多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

物語り

とある深い森の奥、黒い霧に包まれた湖のほとりに、立派なお城が立っていました。
たくさんの召使いに囲まれたお城の主は、まだ年幼い女の子です。
召使いたちは皆とても女の子に忠実でした。
中でも信頼されていたのは、三代も前から城に使えている老執事。
執事はどんな時も決して女の子の側から離れません。
同年代の友達のいない女の子にとって、執事はいちばんの話相手でした。

女の子はお城の中を見て回るのが好きでした。
執事を連れ立って、地下室から天井部屋までを隅から隅まで歩くのです。
外の世界を知らない小さな女の子にとって、その散歩はまさに冒険でした。

「じい、この扉はどこに繋がっているのかしら?」
「古い物置きでございます。長い間使われていないので、綺麗な場所とは言えません。
 お着物が汚れてしまいましょう」
「でも一度くらい中を覗いておきたいわ。構わないでしょう?」
「お嬢様がそうお望みならば」

女の子はお城の中を何百回となく散歩しました。
やがて女の子は、お城のことについて誰よりも詳しくなりました。
どの通路がどの部屋に通じているかはもとより、
どの部屋にどんなものが置いてあるかといったことから、
どの柱にいくつの傷がついているかといったことまで。
いまや女の子には、お城の中のあらゆることが手に取るようにわかりました。

お城の中を知り尽くした女の子は、次に外に興味を持ちました。
「じい、このお城の外には何があるのかしら?」
「霧でございます。
 この城は湖からわき立つ濃い霧で包まれているのでございます」
「その霧の向こうには?」
「森がございます。
 外からやってくる者を阻んでこの城を守る深い森でございます」
「では、その森の向こうには?」
「人間が住んでいます」
「人間だったらこの城にもいるわ」
「その数が違います。
 森の外にはこの城の何千倍、何万倍という人間がいるのでございます」
「本当かしら?
 そんなにたくさんの人がいたら、ぎゅうぎゅう詰めになってしまいそうなものだけど。
 このお城にだって、そんなに人は入りきらないわ」
「いいえ、お嬢様。
 外の世界は途方もなく広大なのでございます。
 外の広さと比べれば、我々の城すら小さな点に過ぎません」
そんな広いところ、女の子には想像もつきません。
ずっとお城の中で育ってきた女の子にとって、世界とはお城と同じ広さだったのです。
女の子のいちばんの興味は、お城の中から外の世界に移りました。

女の子は、外の世界について執事に尋ねました。
執事はその質問に、ひとつひとつ丁寧に答えていきました。
「お前の話が本当なら、じい、外の世界はとても素敵なところだわ」
「まだお若いお嬢様にとっては然様でございましょう。
 しかし城の外は、良いことばかりではございません」
それは女の子も同感でした。
執事の話では、外の世界の人々の間には常に不和が絶えません。
誠実で温かい召使いに囲まれて暮らす女の子は、それが不思議でなりませんでした。
「じい、外に住む人たちは、どうしてああも争ってばかりなのかしら?」
「それは不思議なことではございません。
 たくさんの人間が集まったとき、そこに考えの違いが生まれるのは当然のことでございます」
「でも同じ人間でも、この城の皆はとても仲良しだわ。
 私はこのお城の中で、誰かが喧嘩しているような光景を見たことがないんだもの。
 外の人たちには、何かすぐ険悪になってしまう理由があるんじゃないかしら」
「お嬢様、それは反対でございます。
 外に住むの人々ではなく、この城の者たちの方が特別なのでございます」
「まあ、じい、たしかにお前の言うとおりだわ。
 私はどうしたって自分のことを中心に考えてしまうけれど、
 特別なのがいつも自分の方でないとは限らないのね」
そうして女の子は、どうして自分たちの城にだけ不和がないのかを執事に尋ねました。
執事は順を追って、この城の過去をひとつひとつ説明していきました。

三代前の城主、つまり女の子のひいおじいさんはとある小国の大臣でした。
ひいおじいさんは公明正大な優れた政治家でしたが、宮中に起きた政争に敗れてしまいます。
一族とその召使いは国を追放され、人里離れ打ち捨てられたこのお城に住まうことを命じられました。
森から出ることを禁じられた一族は、最初のうちは生活にたいそう苦労したそうです。
なにせ、何の知識もないまま森に放り出されたことになるのですから。

「わたくし達は少しずつ森の中で生きる術を学びました。
それはそれは、困難な日々であったと記憶しております。
しかし何年もそうして暮らしていると、自ずと森との接し方が分かってまいります。
一度適切な距離感が掴めれば、森は決して脅威ではございませんでした。
やがて我々にとっての森は、外から来る者を阻む得がたい守り手とすらなったのでございます」

それから何十年の月日の後、遂に女の子は生まれました。
城主もその息子もとうに亡くなり、当時の城の主は女の子のお父さんです。
一族はすっかり森に溶け込んで生活を続けていました。
いまや波風の立たぬ穏やかな日々が当たり前、異変が起きたのはそんなときです。
にわかに、城内を恐ろしい疫病が襲ったのです。
人の身体を喰らい、人から人へと移る死病です。
森の加護も、目に見えぬ悪病までは阻んではくれませんでした。
もともと狭い城の中です。病はあっという間に伝染します。
召使いたちは次々と病に倒れ、その魔の手は城主にまで襲い掛かりました。

「幸いお嬢さまは病に染まりはいたしませんでした。
お父上の身を挺したご対処が功を奏したのでありましょう。
城のすべての者を病が侵す中で、お嬢様だけは最後まで健康であり続けました。
とはいえ、どの道ほかの者たちは助かりはいたしません。
この森にお嬢様一人だけが取り残されるのは、何とも酷なことでございましょう。
そうお考えになったお父上は、悩み抜いた末に一計をご案じになられたのでございます」

「じい、お前の話はおかしいわ」
女の子は執事の言葉に疑問を挟みます。
「だって今でもこのお城の皆はぴんぴんしてるじゃないの。
 不治の病って、それはつまり治らないってことでしょう?
 辻褄が合わないわ」
執事は少しのあいだ口を噤みました。
にわかに沈黙がおり、しかしやがて話は再開されます。
「その通りでございます。
 わたくしたちの病は、治るようなものではございませんでした。
 どうせ助からぬ身であるのならば、たとえその身を捧げてでもと……
 それが父上様のお考えでございました」

女の子は理解しました。
実際にどのようなことが行われたかは分かりません。
それでも、今の自分がどのような意思によって生かされているのか、
その真実を直観的に確信したのです。

「お父上様は、森の大霊とご契約を交わされました。
 望む者は自らの命を森に捧げ、その霊の力を持ってお嬢様を守り続ける。
 城の者たちにも、もはや反対の声はございませんでした」

病に弱った魂とはいえ、何十人分もの生命の力は莫大なものでした。
その力を用いて、森の大霊は死んだ召使いたちに仮初めの命を与えました。
それは魂も意識も持たず、過去の記録を元として動く外の見だけの命です。
それでも召使いたちは生前の意志に倣って、そして森の大霊に操られて、
まるでどこにでもいる人間と同じような姿で女の子を見守っていたのです。

「つまり、じい。
 あなたもその仮初めの人間の一人と言うことなのね?」
「その通りでございます、お嬢様」

お城の秘密を知ってからも、女の子は今まで通りの生活を続けました。
ただし、ひとつだけ変わったことがあります。
女の子は、以前のように頻繁にお城の中を散歩しないようになりました。
それよりも、自分の部屋で何か考え事をしている時間が多くなったようです。
そうしてまた、何事もなく何週間かが過ぎました。

ある晩、女の子はとつぜん老紳士の部屋を訪ねました。
「ねえ、じい。
 このお城に不和がないのは、お父様たちが森と契約したからと言ったわね」
「は、お嬢様。たしかにそう申し上げました。
 我々の魂によってお嬢様に与えられた森からの加護が、
 城民を命あるかのように動かし固く結束させているのでございます」
「じゃあ、森の外に出たとしても、お前たちは今のように振る舞えるのかしら?」
「加護の対象であるお嬢様は、出来る限りこの森にいらっしゃらねばなりません。
 しかし加護の結果である我々は、森の外に出ることに何ら支障ございません」
「そう。それじゃあもうひとつ、
 お前たちに新しい仲間を加えることは出来るのかしら?」
「は、お嬢様がそう望まれ、依り代となる肉体さえございますれば、
 森の加護がその者を新たな仲間として我々に招き入れましょう」
「うん、そう。よく分かったわ、じい」
女の子は、何かを決意した風に老執事を見上げました。

「それで、じい。私考えたのだけれど。
 もしも外に住む人たち皆にお前たちと同じ魔法を掛けてあげたら、
 きっと世界中から悲しい不和がなくなってしまうんじゃないかしら?」
「それが成し遂げられれば、確かにお嬢様の仰る通りになりましょう」
「ねえ、じい、本当に私にそれが出来ると思う?
 お前は私を手伝ってくれる?」
「は、お嬢様のお望みとあらば」

 このようにして、あの長く恐ろしい死者の森の侵攻が始まったのです。

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