裏切騎士と亡国姫(後半)

裏切騎士と亡国姫(前半)

初めて陵辱された日から数週間が過ぎた。
レザンは3日に一度はサシャを抱いたが、交わらなかった日もしっかりと彼女を抱き寄せて眠った。
初めは無駄と分かっていても抵抗するのを辞めなかったサシャだが、最近ではすっかり抗う気を無くしてしまった。

彼女が大人しくなすがままに身を任せるようになると、それまでは力づくで何事も済ませていたレザンが、
まるで親衛隊長を務めて頃みたいに、壊れ物でも扱う慎重さで彼女に接し始めた。
その事実に一旦気づいてしまうと、サシャは自分の心が徐々に波立つのが分かった。
21歳の時から片時も離れず、サシャを護衛していた頃から変わらぬ真っ直ぐな瞳で見つめられていると、
サシャはその熱い視線で胸を射抜かれた様な錯覚に陥る。
只でさえ、王女として生まれた義務感から諦めこそしたが、一時は最も身近な異性として淡い恋心を抱いた相手に強く求められて心が揺れないでもない。
だがその一方で、飼い猫の様にレザンに飼われていく事を受け入れ始めている己を、苦々しく思うサシャがいた。
(どんなに優しくされてもレザンは父上の、国の仇。私の事だっていつ捨てるか分からない裏切り者なのだ)
そう自分に言い聞かせる事で、彼の腕の温もりを心地よいと感じる気持ちを振り払った。

サシャの心がぐらつき始めたのと同時期に、彼女はレザンの屋敷の侍女から身を隠さなくなった。
もう彼女達にどの様に思われようと構わない、という投げやりな心境になったからかも知れない。
事実、彼女達の想像と実際のサシャの立場に恐らく相違はないだろうから。
そのある日、サシャの昼食の支度をしてくれている侍女、名前をチェルシーと言ったか、に
ひとつ心掛かりになっていた事を尋ねた。
「この屋敷にロッテン国訛りの使用人はいらっしゃる?」
初めの日に聞いたあの声の持ち主の事がずっと気になっていたのだ。
「えぇ、それでしたら最近はロッテン国から優秀な人材が多く登用されておりますから。
この屋敷にも何人か勤めさせて頂いておりますよ。
侍女でしたら、フランの事かと思うのですけど……」
特に質問の意味も考えずに躊躇無く答えたチェルシーが挙げた名前に、サシャの脳裏に一人の娘の顔を思い浮かぶ。
「……ひょっとして、そのフランって子、……栗毛の髪を肩の処でカールさせて……」
「あぁ、やっぱりご存知だったんですね。彼女、ずっとサシャ様の事を心配してたんですよ」
嬉しそうに語るチェルシーとは対称的に、サシャは頭の中はすっかり混乱していた。
フランはロッテン国にいた頃、サシャの身の周りを世話していた侍女の一人だった。

「でも、やっぱり、同郷の方が近くにいるとサシャ様に……お里心付かれてはお可哀想だから、と
旦那様が担当を交代なさったんです」
サシャの置かれた立場を全く知らされていない訳ではないようだ。
漸く言葉を選ぶ様にサシャの顔色を伺い出したチェルシーに、サシャは重ねて質問をする。
「ロッテン国の人間がこちらに流出しているという話だけど、どれくらい規模でだか分かる?」
「旦那様もそうですけど真面目で仕事熱心な人が多いですからね、ロッテンの人は。
……元々この国は、地方の国を吸収して大きくなった国だから、他所の国の人を雇う事に偏見がないんです。
私も移民の出身だし。能力さえあれば出身、家柄の分け隔てなく採用してくれるから
ロッテンの人達も優秀な人程、こちらに流れて来ているんじゃないかな……と思うんですけど」

それから半日、サシャは魂が抜けた様に呆然と過ごした。
気の遠くなる程の長い時間をかけて伝統と血筋を重んじて来たロッテンと、
実力だけを頼りに一大勢力となった若きメージ国。
もう何が正しくて、何が間違いなのか分からない。
ロッテン国の存続を思えば、レザンは裏切り者以外の何者でもないが、
真に能力のある国民からすれば、彼の行動は間違いなく英雄的決断なのだろう。
そして、サシャ自身、ロッテン国最後の王女として、この結果をどう受け止めればよいのか。
レザンを国の仇として憎めば良いのか、国民の新しい導き手として認めれば良いのか。

レザンが部屋に戻ると、そこには灯りも付けずに膝を抱えて丸まったサシャが居た。
「どこか体調が優れないのか?」
気遣わしげに声をかけられ、顔を上げた途端、サシャの瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れた。
「……レザンは何を考えて、国を捨てたの?本当の事が知りたいの……」
レザンは黒い前髪をかき分けて苦しげにひとつ大きな息を吐いた。
サシャの張りつめた様子に、もう彼が何を言っても彼女には誤摩化しが効かない事が分かった。
「誰に、何処まで聴かれたのかは存じませんが、姫様のご想像の通りだと思います」
レザンは長椅子に座っているサシャの前に跪き、彼女を見上げる様に語り出した。
その姿は姫君とその身を護る騎士そのものだった。

「私は姫の親衛隊長まで勤めて参りましたが、それでもロッテンの国ではかなり異例の出世だったのです。
姫もご存知かと思われますが、ロッテン国は何より血筋を重んじます。
只でさえ、王家の方々の身辺をお守りするのは、最低でも上流階級の嫡男、
もしくはその家の嫡男以外の男子でも有力貴族のお墨付きの者とされています。
その中で、妾の子として家での立場も低い私が登用出来たのも、
やはり異端な考えの父が手筈を整えてくれたからだったのです。
本来なら嫡流でなければ、平民同様に扱われる筈だった私の戦の腕を惜しまれた父が
表に裏に、手を回してくれたお陰で今日の私があるのです。
私は理解ある父に恵まれたから良かったものの、生まれの差により、才能を活かせぬまま一生を終える人間を
私は多く見て来ました。
それとは逆に大した能力もないのに、重要な官職に就いては無駄な法ばかりを作っていく人間も」

レザンの静かな怒りが王女として生まれた自分に向けられている気持ちになり、サシャは気弱げに尋ねる。
「……レザンは、……本当は私の護衛をするの、嫌だった……?」
まるで叱られた子供みたく俯いたサシャの頭を、あやす様にレザンの大きな手が優しく撫でた。
「姫様の事は御役を任せられた時から、ずっと大好きでした。
素直でお優しくて、花の様に可憐で…それでいて時々、手がつけられなくなる程、拗ねられる処も全て」
サシャは涙目で、酷い、とふくれて笑って見せる。
「だから、そんな貴女が国の為に御自分の心を偽らなければならなくなるような、
ロッテン国の伝統を重んじる体勢が許せなかった。
………姫は誰にも気づかれてないとお思いでしょうが、アルフォー公爵との婚姻話が決まってから、
貴女は毎晩の様に枕を濡らしていたのでしょう?」
まさか気づかれていたなんて。サシャは思わず瞠目する。
「ずっとお傍で見て来たのです。どんな小さな変化だって、貴女の事なら見逃しはしません。
ですが、貴女は最後まで、不平を口になさらなかった。それがいじらしくて、……………憎かった」

「望みもしない相手の元に貴女を取られるのを、指をくわえて見ている事しか出来ないなら、
いっそ自分の我がままを優先してしまおうと思ったのです。
……私は貴女を縛る全てのものから解き放って、ただの一人の女にしてしまいたかった」
レザンは辛そうに笑うと、撫でていたサシャの頭から手を離し、彼女の視線から目を逸らした。
「……確かに元々はロッテン国の選民思想に異を唱えての行動でしたが、
貴女の事が引き金ではないとは言えません。
その為に、貴女の父上をはじめ、多くの血を流してしまった。
……私の……浅ましい願望と引き換えに……」
自嘲の笑みを浮かべるレザンがノロノロと顔を上げて見せた。
サシャはこんな頼りなさそうな彼の顔を初めてみた。
「……私の甘い夢も覚める時が来ました。もう、姫は自由の身です。
お母上様はカヴァ=ヤの修道院にいらっしゃいます。
他の妹姫達は既に養子として引き取られてしまいましたが……。
お二人でロッテンの同盟国にでも亡命なさるのが宜しいでしょう」
これを見せれば、メージ国では大体の要望は通りますから、とレザンのサインの入った証書を手渡される。
展開が急過ぎて思考が追いつかないサシャは、差し出された証書を呆然と受け取った。

「今までの無礼の数々、誠に申し訳有りませんでした。
………それでは、姫様の御身がいつまでも健やかでいらっしゃいます様、いつもお祈り申し上げております」
レザンはそう言うと、未だに惚けているサシャに哀しい笑みを寄越すと、黒い軍服を翻して扉の向こうに消えた。
いつもの様に鍵を掛ける音は、ついにしなかった。

「どうぞ、お気をつけてお降り下さい」
御者のうやうやしい言葉にサシャは我に返った。
レザンが部屋を出て行った後、すっかり呆然自失となったサシャは侍女に促され、
無意識のまま部屋を出て、用意された馬車に乗せられた。
久し振りの外出だというのに、馬車の小窓から見える景色も何も覚えていない。
実はもう、屋敷を出てから何日か経っているのかも知れないがそれすら分からない。
まるで心にポッカリと穴が空いたような、自分が自分でないような錯覚を覚える。
(知らずと目を背けていたロッテン国の欠点をまざまざと見せられた所為かしら、それとも……)
モヤモヤと悩んでいる頭とは別に、足はまっすぐ教会へと続く道を行く。
そこは海の見える丘の上に立つ白い建物で、飾り気はないが、楚々としたモダンな造りだ。
馬車が近づく気配に気づいたのだろうか、建物の中からシスターとおぼしき姿の女性達が出て来た。

「…………サシャ……!?」
その中から少し年配の女性がサシャの姿を認め、駆けて来る。
「……お……母様????お母様っ!!!」
サシャの金髪と良く似た色の髪を真っ黒なベールの中に隠していた所為で、
遠目には他のシスターと見分けが付かなかったが、それはサシャの母親、ロッテン国最後の王妃だった。
ひと月も会わなかった訳でもないのに一気に老け込んだ母の表情に、
サシャは母妃の辿って来たこれまでの心労を思うと胸が痛んだ。
「……よくぞ、ご無事で……」
なんだか一回り小さくなったように思える母に抱きつくと、先程までは無気力だった筈なのに、
涙が後から流れて止まらない事に気付く。
「貴女も無事な様子で、何よりです……。サシャの事はずっと気になっていたから……
会えて、顔を見れて本当に良かった……」
幼子のように泣きじゃくって止まない我が子の髪を優しく梳いてやりながら、亡国の王妃は微笑んだ。
「他の妹姫達も皆、良いご家庭に養子縁組が決まってね。3日前に末姫のアンシスが出てしまって、
ここもすっかり寂しくなってしまったけれど貴女が訪れてくれて嬉しいわ。……レザンも一緒なの?」
その名前にサシャの涙も一息に止まる。
どんな想いで母がレザンの名前を出したのだろうか?
母妃は、彼とサシャの関係を知っているのだろうか?
色々な想いが交錯する中、サシャは小さくかぶりを振って答えた。
「……レザンなんて……ここに来れる筈ありません……あんな……人………」
震える声で呟く。
「そう。……彼がメージ国王に助言してくれたお陰で、こうして私達が今なお生き延びているという話を聞いたものだから、
もし会う機会があればと思っていたのだけれど……」
その様子に気付かなかったのか母妃は一人ごちる。
「……レザンは……来てないの……もう、私…前には………二度…と……」
声に出してみると嗚咽に遮られて、最後まで言葉を紡げなかった。碧い瞳から再び大粒の涙がこぼれ落ちた。
だが、それは先程までの堰を切ったような涙ではなく、静かににじみ出るものだった。
(自分の身体なのに、全然思う様に動かない……。あんなに憎んでいた筈なのに……。
何故、レザンの事を思い出すとこんなに涙が出てくるのだろう……)

「……もう、私達は自由にしていいって……、どこに行くのも自由だって……。
お母様、この国を出て、2人で暮らしましょう……、ね?」
ロッテン国の滅亡も、レザンに受けた陵辱も、王国の真実も、サシャに対する彼の想いも……。
全て忘れてしまえば、いつかはこの不可思議な感情も消えてなくなるかも知れない。
そう思ったサシャの提案を、王妃は静かに、しかし確実に拒絶した。
「……よくお聞きなさい、サシャ。ここには父王が眠っておられます。
私は妃として、妻としてこの地を離れる訳にはいかないのです。
確かに、あの人は決断力が乏しくて国を纏める器ではなかったのかも知れない。
貴女にだって、国が有利になる為だけの道具の様な育て方をしてしまった、駄目な父親だったかも知れない。
……でもね、それでも、私はあの人が大好きだった。だから、お父様のお墓を最期まで護って生きたいの」
我がままな母親でごめんなさいね、と少し寂しそうな顔でサシャに笑い掛ける王妃の顔は、確かにくたびれてはいたものの、誇り高く輝いていた。
サシャのよく知っている優しくて清々しい母の笑顔だった。
「貴女も自分の思う道を行きなさい。……何も慌てて結論を出す事はないわ。
答えが出るまでこの教会でゆっくり考えてご覧なさい」

それからしばらくの間、サシャは教会で穏やかな日々を過ごした。
小さなものではあったが父王の墓には毎日参ったし、生まれて初めて自分が食べる為の野菜を栽培した。
刺繍は一般教養として一通り身につけていたが、古布を繕い直して再利用する事など考えた事もなかった。
何から何までサシャにとっては新鮮で楽しい体験だったし、
祈りに始まり祈りに終わる緩やかで優しい生活を送る内に、
このまま母妃と一緒にここで暮らすのも悪くないと思わないでもなかった。
だが、何をしていても、心に大きな穴が空いたような空虚な気持ちに突然襲われる。
朝、起きた時の一人きりの寝台の冷たさに不意に涙が零れる。
……原因は既に分かっている。
だからこそ、敢えてその事を考えないようにすれば、いつかは忘れてしまえると思っていた。
でも、出来なかった。むしろ一層、その存在が日一日と心の中で大きくなるばかりだった。
「………レザン……」
口に出して呼ぶ。当然、返事はない。
分かり切った事なのに、胸が刺すように痛い。
声に出して名前を呼んでしまった事でその想いもひとしきり強くなってしまった。
レザンに、会いたい。
根本的に向こうが会ってくれるのかすら確証も持てないが、とにかく会いたい。声が聞きたい。
彼に対して怒りたいのか謝りたいのか、はたまた許したいのか許されたいのか、
自分でもどうしたいのかすら分からないが、レザンに会えば何らかの決着が付くであろうと、
根拠のない確信がサシャの中で大きくなる。
一度そう思い至ってしまうと、もはや居ても立っても居られなくなってしまった。
サシャは寝台から飛び降りると、恐らく今の時間なら父の墓前にいるであろう母の元に駆け出した。
もう、涙は流れていない。

「もう貴女はレザンに会いに行くと決めたのでしょう。
ならば私に貴女を止める権利はありません。
貴女の選んだ道をいきなさい。
ただし、これだけは約束して。
例えどの様な結果になろうと決して後悔しない事、そして自分で下した行動に最後まで責任を持つ事。
これがロッテン国最後の王女として生まれた貴女が出来る最後の公務です」
サシャの決意を聞いた母が静かに、だが厳格に応えた。
そう言うと母はてきぱきとサシャの旅支度を調え、シスターに馬車を手配させた。
固い抱擁を交わして別れた娘の乗せた馬車を見送りながら母后は傍らの墓に語りかけるように呟いた。
「貴方は国を滅ぼした相手の元に娘を行かせた事をお怒りになるかしら?
それでも、私は誰かの言われるがままに生きてきたあの娘が自分の足で道を進んで行く事の方が嬉しいの。
今までは誰かの言われた様にしか生きる事が出来なかったのに……。
私達は上手く親の役目も、王族としての責任も果たせなかったけど、
それでも何でもあの娘には幸せになって欲しい私を貴方はお許しになって下さるかしら?
………それとも私達よりも、もっとずっとあの娘を幸せにしてしまう誰かに嫉妬なさるのかしらね……」

行きはいつの間にか教会に着いていた筈なのに、帰りの道のなんとじれったい事。
御者に頼み込んで、出来る限りの速度で走って貰ってまる1日かかって懐かしい屋敷に辿り着いた。
だが、サシャが知っている屋敷の様相とは少し面持ちが変わっていた。
何かあわただしい気配。
使用人も侍女達も上へ下への大騒ぎで、こっそりと屋敷の中に入って来たサシャに気づく者もいない。
とはいえ、実際、この屋敷で彼女の顔を知っている者も限られてはいるのだが。

大きな木製の扉の前に立つ。内側から見慣れたレザンの部屋の扉。
小さくノックをふたつ。扉を叩く拳が震えているのが分かる。
「入れ」
すっかり聞き慣れたレザンの低い声。
もう泣き癖はすっかりなりを潜めたと思っていたのに、その声だけで鼻の奥がツン、とする。
押し遣るように扉を開けると、漆黒色をした戦支度に身を固めたレザンが立っていた。
「……姫…なぜ……」
冷静沈着が常だったレザンがすっかり目を丸くしてサシャを見ている。
そんな表情の彼をついぞ見た事がない。
吹き出したいくらい滑稽な筈なのに、サシャに出来る事と行ったぽろぽろと瞳から涙を落とすくらいで、
身体はまるで金縛りにあったみたいにちっとも動かない。
レザンも同じ状態のようでお互い一歩も動かず見詰め合って、一刻。
「―――……レザンに…会いた…て…」
喘ぐ息の中、なんとか言葉を紡ぐ。
水中で空気を求める様に伸ばされたサシャの手に、レザンは後じさって避ける。
「何故戻って来たのです。せっかく自由になれたのに…」
苦しそうに顔を背けるレザンに、サシャはそれでも手を伸ばす事を止めない。
「……私だって、ずっと貴方の事を忘れようしました。どこか他の地で新しく人生をやり直そうとも。
…………でも出来なかった。何をしていても貴方の事を考えてしまうの。貴方の声を思い出してしまうの。
笑顔が浮かんでしまうの。ぬくもりを求めてしまうの。
お願いだから、ずっと傍にいて……もう、お姫様扱いされなくても良い、只の小間使いで構わないから……
……睦言にも『好き』と言ってくれなくても良いから……だから……だか…ら…」
泣きながら自分に手を伸ばし続ける少女の姿に、深く息を吐いた後、レザンが呻くように呟く。
「…………離れたい、と言っても二度と手放しませんよ?」
その言葉を合図にサシャはレザンの胸に勢いよく飛び込んだ。

………くちゅ……ぴちゃ………。
すっかり日も落ちた暗い部屋に水音と荒い息遣いが響く。
2人は生のままの姿で、互いの体温を守るかのようにきつく絡み合い、蕩けるような口付けを交わしている。
そして、唇が重ねられる度に、交わされる瞳。
未だにこの行為に羞恥を隠せないサシャは、レザンの情熱的な視線にぶつかると恥ずかしそうに逸らしてしまう。
その一瞬後、おそるおそる瞳を掬い上げる。
そこには熱に浮かされ、目前にある水を求める様に自分を見詰めるレザンの瞳と、彼と全く同じ眼をした己の姿があった。
度重なる口付けにほだされたのか、どちらからともなく互いの身体に指を、舌を這わせる。
「…っ、やぁ、レザン……くすぐったい……」
腋と胸の中間点辺りを触れるように舐められて、サシャはクスクスと笑った。
と、次の瞬間、笑っていたサシャがレザンの手を捕らえて、まだ実りきっていない緩やかな胸に押し付ける。
「……優しくしてくれなくて、いいから……レザンの感触をしっかり刻み付けて欲しいの……」
羞恥で耳の先まで真っ赤にしながら、それでもまっすぐに自分に向けられた言葉にレザンは言葉を失う。
だが、今にも泣きそうな顔でこちらを見上げる亡国の王女に、今まで以上の愛しさを感じ、身体の中心から熱が生まれる。
「―――至らず、申し訳ありません」

「………はぁ、ん……っう、くぅ……」
以前、レザンがつけた跡がすっかり消えた肌に新しい花が咲く。
サシャは上に下に跡を残していくレザンの頭に縋り付いている。
「――――っひぁあ!!……んくぅ、ふ…ぅ…」
思い出した様に、既に固くなった胸の突起を弄ってやれば、荒い息の中、一際極まった声で啼く。
そして、その差し迫った息は刻一刻と激しさを増していく。
サシャの秘所に手をやれば、これまでの愛撫に解されたのか、すっかり潤っていた。
指についた蜜を舐め取ると、その味に一層欲望が深くなる。

レザンは力なく横たえられたサシャの足下に跪き、その股間に顔を埋める。
「………?……レザン、何、し???キャッ!駄目―――――ッ、そんなとこ……」
秘処に触れる、指とは異なる生暖かく滑る感触にサシャは驚愕の声を上げる。
その感触の主がレザンの舌だと知ると、より慌てふためいて離れようとするが
脚を押さえられていて、それも叶わない。
……ヌチュッ……ズニュ……
とめどなく溢れる蜜を吸い上げられる水音に、サシャは気が触れてしまいそうになる。
身体の最奥が熱を放出したくて疼く。
「……ハァ、……ハ……レザ、……もう……お、願…!!」

瞳いっぱいに涙を溜めて懇願する少女の頬に軽い口付けをひとつ落とす。
レザンは彼女の身体に割入り、その両脚を自分の肩に掛ける。
「……行きますよ?」
もう、届いていないかも知れないが、レザンは激しい呼吸を繰り返すサシャに声をかけ、
ゆっくりと彼女の中に侵入した。
何度も体験した筈なのに、まるで初めての交わりかの様にきつく締め付けて来るサシャの中に、
思わずレザンもクッと声が漏れる。
汗の滲む額に、そっと触れるものがあった。
息も絶え絶えだった筈のサシャの細い指が、レザンの顔をなぞる。
「………姫……」
呼ばれてにこりと微笑むサシャの表情には、花の様な可憐さと華の如き艶やかさ。
恐らく、彼女のこんな顔を知るのは自分一人。
その至福の笑みにレザンは一瞬、このまま死んでしまっても良いさえと思ってしまった。
身体の中心に着いた火はますます熱く燃え滾る。
その昂りを組み敷いた少女の最奥に向かって何度も何度も叩き付ける。
「――ひャぁっ!……レザ、ン……はぁ……レザ、っっくぅあぁああ!!」
荒い息の中でも必死に自分の名を呼ぶその声にレザン官能が刺激され、腰の動きが激しさを増す。
その律動に合わせる様に拙く動くサシャの腰。
(……もう、限界、か―――)
「――く、ぅ――!」
レザンの切羽詰まった様子から彼の次の行動を感じたのか、サシャは渾身の力でレザンにしがみついた。
「―――行かないでッ!!」
その突然の行動に動きを封じられたレザンは、自身の欲望をサシャの身体の最奥に吐き出してしまった。

「……そんなに謝らないで。私が望んでした事なのだから……」
ひたすらに謝罪の文句を並べる彼女の騎士の胸に頬を寄せて、サシャは言った。
白魚の様なその指で、剣ダコの出来たレザンの無骨な手をぎゅっと握り締めている。
「………戦に行くの……?」
屋敷に辿り着き、その様相を見た時から覚悟はしていた。
「………はい。明日の夕刻には出立致します」
およそ甘い情事の後に交わす睦言とはかけ離れた会話だと思いながらも、レザンも会話を続ける。
「…………そう」
サシャは一言呟くと、愛おしそうに握りしめた手に頬擦りをする。
…………国を、父を斬った、そして私を護り、愛した、不器用な手。
「……必ず、帰ってきて」
「私が姫の命を違えた事がありましたか?」
真剣な面持ちの元主に、レザンは優しく笑って答える。
「…………命令ではなくて、『お願い』では駄目?」
少し考えて、上目遣い気味にレザンを見上げるサシャは子供がものをねだる表情そのものだった。
彼女のその表情の可愛らしさに心を奪われたのか、はたまたその問いの意味に瞠目したのか、
すっかり言葉を失ったレザンにはお構い無しに、サシャは『お願い』を続ける。
「……絶対に、生きて帰ってきて。そして………」



海風が教会までその潮の匂いを運んで来る。
海の見える丘の上に建てられたその建物はいつか訪れたその時と変わらぬまま。
あれからひと周り季節は巡った。
きっとこれからも、天気の良い日もどしゃ降りの日も変わらず、そこに在るのだろう。
講堂には少女とも女性とも言い難い、微妙な年頃の娘が一人。
天井の窓から刺す明るい真昼の光に似合わぬ、真っ黒な衣装とベールでその白い肌も金の滝の様な髪も隠している。
(全身真っ黒で、まるで彼になったみたい)
白い軍服を纏っていた頃の記憶は朧げになり、漆黒のイメージの彼の方が定着してしまっている。
手には純白のカラーを一輪。

と背中で重い扉を開く音がした。
すぐには振り向かない。こんな日に遅れて来る方が悪いのだから。
珍しく息を切らせながら、靴の音を響かせながら足早に近づいて来る。
「………遅れて申し訳ありませんっ!」
漸く彼女の許までたどり着いたが、まだ、許してやらない。
謝る相手にそっぽを向いて顔を合わせない。
と、息を飲む音がして、そっとベールを持ち上げられる。
その相手は彼女と同じく真っ黒な軍の礼服に身を固め、黒い髪と瞳を持つ男。
「………変?黒い婚礼衣装なんて……」
この国では『誠実』を意味する黒が婚礼の色として用いられているが、なじみのない彼女には少し面映い。
「――すごく綺麗だ」
なのに、何のてらいも無く男は答える。そして、その真っ直ぐな瞳を逸らす事無く、彼女に告げる。
「これからも、ずっと側にいて頂けますか?」
ずっと焦がれていた言葉に、彼女は満面の笑みを浮かべて男に抱き着いた。
そんな彼女の耳許で男が囁く。

「……愛してる―――――サシャ」





おわり

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同作者170氏 双子従者と人外お嬢
2007年01月29日(月) 22:29:04 Modified by ssmatome




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