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790 名前:彼女達の独白 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:32:18 ID:GKQJka4I [2/15]
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SIDE:A
晴れ渡る青い空と眩しい木漏れ日。
犬達と庭で遊ぶのに絶好のそんな天気の日は、いつもあたしの胸の奥が小さく疼く。
勿論、身を引き裂くような、と大げさに形容されるような痛みではないし、そんな昼下がりは犬達にフリスビーでも投げて笑いながら過ごすのがあたしの常だ。
しかし、拭いきれない憂鬱な思いが、あたしの胸の奥にはべったりとへばりついている。
歯痛のように、意識から追い出すことのできない痛みが、ずっとあたしを苛み続けている。
痛みは、いつもあたしに問いかける。「本当に、それで良かったのか」と。
まるで悪い毒にでも冒されたようだ。勿論、解毒剤は無い。
あたしは、自ら進んでその毒に身を委ねたのだから。
昼下がりのティータイム、高級な紅茶と舶来品の洋菓子がバルコニーのテーブルに並ぶ。
犬達があたしの膝にじゃれつき、あたしはその美しく柔らかな毛並みにそっと手櫛を通した。
天気予報は、明日も晴天を告げていた。高気圧の影響で、今後一週間は暖かく穏やかな日が続くでしょう。続くでしょう。
そう、今日のような満ち足りた日が明日も続く。明日も、明後日も、その次も、その次も、その次の次の次も、ずっとずっと続いていくのだ。
なんという幸福。なんという安寧。
しかし、この満ち足りた安寧な日々こそが、このあたし、アリサ・バニングスを日々蝕む最悪の毒に他ならなかった。
彼女たちの独白。
自分が他人と違うことを理解したのは、一体いつだっただろう。
小学校低学年の頃のあたしが全く無理解だったのは間違いない。
今思えば、なのはやすずかと毎日やんちゃをしていたあの頃が、あたしの一番幸福だった時代だろう。
小学校一年生の頃のあたしは、それはそれは典型的な我儘なお嬢様だった。増長して他人を見下し、何でも自分の思い通りになるものだと信じていた。
幼いながらに、他人とは違うことを自覚はしていたが、本質的な理解はまるでなく、自分は他の子より偉いんだという、漫然とした全能感に身を任せていた。
そして、すずかと――なのはとの出会い。初めてできた対等の友人。あたしも周囲の子達と何一つ変わらない人間なのだと、初めて実感した。
……そんな、道徳の教科書のようなあたしの改心は、結果としては間違いだったわけだけど。
楽しかった。普通の子達と一緒になって日々を過ごすのは楽しかった。
掛け値無しに楽しかった。今思い出すと、本当に、涙が出るくらい楽しかった。
しかし、小学校三年生に進学した頃から、あたしの黄金の思い出は少しづつ色褪せ始める。
あたし達の輪を外れ、独りで悩みを抱えるようになったなのは。
魔法の世界なんて、常識外れのとんでもないものに関わっていた彼女の心情としては、当然のものだろう。
だが、まだ幼いあたしにとっては、どうしようもない理不尽だった。
それでも、あたしは信じていた。いつか、なのははあたし達に悩みを打ち明けてくれるだろうと。手を貸してくれと、言ってくれるだろうと。
そんな、淡い期待を抱いていた。
なのはの悩み事が解決したと聞いた時、あたしは安堵と共に、若干の落胆を覚えていた。結局、なのはは、独りで悩みを解決してしまったのかと。
……尤も、彼女は決して独りで悩みを解決した訳ではなく、そこにはあたし達の知り得ない出会いと友情があったのだが。
これで、なのははまたあたし達の所に戻ってきてくれる。そんな風に素直にあたしは喜んだ。
しかし、高町なのはという少女の生きる世界は、緩慢に、あたし達の生きる世界との乖離を続けていたのだ。
少し、高町なのはについて語ろう。
あたしの初めての友人と呼べる存在。そう呼ぶと、少々語弊があるかもしれない。
なのはとすずか。その二人しか、あたしは友人と呼べる存在を作れなかったのだから。
幼稚な優越感に浸ってすずかを苛めていたいたあの日、あたしの頬を叩いたのがなのはだった。
あの日の痛みと衝撃は、今でもはっきりと覚えている。
そしてもう一つ。小学一年生の朧げな思考ではあるが、明瞭に思ったのだ。
あたしは、初めて、誰かに真正面から見つめて貰えた。
当然のようにあたしを愛する両親や、屋敷の執事達とは違う。
あたしと同じ齢の、あたしと同じ高さの視線が、正面からあたしの瞳を覗き込んでいた。
そのことに、言葉にならない安堵と歓びを感じながらも、その頃のあたしはそれを表現する言葉を持たず、あたしの行動ルーチンは、親にも叩かれたことの無い頬の痛みに対する報復を選択した。
端的に言えば、大喧嘩である。
爪を立て、髪を引っ張り合った。それらの行為は加害者の立場で行ったことはあっても、相手がやり返してくることなど、全く初めてのことだった。
教師に仲裁され、引き離される時まで、あたしは拳を振り上げて怒りを露にしていたという。
でも、きっと――その時のあたしの口許は綻んでいたに違いない。あの日を思い出す度に、そんなことを取り留めなく思っている。
あたしたちの喧嘩は、保護者の呼び出される騒ぎとなった。
両親同士の対面。あたしは興味津々に、高町なのはの家族というものを見つめていた。
現れたのは、取り立てて変わった所も無いごく普通の男性。喫茶店「翠屋」のマスターを勤めているという、なのはのお父さん――高町士郎だった。
彼は飄々とした仕草であたしの父から名刺を受取り、照れくさそうに頭を掻きながら、この度は娘がご迷惑をお掛けしましたと頭を下げた。
今はその人柄を良く知っているが、その時の彼の対応は、今思えばとんでもないものだったのである。
あたしの父は、デビット・バニングス――日米にいくつもの関連会社を持つ大会社の経営者である。
それを知った大人達は、誰もが平身低頭して、青褪めた顔にへつらいの笑みを浮かべながら何度も頭を下げ、逃げるように早足で去るのが常だった。
そんな様子を幾度も目にしていたことが、あたしの幼少期の増長の一因となっていたのは間違い無い。
なのはの父は、それを知りながら、まるで旧友に接するような気さくな態度で、サッカーなどの話題で父との談笑に花を咲かせていた。
それは、あたしに対するなのはの態度と同じものであった。
その後あたし達はお決まりのように意気投合し、あたしとなのはとすずかの三人は親友となった。
互いの家を行き来するようになり、高町家の人々と親しくなって、はっきりと解った。なのははあの大らかで暖かな家族の中で育まれたのだ。
高町なのは。彼女は、全く普通のどこにでもいる少女だった。――少なくとも、あの日までは。
すずかの父は、あたしの父には遠く及ばない規模ではあるものの、工業機器の開発を営む会社の社長である。
あたしとすずかは社長令嬢。そして、なのはは、喫茶店の店長の娘。
俗な秤に染まった今なら、あの仲良し三人組の中で、なのはだけが明らかに劣る家柄の娘であることが解る。
無論、あの時から今に至るまで、あたし達はそんな詰らないことを気にした事など一度として無いのだけれど。
尤も、小学生だったあたし達は意識すらしなかったが、あたし達の学校、私立聖祥大学付属小学校は小学校から大学まで一貫式のミッション系スクールだ。
そこに通っていたいた時点で、あたし達はその他多くの平凡で普通の小学生達より、ハイソサエティに属していたことになる。
……本当に嫌になる。この数年間で、あたしは誰かに会うとまずその社会的地位を値踏みする癖がついてしまった。
それは、状況に応じた立ち振る舞いを要求される社長令嬢として、当然身につけるべき嗜みであったが、あたしの価値観までがそれに侵食されていくようで、時折空恐ろしくなる。
あたし達を束縛する数限りない軛。曰く、財力、家柄、地縁、血縁、地位、年齢――。
息苦しくはあるが、誰もがそんな面倒事で構成された現代日本の世間という海の中を泳いで生きている。
こうやって、プライベートビーチで遊んで一日を終えることができるあたしの人生は、他人から見れば限りない程のイージーモードだ。
しかし、なのはは誰もが逃れられない全ての軛を解いた。完全に脱却した。
ごく普通の少女だった筈の彼女は、魔法少女という余りにも現実離れした存在となって、異世界へ旅立って行ってしまったのだ。
社長令嬢がなんだ。日米に展開する大企業がどうした。
それらは凡て、この世界という小さな「 」の中だけで成り立つ価値観。
そんな既成概念の外に出たなのはこそ、真にノーブルな存在だ。
午後になって、馴染みの来客が訪れた。あたしの親友、すずかだ。
なのはと違って、彼女とあたしの関係は、出会ってから大学を卒業した現在に至るまで全く変わっていない。
否。16年間を同じ聖祥の学舎に通ったのだ。あたしとすずかは、幼馴染みや親友という言葉では言い表せない、ある意味家族以上に親密な関係を続けている。
勝手知ったる様子で、バルコニーに訪れたすずかと視線を交え、小さく笑みを交わしてひらりと手を振る。
今日の挨拶は、それだけで充分だった。
青空の下での、暫しの談笑。彼女の為に用意した、上等の洋菓子と紅茶。
誰にも邪魔されない、あたしとすずか、二人だけの時間だ。
喋るのは他愛もない雑談。家の猫や犬の話、天気の話、新しく見つけた甘味屋の話。本当に、他愛もない雑談だ。
だが、あたしにとってすずかとの時間は、他の何物にも掛替えの無いものだ。
胸の奥にへばりつく鈍い痛み。昔と同じようにすずかと話している間だけ、その痛みが少しだけ薄れる。
すずかと話すのは楽しい。本当に楽しい。
――例えなのはが居なくても、楽しいと錯覚しなければならない。
ふと、話が途切れた。静かに青空の梢のざわめきを楽しみながら、静かにティーカップを傾ける。
……頃合いだろうか。
あたしは静かに椅子を立ち、すずかに目配せをした。
彼女はついと目を伏せ、頬を微かに染めながら肯いた。
手を差し出すと、すずかは控えめに自分の掌を重ねる。
あたしは、彼女の手を引いて長い廊下を歩いて自分の部屋へと向かった。
オーク樫の重い扉が軋みを上げて閉じる。
厚いカーテンを引いて照明を落すと、あたしの部屋は闇の帳に包まれた。
暗闇の中でも仄白く浮かぶ美しい裸身に、そっと指を這わす。
ぞくりと身を震わせるように、すずかの体が跳ねた。
つい、と舌先をその肌に落し、緩慢に舐め上げる。今日の陽気のせいだろうか。微かに汗の味を感じる。
むずかるように所在なく動く太腿に、自分の足を絡めて押さえつけた。
一体、いつからだろう。こんなことを始めたのは。
最初に誘ったのは、あたしからだった。
何の変哲も無く、車輪の中の鼠のように繰り返される生活に対する、ささやかな反抗。
とは言ったものの、今の環境にそう大きな不満があるわけではなく、むしろこんな安定した生活を与えてくれた父母には感謝をしている。
勿論、家を出奔して非行に走る気などは更々無い。
ただ少しだけ、ほんの少しだけ、この生活に背徳感のある刺激が欲しかったのだ。
始まりは、あたしがすずかを抱きしめるだけの、幼く拙く、純情な行為だった。
いつからだろう、すずかを抱きしめるあたしの指先に、淫らな熱が灯るようになったのは。
すずかの背中を抱きしめていただけのあたしの指先は、虫が這うような緩慢な動きですずかの服の下に潜り、一枚、また一枚と彼女の衣服を剥いでいった。
……それは、一輪の薔薇の花を愛でていた時に湧き上がったのと同じ衝動だ。
一枚、また一枚と美しい花弁を剝して散らし、その芯の部分に迫っていく、後ろ暗い興奮。
すずかは、拒まなかった。
事が済み、隣で眠るすずかを置いてあたしはそっとベッドから抜け出した。
体に残る熱を洗い流すような冷たいシャワーを頭から浴びながら、あたしは姿見に映る己の姿を見つめる。
見知ったあたしの瞳が、あたしを覗きこんでいた。
――少し、あたしについても話をしよう。
あたし、ことアリサ・バニングスは世間一般の基準に照らし合わせれば、類稀な美女である。
勿論、人前でこんなことを言い切ってしまえる程、恥知らずでも傲慢でもないが、そのことは客観的事実として自覚している。
長く均整のとれた肢体、砂時計型の腰から胸にかけてのプロポーション、そして西洋人の父譲りの金髪と、日本人離れした目鼻立ち。
あたしは幼い頃から、己が他人からかけ離れて美しい外見の持ち主であることを自覚していた。
自身の審美眼に照らし合わせても間違いは無かったし、周囲の人間のあたしを褒めたたえる言葉には、見飽きたあたしの地位に対するへつらいとは確実に違う、真実の響きがあった。
あたしは、人並み外れた美を与えられて生を受けたのだ。
しかし、薔薇の美しさを決めるのはその品種のみではない。薔薇が真実美しく開花する為には、庭師の手入れが欠かせない。
そして、あたしを育んだバニングス家の資産は、あたしを理想の女性像とも言える姿へ見事仕立て上げた。
そう。何の面白みもない、雑誌とモデルとなんら変わらない形通りの美女に。
あたしは、幼い頃から己の人生に飽きていた。
物心ついた頃には、あたしは他人の価値を不等号で量る習慣を身につけていた。
その価値判断に照らせば、ハイソサエティーと言える私立聖祥大学付属小学校の中でも、周囲の有象無象の人間はあたしの顔色を覗くばかりの雑魚ばかり。
大抵のクラスメイトは、幼いなりに己とあたしとの違いを肌で感じとり、距離を置くようになった。
勉強も、運動も、立ち振る舞いも、常に正しく一番であるように。
あたしはスクールカーストの頂点に立ち続けた。
思えば、それは何て孤独な優越感だったのだろう。
それを見事に壊してくれたのが――高町なのはだった。
それから、なのはが魔法という非日常の世界に入り込むまでの三年間が、あたしにとっての至福の時間だったことは間違いない。
あたしたちは、三人で足りていた。三人で完結していた。
あの、ユーノ・スクライアが、そしてフェイト・テスタロッサと八神はやてがあたしたちの仲に入り込んで来るまでは。
……彼女たちと出会って、なのはは変わった。変わってしまった。
あたし達と過ごす時間は少しづつ減り、そして、あたし達の手の届かない魔法の世界で過ごす時間が少しづつ増えていった。
別段、あたしはフェイトやはやてを嫌っているわけではない。
二人とも、とても好ましい人物だと思っているし、あたしにとっても交友を結んでいる数少ない輩だ。
しかし、彼女達と出会ったことであたしの許からなのはが去っていってしまったという事実を思う度、云い様の無い彼女たちに対する怨恨がこみ上げてくるのである。
わかっている。これはあたしの逆恨みに過ぎない。
この感情の本質は嫉妬だ。今の尚なのはの隣に居るフェイト・テスタロッサが、あたしは羨ましくて堪らないのだ。
あたしの友人と呼べる人間の大部分は、なのはに紹介された魔法世界の住人だ。
クロノ、シグナム、スバル、ティアナ……。
皆気持ちの良い人物ばかりであるし、あたしを詰らないこちらの世界の枠で量ってへつらうようなこともない。
あたしにとっては有り難い友人と言える。
だが、足りない。
どこまで行っても、あたしが本当に親友と呼べるのは、なのはとすずかの只二人だけなのだ。
あたしとすずかが高校に進学する頃、なのははミッドチルダに移住した。完全に、あちらの、魔法の世界の住人となったのだ。
そしてなのはを失ったあたしは、再び高校という荒野に投げ出された。
聖祥大学付属高校では、エスカレーターだった小中と変わって、受験によって外部の人間が混じり、人間関係が一からリセットされる。
その中で、あたしは明確な異邦人だった。
高校に進学する頃には、あたしは女性としての美を完成させつつあった。
加えて、家柄や学力といった下らないヒエラルキーを意識し始める年頃でもある。
中途半端に顔がいいだけの女や、勉強ができるだけの女などは、総じていじめの対象などになり易い。
しかし、あたしに手出ししようとする者など、居よう筈も無かった。
どれだけ手を伸ばしても、指先さえ届かない相手の足を引っ張ろうとする愚者など居ない。
あたしは、嫉妬の対象にも、羨望の対象にも、努力の目標にもされなかった。
ただ、彼女たちはあたしを、自分とは無関係な世界の人間として放置するのみだった。
あたしの傍に居てくれたのは、すずかだけだった。
思い返せば、あたしならできた筈だ。彼女達と交友を結び、実りある高校生活を満喫することが。
それだけの社交能力も経験も、あたしには備わっていたのに。
だが、あたしも又彼女達を無視した。なのはとすずか以外の友人など、欲しくも無かった。
自分の人間関係を拡張することを、あたしは完全に放棄していた。
この社会の中で、人生の勝ち組と呼ばれるだけの条件を備えながら、あたしは自分の人生を何ら拓こうとしなかったのだ。
ただ、過ぎたなのはとすずかの三人の思い出に繰り返し浸るだけだったのだ。
ああ、もう認めよう。
あたしは、なのはの事が好きだった。
それも、唯の友人としてでは無く、性的な意味での好意をずっとなのはに抱いていたのだ。
すずかを抱くのも、その代償行為だ。なんて醜いあたし。
なのはの笑顔が、幾度も脳裏に浮かぶ。
こんな詰らない世界の詰らない些事を文字通り飛び越えて、なのははあたしの手の届かない世界へ行ってしまった。
……もしかしたら、あたしもなのはと一緒に向こうの世界について行くという選択肢もあったのかも知れない。
べつに、あちらの世界も魔法使い以外お断りという訳ではないらしいし、あたしの才能を生かせる場所など幾らでもあった筈だ。
でも、行けなかった。
なのはの隣に、フェイト・テスタロッサが居たからだ。
なのはの親友。魔法使いとしてなのはを支えることが出来る、なのはと同格なパートナー。
もしも、もしもあたしが向こうの世界に行って、なのはとフェイトが仲睦まじく戦う姿を眺めることしか出来なかったなら――。
そんな事、想像するだに耐えられなった。
ああ、何て妬ましいフェイト。なのはと同じ空を飛べる彼女達が羨ましくて堪らない。
勿論、あたしがなのはの隣に居場所を見つける事も出来たかもしれない。何かの形で、なのはを支えることが出来たかもしれない。
だが、臆病なあたしはその一歩を踏み出すことができなかたった。
父母のこと、バニングスの一人娘であること、すずかのこと。
自分への言い訳は、幾らでも容易く思いついた。
あたしには、勇気が足りなかった。素直になれなかった。
天秤が反対側に傾くのを見たくなくて、天秤に乗ることさえ放棄した。
結果。
なのはの人生にあたしはもう居ない。
勿論、交友はまだ続いている。なのはがこちらの世界に戻った時には久闊を叙す。
それでも、あの幼い頃のような、濃厚で親密な時間はもう来ない。
今なのはとそんな時間を過ごしているのは、フェイトや、スバルや、なのはの愛娘のヴィヴィオだ。
あたしには唯、過ぎた時間を思い返すことしかできない。
人生で一番楽しかった時間を問われ、小学校3年生という幼少期しか挙げられないあたしは、きっと病んでいる。
普通なら、思春期の多感な時期や、甘酸っぱい恋を経験した経験や、社会への会談を登る青春期などを挙げる筈だ。
だが、あたしには、もう、あの頃しか思い出せない。
きっとこれから、あれ以上楽しい時間はもう来ないのだろう。
ただ、静かで優しい安寧の日々にくるまれて、あたしはゆっくりとここで老いていく。
――今日もまた、あたしはすずかを抱く。
なのは、なのは、なのは、なのは、なのは、なのは。
なのはの面影を彼女の向こうに思い描きながら。
きっとそのことは、すずかも解っているだろう。
あたしは今、彼女にとても侮蔑的なことをしている。
すずかが息を荒げながら、濡れた瞳であたしを見上げる。
その細い唇が、震えるながら開いた。
すずかは、掠れそうな声でこう言った。
――ごめんね、アリサちゃん……。
その後、声無く唇が小さく動いた。
でも、あたしはアリサが何を言おうとしたのかがはっきりと解った。
――なのはちゃんになれなくて。
なんて優しいすずか。なんて最低なあたし。
あたしは今日も、この安寧の毒に蝕まれながら、ゆっくりと老いていく。
SIDE:S
……少し、わたしのお話をいたしましょう。
何分、こういったお話をするのは初めてなので、少々冗長になるかもしれませんが、ご勘弁を。
大したものはお出しできませんが、お茶とお菓子を用意いたしましたので、どうぞお寛ぎになってお聞き下さい。
さて、何からお話したものでしょう。
まずは、わたしの幼い頃の夢の話から――。
あの日の夜、わたしはそっとベッドから抜け出しました。
理由はよく覚えておりません。なにぶん、小学校に上がる前の幼い頃の事でしたので。
その夜は両親が不在で、ひどく不安だった事は善く覚えています。
きっと、わたしは不安で寝付けなかったのでしょう。
それとも、夜中にお手洗いにでも行きたくなったのでしょうか?
兎も角、わたしはこっそりとベッドを抜け出しました。
あの頃のわたしにとって、その行為は大冒険と呼んで差し支えないものでした。
堪え難い恐怖に抗いながら、わたしは奇妙な昂揚に体の奥がじんと熱くなるのを感じていました。
夜闇に包まれた世界は、お昼の世界とはまるで別物でした。
お屋敷の中は暗く、昼間は幾人ものメイドさんや猫達が歩き回っていたというのに、鼠一匹の気配すらせず、しん、と鎮まりかえっておりました。
まるで知らないお屋敷に迷い込んだような心細さを覚え、わたしは窓際のカーテンを掴みながら、ゆっくりと歩きました。
自分の足音が奇妙に反響し、まるで怪物の吼声のように聞こえてわたしは幾度も頭を抱えて蹲りました。
そんな中、わたしは光の漏れている一枚の扉を見つけたのです。
向こう側には、確かに人の気配がありました。
その扉は、今までに開いたことのない扉の一つでした。
まだ幼かったあの頃は、入ってはいけないと強く戒められていた部屋が沢山あったものです。
そこも、そんな部屋の一つだったのでしょうか?
ですが、わたしは躊躇なくその扉を開きました。
孤独と恐怖は既に限界を迎えていたのです、その後に待ちうけているお説教のことなど、まるで頭にありませんでした。
はたして、その扉の向こうは部屋ではありませんでした。
階段、だったのです。
長い長い階段が、地下に向かって伸びていました。
その向こうに部屋があり、光はそこから漏れていたのです。
こんな処に階段があるなんて、わたしは聞いたこともありませんでした。
わたしは、恐る恐る階段を下り、その向こうの扉を開きました。
――自分がやっているのは悪いことだということは、とっくに解っていました。
扉を薄く開くと、部屋の中には忍姉さんが立っていました。
わたしの8つ年上の、優しく聡明な自慢の姉さんです。
姉さんは、難しい顔をして大きな作業台に向かっていました。
別段珍しいことではありません。機械いじりが趣味の姉さんは、善くこうしてラジオを分解したり、新しい道具を考えたりして遊んでいるのです。
ですが、その日は違っていました。
何が違っていたか、ですって?
一目瞭然のお話でございます。
だって。
だって、姉さんが分解していたのは、ラジオでも炊飯器でもパソコンでもなく。
メイドの、ノエルさんだったのです。
姉さん付きのメイドのノエルさん。口数は少ないですが、とても優しく有能な我が月村家のメイド長さんです。
その彼女が、姉さんの作業台の上に横たわり、人形のように分解されていたのです。
頭蓋や胸郭の外されたノエルさんの中身は、螺子と歯車と発條と、その他のよく分らない沢山の部品でできていました。
わたしは、恐ろしくて声も出せませんでした。
あの優しいノエルさんがこんな姿になっていたことも恐ろしくて堪りませんでしたが、それ以上に。
無表情で、まるで魚でも捌くようにノエルさんを分解する姉さんのことが怖くて堪らなかったのです。
わたしは、恐怖に涙を流しながら、必至に口元を押さえました。
見つかったら、わたしも姉さんにバラバラにされてしまうかもしれない、そんな茫漠とした悪寒がわたしを支配していました。
ですが、所詮は子供のかくれんぼです。
キイ、と扉が無慈悲にも鳴り響き、忍姉さんが物凄い勢いでわたしに振り向きました。
……わたしの夢の話は、そこでお仕舞いです。
気づけば、わたしはベッドの中で息を荒げていました。
夢です。
全部、夢だったのです。弱いわたしは、両親がいない恐怖に負けて、こんな恐ろしく不謹慎な夢を見てしまったのです。
まったく、馬鹿げた話です。
貴方もそうお思いでしょう?
ですが、その時のわたしは、安堵のあまり涙を零しました。
あの夢が夢で良かった。心の底からそう安堵して、こうしていつもと同じ朝を迎えることができたことに、歓喜の涙を流したのです。
姉さんもノエルさんも、いつもと何も変わりませんでした。
わたしが恐る恐る手を伸ばすと、ノエルさんは微笑んでわたしの手を優しく握り締めてくれました。
当然のように歯車なんて欠片もない、血の通った柔らかく温かな掌でした。
あんな失礼な夢をみたことに、わたしは酷く自分に恥じ入り、忍姉さんとノエルさんに罪悪感すら抱きました。
ですが、それも長くは続かず、すぐにいつもと同じ毎日を繰り返すようになりました。
当然の話です。
――え? 話はこれで終わりかって?
ええ、夢の話はこれでお仕舞いです。でも、わたしという人間の話は、これからなのです。
あの夢の話はこれでお仕舞いです。
それから連日悪夢に悩まされて、といった話もございません。毎日快眠で平和な日々を過ごしております。
……ですが、あの夢は、わたしに小さな疵を残していったのです。
ほんの小さな疵です。
何と表現したらいいでしょう。
わたしは、酷く臆病になってしまったのです。
おばけや幽霊が苦手な女の子など、別段珍しくはないでしょう。
ですが、わたしの恐怖と嫌悪は、ありきたりなそれらとは、明らかに違っていました。
おばけや幽霊のような超常の存在が『許せない』のです。
それらの出現が怖いのではなく、それらが在ること自体が、わたしの世界を犯すこと自体が許せないのです。
わたしは、酷くリアリストに成長しました。
女の同士の他愛無い会話で、恋占いのような話をすることも勿論ありました。
表面上はにこにことそれらの会話に加わりながらも、胸中では占いや呪いといった概念に対して、唾棄したい思いが充満していました。
わたしは、わたしの常識が届く範囲の世界で生きていたかったのです。
学校でも、わたしは常識人といった評価を受けていました。
友人たちの間でも、誰かの側に偏ることなく、みんなの調停役として動きました。
普通であること。
それが、わたしを安心させるのです。
よく考えれば、幾人ものメイドを雇う広大なわたしのお屋敷は、既に普通の邸宅の範疇を超えている気もしますが、わたしの通っていた、私立聖祥大学付属小学校では別段驚かれる程の規模ではありません。
わたしの親友のアリサちゃんのお家なんてもっと広いわけですし、そのくらいのアブノーマルは許容してもらえるでしょう。
何より、わたしの望む普通は、世間の評価ではなく、瑕疵の無く変化ない日常だったのです。
わたしは、ごく普通の、何の変哲もないどこにでもいる女の子です。
――少なくとも、自分ではそのつもりでした。
いつからでしょう。わたしが、自分が他人とは違うことに気づいたのは。
わたしは趣味は専ら読書です。幼い頃から独りで本を読むのは大好きでしたが、皆と一緒にお外で遊ぶことはあまり好きではありませんでした。
それなのに、何故でしょう?
わたしの運動の成績は、いつもクラスで一番でした。
ほかの子供の達が球技などをして遊ぶのを見てじれったく感じる程に、わたしの運動神経は頭抜けていました。
小学生の頃でさえ、なのはちゃんのお姉さんである、当時高校生だった美由希さんに互するまでの運動能力がわたしには備わっていたのです。
何一つ、スポーツの経験のないわたしが、熱心に剣術の訓練をされていた美由希さんに並ぶというのは、どう考えてもおかしな話です。
それは、個性や才能といった言葉で表せる範疇を明らかに超えていました。
わたしの体の異常性は、それだけでは留まりませんでした。
傷の治りが明らかに早いのです。小さな擦り傷や切り傷が、寝て起きたら消えていた、ということなどは何時ものことでした。
便利なことだとお思いですか?
客観的に利便性だけを見ればそうなのでしょう。
ですが、それがおかしなことだと知った時のわたしの衝撃は大変なものでした。
だって、そんなことはわたしにとって当たり前のことだったのですから。
……でもまあ、わたしの運動神経や治癒力は、便利な個性という言葉で、なんとか片付けてしまうことができます。
普段生活していく上で、深く考えなければ、意識の外に追い出してしまうことができる事柄です。
逃避かもしれませんが、忘れてしまうことができる小さな事象に過ぎません。
あの夢だったそうです。
きっと、年が経って大人になれば、他愛もない少女時代の夢と一笑に臥せてしまえたものでしょう。
でも、わたしは出会ってしまったのです。
『本物』に。
それは、なんて名状し難き光景だったのでしょう。
夜空におぞましき触手を広げる異形の怪物。
その奇形のフォルムは、わたしが想像力の限りを尽してイメージしたどんな怪物よりも冒涜的で、忌わしきものでした。
わたしとアリサちゃんは、ただ怯えながらその姿を見上げることしかできませんでした。
当然のことです。
ただの小学生に過ぎないわたしたちは、ただこれが悪い夢であると信じ、早く醒めてくれないかと願うことしかできなかったのです。
だというのに、その悪夢に立ち向かう存在がいたのです。
まるで魔法のように――いえ、お伽噺の魔法そのものに空を舞い、眩い桜色の光で怪物を焼き払う少女。
わたしたちの大親友、高町なのはがそこに居ました。
いつも一緒に遊んで、一緒にお弁当を食べて、一緒に笑って……わたしたちの何ら変わらぬ対等の友達と信じていた相手は、その実、遠くかけ離れた非日常の存在だったのです。
隣にいたアリサさんが、映画のヒーローでも見るようなうっとりとした視線で、なのはちゃんを見上げていたのを覚えています。
その日を境に、アリサちゃんがなのはちゃんを見つめる視線が、今までにはないねっとりとした熱を帯びていくのをわたしは感じていました。
アリサちゃんは、何度も繰り返しわたしに話してくれました。
如何になのはちゃんが凄いかを。如何になのはちゃんがわたしたちとは違う存在なのかを。
アリサちゃんがなのはちゃんに憧れていることは間違いありません。
魔法使いであるなのはちゃんを、心の底から敬愛しているのです。
……ああ、わたしもそうあれたらどんなに良かったことでしょう。
わたしにとって、その日見た怪物と戦うなのはちゃんの姿は、悪夢の一部でしか無かったのです。
いいえ、なのはちゃんの存在によって、わたしの悪夢はより一層深まってしまったのです。
あの日、ただ怪物を見ただけなら、悪い幻覚でも見たのだろうと、自分を誤魔化すことができたのかもしれません。
それが、魔法使いのなのはちゃんという、あの悪夢の夜の証人が現れたことによって、確定してしまったのです。
その日から、わたしの世界には亀裂が入り始めました。
あるものはある、無いものはない。
それがわたしの世界観でした。幽霊も呪いもUFOも、そんな非科学的なものは存在せず、当然あるべきものだけが存在する。
それが、あるべき世界の形でしょう?
魔法使いとしてのなのはちゃん存在は、それを歪めていきました。
図書館で出会った友人である八神はやてちゃん、彼女も魔法使いの一人という事実が、それを助長しました。
平穏で、ごく普通の生活を送っていたはずのわたしの日常は、一皮剥けば、この世ならざるもの達が跳梁跋扈する異界だったのです。
最早わたしには、何を信じればいいのか、何を疑えばいいのか、それすらも分かりません。
ただ茫漠とした不安に取り憑かれ、背筋を撫でる得体の知れない恐怖に怯えるばかりの毎日です。
なのはちゃんへの思いを深めていくアリサちゃんとは対照的に、わたしはなのはちゃんへの不信を積らせていくばかりです。
あの日何があったのか――。
なのはちゃん達は、わたしたちに分かり易く説明してくれました。
わたしたちが住む世界の外のある、次元世界のこと。魔法使いの存在のこと。
しかし、それらの説明はわたしにとって受け入れられるものではありませんでした。
理屈が通っているのはわかります。アリサちゃんのように受け入れてしまえば楽になれることも分かっています。
それでも、わたしは、なのはちゃん達への本能的な恐怖と嫌悪を消すことができなくなってしまいました。
夢、怪物、魔法、なのはちゃん。恐ろしいものは沢山ありました。
そんな中で、唯一絶対、これだけは安心と呼べるものが一つだけありました。
それはわたし自身、です。
どれだけ異様な狂気の世界に包まれようと、自分だけは正気の世界の住人でいること――それが最後の砦だとわたしは思っていました。
愚かしくも。
しかし、わたしは絶対に目を反らすことが出来ない、深刻な自分の異常性に直面することになったのです。
最も忌むべき問題は、わたしの心の内側にありました。
――わたしが、自分の中にあるその衝動を自覚したのは一体何時頃からのことだったのでしょう?
はっきりと自覚したのは、月の障りが安定するようになった頃でしたので、小学生時代の終わりでしょうか。
なのはちゃん達に、わたしの世界を完膚無きまで叩き壊されてしまってからのことです。
不意に、人が血を流しているのを見ると、口をつけて舐めたくなるのです。
その流れる赤い雫に舌を這わせ、傷口に歯を突き立てて吸い上げたいという衝動が、わたしの体の奥底から湧き上がるようになったのです。
他人の赤黒い血液を見つめ、その鉄錆のような香りを嗅ぐと、きゅん、と下腹が疼きました。
大変はしたない話で申し訳ありませんが、性的な興奮を感じるようになってしまったのです。
もっとも、それが自覚できるようになったのはもう少し分別がつくようになってからの話ですが、幼いわたしは自分でも名状し難き興奮に戸惑っていました。
勿論、今はそれが何と呼ばれるものかぐらいは分かっています。
変態的性欲、性的倒錯と呼ばれるものには間違いありません。
血液性愛――ヘモフィリアと呼ぶのが一般的なのでしょうか。
もしくは、変形した食人性愛――カニバリズムと呼んでもいいかもしれません。
人の血の流れ出る所が好きというのは、単にサディズムの一言で片づけるには些か異常性に富んでいました。
――いいえ、違います、わたしはそんな汚らわしい変態などではありません!
ごく普通の、どこにでもいる女の子だったはずです!
病院なんて行きたくありません!
わたしに病んだところなんて無い筈です!
魔法の世界のような異常事態に触れたことで、少し精神的に疲れているだけなのです!
……でも、もしかしたら、幼い頃に見たあの夢も、わたしの異常性の幼き発露だったのかもしれません。
それとも、あの夢に悩まされて続けて、無自覚なノイローゼとなってこのような嗜好が表れたのでしょうか。
本当のことは、もう、分かりません。
それとも。
それとも。
ずっと夢だと思っているあの出来事でさえ、実は現実にあった出来事なのでしょうか。
忍姉さんやノエルさん――わたしの家族でさえ、現実離れした狂気の世界の住人だったのでしょうか?
もう、何もわかりません。
わたしは、疑うことに疲れてしまいました。
今出来ることは、闇夜の子供のように頭を抱えて震えるだけです。
……いえ、あともう一つ。
体が疼いてどうしようも無くなった時、わたしはアリサちゃんに慰めてもらいます。
アリサちゃんはとても勘が鋭く、わたしの機微を汲み取って、言葉一つ交わすことなくわたしを抱いてくれます。
彼女の指はわたしを蕩かし、この世界の恐ろしい全てや、わたしの中で渦巻く苦衷の全てから解き放ってくれます。
アリサちゃんは魔法の世界に憧れていても、何の変哲もない普通の女の子です。
わたしと同じ――いえ、わたし以上に普通のどこにでもいる女の子です。
そんなこちら側の存在であるアリサちゃんに抱かれることが、わたしにとってどれだけの安心感を与えてくれることでしょう。
わたしは、アリサちゃんを利用して、自分の正気を日々保っています。
――ごめんね、アリサちゃん……。
――いつもこんな汚いわたしに付き合わせて。
わたしは、小さく呟きました。
……え、どうして貴方にお話したのか、ですって?
ただ、耐えられなかったんです。
もう、なのはちゃんもフェイトちゃんも怖れしか感じない相手だというのに。
今まで通りの笑顔を作って友達を装い、関係だけは崩さないようにしている自分の汚さに。
誰かに、全部吐き出したかっただけなんです。
――なあんて、ウソです、全部冗談でございます。
魔法なんてお伽話、まさか本当に信じてしまわれたわけではございませんでしょう?
最初の夢の話から、少しHな告白まで、全部纏めてわたしの創作です。
でも、善い暇つぶしにはなりましたでしょう?
紅茶、冷めてしまったので新しいのに淹れ換えましょうか。
わたしとしたことが、少し長話が過ぎてしまったようです。
どうぞお忘れになって下さい。
――別段、面白いお話でもなかったでしょう?
SIDE:N
わたしは、柔らかなベッドの中で目を覚ました。
カーテンを開くと、眩しい朝日がわたしの眠気を吹き飛ばしてくれた。
ヴィヴィオはまだ眠っている頃だろう。
髪をサイドテールに結って、頬を叩き、気合を入れて立ち上がる。
今日も忙しい一日の始まりだ。
コーヒーメーカとトースターをセットし、フライパンに玉子を二つ落とす。
フライパンの立てる香ばしいベーコンと焼き立てのトーストの匂いにつられて、ヴィヴィオが眼を覚ました。
左手でウサギのぬいぐるみを抱きしめ、右手で眠たげに目元を擦りながら。
おはよう、と声を掛けると、欠伸混じりにおはよう、という返事が返ってきた。
わたしは苦笑をしながら、ずり落ちたヴィヴィオのパジャマの肩を整える。
ヴィヴィオと二人の朝食。
目を輝かせながら学校や友達のことを語るヴィヴィオに、思わず目を細める。
色んなことがあったけど、これが、今のわたしの幸せ。
ヴィヴィオを見送って、ダイニングのコルクボードに目を移す。
幾葉もの、幾葉もの写真が、所狭しと貼り付けられたコルクボード。
海鳴時代からの大切な人達との思い出の数々。
一番上は、この家に引っ越してきたばかりの時の、わたしと、フェイトちゃんと、ヴィヴィオの三人で撮った記念写真。
その下が、機動六課解散の時の写真で、その横が訓練風景。
どんどん下っていくと、相応にわたしの姿も幼くなっていく。
訓練校時代、リインのお誕生祝い、はやてちゃんの全開祝い。
アースラでのリンディさんとクロノくん、無限書庫でのユーノ君と司書さん達。
一番下には――海鳴の家と翠屋の写真。
今は随分と遠く離れた所に来てしまったけど、わたしの故郷と言える場所、わたしの原点は今でのあの暖かい海鳴の家なのだ。
時間を見つけては、ヴィヴィオと里帰りをしているけど、最近また忙しくてその機会は頓に少ない。
それでも。
このミッドチルダの地に住んでいても、わたしはあの世界で生まれ育った、高町なのはなのだ。
最後に、わたしは一葉の写真を手に取った。
そこには、顔を泥だらけにした、仲良し三人組――わたしと、アリサちゃんとすずかちゃんが写っている。
これは一体、いつの写真だっただろうか。
わたしたちは屈託の無い満面の笑顔を浮かべ、楽しくて仕方ないというように大きく口を開けて笑っていた。
みんな、どうしているだろうか。
幼馴染の大親友たち。
今はすっかり会うことも少なくなったけど、わたしの心の奥底には、いつだって二人がいる。
二人のお陰で、今のわたしがいる。二人と出会ったお陰で、今のわたしになれたのだ。
これだけは、わたしは断言できる。
――離れてしまっても、わたしたちの友情は永遠に変わらない。
海鳴に帰れば、また幼い頃の三人に戻って、昔のように笑い合えるのだ。
それは、何て素晴らしいんだろう!
今のわたしを作ってくれたのは、わたしが今までに出会った沢山の人々。
家族に、先生に、仲間に、友達に、――数々の人々に感謝しながら、私は今日を生きている。
扉を開く。
さあ、今日も楽しく忙しい日々の始まりだ。
高町なのは、今日も全力全開で頑張ります!
END
著者:アルカディア ◆vyCuygcBYc
791 名前:彼女達の独白 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:33:59 ID:GKQJka4I [3/15]
792 名前:彼女達の独白3 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:35:12 ID:GKQJka4I [4/15]
793 名前:彼女達の独白4 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:36:58 ID:GKQJka4I [5/15]
794 名前:彼女達の独白5 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:38:03 ID:GKQJka4I [6/15]
795 名前:彼女達の独白6 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:40:20 ID:GKQJka4I [7/15]
796 名前:彼女達の独白7 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:41:47 ID:GKQJka4I [8/15]
797 名前:彼女達の独白8 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:43:10 ID:GKQJka4I [9/15]
798 名前:彼女達の独白9 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:45:12 ID:GKQJka4I [10/15]
799 名前:彼女達の独白10 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:46:42 ID:GKQJka4I [11/15]
800 名前:彼女達の独白11 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:47:42 ID:GKQJka4I [12/15]
801 名前:彼女達の独白12 ◆vyCuygcBYc [sage] 投稿日:2011/11/05(土) 02:49:14 ID:GKQJka4I [13/15]
SIDE:A
晴れ渡る青い空と眩しい木漏れ日。
犬達と庭で遊ぶのに絶好のそんな天気の日は、いつもあたしの胸の奥が小さく疼く。
勿論、身を引き裂くような、と大げさに形容されるような痛みではないし、そんな昼下がりは犬達にフリスビーでも投げて笑いながら過ごすのがあたしの常だ。
しかし、拭いきれない憂鬱な思いが、あたしの胸の奥にはべったりとへばりついている。
歯痛のように、意識から追い出すことのできない痛みが、ずっとあたしを苛み続けている。
痛みは、いつもあたしに問いかける。「本当に、それで良かったのか」と。
まるで悪い毒にでも冒されたようだ。勿論、解毒剤は無い。
あたしは、自ら進んでその毒に身を委ねたのだから。
昼下がりのティータイム、高級な紅茶と舶来品の洋菓子がバルコニーのテーブルに並ぶ。
犬達があたしの膝にじゃれつき、あたしはその美しく柔らかな毛並みにそっと手櫛を通した。
天気予報は、明日も晴天を告げていた。高気圧の影響で、今後一週間は暖かく穏やかな日が続くでしょう。続くでしょう。
そう、今日のような満ち足りた日が明日も続く。明日も、明後日も、その次も、その次も、その次の次の次も、ずっとずっと続いていくのだ。
なんという幸福。なんという安寧。
しかし、この満ち足りた安寧な日々こそが、このあたし、アリサ・バニングスを日々蝕む最悪の毒に他ならなかった。
彼女たちの独白。
自分が他人と違うことを理解したのは、一体いつだっただろう。
小学校低学年の頃のあたしが全く無理解だったのは間違いない。
今思えば、なのはやすずかと毎日やんちゃをしていたあの頃が、あたしの一番幸福だった時代だろう。
小学校一年生の頃のあたしは、それはそれは典型的な我儘なお嬢様だった。増長して他人を見下し、何でも自分の思い通りになるものだと信じていた。
幼いながらに、他人とは違うことを自覚はしていたが、本質的な理解はまるでなく、自分は他の子より偉いんだという、漫然とした全能感に身を任せていた。
そして、すずかと――なのはとの出会い。初めてできた対等の友人。あたしも周囲の子達と何一つ変わらない人間なのだと、初めて実感した。
……そんな、道徳の教科書のようなあたしの改心は、結果としては間違いだったわけだけど。
楽しかった。普通の子達と一緒になって日々を過ごすのは楽しかった。
掛け値無しに楽しかった。今思い出すと、本当に、涙が出るくらい楽しかった。
しかし、小学校三年生に進学した頃から、あたしの黄金の思い出は少しづつ色褪せ始める。
あたし達の輪を外れ、独りで悩みを抱えるようになったなのは。
魔法の世界なんて、常識外れのとんでもないものに関わっていた彼女の心情としては、当然のものだろう。
だが、まだ幼いあたしにとっては、どうしようもない理不尽だった。
それでも、あたしは信じていた。いつか、なのははあたし達に悩みを打ち明けてくれるだろうと。手を貸してくれと、言ってくれるだろうと。
そんな、淡い期待を抱いていた。
なのはの悩み事が解決したと聞いた時、あたしは安堵と共に、若干の落胆を覚えていた。結局、なのはは、独りで悩みを解決してしまったのかと。
……尤も、彼女は決して独りで悩みを解決した訳ではなく、そこにはあたし達の知り得ない出会いと友情があったのだが。
これで、なのははまたあたし達の所に戻ってきてくれる。そんな風に素直にあたしは喜んだ。
しかし、高町なのはという少女の生きる世界は、緩慢に、あたし達の生きる世界との乖離を続けていたのだ。
少し、高町なのはについて語ろう。
あたしの初めての友人と呼べる存在。そう呼ぶと、少々語弊があるかもしれない。
なのはとすずか。その二人しか、あたしは友人と呼べる存在を作れなかったのだから。
幼稚な優越感に浸ってすずかを苛めていたいたあの日、あたしの頬を叩いたのがなのはだった。
あの日の痛みと衝撃は、今でもはっきりと覚えている。
そしてもう一つ。小学一年生の朧げな思考ではあるが、明瞭に思ったのだ。
あたしは、初めて、誰かに真正面から見つめて貰えた。
当然のようにあたしを愛する両親や、屋敷の執事達とは違う。
あたしと同じ齢の、あたしと同じ高さの視線が、正面からあたしの瞳を覗き込んでいた。
そのことに、言葉にならない安堵と歓びを感じながらも、その頃のあたしはそれを表現する言葉を持たず、あたしの行動ルーチンは、親にも叩かれたことの無い頬の痛みに対する報復を選択した。
端的に言えば、大喧嘩である。
爪を立て、髪を引っ張り合った。それらの行為は加害者の立場で行ったことはあっても、相手がやり返してくることなど、全く初めてのことだった。
教師に仲裁され、引き離される時まで、あたしは拳を振り上げて怒りを露にしていたという。
でも、きっと――その時のあたしの口許は綻んでいたに違いない。あの日を思い出す度に、そんなことを取り留めなく思っている。
あたしたちの喧嘩は、保護者の呼び出される騒ぎとなった。
両親同士の対面。あたしは興味津々に、高町なのはの家族というものを見つめていた。
現れたのは、取り立てて変わった所も無いごく普通の男性。喫茶店「翠屋」のマスターを勤めているという、なのはのお父さん――高町士郎だった。
彼は飄々とした仕草であたしの父から名刺を受取り、照れくさそうに頭を掻きながら、この度は娘がご迷惑をお掛けしましたと頭を下げた。
今はその人柄を良く知っているが、その時の彼の対応は、今思えばとんでもないものだったのである。
あたしの父は、デビット・バニングス――日米にいくつもの関連会社を持つ大会社の経営者である。
それを知った大人達は、誰もが平身低頭して、青褪めた顔にへつらいの笑みを浮かべながら何度も頭を下げ、逃げるように早足で去るのが常だった。
そんな様子を幾度も目にしていたことが、あたしの幼少期の増長の一因となっていたのは間違い無い。
なのはの父は、それを知りながら、まるで旧友に接するような気さくな態度で、サッカーなどの話題で父との談笑に花を咲かせていた。
それは、あたしに対するなのはの態度と同じものであった。
その後あたし達はお決まりのように意気投合し、あたしとなのはとすずかの三人は親友となった。
互いの家を行き来するようになり、高町家の人々と親しくなって、はっきりと解った。なのははあの大らかで暖かな家族の中で育まれたのだ。
高町なのは。彼女は、全く普通のどこにでもいる少女だった。――少なくとも、あの日までは。
すずかの父は、あたしの父には遠く及ばない規模ではあるものの、工業機器の開発を営む会社の社長である。
あたしとすずかは社長令嬢。そして、なのはは、喫茶店の店長の娘。
俗な秤に染まった今なら、あの仲良し三人組の中で、なのはだけが明らかに劣る家柄の娘であることが解る。
無論、あの時から今に至るまで、あたし達はそんな詰らないことを気にした事など一度として無いのだけれど。
尤も、小学生だったあたし達は意識すらしなかったが、あたし達の学校、私立聖祥大学付属小学校は小学校から大学まで一貫式のミッション系スクールだ。
そこに通っていたいた時点で、あたし達はその他多くの平凡で普通の小学生達より、ハイソサエティに属していたことになる。
……本当に嫌になる。この数年間で、あたしは誰かに会うとまずその社会的地位を値踏みする癖がついてしまった。
それは、状況に応じた立ち振る舞いを要求される社長令嬢として、当然身につけるべき嗜みであったが、あたしの価値観までがそれに侵食されていくようで、時折空恐ろしくなる。
あたし達を束縛する数限りない軛。曰く、財力、家柄、地縁、血縁、地位、年齢――。
息苦しくはあるが、誰もがそんな面倒事で構成された現代日本の世間という海の中を泳いで生きている。
こうやって、プライベートビーチで遊んで一日を終えることができるあたしの人生は、他人から見れば限りない程のイージーモードだ。
しかし、なのはは誰もが逃れられない全ての軛を解いた。完全に脱却した。
ごく普通の少女だった筈の彼女は、魔法少女という余りにも現実離れした存在となって、異世界へ旅立って行ってしまったのだ。
社長令嬢がなんだ。日米に展開する大企業がどうした。
それらは凡て、この世界という小さな「 」の中だけで成り立つ価値観。
そんな既成概念の外に出たなのはこそ、真にノーブルな存在だ。
午後になって、馴染みの来客が訪れた。あたしの親友、すずかだ。
なのはと違って、彼女とあたしの関係は、出会ってから大学を卒業した現在に至るまで全く変わっていない。
否。16年間を同じ聖祥の学舎に通ったのだ。あたしとすずかは、幼馴染みや親友という言葉では言い表せない、ある意味家族以上に親密な関係を続けている。
勝手知ったる様子で、バルコニーに訪れたすずかと視線を交え、小さく笑みを交わしてひらりと手を振る。
今日の挨拶は、それだけで充分だった。
青空の下での、暫しの談笑。彼女の為に用意した、上等の洋菓子と紅茶。
誰にも邪魔されない、あたしとすずか、二人だけの時間だ。
喋るのは他愛もない雑談。家の猫や犬の話、天気の話、新しく見つけた甘味屋の話。本当に、他愛もない雑談だ。
だが、あたしにとってすずかとの時間は、他の何物にも掛替えの無いものだ。
胸の奥にへばりつく鈍い痛み。昔と同じようにすずかと話している間だけ、その痛みが少しだけ薄れる。
すずかと話すのは楽しい。本当に楽しい。
――例えなのはが居なくても、楽しいと錯覚しなければならない。
ふと、話が途切れた。静かに青空の梢のざわめきを楽しみながら、静かにティーカップを傾ける。
……頃合いだろうか。
あたしは静かに椅子を立ち、すずかに目配せをした。
彼女はついと目を伏せ、頬を微かに染めながら肯いた。
手を差し出すと、すずかは控えめに自分の掌を重ねる。
あたしは、彼女の手を引いて長い廊下を歩いて自分の部屋へと向かった。
オーク樫の重い扉が軋みを上げて閉じる。
厚いカーテンを引いて照明を落すと、あたしの部屋は闇の帳に包まれた。
暗闇の中でも仄白く浮かぶ美しい裸身に、そっと指を這わす。
ぞくりと身を震わせるように、すずかの体が跳ねた。
つい、と舌先をその肌に落し、緩慢に舐め上げる。今日の陽気のせいだろうか。微かに汗の味を感じる。
むずかるように所在なく動く太腿に、自分の足を絡めて押さえつけた。
一体、いつからだろう。こんなことを始めたのは。
最初に誘ったのは、あたしからだった。
何の変哲も無く、車輪の中の鼠のように繰り返される生活に対する、ささやかな反抗。
とは言ったものの、今の環境にそう大きな不満があるわけではなく、むしろこんな安定した生活を与えてくれた父母には感謝をしている。
勿論、家を出奔して非行に走る気などは更々無い。
ただ少しだけ、ほんの少しだけ、この生活に背徳感のある刺激が欲しかったのだ。
始まりは、あたしがすずかを抱きしめるだけの、幼く拙く、純情な行為だった。
いつからだろう、すずかを抱きしめるあたしの指先に、淫らな熱が灯るようになったのは。
すずかの背中を抱きしめていただけのあたしの指先は、虫が這うような緩慢な動きですずかの服の下に潜り、一枚、また一枚と彼女の衣服を剥いでいった。
……それは、一輪の薔薇の花を愛でていた時に湧き上がったのと同じ衝動だ。
一枚、また一枚と美しい花弁を剝して散らし、その芯の部分に迫っていく、後ろ暗い興奮。
すずかは、拒まなかった。
事が済み、隣で眠るすずかを置いてあたしはそっとベッドから抜け出した。
体に残る熱を洗い流すような冷たいシャワーを頭から浴びながら、あたしは姿見に映る己の姿を見つめる。
見知ったあたしの瞳が、あたしを覗きこんでいた。
――少し、あたしについても話をしよう。
あたし、ことアリサ・バニングスは世間一般の基準に照らし合わせれば、類稀な美女である。
勿論、人前でこんなことを言い切ってしまえる程、恥知らずでも傲慢でもないが、そのことは客観的事実として自覚している。
長く均整のとれた肢体、砂時計型の腰から胸にかけてのプロポーション、そして西洋人の父譲りの金髪と、日本人離れした目鼻立ち。
あたしは幼い頃から、己が他人からかけ離れて美しい外見の持ち主であることを自覚していた。
自身の審美眼に照らし合わせても間違いは無かったし、周囲の人間のあたしを褒めたたえる言葉には、見飽きたあたしの地位に対するへつらいとは確実に違う、真実の響きがあった。
あたしは、人並み外れた美を与えられて生を受けたのだ。
しかし、薔薇の美しさを決めるのはその品種のみではない。薔薇が真実美しく開花する為には、庭師の手入れが欠かせない。
そして、あたしを育んだバニングス家の資産は、あたしを理想の女性像とも言える姿へ見事仕立て上げた。
そう。何の面白みもない、雑誌とモデルとなんら変わらない形通りの美女に。
あたしは、幼い頃から己の人生に飽きていた。
物心ついた頃には、あたしは他人の価値を不等号で量る習慣を身につけていた。
その価値判断に照らせば、ハイソサエティーと言える私立聖祥大学付属小学校の中でも、周囲の有象無象の人間はあたしの顔色を覗くばかりの雑魚ばかり。
大抵のクラスメイトは、幼いなりに己とあたしとの違いを肌で感じとり、距離を置くようになった。
勉強も、運動も、立ち振る舞いも、常に正しく一番であるように。
あたしはスクールカーストの頂点に立ち続けた。
思えば、それは何て孤独な優越感だったのだろう。
それを見事に壊してくれたのが――高町なのはだった。
それから、なのはが魔法という非日常の世界に入り込むまでの三年間が、あたしにとっての至福の時間だったことは間違いない。
あたしたちは、三人で足りていた。三人で完結していた。
あの、ユーノ・スクライアが、そしてフェイト・テスタロッサと八神はやてがあたしたちの仲に入り込んで来るまでは。
……彼女たちと出会って、なのはは変わった。変わってしまった。
あたし達と過ごす時間は少しづつ減り、そして、あたし達の手の届かない魔法の世界で過ごす時間が少しづつ増えていった。
別段、あたしはフェイトやはやてを嫌っているわけではない。
二人とも、とても好ましい人物だと思っているし、あたしにとっても交友を結んでいる数少ない輩だ。
しかし、彼女達と出会ったことであたしの許からなのはが去っていってしまったという事実を思う度、云い様の無い彼女たちに対する怨恨がこみ上げてくるのである。
わかっている。これはあたしの逆恨みに過ぎない。
この感情の本質は嫉妬だ。今の尚なのはの隣に居るフェイト・テスタロッサが、あたしは羨ましくて堪らないのだ。
あたしの友人と呼べる人間の大部分は、なのはに紹介された魔法世界の住人だ。
クロノ、シグナム、スバル、ティアナ……。
皆気持ちの良い人物ばかりであるし、あたしを詰らないこちらの世界の枠で量ってへつらうようなこともない。
あたしにとっては有り難い友人と言える。
だが、足りない。
どこまで行っても、あたしが本当に親友と呼べるのは、なのはとすずかの只二人だけなのだ。
あたしとすずかが高校に進学する頃、なのははミッドチルダに移住した。完全に、あちらの、魔法の世界の住人となったのだ。
そしてなのはを失ったあたしは、再び高校という荒野に投げ出された。
聖祥大学付属高校では、エスカレーターだった小中と変わって、受験によって外部の人間が混じり、人間関係が一からリセットされる。
その中で、あたしは明確な異邦人だった。
高校に進学する頃には、あたしは女性としての美を完成させつつあった。
加えて、家柄や学力といった下らないヒエラルキーを意識し始める年頃でもある。
中途半端に顔がいいだけの女や、勉強ができるだけの女などは、総じていじめの対象などになり易い。
しかし、あたしに手出ししようとする者など、居よう筈も無かった。
どれだけ手を伸ばしても、指先さえ届かない相手の足を引っ張ろうとする愚者など居ない。
あたしは、嫉妬の対象にも、羨望の対象にも、努力の目標にもされなかった。
ただ、彼女たちはあたしを、自分とは無関係な世界の人間として放置するのみだった。
あたしの傍に居てくれたのは、すずかだけだった。
思い返せば、あたしならできた筈だ。彼女達と交友を結び、実りある高校生活を満喫することが。
それだけの社交能力も経験も、あたしには備わっていたのに。
だが、あたしも又彼女達を無視した。なのはとすずか以外の友人など、欲しくも無かった。
自分の人間関係を拡張することを、あたしは完全に放棄していた。
この社会の中で、人生の勝ち組と呼ばれるだけの条件を備えながら、あたしは自分の人生を何ら拓こうとしなかったのだ。
ただ、過ぎたなのはとすずかの三人の思い出に繰り返し浸るだけだったのだ。
ああ、もう認めよう。
あたしは、なのはの事が好きだった。
それも、唯の友人としてでは無く、性的な意味での好意をずっとなのはに抱いていたのだ。
すずかを抱くのも、その代償行為だ。なんて醜いあたし。
なのはの笑顔が、幾度も脳裏に浮かぶ。
こんな詰らない世界の詰らない些事を文字通り飛び越えて、なのははあたしの手の届かない世界へ行ってしまった。
……もしかしたら、あたしもなのはと一緒に向こうの世界について行くという選択肢もあったのかも知れない。
べつに、あちらの世界も魔法使い以外お断りという訳ではないらしいし、あたしの才能を生かせる場所など幾らでもあった筈だ。
でも、行けなかった。
なのはの隣に、フェイト・テスタロッサが居たからだ。
なのはの親友。魔法使いとしてなのはを支えることが出来る、なのはと同格なパートナー。
もしも、もしもあたしが向こうの世界に行って、なのはとフェイトが仲睦まじく戦う姿を眺めることしか出来なかったなら――。
そんな事、想像するだに耐えられなった。
ああ、何て妬ましいフェイト。なのはと同じ空を飛べる彼女達が羨ましくて堪らない。
勿論、あたしがなのはの隣に居場所を見つける事も出来たかもしれない。何かの形で、なのはを支えることが出来たかもしれない。
だが、臆病なあたしはその一歩を踏み出すことができなかたった。
父母のこと、バニングスの一人娘であること、すずかのこと。
自分への言い訳は、幾らでも容易く思いついた。
あたしには、勇気が足りなかった。素直になれなかった。
天秤が反対側に傾くのを見たくなくて、天秤に乗ることさえ放棄した。
結果。
なのはの人生にあたしはもう居ない。
勿論、交友はまだ続いている。なのはがこちらの世界に戻った時には久闊を叙す。
それでも、あの幼い頃のような、濃厚で親密な時間はもう来ない。
今なのはとそんな時間を過ごしているのは、フェイトや、スバルや、なのはの愛娘のヴィヴィオだ。
あたしには唯、過ぎた時間を思い返すことしかできない。
人生で一番楽しかった時間を問われ、小学校3年生という幼少期しか挙げられないあたしは、きっと病んでいる。
普通なら、思春期の多感な時期や、甘酸っぱい恋を経験した経験や、社会への会談を登る青春期などを挙げる筈だ。
だが、あたしには、もう、あの頃しか思い出せない。
きっとこれから、あれ以上楽しい時間はもう来ないのだろう。
ただ、静かで優しい安寧の日々にくるまれて、あたしはゆっくりとここで老いていく。
――今日もまた、あたしはすずかを抱く。
なのは、なのは、なのは、なのは、なのは、なのは。
なのはの面影を彼女の向こうに思い描きながら。
きっとそのことは、すずかも解っているだろう。
あたしは今、彼女にとても侮蔑的なことをしている。
すずかが息を荒げながら、濡れた瞳であたしを見上げる。
その細い唇が、震えるながら開いた。
すずかは、掠れそうな声でこう言った。
――ごめんね、アリサちゃん……。
その後、声無く唇が小さく動いた。
でも、あたしはアリサが何を言おうとしたのかがはっきりと解った。
――なのはちゃんになれなくて。
なんて優しいすずか。なんて最低なあたし。
あたしは今日も、この安寧の毒に蝕まれながら、ゆっくりと老いていく。
SIDE:S
……少し、わたしのお話をいたしましょう。
何分、こういったお話をするのは初めてなので、少々冗長になるかもしれませんが、ご勘弁を。
大したものはお出しできませんが、お茶とお菓子を用意いたしましたので、どうぞお寛ぎになってお聞き下さい。
さて、何からお話したものでしょう。
まずは、わたしの幼い頃の夢の話から――。
あの日の夜、わたしはそっとベッドから抜け出しました。
理由はよく覚えておりません。なにぶん、小学校に上がる前の幼い頃の事でしたので。
その夜は両親が不在で、ひどく不安だった事は善く覚えています。
きっと、わたしは不安で寝付けなかったのでしょう。
それとも、夜中にお手洗いにでも行きたくなったのでしょうか?
兎も角、わたしはこっそりとベッドを抜け出しました。
あの頃のわたしにとって、その行為は大冒険と呼んで差し支えないものでした。
堪え難い恐怖に抗いながら、わたしは奇妙な昂揚に体の奥がじんと熱くなるのを感じていました。
夜闇に包まれた世界は、お昼の世界とはまるで別物でした。
お屋敷の中は暗く、昼間は幾人ものメイドさんや猫達が歩き回っていたというのに、鼠一匹の気配すらせず、しん、と鎮まりかえっておりました。
まるで知らないお屋敷に迷い込んだような心細さを覚え、わたしは窓際のカーテンを掴みながら、ゆっくりと歩きました。
自分の足音が奇妙に反響し、まるで怪物の吼声のように聞こえてわたしは幾度も頭を抱えて蹲りました。
そんな中、わたしは光の漏れている一枚の扉を見つけたのです。
向こう側には、確かに人の気配がありました。
その扉は、今までに開いたことのない扉の一つでした。
まだ幼かったあの頃は、入ってはいけないと強く戒められていた部屋が沢山あったものです。
そこも、そんな部屋の一つだったのでしょうか?
ですが、わたしは躊躇なくその扉を開きました。
孤独と恐怖は既に限界を迎えていたのです、その後に待ちうけているお説教のことなど、まるで頭にありませんでした。
はたして、その扉の向こうは部屋ではありませんでした。
階段、だったのです。
長い長い階段が、地下に向かって伸びていました。
その向こうに部屋があり、光はそこから漏れていたのです。
こんな処に階段があるなんて、わたしは聞いたこともありませんでした。
わたしは、恐る恐る階段を下り、その向こうの扉を開きました。
――自分がやっているのは悪いことだということは、とっくに解っていました。
扉を薄く開くと、部屋の中には忍姉さんが立っていました。
わたしの8つ年上の、優しく聡明な自慢の姉さんです。
姉さんは、難しい顔をして大きな作業台に向かっていました。
別段珍しいことではありません。機械いじりが趣味の姉さんは、善くこうしてラジオを分解したり、新しい道具を考えたりして遊んでいるのです。
ですが、その日は違っていました。
何が違っていたか、ですって?
一目瞭然のお話でございます。
だって。
だって、姉さんが分解していたのは、ラジオでも炊飯器でもパソコンでもなく。
メイドの、ノエルさんだったのです。
姉さん付きのメイドのノエルさん。口数は少ないですが、とても優しく有能な我が月村家のメイド長さんです。
その彼女が、姉さんの作業台の上に横たわり、人形のように分解されていたのです。
頭蓋や胸郭の外されたノエルさんの中身は、螺子と歯車と発條と、その他のよく分らない沢山の部品でできていました。
わたしは、恐ろしくて声も出せませんでした。
あの優しいノエルさんがこんな姿になっていたことも恐ろしくて堪りませんでしたが、それ以上に。
無表情で、まるで魚でも捌くようにノエルさんを分解する姉さんのことが怖くて堪らなかったのです。
わたしは、恐怖に涙を流しながら、必至に口元を押さえました。
見つかったら、わたしも姉さんにバラバラにされてしまうかもしれない、そんな茫漠とした悪寒がわたしを支配していました。
ですが、所詮は子供のかくれんぼです。
キイ、と扉が無慈悲にも鳴り響き、忍姉さんが物凄い勢いでわたしに振り向きました。
……わたしの夢の話は、そこでお仕舞いです。
気づけば、わたしはベッドの中で息を荒げていました。
夢です。
全部、夢だったのです。弱いわたしは、両親がいない恐怖に負けて、こんな恐ろしく不謹慎な夢を見てしまったのです。
まったく、馬鹿げた話です。
貴方もそうお思いでしょう?
ですが、その時のわたしは、安堵のあまり涙を零しました。
あの夢が夢で良かった。心の底からそう安堵して、こうしていつもと同じ朝を迎えることができたことに、歓喜の涙を流したのです。
姉さんもノエルさんも、いつもと何も変わりませんでした。
わたしが恐る恐る手を伸ばすと、ノエルさんは微笑んでわたしの手を優しく握り締めてくれました。
当然のように歯車なんて欠片もない、血の通った柔らかく温かな掌でした。
あんな失礼な夢をみたことに、わたしは酷く自分に恥じ入り、忍姉さんとノエルさんに罪悪感すら抱きました。
ですが、それも長くは続かず、すぐにいつもと同じ毎日を繰り返すようになりました。
当然の話です。
――え? 話はこれで終わりかって?
ええ、夢の話はこれでお仕舞いです。でも、わたしという人間の話は、これからなのです。
あの夢の話はこれでお仕舞いです。
それから連日悪夢に悩まされて、といった話もございません。毎日快眠で平和な日々を過ごしております。
……ですが、あの夢は、わたしに小さな疵を残していったのです。
ほんの小さな疵です。
何と表現したらいいでしょう。
わたしは、酷く臆病になってしまったのです。
おばけや幽霊が苦手な女の子など、別段珍しくはないでしょう。
ですが、わたしの恐怖と嫌悪は、ありきたりなそれらとは、明らかに違っていました。
おばけや幽霊のような超常の存在が『許せない』のです。
それらの出現が怖いのではなく、それらが在ること自体が、わたしの世界を犯すこと自体が許せないのです。
わたしは、酷くリアリストに成長しました。
女の同士の他愛無い会話で、恋占いのような話をすることも勿論ありました。
表面上はにこにことそれらの会話に加わりながらも、胸中では占いや呪いといった概念に対して、唾棄したい思いが充満していました。
わたしは、わたしの常識が届く範囲の世界で生きていたかったのです。
学校でも、わたしは常識人といった評価を受けていました。
友人たちの間でも、誰かの側に偏ることなく、みんなの調停役として動きました。
普通であること。
それが、わたしを安心させるのです。
よく考えれば、幾人ものメイドを雇う広大なわたしのお屋敷は、既に普通の邸宅の範疇を超えている気もしますが、わたしの通っていた、私立聖祥大学付属小学校では別段驚かれる程の規模ではありません。
わたしの親友のアリサちゃんのお家なんてもっと広いわけですし、そのくらいのアブノーマルは許容してもらえるでしょう。
何より、わたしの望む普通は、世間の評価ではなく、瑕疵の無く変化ない日常だったのです。
わたしは、ごく普通の、何の変哲もないどこにでもいる女の子です。
――少なくとも、自分ではそのつもりでした。
いつからでしょう。わたしが、自分が他人とは違うことに気づいたのは。
わたしは趣味は専ら読書です。幼い頃から独りで本を読むのは大好きでしたが、皆と一緒にお外で遊ぶことはあまり好きではありませんでした。
それなのに、何故でしょう?
わたしの運動の成績は、いつもクラスで一番でした。
ほかの子供の達が球技などをして遊ぶのを見てじれったく感じる程に、わたしの運動神経は頭抜けていました。
小学生の頃でさえ、なのはちゃんのお姉さんである、当時高校生だった美由希さんに互するまでの運動能力がわたしには備わっていたのです。
何一つ、スポーツの経験のないわたしが、熱心に剣術の訓練をされていた美由希さんに並ぶというのは、どう考えてもおかしな話です。
それは、個性や才能といった言葉で表せる範疇を明らかに超えていました。
わたしの体の異常性は、それだけでは留まりませんでした。
傷の治りが明らかに早いのです。小さな擦り傷や切り傷が、寝て起きたら消えていた、ということなどは何時ものことでした。
便利なことだとお思いですか?
客観的に利便性だけを見ればそうなのでしょう。
ですが、それがおかしなことだと知った時のわたしの衝撃は大変なものでした。
だって、そんなことはわたしにとって当たり前のことだったのですから。
……でもまあ、わたしの運動神経や治癒力は、便利な個性という言葉で、なんとか片付けてしまうことができます。
普段生活していく上で、深く考えなければ、意識の外に追い出してしまうことができる事柄です。
逃避かもしれませんが、忘れてしまうことができる小さな事象に過ぎません。
あの夢だったそうです。
きっと、年が経って大人になれば、他愛もない少女時代の夢と一笑に臥せてしまえたものでしょう。
でも、わたしは出会ってしまったのです。
『本物』に。
それは、なんて名状し難き光景だったのでしょう。
夜空におぞましき触手を広げる異形の怪物。
その奇形のフォルムは、わたしが想像力の限りを尽してイメージしたどんな怪物よりも冒涜的で、忌わしきものでした。
わたしとアリサちゃんは、ただ怯えながらその姿を見上げることしかできませんでした。
当然のことです。
ただの小学生に過ぎないわたしたちは、ただこれが悪い夢であると信じ、早く醒めてくれないかと願うことしかできなかったのです。
だというのに、その悪夢に立ち向かう存在がいたのです。
まるで魔法のように――いえ、お伽噺の魔法そのものに空を舞い、眩い桜色の光で怪物を焼き払う少女。
わたしたちの大親友、高町なのはがそこに居ました。
いつも一緒に遊んで、一緒にお弁当を食べて、一緒に笑って……わたしたちの何ら変わらぬ対等の友達と信じていた相手は、その実、遠くかけ離れた非日常の存在だったのです。
隣にいたアリサさんが、映画のヒーローでも見るようなうっとりとした視線で、なのはちゃんを見上げていたのを覚えています。
その日を境に、アリサちゃんがなのはちゃんを見つめる視線が、今までにはないねっとりとした熱を帯びていくのをわたしは感じていました。
アリサちゃんは、何度も繰り返しわたしに話してくれました。
如何になのはちゃんが凄いかを。如何になのはちゃんがわたしたちとは違う存在なのかを。
アリサちゃんがなのはちゃんに憧れていることは間違いありません。
魔法使いであるなのはちゃんを、心の底から敬愛しているのです。
……ああ、わたしもそうあれたらどんなに良かったことでしょう。
わたしにとって、その日見た怪物と戦うなのはちゃんの姿は、悪夢の一部でしか無かったのです。
いいえ、なのはちゃんの存在によって、わたしの悪夢はより一層深まってしまったのです。
あの日、ただ怪物を見ただけなら、悪い幻覚でも見たのだろうと、自分を誤魔化すことができたのかもしれません。
それが、魔法使いのなのはちゃんという、あの悪夢の夜の証人が現れたことによって、確定してしまったのです。
その日から、わたしの世界には亀裂が入り始めました。
あるものはある、無いものはない。
それがわたしの世界観でした。幽霊も呪いもUFOも、そんな非科学的なものは存在せず、当然あるべきものだけが存在する。
それが、あるべき世界の形でしょう?
魔法使いとしてのなのはちゃん存在は、それを歪めていきました。
図書館で出会った友人である八神はやてちゃん、彼女も魔法使いの一人という事実が、それを助長しました。
平穏で、ごく普通の生活を送っていたはずのわたしの日常は、一皮剥けば、この世ならざるもの達が跳梁跋扈する異界だったのです。
最早わたしには、何を信じればいいのか、何を疑えばいいのか、それすらも分かりません。
ただ茫漠とした不安に取り憑かれ、背筋を撫でる得体の知れない恐怖に怯えるばかりの毎日です。
なのはちゃんへの思いを深めていくアリサちゃんとは対照的に、わたしはなのはちゃんへの不信を積らせていくばかりです。
あの日何があったのか――。
なのはちゃん達は、わたしたちに分かり易く説明してくれました。
わたしたちが住む世界の外のある、次元世界のこと。魔法使いの存在のこと。
しかし、それらの説明はわたしにとって受け入れられるものではありませんでした。
理屈が通っているのはわかります。アリサちゃんのように受け入れてしまえば楽になれることも分かっています。
それでも、わたしは、なのはちゃん達への本能的な恐怖と嫌悪を消すことができなくなってしまいました。
夢、怪物、魔法、なのはちゃん。恐ろしいものは沢山ありました。
そんな中で、唯一絶対、これだけは安心と呼べるものが一つだけありました。
それはわたし自身、です。
どれだけ異様な狂気の世界に包まれようと、自分だけは正気の世界の住人でいること――それが最後の砦だとわたしは思っていました。
愚かしくも。
しかし、わたしは絶対に目を反らすことが出来ない、深刻な自分の異常性に直面することになったのです。
最も忌むべき問題は、わたしの心の内側にありました。
――わたしが、自分の中にあるその衝動を自覚したのは一体何時頃からのことだったのでしょう?
はっきりと自覚したのは、月の障りが安定するようになった頃でしたので、小学生時代の終わりでしょうか。
なのはちゃん達に、わたしの世界を完膚無きまで叩き壊されてしまってからのことです。
不意に、人が血を流しているのを見ると、口をつけて舐めたくなるのです。
その流れる赤い雫に舌を這わせ、傷口に歯を突き立てて吸い上げたいという衝動が、わたしの体の奥底から湧き上がるようになったのです。
他人の赤黒い血液を見つめ、その鉄錆のような香りを嗅ぐと、きゅん、と下腹が疼きました。
大変はしたない話で申し訳ありませんが、性的な興奮を感じるようになってしまったのです。
もっとも、それが自覚できるようになったのはもう少し分別がつくようになってからの話ですが、幼いわたしは自分でも名状し難き興奮に戸惑っていました。
勿論、今はそれが何と呼ばれるものかぐらいは分かっています。
変態的性欲、性的倒錯と呼ばれるものには間違いありません。
血液性愛――ヘモフィリアと呼ぶのが一般的なのでしょうか。
もしくは、変形した食人性愛――カニバリズムと呼んでもいいかもしれません。
人の血の流れ出る所が好きというのは、単にサディズムの一言で片づけるには些か異常性に富んでいました。
――いいえ、違います、わたしはそんな汚らわしい変態などではありません!
ごく普通の、どこにでもいる女の子だったはずです!
病院なんて行きたくありません!
わたしに病んだところなんて無い筈です!
魔法の世界のような異常事態に触れたことで、少し精神的に疲れているだけなのです!
……でも、もしかしたら、幼い頃に見たあの夢も、わたしの異常性の幼き発露だったのかもしれません。
それとも、あの夢に悩まされて続けて、無自覚なノイローゼとなってこのような嗜好が表れたのでしょうか。
本当のことは、もう、分かりません。
それとも。
それとも。
ずっと夢だと思っているあの出来事でさえ、実は現実にあった出来事なのでしょうか。
忍姉さんやノエルさん――わたしの家族でさえ、現実離れした狂気の世界の住人だったのでしょうか?
もう、何もわかりません。
わたしは、疑うことに疲れてしまいました。
今出来ることは、闇夜の子供のように頭を抱えて震えるだけです。
……いえ、あともう一つ。
体が疼いてどうしようも無くなった時、わたしはアリサちゃんに慰めてもらいます。
アリサちゃんはとても勘が鋭く、わたしの機微を汲み取って、言葉一つ交わすことなくわたしを抱いてくれます。
彼女の指はわたしを蕩かし、この世界の恐ろしい全てや、わたしの中で渦巻く苦衷の全てから解き放ってくれます。
アリサちゃんは魔法の世界に憧れていても、何の変哲もない普通の女の子です。
わたしと同じ――いえ、わたし以上に普通のどこにでもいる女の子です。
そんなこちら側の存在であるアリサちゃんに抱かれることが、わたしにとってどれだけの安心感を与えてくれることでしょう。
わたしは、アリサちゃんを利用して、自分の正気を日々保っています。
――ごめんね、アリサちゃん……。
――いつもこんな汚いわたしに付き合わせて。
わたしは、小さく呟きました。
……え、どうして貴方にお話したのか、ですって?
ただ、耐えられなかったんです。
もう、なのはちゃんもフェイトちゃんも怖れしか感じない相手だというのに。
今まで通りの笑顔を作って友達を装い、関係だけは崩さないようにしている自分の汚さに。
誰かに、全部吐き出したかっただけなんです。
――なあんて、ウソです、全部冗談でございます。
魔法なんてお伽話、まさか本当に信じてしまわれたわけではございませんでしょう?
最初の夢の話から、少しHな告白まで、全部纏めてわたしの創作です。
でも、善い暇つぶしにはなりましたでしょう?
紅茶、冷めてしまったので新しいのに淹れ換えましょうか。
わたしとしたことが、少し長話が過ぎてしまったようです。
どうぞお忘れになって下さい。
――別段、面白いお話でもなかったでしょう?
SIDE:N
わたしは、柔らかなベッドの中で目を覚ました。
カーテンを開くと、眩しい朝日がわたしの眠気を吹き飛ばしてくれた。
ヴィヴィオはまだ眠っている頃だろう。
髪をサイドテールに結って、頬を叩き、気合を入れて立ち上がる。
今日も忙しい一日の始まりだ。
コーヒーメーカとトースターをセットし、フライパンに玉子を二つ落とす。
フライパンの立てる香ばしいベーコンと焼き立てのトーストの匂いにつられて、ヴィヴィオが眼を覚ました。
左手でウサギのぬいぐるみを抱きしめ、右手で眠たげに目元を擦りながら。
おはよう、と声を掛けると、欠伸混じりにおはよう、という返事が返ってきた。
わたしは苦笑をしながら、ずり落ちたヴィヴィオのパジャマの肩を整える。
ヴィヴィオと二人の朝食。
目を輝かせながら学校や友達のことを語るヴィヴィオに、思わず目を細める。
色んなことがあったけど、これが、今のわたしの幸せ。
ヴィヴィオを見送って、ダイニングのコルクボードに目を移す。
幾葉もの、幾葉もの写真が、所狭しと貼り付けられたコルクボード。
海鳴時代からの大切な人達との思い出の数々。
一番上は、この家に引っ越してきたばかりの時の、わたしと、フェイトちゃんと、ヴィヴィオの三人で撮った記念写真。
その下が、機動六課解散の時の写真で、その横が訓練風景。
どんどん下っていくと、相応にわたしの姿も幼くなっていく。
訓練校時代、リインのお誕生祝い、はやてちゃんの全開祝い。
アースラでのリンディさんとクロノくん、無限書庫でのユーノ君と司書さん達。
一番下には――海鳴の家と翠屋の写真。
今は随分と遠く離れた所に来てしまったけど、わたしの故郷と言える場所、わたしの原点は今でのあの暖かい海鳴の家なのだ。
時間を見つけては、ヴィヴィオと里帰りをしているけど、最近また忙しくてその機会は頓に少ない。
それでも。
このミッドチルダの地に住んでいても、わたしはあの世界で生まれ育った、高町なのはなのだ。
最後に、わたしは一葉の写真を手に取った。
そこには、顔を泥だらけにした、仲良し三人組――わたしと、アリサちゃんとすずかちゃんが写っている。
これは一体、いつの写真だっただろうか。
わたしたちは屈託の無い満面の笑顔を浮かべ、楽しくて仕方ないというように大きく口を開けて笑っていた。
みんな、どうしているだろうか。
幼馴染の大親友たち。
今はすっかり会うことも少なくなったけど、わたしの心の奥底には、いつだって二人がいる。
二人のお陰で、今のわたしがいる。二人と出会ったお陰で、今のわたしになれたのだ。
これだけは、わたしは断言できる。
――離れてしまっても、わたしたちの友情は永遠に変わらない。
海鳴に帰れば、また幼い頃の三人に戻って、昔のように笑い合えるのだ。
それは、何て素晴らしいんだろう!
今のわたしを作ってくれたのは、わたしが今までに出会った沢山の人々。
家族に、先生に、仲間に、友達に、――数々の人々に感謝しながら、私は今日を生きている。
扉を開く。
さあ、今日も楽しく忙しい日々の始まりだ。
高町なのは、今日も全力全開で頑張ります!
END
著者:アルカディア ◆vyCuygcBYc
- カテゴリ:
- 漫画/アニメ
- 魔法少女リリカルなのは
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