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ワールドカップ/一次敗者復活戦001

ワールドカップ/一次敗者復活戦
ワールドカップ/一次敗者復活戦002



キリンカップの宣伝


137 名前:サッカー連合より実況企画のご案内[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:29:48 ID:tSnHldWZ
まずは、現在開催中のキリンカップの宣伝をさせてください。

JFA公式内 http://www.jfa.or.jp/daihyo/daihyo/kirincup_specia...
キリンビール内 http://www.kirinholdings.co.jp/csr/sports/soccer/i...

〜ALL FOR 2010!〜と銘打たれた今年の大会は、
パラグアイとコートジボアールを招いてのものとなりました。
初戦は22日、パラグアイとコートジボアールが対戦し、1-1の引き分け。
本日24日は、日本vsコートジボアールが19:20キックオフ(テレビ朝日系で放送予定)。
26日には、日本vsパラグアイが19:20キックオフ(テレビ朝日系で放送予定)。

ワールドカップから出張 ゴルしたら食すスレ待合室
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/livefoot/12115...

サッカー連合では上のスレで、他板の皆さんと、試合を見ながら
一緒に物を食べつつ、わいわいがやがや気軽に騒ぎたく思っております。
同時開催で、実況ラジオもあるとかないとか?

どうぞ皆さん、お気軽に参加いただけますと幸いです。

370 名前:サッカー連合企画[] 投稿日:2008/05/24(土) 19:18:16 ID:tSnHldWZ
【サッカーch選対】交流しながらキリンカップを見るスレ
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/livefoot/12116...

ワールドカップ板さんの敗者復活出場にちなんではいますが、
あくまで他板さんとわいわいがやがや実況したいのがメインです。
ただいま閑古鳥中ですので、どしどしご参加お待ちしていますw

なお、当初と企画の内容が変わりましたことを、お詫びいたします。



ワールドカップ板とは


138 名前:ワールドカップ板について知ってみよう[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:30:25 ID:tSnHldWZ
トナメ宣伝スレで初日から飛ばしまくった「ワールドカップを知ってみよう!」
復習として、前半戦はこちらでご覧ください。
http://wiki.livedoor.jp/sirori2008/d/%a5%ef%a1%bc%...
「ワールドカップを知ってみよう!」後半戦を始める前に、
ワールドカップ板とはどんな板なのかを、ご案内しようと思います。

板が出来たのは、2002年日韓大会の際、隔離板として立てられたのが発端。
スポーツ鯖(ひろゆき直轄鯖)にあるため、規制中でも書き込みができます。
「この板は臨時鯖に存在してます。過去ログは保存されません。」(ローカルルールより)
ということで、基本的に過去ログは保存されないことになっています。

正式名称は「日本代表+ワールドカップ+実況@2ch掲示板」。
現在はサッカーchが存在するため、代表戦を含め、
実況はそちらで行うことが多くなっています。
板の内容は各国代表関係スレッドが多く、
あとは選手や大会スレ、ネタスレ、糞スレが混じり合った構成。

個人的なオススメはゴルしたら食すスレ、急→に→ボ→ー→ル→が→来→た→の→で、
児玉清が実況するスレ、おならがブッフォンあたり。…ネタスレばっかだなw
それぞれ、ワールドカップ板でスレタイ検索して、ご覧ください〜。

139 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:31:53 ID:tSnHldWZ
さて、「ワールドカップを知ってみよう!」企画、後半戦です。

第10回1974年西ドイツ


第10回1974年西ドイツ(1)

予選参加90か国、本大会16か国。
前回のブラジル優勝によるカップの永久保持権により
新カップが採用されることになったので、
正式名称も「ジュール・リメ杯」から
「ワールドカップ」へと変更になりました。

大会直前、はじめて、欧州外のFIFA会長が誕生しました。
以降、長期政権を担うことになるブラジル出身のアヴェランジェです。
彼の就任は、この後ワールドカップが大規模な商業化路線に向かう、
その重要な第一歩となりました。

なお、この大会で、ハイチの選手のドーピングが発覚。
薬物問題は、以降の大会でも、大きく影を落とすこととなります。
また、この大会は、予選地区分割の失敗で
出場への困難度に大きな差が生じたことをはじめ、
運営体制も大きな批判を浴びた大会となりました。


140 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:32:41 ID:tSnHldWZ
第10回1974年西ドイツ(2)

この大会も、世相が大きく反映されています。
グループリーグで西ドイツ、東ドイツの対決が実現。
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080524/12115...
これは親善試合を含めても、歴史上で唯一の対戦となりました。

会場周囲は厳重警備、上空はへりがとびまわる、厳戒態勢下の対戦の結果は、
下馬評を覆し、東ドイツが勝利をおさめました。
予選全体の結果としては、両チームとも決勝ラウンドへ進出しました。

この対戦には、世界的なデタント(緊張緩和)の流れと、
米国キッシンジャー国務長官の外交活動があげられます。
ユダヤからの亡命人で、ドイツ育ちのサッカーファンである彼は
この時代、大きく活躍した政治家ですが、
サッカーでも、アメリカへのワールドカップ誘致活動などに足跡を残しています。

また、西ドイツ対チリでは、
チリ活動家が観客席でデモを行ったという話も。
いくらなんでもネタすぎだろそれ、と思うんだが、マジらしいんだ…。どんだけ…。

141 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:34:03 ID:tSnHldWZ
第10回1974年西ドイツ(3)

さて、この大会は「トータルフットボール」オランダが席巻した大会です。
中心選手クライフは見事なダイビングボレーを決め、「フライング・ダッチマン」の異名をとりました。

ところで、トータルフットボールって、いったいどんなサッカー?
「全員がポジションにとらわれず躍動するサッカー」
正直、非常に聞こえがいい言葉だけが一人歩きしていますよね…。

http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080524/12115...
おのおの、一応のポジションはありますが、全員が守備にも攻撃にも絡む。
じゃあ、一人一人好き勝手にやっているのかというとそうではなく、
逆に約束事は、きちんと存在していました。
むしろ意思統一された全体連動が、トータルフットボールの生命線。

誰かいわく「ダイナミックなカテナチオ」・・・かえって分かりにくいよ、それw
カテナチオが「守備陣形」を要においた戦術だとすれば、
トータルフットボールは、「攻撃的な守備連動」が要のサッカー?
選手全員が高い攻撃、守備の個人能力とセンスが不可欠であり、
それを当時のオランダ代表は、全員がしっかりと備えていました。

142 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:35:09 ID:tSnHldWZ
第10回1974年西ドイツ(4)

語れば語るほど、わけわからなくなってまいりましたがw
当時の人々いわく、時代を10年先取りし、世界のファンを虜にした、
観客をわくわくさせるサッカーだった、、、みたいです。

ユーティリティー性を重んじ、
戦術の浸透なくして成り立たない現代サッカーは
すべて、このトータルフットボールの概念の延長上にあると考えて
間違いないのだろうと思います。

決勝は、歴史に残る名勝負、名選手対決となりました。
オランダ「フライング・ダッチマン」クライフ対、
「皇帝」ベッケンバウアーの西ドイツ。

http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080524/12115...

世紀の一戦は、西ドイツが勝利をおさめ、
ニュートロフィーを初ゲットしたチームとなりました。

第11回1978年アルゼンチン


143 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:36:07 ID:tSnHldWZ
第11回1978年アルゼンチン(1)

予選参加95か国、本大会16か国。

この大会中、スコットランド代表にドーピングが発覚しています。
ことが明るみになった背景には、ロンドンプレスの暴露合戦があり、
メディアの過熱という、現代につながる問題も
この頃から浮き彫りになりはじめました。

当時のアルゼンチンでは、大会2年前のクーデターで軍事政権が樹立。
殺人、拷問が横行、14000人が「消された」といわれる
恐怖政治の下での大会…………(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

スポーツイベントはしばしば
「権力者にとっての魔法の杖」と言われます。
軍部政権への否定と自国サッカーチームへの思いという
相反する感情の板ばさみを強要されたアルゼンチン国民は、
国民の反感をサッカーへの熱狂によって逸らし、
権力の延命を図りつつ大会による利権も手にするという政府の思惑に、
不本意ながらも乗せられていったのです。

144 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:37:14 ID:tSnHldWZ
第11回1978年アルゼンチン(2)

開幕数週間前には、メディアセンターで爆弾が発見される事件発生。
この撤去中に、1人死亡、1人負傷。
この異常な状況下でも大会を推し進めようとした運営姿勢を嫌い、
前回大会の主役の一人だったクライフは、抗議のため、大会参加を拒否しました。

開催国アルゼンチンによる事件は、治安面だけにとどまりません。
歴史に残る、前代未聞の買収疑惑もおきました。

アルゼンチンは2次リーグで、
最終戦で4点差以上で勝たなければ突破できない状況に陥りました。
対戦相手はペルー。
アルゼンチン政権は、ペルーに3万5000トンの穀物無償援助と
150億円相当の借款を提供。
アルゼンチンは6点差でペルーを下し、2次リーグを突破。


1ゴール、25億円………
め、めだまどこー(AAry

145 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:38:29 ID:tSnHldWZ
第11回1978年アルゼンチン(3)

準々決勝、アルゼンチン対イングランド。
ウェンブリーの戦いからの遺恨を引きずるこのカードは、
サッカー国際試合でも屈指の、因縁の対決。
なかでもこの一戦は、歴史に残る乱戦となってしまいました。

軍事政権はこの一戦を口実に、外敵について国民を煽り立てます。
「英国はマルビナス(フォークランド諸島)だけではなくワールドカップまで奪った」
結局、両国は次のスペイン大会の直前に
アルゼンチンのフォークランド軍事占領により開戦するのですが、
「サッカーが戦争を引き起こした」のではなく、
権力者が戦争への口実に利用したんだということは、正しく理解されるべき。

そして、試合そのものの裁定にも、
軍事政権の横暴はあちこちに滲み出る形になりました。
「みざるいわざるきかざる」という審判委員会の無責任は、
後に、厳しく批判されています。
このような状況下で行われた決勝は、オランダ対アルゼンチン。
開催国のアルゼンチンが優勝しましたが、非常に後味の悪さを残す大会となりました。

第12回1982年スペイン


146 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:39:24 ID:tSnHldWZ
第12回1982年スペイン(1)

予選参加103か国 本大会24か国

世界が、ふたたび、きなくさい方向に動き始めた時期の大会です。
79年、ソ連がアフガニスタンを侵攻しました。
このことに抗議した西側諸国は、80年モスクワ五輪への参加を拒否。
五輪の件に抗議するべく、
この大会を東側がボイコットする心配もありましたが、
かろうじてその動きは回避されました。

ほかに大きな国際的な動きとしては、前大会のところで述べたとおり、
大会直前の82年4月に、フォークランド紛争勃発(アルゼンチンが軍事占領)。

大会中も両国は戦争状態にありましたが、
大会においてアルゼンチン代表が敗退した十数時間後、
アルゼンチンはイギリスに降伏し、
そのまま長期の軍事政権が終結する流れとなりました。

つくづく、この大会でイギリス各国と当たらなくて良かったよな…。

147 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:41:42 ID:tSnHldWZ
第12回1982年スペイン(2)

閑話休題。昨日女子が最終予選通過を決めたバレーボール他、
オリンピックの話題がにぎやかになりつつある、今日この頃。
2月のハンドボール最終予選の「中東の笛」は、記憶に新しいことと思います。

この中東の笛、サッカーの世界では四半世紀前にすでに起こっていました。
事件がおきたのは、クウェート対フランス。
フランス優勢で進む中、フランスの将軍プラティニからジレスへパスがわたり、
見事にシュート決まった、、、そのときです。

関係者席から突然、クウェート王子が登場!!
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080524/12115...

選手に向かって「おまえら帰るぞ」というかのように選手に手招きをしたのです。
当然、周囲はぽかーん。なんなのあの人ざわ…ざわ…ΩΩ(←カイジ風によろ)状態。
選手が王子に従って引き上げようとすると、今度は王子、残れと合図。
周囲はもちろん、なんなんですかぁ><(←みくる風でよろ)状態。
すると、なぜか主審は先のフランスゴールをノーゴール判定。
そのまま、試合は続行されたのでした。・・・なんだかなあ・・・。

148 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:42:47 ID:tSnHldWZ
第12回1982年スペイン(3)

この大会、開催国スペインは、大会を通して
国民的盛り上がりを後押しとした強さを持つことができませんでした。

当時のスペインは55年体制以来の「西側」の国ですが、
実際は、フランコ独裁政権が1975年にこの世を去るまで、長く国家を掌握。

フランコの政策の三本柱は「食べさせ、寝かせ、サッカーを見せる」。
スペインにおいても、サッカーは権力者にとって、民衆の不満を散らし、
自らの支持率を下支えさせるための「魔法の杖」だったのです。

その体制が崩壊し、民主化への流れに乗り始めたところでの大会開催。
インフラ整備がなく、スタジアム規模が小さい場所ばかりだった、
政府としての盛り上げが少なく、チケット販売が伸び悩んだ、
さらにスペインという国そのものが「代表」より「クラブ」を愛する傾向が強いなど、
さまざまな要因はあったのでしょう。
開催国なのにグループ通過すら危ういほどという、
本来の実力とはかけ離れた状態のまま、
スペイン代表の自国開催大会は終えられることとなりました。

149 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:44:29 ID:tSnHldWZ
第12回1982年スペイン(4)

この大会から、出場チームが24チームに増えました。

これは、FIFA会長選挙で票を投じた諸国への見返りとして、
アヴェランジェが拡大したものです。
同様の手法は、2002年日韓大会で
参加国が32か国に増える経緯にも使われました。

スペイン大会では、この参加国の増大が、
優勝候補を絞りづらい、混沌とした前評判を呼ぶことになります。
また、試合数が増えたことで、ただ単純に強いチームではなく
大会全体でのコンディションを保ったチームが勝つという現象が起き始めます。

当時のブラジル代表は「黄金の中盤(カルテット)」。
日本のJリーグファンにもおなじみのジーコやセレーゾが活躍しました。
ドリームチームとすら呼ばれたこのチームが
決勝に進めず破れたのも、
間延びした日程に対してセレソンがコンディションを整えきれなかったことが、
大きな要因であると考えられています。

150 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 03:46:10 ID:tSnHldWZ
第12回1982年スペイン(5)

さて、準決勝。フランス対西ドイツ。
延長で西ドイツのシューマッハーが悪質なファールを犯し、
それを受けたバティストンは歯を2本折り、
命すら危ぶまれるほどの重症!
しかし、そのプレイに退場の判定はくだされず、PKもなく、
果ては治療を受けるまで、ピッチ上に3分間も放置される始末。
(セビリア警察が、赤十字をピッチから締め出したための出来事だとか)

その後、西ドイツがPKで勝利したのですが、
中立だった観客全員が、決勝ではイタリアの応援にまわったとか。
まあ、気持ちはわかるわなw
そして、地元観客を敵に回すと、ワールドカップは非常に勝ちづらいww

中立観客の力が全てではないでしょうが、
決勝の西ドイツ対イタリア、攻撃的なチームが決勝に進めず、
「負けない」守備サッカーを基盤として勝ち残った両チームの対決は
イタリアのカテナチオが勝利するという結末で終わったのでした。
※※ひとまずここまで。残りは本日午前中に投下します※※

253 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 11:38:18 ID:tSnHldWZ
マシンが吹っ飛んで完成間近で半分消えたorz
とりあえず打ち直した分、、、残りは1大会ずつうぷしますー。

第13回1986年メキシコ


第13回1986年メキシコ(1)

予選参加110か国、本大会24か国。

国際的な大きな流れとしては、
1985年、ソ連ゴルバチョフ政権のペレストロイカにより、
東西冷戦が終結したことが上げられます。

さて、のっけからネタのような話で恐縮ですが、
実はこの大会、日本でやらないか?と打診されたという話が残っています。
1970年メキシコ大会に視察に赴いた日本の関係者が、
当時のFIFA会長に「1986年開いてるけどどうよ?」と言われたんだとか。

まあ、当時の日本サッカーの状況を考えれば全く夢物語でしかなかったのですが、
この大会がメキシコで開催されることになったのも、
同じくらい荒唐無稽な成り行きだったりします。

254 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 11:39:03 ID:tSnHldWZ
第13回1986年メキシコ(2)

実は、当初開催予定だったコロンビア組織委員会が、辞退を申し出たのです。
表向きの理由は「開催を引き受けたときより規模が拡大して、経済的にまかなえない」。
でも真相は、麻薬マフィアによるサッカー汚染を危惧した政府が、開催協力を拒み、
コロンビア組織委員会に返上を申し出させたのです。

貧富の差が大きい国で、マフィアビジネスが横行することは、悲しいかなよくある話。
コロンビアの場合、マフィア(カルテル)が
国家、そしてサッカー界全体を「汚染」していたのが、他国とは事情の違うところ。

83年には「サッカー界がマフィアに握られている」発言の大臣が暗殺されます。
89年には、笛への不満により主審射殺、リーグ中止に。
94年大会でオウンゴールの選手が射殺(後で詳しく語ります)。

コロンビアにおけるマフィアとサッカーの関わりは
「サッカー賭博」レベルではありません。
マフィアそのものが、クラブを保有し、運営に関わっていたのです。
この国では「マネーロンダリング」の手口の一環として、
マフィアオーナー達の趣味と実益により、弄ばれていたのでした。

255 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 11:40:11 ID:tSnHldWZ
第13回1986年メキシコ(3)

代替地として、
アメリカ、カナダ、ブラジル、メキシコが立候補しましたが、
FIFAアヴェランジェ会長の鶴の一声で、
メキシコでの2回目の開催が決定します。

なんかねえ…腹心の副会長が、
メキシコメディア出身で、つまり利権絡みと、
アヴェランジェ自身が
ブラジルサッカー協会会長と、個人的に犬猿の仲だったとか?
なんとも尻穴の小さry

この大会あたりから、
全世界に向けて、テレビ放映権を売るビジネスが始まります。

もちろん、日本にはあんまりビジネスされず、ろくに見られなかったよ><
当時、サッカーに関して日本は世界のうちに含まれていなかったからね!

...orz

256 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 11:40:56 ID:tSnHldWZ
第13回1986年メキシコ(4)

本来のサッカーの面でこの大会を語るなら、
「マラドーナの大会」の一言につきます。

いまだに語りぐさとなる、
「神の手」http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080524/12115...
「5人抜き」http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080524/12115...
どちらもが、「因縁の対決」
準々決勝アルゼンチン対イングランドでの出来事。

マラドーナ自身のワールドカップデビューは、78年のはずでした。
当時から天才少年の呼び声高かった彼ですが、監督の意向で、
直前にメンバーから外されてしまいます。
82年には、既に世界的なトッププレーヤーに成長していましたが、
一発退場などもあり、目立った活躍を残せていません。
このときの不審は、それまで軍事政権下で過ごしていたマラドーナが
スペイン大会で検閲のない情報にふれて真実を知り、
それまでの自国と自分へのいらだちによって
本来の調子を出せなかったため、とも言われています。

257 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 11:41:52 ID:tSnHldWZ
第13回1986年メキシコ(5)

そして、満を持して86年。
ついに20世紀最高の天才の一人、マラドーナは大舞台で開花しました。

対戦チームの監督が試合前に述べたコメント。ものすごいです。

「マラドーナを止める方法を考え出すのに私がもらったのは24時間だ。
これは簡単な仕事ではない。
ほかのチームがもうすべての方法を試している。
マークをつけたり、スペースを封じたり、
彼を自由にさせておいてパスをカットしようとしたり。
      • だがまったく役に立たなかった・・・だからマラドーナなしで
アルゼンチンがワールドカップに勝つチャンスは
まったくないとだけ言おうじゃないか。彼はそれぐらい偉大だ」

西ドイツ対アルゼンチンの決勝は、アルゼンチンが勝利。。
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080524/12115...

マラドーナ自身による決勝アシストで、見事に大会は締めくくられました。

第14回1990年イタリア


261 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 12:45:14 ID:tSnHldWZ
第14回1990年イタリア(1)

予選参加103か国、本大会24か国。

メキシコ大会までに、肥大化の弊害が表面化してきたことから、
大会開催前に、その対応策がたくさん協議されました。
つまり期間長期化と、試合数増による
「盛り上がらない試合」をなんとかしようという改善案として
でてきた案の一部を紹介してみましょう。

  • ゴールマウスを広くする
  • 人数減らす

      • ・・・小学生の球技大会ルールかよ!!

ちなみに、1990年大会では目立った改正は行われず、
1992、バックパスを手でGKが扱うことが禁止されて協議は終了されました。

こういうのを「大山鳴動してネズミ一匹」って言うんだよなー。
まとめてる方が情けなくてハズカシイw><

262 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 12:46:06 ID:tSnHldWZ
第14回1990年イタリア(2)

さて、いよいよ国際的には大激動の時代。
この時期受験にあたった人々は、毎日頭をかかえていたでしょうねー。
なにしろ、毎日それまでに習った世界地図が書き換えられて行くんですから。
しかも時事問題として、関連話題が入試に出る確率100%だからなあ…。

1989年6月、ゴルバチョフ訪中をきっかけに、天安門事件がおこります。
当の中国では、政府が強制制圧して終了した民衆蜂起ですが、
この民衆弾圧を支持する声明を出した東ドイツ・ホーネッカーに、国民が反発。
「大脱走(エグソダス)」が始まり、これが結果として、
11月のベルリンの壁崩壊、そして東欧全体の激動へとつながっていきます。

また、イタリア大会1ヵ月後には、湾岸戦争勃発。
まるでCGのようにレーザーの飛び交う戦争の映像が世界に流され、
そのあまりの現実感のなさに、逆に怖さを覚えた人は、
おそらく自分だけではないでしょう。

この大会を最後に見ることのなくなった国、
また体制の変わった国の、いかに多いことか…。

263 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 12:46:59 ID:tSnHldWZ
第14回1990年イタリア(3)

各国の調子としては、まず、オランダの不振があげられます。
フリット、ファンバステン、ライカールトのミラントリオなど、
この大会も、すばらしいタレントは揃っていました。
しかし、なぜか彼らはワールドカップでは、目を引く活躍を残していません。
逆に躍進したのは、カメルーン。
開幕戦でアルゼンチンに勝利した後、強豪を退けながら、
堂々のベスト8入りを果たし、大会に旋風を巻き起こしました。

そしてユーゴスラビア、ストイコビッチ(ピクシー)の活躍。
彼自身が、キャリアで最も記憶に残るスペイン戦の2ゴールは圧巻です。
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080524/12115...
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080524/12115...

準々決勝のアルゼンチン対ユーゴスラビア、PKでユーゴは敗退しますが、
その際、29歳のマラドーナは、24歳のピクシーに、こう声をかけたといいます。
「泣くな。君はすばらしい選手だ。君には未来がある」
      • ピクシーとユーゴに用意された未来の悲劇性により、
この純粋な励ましの言葉は、深く皮肉な印象を持つものに変わってしまいました。

264 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 12:48:06 ID:tSnHldWZ
第14回1990年イタリア(4)

90年代のサッカーで最大の問題と言えば、フーリガンをおいてありません。
前大会と違って、欧州での開催。
行き来がしやすい分、運営はその対策に深刻にならざるを得ませんでした。

さて、そもそもフーリガンとは何なのか?
その語源は19世紀末の乱暴者の名前だと言われます(一説には芝居の登場人物名とも)。
もともとは、街頭の暴力行為や破壊行為を指す言葉であり、
サッカーをさして生まれた言葉ではありません。

英国生まれのこの言葉がサッカーに持ち込まれたのは、80年代になってから。
背景には、「英国病」と呼ばれる深刻なイギリスでの社会・経済の停滞がありました。

伝統的な格差社会〜働いても報われない〜はけ口として酒と喧嘩が横行
でも言い訳が必要だから「サッカーのせい」

      • どっかで似た構図がありましたねー。
権力者がサッカーを口実に使うパターンです。
ここでは、暴れることが目的の人々が、サッカーを暴力の口実にしたのです。

265 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 12:49:04 ID:tSnHldWZ
第14回1990年イタリア(5)

英国作家の言葉に「愛国主義は無頼漢の最後の切り札」というものがあります。
国(チームに置き換え可)のためなら悪事も大目に見られる…という、強烈な皮肉です。
      • おこるべくして、悲劇は起きます。
85年5月「ヘイゼルの悲劇」、欧州チャンピオンズカップ(現CL)での出来事でした。
ブリュッセルのヘイゼル・スタジアで開催された、
リバプール対ユベントス戦で、両チームのサポーターが激突。
41人死亡、百数十人負傷の大惨事。
なかには、あらかじめ持ち込まれたナイフで刺殺された人間もいたといいます。

これまでの大会の部分で触れてきた通り、
観客や選手同士がエスカレートして乱闘に発展した例は、昔からありました。
クラブワールドカップの前身であるトヨタカップが中立国の日本開催になったのは、
さらに前身の大会が、チーム同士の対立激化により参加自体が続出、続行不可能になったため。

それらと、ここで話題にしているフーリガンは、何が違うのか?
それは彼らが、サッカー観戦よりも、
計画的に相手を襲ったり、スタジアム周辺への破壊行為を目的としていたところ。
観戦者が暴徒化するのではなく、暴徒がサッカーを口実にスタジアムに寄って来たのです。

266 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 12:49:57 ID:tSnHldWZ
第14回1990年イタリア(6)

さて、実際にイタリア大会でとられたフーリガン対策は
どのようなものだったかといいますと。

  • イングランドは一次リーグすべてをカリアリ(サルデーニャ島)に隔離
 そこで全試合を行わされた
  • 特定の国のサポーターを、テント村に軟禁、動員した警察官45000人
  • あらゆる街角でマシンガンを手にした警官の姿
  • アルコール類を、試合当日の昼から夜まで販売禁止

密着マークの対象は、オランダとイングランドのサポーターでした。

しかし、実際にはノーマークの西ドイツサポーターがミラノで暴動。
(この件は、東西ドイツ統合の流れによる、
 ドイツ人の感情の激発だったとも言われています)

マークされた両国のサポーター達も、予測に違わず騒ぎを起こし、
イングランドへは数百名が強制送還され、
これには巻き添えファンも多数含まれていたようです。

267 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 12:50:53 ID:tSnHldWZ
第14回1990年イタリア(7)

さて、当時のFIFA事務局長は「権威主義」の現会長・ブラッター。
今も様々な発言で物議をかもしている人物ですが、
この当時から、せっせといろいろ「やらかして」います。

サッカーのルールは、
この大会の冒頭にあげた小学生球技大会レベルのアレの経緯のように、
競技規則を制定する国際評議会によって定められることになってます。

しかし、ブラッターは、ワールドカップ前夜に
この国際評議会の協議抜きで
「プロフェッショナルファウル」についての通達を審判に送りつけました。
協議会は、既に大会で勝手に採用されてしまったこれを、追認することに。

そのまま、これが現在までルールとして通ってるあたり、、、
プロフェッショナルファウルそのものの是非はともかくとして、
なんだかなあ・・・。

268 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 12:54:18 ID:tSnHldWZ
第14回1990年イタリア(8)

さて、準決勝前のナポリで、マラドーナが大失言を犯します。

「イタリアではなく、我々を応援してくれ。
 きみたちが北で、どれだけひどい仕打ちを受けているのか思い出してほしい!」

確かにイタリアは民族対立を抱えている国家ですが、これにはイタリア人むかー。
そりゃそうだw 赤の他人にどうこう言われて、
あげく応援しろとか、ふざけんなと思うしかないわなw

決勝、アルゼンチン対西ドイツ。
試合中、ずっとスタンドから野次られ続けるマラドーナ。
まーさーに、自業自得w
試合は、gdgdな感じでPKがあってgdgdな感じで西ドイツ勝利。gdgd。

これに限らず、大会全体を通して、サッカーはgdgdでした。
いくら対策をとっても、やはり大会が長過ぎる。試合数が多すぎる。
このことは、このあと、さらに枠を拡大したことで、
解決されない問題として残り続けていきます。

訂正と物資


359 名前:ワールドカップ板勝手支援[] 投稿日:2008/05/24(土) 17:29:00 ID:tSnHldWZ
>268について、突っ込みが入りましたので、訂正。

イタリアにあるのは、「民族対立」ではなく、「地域格差による対立」です。
感想スレで指摘してくださった方、ありがとうございました。

ついでに、おまけの物資もおいていきますので、気楽にごらんくださいw
FIFA ANTHEM(音楽のみ)
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080426/12092...
2002 日韓大会公式ANTHEM
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080510/12103...

2010 南アフリカ大会CM
World Cup South Africa 2010 / Opening FIFA.Com
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080510/12103...
South Africa 2010 【Before FIFA World Cup 2006 Final】
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080510/12103...

おまけのお笑いネタ「俺らワールドカップさ行ぐだ 【IKUZO×FIFA ANTHEM】」
http://d.hatena.ne.jp/toname3soccer/20080510/12103...
2008年05月24日(土) 19:35:42 Modified by sirori2008




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