人々を感動させる小説・映画・ドラマ・マンガを作ろう: https://sites.google.com/site/striotics/

語る意義


 あの地方は、昨晩、雪が降ったそうだ。これもひとつの物語です。これを聞く人は当然ながら物語の中身に気を取られますが、物語を考察する立場からすれば、重要なのは、なぜそんな話を語ったのか、ということです。たとえば、ある人が、これからその地方に車で行く、と言うので、この話を語ったのでしょう。物語は開かれた情報であり、それを聞いた人が、それでどうすべきか、などということを規定するものではありませんが、この情報によって、聞いた人は、自分なりに、この話をふまえて、なんらかの対応をするでしょう。

 わざわざ語る以上、そこには、語る理由があります。その語る理由がめざしているものが、その物語のテーマです。しかし、それは、語られる出来事、つまり、ミュトスではありません。語るというエロキューションには、語る理由がありますが、この語る理由も、物語のテーマではなく、むしろ物語のテーマの反対側にあります。つまり、わざわざ語るエロキューションは、まず第一に、聞き手におけるテーマに関する情報の欠落や不足に根ざしているものです。

 このように、聞き手におけるテーマに関する情報の欠落や不足に根ざし、語り手はわざわざある物語を語ることで、聞き手をそのテーマの方向へ誘うことになります。とはいえ、テーマは、聞き手の状況と、語られた物語(ミュトス)の延長線上にあるのであって、テーマそのものが、直接に語られるわけではありません。

 たとえば、事故で大怪我をして倒れている人に、だいじょうぶだ、すぐに救急車が来る、と話す。ここにおいて、ほんとうにだいじょうぶなのか、ほんとうにすぐに救急車が来るのか、は、事実であるかどうか、わかりません。それは、たんなる話です。声をかけている人も、本音を言えば、そんなこと、わかるわけがないだろう、というところでしょう。重要なのは、もうだめだ、と、その大怪我で生きる気力を失いかけている人に、この人がこの話を語ることで、その先、つまり、あなたの生き延びるチャンスは、まだ絶たれてなどいない、と気づかせようとしているのです。救急車が来る、という話のテーマは、そこにこそあります。

物語そのものがテーマを持つ


 語り手は、聞き手の現状を見、その聞き手自身に考えてほしいテーマを、ある物語で提示します。ここにおいて、聞き手の現状、物語、そして、テーマが、直線上に並ぶことになります。より正確に言えば、聞き手の現状そのものは、どこに向かっていくか、わかったものではありません。それどころか、どこにも向かわず、ずっと留まったままかもしれません。しかし、ただ語り手が聞き手にある物語を語ることによって、方向性を与えるのです。

 物語が新たに作られるとき、もしくは、わざわざ古い物語が再び持ち出されるとき、新たに作ったり、再び持ち出したりする語り手は、聞き手に気づかせたい方向を持っています。その方向があればこそ、語り手は、聞き手の現況との関係において、その方向を気づくにふさわしい物語を選び語るのです。そして、聞き手がその物語に目を向けることによって、その物語の向こうに、自分のすべきことを自分自身で探せるようになります。つまり、物語は、聞き手の現況に対して与えられる支点であり、この支点の反対側に、聞き手のすべきことがテーマとして開かれています。いや、物語によってこそ、そこに、いままで見えなかったテーマが開かれてくるのです。

 物語のテーマは、第一には、このように、語り手が聞き手に気づかせようとした開かれた問いです。では、それが絶対なのか。この語るということをするために、語り手が古い物語を再利用することがあるように、物語そのものは、ひとつの完結したミュトスであって、エロキューションとしての方向性など持ってはいません。このことは、同じ物語が、聞き手の現況によって、さまざまなテーマを示唆しうる、ことを意味しています。

 つまり、最初に物語を作って語った語り手は、その当時の聞き手の特定の現況を理由として、目を向け、気づいてほしいと思った方向に物語を立てます。ところが、その後、そのような現況にある聞き手がいなくなってしまうと、物語もまた、テーマを失い、存在意義を無くしてしまうのです。たとえば、疫病や暴力や災害に満ちた中世社会で立てられた宗教的な物語は、近代の人々には、その意味が希薄になってしまいます。

 しかし、逆に、現代の聞き手の現況において、とうに忘れ去られていたような物語が突然に脚光を浴びることもあります。それは、現代の聞き手の現況からして、その物語が、その物語が最初に作られたときに、その当時の聞き手の現況に根付いて意図されていたテーマとはまったく別のものごと、現代の聞き手が見失っていた大きな可能性をテーマとして示し出す支点となったからです。たとえば、神の支配に抑えつけられてきた中世末期において、突然に古代ギリシア・ローマの学芸が注目され、そこから人間中心のルネサンス文化が開花しますが、それは、多神教と皇帝独裁の下にあった古代ギリシア・ローマの人々が、本来、その学芸において見ていた特権市民としての逸楽とはまったく異なるものです。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu



01 STRIOTICSの基本


02 ニュース


03 STRIOTICSの理論


04 物語製作の方法


05 サービス業務


06 セミナー開催予定


07 会員のコメント


09 物語学会について


序論:物語の位置づけ


物語を作る




登場人物

【メニュー編集】

Wiki内検索

管理人/副管理人のみ編集できます

閉じる
日本語翻訳版を準備中です
STRIOTICS は、非営利学術研究交流会 STRIOTICS SOCIETY (物語学会)によって企画運営されています。このサイトは、オリジナル版(https://sites.google.com/site/striotics/)の内容を有志が日本語に翻訳しています。