物語は、わざわざ語り手が聞き手に語って知らせるものですから、その多くは聞き手が知らない世界の出来事です。しかしながら、聞き手がまったく知る必要のない世界の出来事であれば、わざわざ語って知らせる必要もありません。
ここにおいて、設定には二つの方向があります。ひとつは、出来事よりも世界を知らせることに重点が置かれている世界志向の設定。それは、いずれ聞き手が関わる世界、ないし、関わる可能性がある世界です。たとえば、明日、仕事でモントリオールに行く、という人に、モントリオールという街についてのあれこれを語る場合。この場合、その世界の出来事の意味については、開かれたまま、つまり、それで聞き手が何をすべきかまで規定されることなく、聞き手に委ねられます。事実に基づく最新ニュースの物語は、この世界志向です。
もうひとつは、世界そのものには、聞き手が関わることがありえないにもかかわらず、その世界での出来事が、聞き手が関わる出来事、ないし、関わる可能性がある出来事との比較対照において意味がある出来事志向の場合。たとえば、別の国、別の時代の出来事。語り手がこのような出来事が語ることにおいて、語り手は最初から聞き手が同じような原因の出来事に関わりうることを念頭にしています。しかし、それでも、これは物語として開かれた情報です。というのも、同じような原因の出来事であるから、同じような結果になる、というようにも考えることもできますし、同じような原因の出来事であっても、別の国、別の時代の要因によって、まったく別のような結果になる、とも考えることができるからです。しかし、このような比較対照の出来事があってこそ、聞き手は、まさに比較対照して、自分の関わる、ないし、関わりうる出来事を、分析的に考察し、そこから自分のすべきことを決定することもできます。
後者のような出来事志向において、別の世界を説明することに手間取ると、なかなか肝心の出来事の話にたどりつかず、ただ聞き手とは関わりのない世界の説明に終始し、聞き手が飽きてしまうことになります。しかし、出来事志向の物語は、出来事の比較対照こそが目的ですから、別の世界については、既存のものを流用する、せいぜいその細部を調整したもので済ますことの方が経済的です。つまり、聞き手も、すでに他の物語群によってよく知っている世界を用いるのです。このような、聞き手が他の物語群によってよく知っている世界を、「ジャンル」と言います。
ジャンルは、世界のパッケージであり、物語の経済的な便利のために用いられるものです。まったく新たなジャンルを自分で興そうなどとするのは、無謀です。先述のように、そんなことをすると、その世界の説明に手間取って、わざわざその世界を設定して語るべき出来事を語る余裕を失います。ジャンルは、出来事の比較対照の世界として便利であるとされたものが、物語群の歴史において、語り手や聞き手によって、淘汰結晶してきてできあがったものであって、言語などと同様、かってに自分で創るものではありません。
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