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プレミス:ストーリーを1文にまとめたもの

 ストーリーは、1つのまとまりでなければなりません。そのまとまりは、出来事ですから、1つの文で表現できるはずです。1つの文、というのは、動詞が1つだけ、ということです。

 なぜプレミスが必要なのか。ストーリー全体を1つの出来事として明確に自覚し、また、他人に提示するためです。

 動詞が2つ以上あって、接続詞でつながれている複文(たとえば、「男が、ドラゴンを倒し、そして、王女の愛を得た」「男は、ドラゴンを倒したが、しかし、王女の愛は得られなかった」)は、プレミスではありません。2つの動詞は、2つの出来事を意味し、1つのストーリーとしてのまとまりがなくなるからです。いや、接続詞でつながれているじゃないか、と思うかもしれませんが、もっとも肝心の接続詞の部分は、出来事ではなくなってしまっています。

 それなら、関係節にして名詞に繰り込む方(「ドラゴンを倒した男が、王女の愛を得た」「ドラゴンを倒した男は、王女の愛を得られなかった」)が、まだ焦点が明確になります。しかし、関係節として、出来事としての時間性を含んでいると、ストーリーの最初から最後までを貫いているき時間軸が曖昧になってしまいます。それゆえ、時間性を含む関係節は、時間的ではない状態を表す形容詞に置き換えてしまいましょう。

 こうしてようやく単文(「最も強い男が、王女の愛を得た」「最も強い男は、王女の愛を得られなかった」)になります。このことによって、このストーリーの全体が、その動詞の成就ないし挫折を巡る時間的な出来事であることが明確になります。

 でも、そんなことを言ったら、たとえば、ミステリなんて、みんな「探偵が犯人をあばいた」になってしまう、となげくかもしれません。けれども、そうであれば、それはグチを言うことではなく、むしろきちんとプレミスとして凡庸であることを自覚すべきです。探偵や犯人、その犯行や捜査を独創的に修飾することはできても、そのストーリーは、根本において独創性に欠けています。

 名作は、たとえば、「男が正体不明のトレーラーに追われ続けた」とか、「子供が、昔、父と母を出会わせた」とか、プレミスにおいてすでに独創的です。このような独創的なプレミスを「ハイコンセプト」と言います。プレミスがハイコンセプトでないならば、わざわざ苦労して独創的な修飾を施しても、最初から凡百のひとつに埋もれてしまいます。ミステリでも、すぐれた名作は、「作者が犯人だった」とか、「全員が犯人だった」とか、「被害者の一人が犯人だった」とか、やはりハイコンセプトです。


プレミスを起こすには

 ミステリや西部劇のようなジャンルから考えると、プレミスは、凡庸なものにならざるをえません。しかし、プレミスが凡庸であれば、その後でいくら独創的な修飾を施しても、独創的にはなりえません。むしろ、ありえないプレミスを掲げ、それをなんらかのジャンルで成り立たないか、考えた方がよいでしょう。

 ありえないプレミスを考えるもっとも簡単な方法は、あまりにありうるプレミスの逆を提起することです。「最も強い男が、王女の愛を得た」というのは凡庸なプレミスですが、その逆の「最も弱い男が、王女の愛を得た」というプレミスは、独創的なハイコンセプトとなります。ここであなたは、すぐに、でも、どうして? という壁にぶつかるでしょう。しかし、それこそが、観客が、あなたと同様に抱く疑問であり、関心です。この疑問をみごとに切り抜け、だれもが納得するストーリーを組み立てることができれば、とりあえずはかならずヒットします。

 とはいえ、この方法は、常識の抜け穴を探すだけでは、小さな例外にしかなりません。むしろ常識の全体を打ち壊すような決定的な反証を示すことが重要になります。すなわち、たんに、ある最も弱い男が、王女の愛を得た、というのではなく、強い男が女の愛を得るはずだ、という一般常識を根底から覆すような深み、強いか弱いかは、愛には関係がない、愛を得るには、もっと大切なものがある、という主張を確立できるかどうかが、名作になるための条件でしょう。

 もうひとつのよく用いられる方法は、エクスクイジット・コープス(Exquisite Corpse、優美な死体)。潜在的な統辞法のおかげで、我々は、特定の主語は、特定の動詞に、特定の動詞は、特定の主語に引き込まれて整合的な文を紡ぎ出していくことができます。これに対し、シュールリアリズムの連中が、独創的な世界を生み出すために、1つの絵や詩の部分を別々の作者が作って組み合わせる、という方法を考案しました。しかし、この方法の起源はもっと古く、たとえばタロットカードにおいて、いくつかのシンボルを提示された際に、これを1つの出来事として理解する、というようなインスピレイションを得るということが行われています。

 しかし、このように、でたらめの中に無理やり1つの出来事を読み取ってみたところで、連載の中の一話くらいは乗り切れますが、そこには、この出来事を語るべき理由、作者としてこの出来事をどうしても語りたいという理由が欠けています。そしてなにより、難しいパズルを自分で創って、自分で解いた、というだけの話を、読者が観客が歓迎するでしょうか。この意味で、この方法では、名作が生まれることはないでしょう。

 むしろ無意識の深層心理に降りて、そこにある有機的なつながりを意識化する、という心理学的な手法の方が、文学として有意義な方法です。あなたが気になること、世間で話題になっていることを書き出し、その間にひそむつながりを意識に呼び起こすのです。たとえば、多すぎる深夜タクシー、大統領選挙運動の喧噪、目障りな少女売春婦、が気になるなら、これらをつなぐものとして、たとえば、都会の孤独、という鍵が浮かび上がってきます。「タクシー運転手が、大統領選挙運動にさえ関われないウサを、少女売春婦問題で晴らす」というのは、まちがいなくハイコンセプトでしょう。


 

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