表した。
何度かついばんでから一息に咥えこみ、そのまま下着を下ろす。
自分よりも体が大きな信郎の下着を脱がすのは、一気にと言うわけにはいかなかったが、口で中心を咥えたまま最後まで下げた。
梅子の口からは、今にも零れ落ちそうな水の音が絶え間なく聞こえてくる。
信郎の中心は、梅子の口の中へ飲み込まれたり、押し出されたりしていた。
しょっぱかった物の味がすっかり抜け落ちるくらい、唾液を溢れさせた口腔で何度も舐めあげる。
水を啜るような音を立ててからいったん口を離し、裏の筋を舐めあげ、亀頭の下を舌の先でくすぐる。
「……気持ちいい?」梅子が聞くと、「ああ」と切ない返事が返ってきた。
再び信郎にしゃぶりついてビショビショに濡らすと、口の中の、パンパンに膨らんだ信郎の先端にある割れ目を舌で刺激する。
信郎の口から湿った吐息が漏れて、梅子は頭を抑えられた。
「梅子……、もう……」
「……なに?」口を離した梅子が、右手で信郎自身を拘束しながら問いかける。
「……梅子……」信郎が再びかすれた声で梅子の名前を呼び、両手を梅子の方向へ広げた。
梅子は自分の下着も外し、誘われるようにして信郎の体の上を這い上がる。
すっかり硬くなった信郎の中心部まで来ると、梅子は上体を起こして馬乗りの姿勢で、腰を浮かせながら信郎を見た。
入りたそうな顔をしている。中心にそびえる分身も入りたそうにして、梅子の粘液に身を擦りつけてきた。
暗がりの中で一瞬目を合わせた後、すぐに目を閉じて唇を重ね、腰を落とす。
両手で信郎の頬を覆い、信郎の口腔に溢れた唾液を吸い上げて舌を絡めとると、生々しい性の匂いを混じりあわせた。

柔らかな肉が押し広げられていく。梅子は全身で信郎を感じながら、ゆっくりと、ゆっくりと信郎を飲み込んでいった。
「んっ……ふ…、あぁ……っ…」梅子の口から吐息が漏れる。
根元から信郎の全てを体の中へ納めた後で、もうひと押しするよう腰を沈めると、信郎の先端に子宮口が突き上げられる。
「あ……っ。はぁ…っはぁ……ンっ…あぁっ……」
胎内を揺さぶられる快感に、開きっぱなしの梅子の口からは喜びにむせぶ声が漏れ出した。
梅子が腰を揺らすたび、濡れた蜜壺からいやらしい水音が溢れる。
「…っはぁっ……はぁっ……は……っ」部屋には二人の荒い息が響いていた。
信郎は梅子の下から両腕を伸ばし、襟元を開かせて夜目にも真っ白な梅子の乳房を露わにした。
次に、梅子の乳首をかすめる程度の距離で、両手の人差し指をクルクルと回転させる。
「ん……っ、ふう……っ…」
乾いた快感が、突き刺すように梅子を襲う。とっさに親指をかんだ梅子の口から、熱い吐息が漏れた。
しばらく同じ刺激を梅子に与えていた信郎は、梅子の様子を見極めながら、親指と人差し指で乳首をつまむと、コリコリといじり始める。
梅子の腰の動きが、一段と速くなる。倒れ込んでしまいたくとも、信郎の腕がつかえ棒のようになっていて、それを許さない。
「ノブ……、ノブ……」
吐息のように信郎の名前を囁き、薄らと目を開けて信郎を見下ろす。信郎は、とても優しい、さっき下の部屋で見せたような顔をした。
「気持ちいい……」
梅子が湿った息を吐き出すと、濡れた言葉が同時に漏れた。優しく微笑んでいた信郎の口の端が、ニッと上がる。
快楽を送り込まれてぷくりと膨れた乳首を、信郎は親指と人差し指を交互に動かしながら、強くしごき始める。
「だ…駄目……っ、ノブ。そんなにしちゃ……あっ…」
慌てて掴んだ信郎の前腕は鋼のように硬く、梅子を追い詰めるために内部の筋肉を休むことなく動かしていた、
信郎の瞳へ欲望にぎらつく光が見える、もう逃げられない。観念した梅子の下半身がブルブルと震えだす。
「ああっ……」梅子はかすかな悲鳴を上げて、顎を天に向け、背中を弓なりに反らせた。
「待て……、梅…子っ……」
下にいる信郎の呻くような声が耳に入り、一瞬ハッとして体中に入っていた力を抜く。
「あんっっ……」一瞬強く突き上げられた後、梅子の中から信郎が勢いよく飛び出した。
「そんなにしたら、すぐ出ちまうだろ」
突然体の一部が抜け落ちたような感覚に、体が混乱する。同時に、心には寂しさと心細さが襲ってきた。
もしかして、泣きそうな顔をしていたのかもしれない。やさしく肩を抱かれて、信郎と上下が入れ替わった。

「あんまり、大きな声出すなよ」
追い込まれた信郎が、焦った様子で自分の腰紐を外し、寝巻を脱いでいく。
梅子も弾かれるようにして前をはだけ、袖から腕を抜き、信郎を迎えた。
挿入に合わせて、信郎の体が重たくのしかかってくる。肌と肌が重なり合い、ぬくもりを伝えあう。

空気に触れて冷えた信郎が、熱く蕩ける梅子の中心で、存在感たっぷりに押し入ってきた。
一つになれた喜びと安堵感に包まれる瞬間。梅子の目の端を、一筋の涙が伝っていった。
信郎は自分の両腿で梅子の臀部を押し上げるようにして、入り口を大きく開かせると、いったん抜きかけた陰茎を一気に突き入れる。
「ん……っ!」飛び出しそうになった声を、指を噛みしめて押し殺し、梅子は苦しそうに眉根を寄せた。
「ノブ……。あ……っ、ノブ……」
奥深くまで突き上げられ子宮を揺さぶられるたびに、梅子はうわ言のように信郎の名前を呼ぶ。
信郎は息を荒くして梅子を貪っていた。梅子は下がってきた信郎の首筋にしがみつき、囁くような声で信郎の耳元へ切ない気持ちを叫ぶ。
「好き……、ノブ……っ。……大好き……っ」
信郎の顔が、梅子に向けられる。信郎は大きく口を開き、梅子の言葉ごと口を吸い上げた。頭の中が、真っ白に弾けとぶ。
梅子の意識の全てが、緩急をつけて律動する信郎自身に集中する。足がピンと伸びて、天を向いたつま先が内側に丸まった。
腕を立てた信郎の上腕を掴んで、両足を大腿部へ絡みつかせる。
「ノブ……、あ…駄目……!も…う、……お願い……」
尻を鷲掴みにされ、腰を激しく打ち付けられる。何度目かで信郎が動かなくなると、梅子の中の信郎自身が爆ぜた。
息を切らして倒れ込んできた信郎の背中へ手を滑らせ、汗ばんだ体を抱きしめる。
信郎の物は、まだ梅子の中でビクビクと脈打っていた。
「嬉しい……」
生身の信郎を受け入れて、その吐き出される暖かい精を直接受け止められる喜び。この時の気持ちは、優越感だったかもしれない。

「あーっ、もう動けねぇ」
事が終わると、信郎は梅子の横へと崩れ落ちた。長い信郎の手も足も、力がすっかり抜け落ちているようでダラリと伸びきっている。
「しょうがないわね」梅子は起き上がりながら寝巻を引寄せて身にまとうと、傍らの信郎を見て微笑んだ。
ティッシュを取りかけた梅子が、「そうだ」と言って信郎の脱いだ寝巻を掛けてやり、階下へ行って持ってきたものは濡らしたタオルだった。
「ノブ、お風呂に入ってないから。こっちの方が気持ちいいでしょ」
一瞬ひやりとしたのか、信郎は顔をしかめたが、すぐに心地よさそうな表情をして目を閉じた。
梅子が丁寧に体の方まで拭いてやり、下半身の汚れもきれいに拭き取って下着を履かせ、寝巻も着せてやると、
信郎は寝たままの状態で大きく手を広げた。
「ん」子供が催促するような声を出す信郎の懐へ収まるように横たわると、梅子は信郎に力強く抱きしめられる。
「ありがとうな」顔の見えない頭の上で、信郎が呟いた。
「もう、不器用なんだから」梅子が言うと、「しょうがねぇだろ」と信郎が返す。
こんな不器用なノブに、人を騙したり嘘をついたり出来るはずがない。山川さんの事だって、ノブには隠す事なんて何もないはずだ。
そう思うと梅子の胸からモヤモヤしたものが薄れていき、信郎にしがみついたまま目を閉じて、安らかに意識を手放していった。

――終――

どなたでも編集できます