否定派の主張

『戦争とは何か』を執筆し日本軍の暴虐を宣伝したH・J・ティンパリー(「マンチェスター・ガーディアン」中国特派員)の経歴は謎に包まれていたが、近年になって国民党中央宣伝部国際宣伝処の顧問であったことが明らかになった。

『戦争とは何か』は南京と東京の裁判で「大虐殺」を立証する重要証拠とされたが、なぜかティンパリーは法廷に姿を現さなかった。
情報工作者が身元を秘すのは「世界の常識」であろう。このように考えると、ティンパーリーの著作に登場する多くの欧米人が「南京大虐殺」を裁く南京や東京の法廷に出廷したにもかかわらず、ティンパーリー自身が全く姿を現さなかったことにも説明がつく。姿を晦ましていたのである。

(北村稔『「南京事件」の探求』p34より)

反論

『戦争とは何か』の編集に携わった時点でティンパリーは国民党国際宣伝処の顧問ではない。顧問であったのは確かだが、就任した時期は1939年(または1938年の7月)である。

ティンパリーが中国政府の広報顧問を務め、その後に国連機関のUNRRAや UNESCOの顧問、インドネシア政府の顧問を務めたという経歴は、ずいぶん昔から広く知られていることであり、ティンパリー一族のウェブサイトにも堂々と記載されている。
経歴が隠蔽されていたとか、新発見されたとかいうのは、おどろおどろしい陰謀があったと思わせるための印象操作に過ぎない。

裁判に出廷しなかったことも不思議に思うようなことではない。『戦争とは何か』が事件を立証する重要証拠として扱われたという認識がすでに間違っている。
上海にいたティンパリーは事件を目撃しておらず、ただジャーナリストの立場から資料をまとめただけであるので、証人として呼ばれなかっただけの話だろう。国連の職員に向かって「姿を晦ましていた」とはひどい言い草である。

Timperleyの著書は裁判と関係があるか?
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924...
H・J・ティンパリーの伝記
http://www.timperley.org/references/REF0019.HTM
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