ここは某巨大掲示板のSS職人であるチョ ゲバラのエロSSの保管庫です。現在、君の名は、ソードアート・オンライン、ラブプラス、けいおん、とある魔術の禁書目録、ペルソナ4、To LOVEる とらぶるのエロ小説が保管されています。

episode 1 「ご主人様ができた日」



「起きろー、寝坊助!」
 朝食を終えて登校の準備を済ませた俺――乃木涼介は、いつもの虚しい日課を済ませるべく妹の部屋に突入した。
「おーい、朝だぞー。遅刻するぞー」
 勢いよくカーテンを開けると、眩しい春の日差しが一瞬にして部屋一面を覆い隠した。
 その部屋は、思春期真っ只中の女の子の部屋らしく、可愛らしい小物やぬいぐるみで溢れ返っていた。少々というか、かなり溢れ返りすぎかもしれない。オマケに服まで脱ぎっぱなし。部屋の片隅には、この空間には似合わない無骨な自作パソコンが鎮座していた。
 ちゃんと洗濯物は洗濯籠に入れるように言ってるのに……。
「おーい、真帆奈。早く起きろ」
 俺はベットの上のダンゴムシに向けて言った。
「くー……」
 寝息で返してきやがった
「真帆奈、さっさと起きなさいっ」
 勢いよく布団を剥ぎ取ると、お気に入りのテディベアーを愛しそうに抱きしめながら夢の世界を彷徨う妹が、
「むにゃむにゃ……あと五分だけ……」
 と、寝ぼけながらお約束の台詞を吐いた。
「お前はよくても俺が電車に間に合わないんだよ」
 一本遅れるだけで電車が異様に混むので、できるだけ早く家を出たいというのに、この不肖の妹ときたら……。
 こいつがこんな時間まで暢気に惰眠を貪っていられるのも、家から歩いて十分の中学校に通っているからである。実に羨ましい。まぁ、俺も二年前まではそうだったんだけどな。
「ふにゃ〜。それじゃあ……お兄ちゃんがおはようのキスをしてくれた起きる……」
 んー、と瞳を閉じて唇を突き出してくる実の妹。
「朝からアホなことばっかり言ってんじゃないっ」
 よしっ、こうなったら実力行使だ。
 俺はこいつのお気に入りのテディーベアーを取り上げた。
「あ〜ん! だめだよー。りょーちゃん、返してー」
「駄目。だいたいなんでぬいぐるみに俺の名前を付けてんだよっ」
 この愛らしいクマさんの名前は、りょーすけ。
 命名真帆奈。
 先日、俺の買い物に強引にくっついて来たこいつがあまりにもしつこくせがむので、仕方なく買ってやったぬいぐるみ(結構高かった……)なのだが、なぜに自分の兄と同じ名前を付けるのか。新手の嫌がらせとしか思えない。
「えー、べつにいいじゃない。可愛いんだしー。それよりも、りょーちゃん、返してー」
 とりあえず起きたのでぬいぐるみを解放してやると、真帆奈はそれを自分の控え目な胸の中でぎゅーっと愛しそうに抱きしめた。
 うーん、なんだかむずがゆいな。
「お兄ちゃん、りょーちゃんをいじめたらだめだよー。ねっ、りょーちゃん。酷いパパでちゅねー」
「誰がパパだっ!」
「お兄ちゃんがパパに決まってるよ。そーれーでー、真帆奈がママなのだ」
 クスクスと楽しそうにりょーすけとじゃれ合う無邪気な妹の姿を見ていると、なんだか無性にいたたまれない気持ちになってしまう兄であった。
 俺の妹――乃木真帆奈は、美少女である。
 実の兄である俺がこんなことをいうのも大変に気持ち悪い話なのだが、実際にそうなのだから仕方がない。
 まだあどけなさが残るが端正で愛らしい顔立ち、新雪のように透き通った優しい肌、腰まで伸びた黒絹のような長い髪、ほにゃほにゃとえくぼを出してよく笑い、華奢で小柄な体形をしているので、周囲からは老若男女を問わず激しい保護欲を駆り立たせる。
 妹自慢をしていると思われるのも不本意なので、この辺りでやめておこう。
 とにかくうちの妹のこのように非の打ちどころがない美少女なのだが、実は中身の方はかなり残念だったりする。
 基本的にぐーたらのわがまま放題。料理ダメ、掃除ダメ、洗濯ダメの三拍子が揃ったポンコツ天然宇宙人。オマケに思い込みが激しく、いつまでたっても兄離れができないちょー甘えん坊だ。
 外見と中身のギャップの激しさに少々戸惑ってしまうかもしれないが、兄としては色々と危なっかしく放っておけない存在なのである。
「じゃあそういうわけだから。おやすみなさ〜い」
「堂々と二度寝するんじゃねーっ!」
 俺は再びりょーすけを奪い取った。
「うにゃー! りょーちゃん、返してー!」
「ちゃんと起きるって約束しろ」
「うー、早起きしたからといっても、しょせんは三文の得にしかならないんだよ。今の価値にすると三十円程度。寝てたほうがましだよー」
「アホかっ! 屁理屈ばっかり言ってんじゃねっ!」
 そもそもこいつが起こせというから、俺は毎朝こんな不毛なことをやっているというのに。
『お兄ちゃんをお見送りするのは妹の大切な勤めなんだよ。だからお兄ちゃんは、ちゃーんと真帆奈を起こしてから学校へ行かないとだめなのだ』
 これは、どこかの妹が実際に口にした台詞である。
 理不尽だろ? だったらちゃんと自分の力で起きて欲しい。常識的に考えて。全然納得はいかないのだが、もしこれで真帆奈に黙って家を出たりすると、
『なんで真帆奈を起こさないで勝手に学校に行っちゃうの! お兄ちゃんは真帆奈のことを愛してないんだねっ!』
 と、蜂の巣をつついたように騒いで拗ねるので手に負えないのだ。それに俺が起こさなければ、こいつは永遠と惰眠を貪るだろうからな。
「もういいよ。じゃあ俺は学校に行くから。お前も遅刻しないようにな」
 本格的に時間もヤバイことだし、もうこいつは放っておくことにしよう。
「あーん、だめだよー。真帆奈が行くまで家を出たらだめなんだからねー」
「はいはい。わかったから」
 真帆奈にポイッとりょーすけを放り投げてから、俺は部屋を出て玄関へと向かった。
 暫く玄関前で真帆奈を待つことにした。
 時計の秒針が無情にも一周する。
 更に一周しようとしたところで、俺の忍耐にも限度がきた。
「まったく……あいつだけは。おーい、真帆奈! 早くしないともう行っちゃうぞーっ!」
 俺は二階に向けて声を張り上げた。
 すると、低血圧の妹さまが、パジャマのままナマケモノのようにのそのそと階段を下りてきた。
 ようやく来やがった。
「あのさー。お前もいい加減に一人で起きれるようになろうよ」 
「う〜、考えとくよー」
 炭酸が抜けたコーラーのようなやる気のない返事だった。
 ふーと諦念が込められた溜息が、俺の肺から自然に零れ落ちた。
「じゃあ行ってくるからな。戸締りだけはちゃんとしてから学校に行ってね」
「ちょっと待ってー」
 さて、ここで真帆奈チェック。
「髪型はオッケーだね。あっ、ネクタイ曲がってるよー」
 新婚さんのように俺のネクタイを丁寧に整える真帆奈。
 こいつはこうしてなにかと俺の世話を焼きたがるのだ。家のことはなんにもしないんだけどな。どうせできないんだけど。しかし、自分の部屋の掃除くらいはやってもらいたい。
「よしっと。お兄ちゃん、今日もカッコいいよ。んッ!」
 そして、いきなり目をつぶって唇を尖らせるマイシスター。
「……なに?」
「いってらっしゃいのキス」
 ビシッ!
 隙だらけのおでこにダイレクトアタック。
「いたっ! なんでそんなことするの!」
「それは俺の台詞だよ」
「うー、いつもぶちゅーってしてくれるのに……」
「そんなセクハラをした覚えは一度もないよ!」
 人聞きの悪いことをいうのはやめて欲しい。
「じゃあ本当に行くからな。弁当はテーブルの上に置いてるから忘れないように」
「は〜い。ところでお兄ちゃん、今日は早く帰ってこれるよね」
「帰りに買い物してくるけど、だいたいいつもの時間には帰ってこれるんじゃないかな」
「そっかー。できるだけ早く帰ってきてね。わかったー?」
「べつにいいけど。なにか用事でもあるの?」
「なにもないよ。ただ真帆奈が早く帰ってきて欲しいだけだよー」
「……善処するよ」
「それとー、よその女の子に声をかけられても、ほいほいとついて行ったりしたらだめなんだからねっ」
「俺は幼稚園児か。だいだいなんで女の子限定なんだよ」
「女はみんな危険な生き物なんだよ。お兄ちゃんのことをパクパクーって食べちゃおうと虎視眈々と狙ってるんだからね。だーかーらー、妹以外の女に気を許したらだめなんだよ」
「はいはい。せいぜい気を付けることにするよ。じゃあ行ってきます」
 ツッコむと長引きそうだから
「行ってらっしゃ〜い。くれぐれもよその女の子には気を許したらだめだよー」
 手をヒラヒラとさせている真帆奈を後にして、俺は玄関から外へ出た。
 空を見上げると、地平の向こうまで突き抜けるような一面のウォーターブルー。
 頬を撫でる外気は桜が散る季節にしてはやや肌寒く、太陽が異常に眩しかった。


 駅まで歩いて十五分、電車にゴトゴトと揺られること三十分、そこから更に十分ほどウォーキングすれば、俺が通う私立高千穂学園にたどり着く。 
 一応、中の上くらいの進学校だ。
 創立十年にみたないまだ新しい学校で、校風はかなりゆるい。
 あまり派手でなければ私服での登校も許されているのだが、俺はいちいち服を選ぶのがめんどくさいので制服を着用している。俺が入学した当初の真帆奈は、「真帆奈がお兄ちゃんのコーディネートをしてあげるのだ!」とえらい気合を入れていたが、もちろん丁重にお断りした。
 二年B組が俺のクラスだ。
 教室に入り自分の席に座ると、例によって一人の男子生徒が飄々と近寄ってきた。
「よー、兄弟。今朝もラブラブマイシスターのお見送りで登校してきたのか?」
「……」
 この男の名前は、黒木貴志。
 一度俺の家に遊びに来て真帆奈に出会って以来、勝手に真帆奈ファンクラブの会長を自称するようになった変態野郎だ。即効で俺の家は出入り禁止にしたよ。
「お前はいいよな。あんな二次元にしか存在しないような妹天使と一つ屋根の下で暮らすことができるんだからな」
「あのな、黒木よ。お前にだって妹はいるだろ?」
「はぁ!? なに言ってんだてめぇーっ! 俺の妹とお前の妹天使を軽々しく比べるのはやめろ! ジャイ子としずかちゃんくらいヒエラルキーに差があるだろうが! しかも奴はジャイ子の分際で俺のことを地面を這いずる脂ぎったカサカサ以下の扱いをしてきやがるんだぞ! なぜ俺がそんな屈辱を受けねばならんのだ!」
「それは日頃の行いの悪さが祟ってるんじゃないのか」
 ここでは公開することができないほどの不埒な悪行三昧のせいで、黒木兄妹の間には大きな溝ができてしまったのだろう。
「親友を哀れだと思うんだったら、そろそろお前の家の出入り禁止を解除してくれよ。べつに真帆奈ちゃんを取って食ったりするわけじゃないんだから。俺は鑑賞しているだけで心から満足できるタイプなんだよ」
 心の底から拒否する。お前は頭の中で世にもおぞましい妄想に耽るに決まっているからな。可愛い妹のそばにわざわざ害虫を近づけるほど兄は愚かではないのだ。
「ほらっ、これを納めてくれよ」
 机の上にドンと置かれたDVDの束。
 中身はもちろん大っぴらには公表できない代物ばかりだ。
 俺だってこんなものを使って溜まりに溜まった若気の至りを解消したくはないのだが、彼女いない暦=年齢なのだから仕方あるまい。
「いつも悪いな」
「いいってことよ。俺とお前の仲だろ。礼にはおよばんから出入り禁止の解除の方は頼んだぞ」
 それだけは絶対にないから。いくら袖の下を貰ったとしても、それとこれとは話がべつなのである。まぁ流石に悪い気もするので、今度飯でも奢ってやることにしよう。それで充分だ。
「またそんなもん学校に持ってきてんの! いやらしいっ!」  
 ジャージ姿の女子生徒――児玉雫が忽然と現れて、汚物を見るような目つきでそう吐き捨てた。
 どうやら今の裏取引を、目撃ドキュンされていたようだ。
「出たな! このリアル幼馴染キャラめ!」
「誰がリアル幼馴染キャラよ!」
 軽口を叩く黒木に、飛び付く勢いで食ってかかる児玉雫。
 実はこのジャージの女子生徒は、俺の幼馴染だったりする。俺の家の真向かいに住んでいて、もう十年ほどの付き合いになる腐れ縁だ。
 茶色の髪を肩まで伸ばし、やや勝気そうな表情をしているが顔立ちはかなり整っている方なので、充分に健康的な美少女のように見える。こいつは子供の頃からスポーツ万能で、現在では女子バスケ部の期待の星だそうだ。スポーツウーマンらしく贅肉の欠片もないスラリと引き締まったスタイルをしてはいるのだが、胸の膨らみの方まで必要以上に引き締まっているのはいかがなものだろうか。ちなみに、トレードマークのその茶髪は染めているわけではなく地毛だ。
「今、ものすっごい我慢できない殺意が沸々と湧いてきたんだけど、いったいなぜなのかしらね?」
 オマケに勘まで非常に鋭い茶髪の幼馴染さん。
「雫、おはよう。今朝も朝錬だったのか?」
「おはよう。うちの部も今年こそはインターハイを狙ってるんだから大変よ――って、話をそらすなバカ涼介!」
 いや、べつにそんなつもりはなかったんだけどな。
「アンタね、こんなバカと付き合ってたら本当にバカになるっていつも言ってんでしょ! だいたいそんないやらしいもん貰ったりして! 幼馴染としてホントに情けないわっ!」
「なにを言うか児玉! 貴様は俺が乃木に託したお宝の中身を知った上で、そんな愚かな戯言をのたまっているのか!」 
「ハンッ! そんなこと知りたくもないわよ! どうせいやらしいゲームとか、いやらしい動画とかに決まってるんだから! そういうのって海外の人たちからもの凄く批判されてるの知ってんの!? 日本の恥よ! この恥さらしがッ!」
 ビンゴだった。DVDをチラ見しただけで中身を正確に言い当てやがった。ニュータイプの素質もあるようだな。
「貴様にエロゲーのなにがわかる! エロゲーこそが人生だ! いったいどれだけの神ゲーがこの世に存在すると思っているのだ! そこら辺のチープな小説や映画などでは、到底到達することのできない感動とカタルシスがこの中は詰まっているのだぞっ!」
 黒木よ。そんな真剣にエロゲー談義をしたところで、雫は絶対に理解してくれないぞ。こいつは昔からかなり潔癖なところがあるからな。
「……アンタ、本気でそんなこと言ってんの? ねぇ、バカなの? 死ぬの?」
 すでに皆さんもおわかりのことだろうが、この二人の相性はトコトン悪い。けいおん厨とまぎか厨みたいな関係なのだ。喧嘩するほど仲がいいとかよく聞くが、この二人だけには永遠に当てはまらない方程式なのだ。
「まぁまぁ、二人とも少し落ち着けよ」
「乃木! 貴様は同志としてこの愚かな三次元の女になにか言うことはないのか! 我らのパーソナルリアリティーを脅かそうとしているのだぞ!」
 俺も多少なりともオタクの自覚はあるが、お前ほど二次元の世界に片道切符のアクセル全開で突っ込んでいるわけではないぞ。
「涼介、アンタも同罪なんだからね! 昔はそんなんじゃなかったのに! 不潔よ不潔ッ!」
 こいつら、なんでこんなに朝から元気なんだ? 俺はちょっとついていけないわ。
 そんな朝のありふれた喧騒の教室に、学園指定のブレザーをビシッと着こなした一人の美少女が颯爽と現れた。
 その美少女はトップモデルのようにスラリと背が高く、なめらかにエアウェーブをした長い黒髪に、ルネサンス期の一流の造形師によって命を吹き込まれた女神象のような端正な顔立ちをしており、有名ブランドであろうおしゃれなメガネをかけていた。
 東郷綾香。
 それが、この学園一の美貌を誇ると呼ばれる彼女の名前だ。
 世の中には多種多彩な才能を持ち合わせ、あらゆることを常人以上にやりこなしてしまう人種が存在する。たった今登校してきた彼女が、まさにそういう選ばれた人種の一人だ。
「お姫様のご登場か……」
 黒木が呟いた。
 お姫様、という呼び方は実に的を得ている。
 容姿端麗、文武両道、抜群のプロポーション。
 我が家のインスタントお嬢様とは大違いで、東郷さんからは内面からも高貴なオーラが常時放出されているのだ。現に、彼女が登校して来ただけで教室の中の空気が一変した。彼女はそこにいるだけで、誰もが無意識の内に意識をしてしまう存在なのだ。
 更に、そのガードの高さも有名である。この学園には彼女に恋焦がれる男子がさぞ大勢いることだろうが、あまりにも高値の花すぎて、告白をするような無謀な男は以外と少ない。そして、そんな数少ない勇気のある若者たちは、ことごとく玉砕しているのであった。
 かくいう俺も、そんな彼女に憧れを抱く最下級兵士の一人だったりする。もちろん己を痛いほどに理解している俺は、バンザイ突撃をするような勇気や気概などは持ち合わせてはいないのだが。
「おはよう、乃木くん」
 惚れ惚れとする凛とした美しい声で、高値の花が俺に挨拶をしてくれた。
「おおお、おはよう!」
 狼狽しながら挨拶を返すだけでキャパシティオバーの俺。
 どんな人物に対しても分け隔てなく接する東郷さんは、俺のようなモブキャラにでも毎日きちんと挨拶をしてくれるのだ。そんなお高くとまらない親しみやすさが、学園での彼女の人気を更に不動のものへと強靭化させるのであった。
 東郷さんが通りすぎた後の甘い残り香に当惑しながら、俺は彼女が窓際の自分の席に着席するまで視線をそらすことができなかった。
 すると、何者かによって頬をギューッと抓られてしまった。
「いたたたたっ! な、なにすんだよ!」
 雫だった。
「そんな痴漢みたいな目つきで東郷さんを見てんじゃないわよ! バカ涼介ッ!」
「なっ! べ、べつにそんな目で見てないだろ!」
「見てたわよ! ビローンってこんなに鼻の下伸ばして! いやらしい!」
「うっ……か、仮にそうだったとしても、お前にはまったく関係ないことじゃないか!」
「な、なんですって! きぃぃぃーーッ!!」 
 狂犬ように八重歯剥き出しで唸り声を上げる雫。
 はっきり言ってかなり怖い。
「もう知らない! フンだッ!」
 ドズンドズンと地響きを立てながら、雫は自分の席に戻った。
 ふー、怖かった。ほんのちょっとだけ東郷さんに見蕩れてただけなのに、なんで雫があんなに怒るのかさっぱりわからんよ。もしかしてあの日か……?
「乃木、気持ちはわからんでもないがやめておけよ」
 黒木は俺の肩に手を置いてしみじみとそう言った。
「なにがだよ?」
「東郷氏は俺たちとは住む世界が違う。お前が天沢聖司のようなことをしてもただのストーカーだ」
「俺は地下でバイオリンなんか作ってねーよ!」
 俺なんかとどうこうなるような相手じゃないことくらいは、十二分に理解してるっつーの。
「だいたい俺たちには三次元の女など必要ないだろ。いや、むしろキモい。世界中の男が二次元の女を愛せば、こんな薄汚れた世界からだってきっと戦争はなくなるはずだぞ」
「お前の歪んだ非常識を俺にまで当てはめるのはやめろ」
 俺だって本当は三次元の彼女が欲しいよ。だからといっても、積極的になにか行動を起こすわけでもないんだけどな。めんどくさいから。
 そんな益体もない二次元三次元論争を黒木としていたところで、先生が来て朝のホームルームが始まった。
 どうでもいい教師の話を右耳から左耳へと聞き流しながら、俺は東郷さんの甘い残り香のことを思い返していた。
 しかし……いい匂いだったな。おそらく聞いたこともないような高級なシャンプーやリンスでも使ってるんだろうな。東郷さんはどこまでも完璧超人だよな……。
 と、まったりと自分の世界に引きこもっていたところで、ポケットの中の携帯電話が元気よく振動した。
 メール着信。
 雫からだった。
『今日、帰り付き合いなさいよねっ!』
 実に雫らしい絵文字もなにもない簡潔な内容の文章だった。
 俺は振り向いて雫の方に視線を向けた。
 視線に気づいた雫は、アッカンベーをしてからぷいっとそっぽを向いた。
 うーん、意味がわからん。
 これといった用事があるわけじゃないから、べつに付き合ってやってもいいんだけどな。断ると後が怖いわけだし。
『了解』
 俺は、メールを返信した。


「おばさんがいなくなってもう半年くらいだっけ? アンタも最近、主婦が板についてきたわね」
「うちは育ち盛りの妹がいるからな。色々と栄養のバランスを考えて食事を作らないといけないんだよ」
「ふーん。アンタって昔からそういう細かいことだけは得意よね。あっ、挽肉あったわよ」
「それはいいんだよ。肉類は商店街の方で買うから」
「なんでよ?」
「安いし、いい肉を使ってるんだよ」
「へー、そうなんだ……」
「お前も少しは料理とか覚えたら? この間おばさんが、雫はバスケばっかりで女の子らしいことはなんにもしないって嘆いてたぞ」
「う、うっさいわねっ! 私のことはどうだっていいのよ!」
 俺と雫は、自宅近くのスーパーで買い物の真っ最中だ。正確にいうと、俺の夕飯の買い物に雫が付き合ってくれているのだ。べつに頼んだわけじゃないんだけどなぜかこうなった。
 ここで一つ説明しておこう。
 先ほど雫が、「おばさんがいなくなった」と言っていたが、俺の母親はべつに死んだわけでも失踪したわけでもない。今から一年ほど前に単身赴任した父が心配で心配でいても立ってもいられなくなった母は、半年ほど前に俺と真帆奈を置いて父の元へと駆けつけたのだ。なにを隠そう、うちの善人だけが取り柄の父はれっきとした生活無能力者。半年間だけでも一人で生活できていたのは奇跡に近い。
 で、母がいなくなった我が家を切り盛りするようになったのが俺というわけだ。ちなみに真帆奈はなにもしません。つーか、できない。父親の遺伝子を引き継いだせいなのか、先天的に料理や掃除の才能が欠如しているのだ。料理を作らせれば未知の殺人兵器ができあがり、掃除をやらせれば逆に散らかるだけ。二度手間なので、もうなにもやらせないようにしている。
「ところで、雫と一緒に買い物するのって久しぶりだよな」
「そうね。お互い忙しいもんね。そういえば真帆奈ちゃんとも最近会ってないわね。真帆奈ちゃん、元気にしてるの?」
「あいつはいつでも元気だよ。それだけが取り柄みたいな奴だからな」
「そんなこと言ってると、真帆奈ちゃんに怒られるわよ」
「事実なんだから仕方ないよ。少しは女の子らしくなって欲しいもんだけどな」
 いいのは見た目だけで、中身はパッパラパーだからな。
「でも真帆奈ちゃん、学校ではかなりモテてるそうよ。何人かの男の子から告白されているらしいわ」
「ええっ! 真帆奈が……ま、まさか……」
「なに、アンタ知らなかったの? 真帆奈ちゃん、あんなに可愛いんだからモテてあたりまえでしょ」
 風の噂でそんな風な話を聞いたことはあるのだが、告白までされていたとは正直知らなかった。
「だってあの真帆奈だぞ! めちゃめちゃいい加減なんだぞ! 家事も料理もなんにもできないし、朝だって一人で起きたことなんか一度もないんだからなっ!」
「そんなもん一緒に暮らさないとわからないでしょうが。だいたいなんでそんなに取り乱してんのよ?」
「べ、べつに取り乱してはないだろ……」
「ふーん。なるほどね。いい加減にシスコンは卒業したらどうなのよ。真帆奈ちゃんだって、いつまでもアンタにベッタリじゃないわよ」
「俺はシスコンじゃねーよ! まったく。とんでもない言いがかりだな。真帆奈はまだまだ子供なんだから、恋人なんか早すぎるって思ってるだけだ」
「それがシスコンだって言ってんのよっ!」
「う……っ」
「はいはい。アンタは頭の天辺から足の爪先まで正真正銘のマジもんのシスコンよ。シスコンでインターハイを狙えるくらいだわ」
 そんなもん狙わねーよ! いったいどんな競技をするんだ!
「そ、それで……真帆奈はなんて答えたんだよ?」
「さぁ? そこまでは知らないけど。アンタは真帆奈ちゃんからはなにも聞いてないわけ?」
「……」
 真帆奈は毎日学校であったことなど必要外のことまでペラペラと話すのだが、告白のことに関しては一度も聞いたことがなかった。仮にもしそんなことがあったのなら、真っ先に俺に相談してくれると思ってはいたのに。
「先に妹の方に恋人ができちゃったりしたら、兄の威厳丸潰れよねー」
 ししし、とにやけ顔で言う雫。
 なにがそんなに面白いのだろうか。実に気分が悪い。
「うるさい! お前だって恋人なんかいないだろ!」
 俺と同じで、恋人いない歴=年齢の癖しやがって!
「だ、だから私のことはいいのよ! バカ涼介! だいたいアンタは、あんな高嶺の花ばっかり狙ってるから、いつまでたっても彼女の一人もできないんだからねっ!」
「はぁ? 高値の花……? なんの話をしてるのかさっぱりわからんわ」
「またまた惚けちゃって! ネタはあがってるんだから!」
「全然惚けてないっつーの。言いたいことがあるんだったらはっきり言ったら」
「……ふーん、まだ惚けちゃうんだ。だったらこっちもはっきりと言わせてもらうけどね。東郷さんのことよ! あんないやらしい目つきで毎日毎日毎日東郷さん見てたら、いい加減に訴えられるわよ!」
 告訴よ告訴! と雫は顔を真っ赤に茹で上がらせて興奮している。
「だからいやらしい目つきで東郷さんを見た覚えなんかねーよ!」
 東郷さんはアレだけ美人なんだから、少しぐらいは目で追ったりするようなことはあっただろうけど、上から下へと舐め回すようないやらしい目つきしたことなんて神に誓ってないぞ。同じクラスの同級生に対して失礼じゃないか。
「アンタは昔っからああいう髪が長くて清楚な感じの女の子が好きだもんね。ハンッ! 
バカじゃないの! ちょっとは自分の分をわきまえなさいよねっ!」
 確かに俺は自他共に認める黒髪ロンガーではあるが、なぜただの幼馴染にそこまで言われなければならないのだろうか。だいたい少しは場所をわきまえて欲しい。
「……とりあえずだな。こんなところでこんな言い争いするのはやめにしないか」
 ここは近所のスーパーの惣菜売り場なんのだ。どこにスパイが潜んでいるのかわかったものではない。
「あ……っ!?」
 雫もそのことに気がついたらしく、素直に押し黙った。
 ほらっ、あっちの方でどこかで見たようなおばさんたちがヒソヒソやってるじゃないか。これは後でありもしない噂を流される羽目になりそうだぞ。
 かなり気まずい思いをしたので、俺と雫はさっさと買い物を済ませてこの場所から立ち去ることにした。
 で、商店街に向かう道すがら、俺は再び幼馴染の八つ当たり攻撃を受けることになった。
「アンタのせいで恥かいちゃったじゃない! もうっ! どうしてくれんのよ!」
 この人、本当にむちゃくちゃ言うな……。
「お前がなにを勘違いしてるのか知らんけどね。俺は東郷さんとお付き合いしたいとか、そんな大それたことはこれっぽっちも考えてないぞ」
 東郷さんの方から告白してきたらもちろん付き合うけどな。断る理由がない。しかし、そんな非現実的なことが起こりうる可能性は、0.000000001%くらいだろうか。どこかの人型決戦兵器の起動確立並なのだ。そんなものをいきなり実践投入できるほど、俺は楽観論者ではない。
「……嘘ね」
「嘘じゃねーよ。お前が言うように、俺だって自分の分くらいわきまえてるよ。だいたい俺と東郷さんとじゃ釣り合いが取れないだろ」
「……クラスの女の子たちの間で、結構可愛いって人気があるの知らない癖に」
 雫が小声でゴニョゴニョと言っているが、よく聞き取れない。
「えっ、なんて言ったの?」
「な、なにも言ってないわよ! バカ涼介ッ!」
 怒られた。なんで?
「じゃあ……東郷さんのことは、す、好きじゃないのね?」
「いや、好きか嫌いかで言えば好きな方だけど、恋愛対象かどうかと言われるとちょっと違うと思うな」
 簡単に言ってしまうと、テレビの向こうのアイドルかなんかへの気持ちに近いのかもしれない。あまりにも住んでる世界が違いすぎて実感が湧かないのだ。
「ふーん、そうなんだ。わ、わかったわよ。アンタがそこまで言うんだったら信じてあげるわよ。まったく。ホントにバカなんだから……」
「そうか、わかってくれたか。それはよかった」
 あれっ、なんで俺は雫に説教されてたんだ? なんかもの凄い理不尽を感じるんだけどな。でも、まぁこれで雫の機嫌も直ったみたいだし、蒸し返すとまためんどくさいことになるのはわかりきっているわけだから、これでよしとしておくか。世の中を上手に生きていくには、諦念と妥協がなによりも肝心なのだ。
「りょ、涼介……と、ところでなんだけど……」
「なに?」
「えっと……そ、その……もし涼介が恋人が欲しいって思うんだったら……もっと、み、み、身近なところから探してみたらいいんじゃないかなーと私は思うんだけど……」
 なぜか夕日よりも赤く頬を染めて、雫がモジモジしながら言った。
 熱でもあるのか? そういえば朝からちょっと変だったからな。
「はて、身近にそんな女の子いたかな……?」
 自慢じゃないけど俺の女の子との交友関係は、猫の額よりも狭くて浅いんだぞ。
「うーん、もしかして麗ちゃんのことか……?」
「なんで麗ちゃんなのよ! 本気で変態じゃないのッ!!」
 また怒られた。
 ちなみに麗ちゃんとは、真帆奈の親友の秋山麗のことだ。近所に住んでいるので、俺や雫とも昔からの顔馴染みだったりする。
「違うの? でも他にもう心当たりはないんだけどな。うーん……駄目だ。まったく想像すらできないよ。今の俺の身近には、恋人候補の女の子なんていないぞ」
「ガルルル……」
「ひいぃぃぃっ!」
 な、なんだ!? 雫の顔が、実写阪デビルマンみたいになっているぞ!
「と、とりあえず恋人はまだいいよ。俺は真帆奈の世話をしないといけないし、今はそんな余裕はどこにもないからさ……」
「きぃぃぃぃーっ! もういいわ! バカ涼介!!」
 アスファルトに靴底をめり込ませる勢いで、雫は地響きを立たせながら先に行ってしまった。
 なぜまた怒らせてしまったのか皆目検討がつかない。やれやれ。女心の半分は謎でできているよね
「おおっ! 涼ちゃんと雫ちゃんじゃねーか。相変わらず仲がいいなっ」
 そんなバットタイミングで商店街の肉屋の親父が、やたらと大きな地声で話しかけてきた。モブキャラなので名前はない。
「べつにバカ涼介なんかとは仲よくありません!」
 怒りが一向に収まらないのか、雫は熊のような肉屋の親父に食ってかかる。
「おじさん、すいません……」
「なんだなんだ。もしかして喧嘩でもしてんのか?」
「それがよくわからないんですよ」
「そうか。まぁ男と女なんてそんなもんだぜぇ。俺も女房とは毎日に喧嘩ばっかりだけどな。なーに、一発やっちまえば仲なんかすぐに元通りだぜぇ! だから涼ちゃんも心配すんな! ガハハハハ!!」
 戦国武将のように豪快に笑う肉屋の親父。
「な、な、なに言ってんですか! 私がこんなバカと、そ、そんなことするわけないじゃないですかーッ!!」
 肩まで伸びた茶髪を振り回しながら、雫は猛然と抗議を行った。
 冗談で言ってるんだから真に受けるなよ。完璧に現行犯のセクハラだけどな。
「あんた! 馬鹿なことばっかり言ってんじゃないわよ!!」
 で、店の中から出てきた奥さんにこっぴどく叱られる肉屋のセクハラ親父
 他の趣味探せよ。
「なんだよ。ちょっとしたジョークじゃねーか」
「もういいから! あんたは奥に行ってなッ!!」
 レッドカードで一発退場になった。
「本当にごめんね。うちの人、馬鹿だから……」
「いえいえ、いいんですよ。全然気にしてませんから」
 俺はあまり被害には遭わないしな。ターゲットになるのは、いつも若い女の子だけだ。
「いいい、一発……って、そ、そんな……涼介と私が……はうぅぅ……」
 まだメダパニ状態から回復していない雫さん。
「お詫びにサービスしとくからね」
 今日の夕飯は、真帆奈の好きなふわふわハンバーグにするつもりなので、牛と豚の挽肉を買った。真帆奈ちゃんにいっぱい食べさせてあげてね、とちょっと申しわけないくらいサービスして貰った。
 で、帰り道。
「雫、ところでなんだけど」
「一発……一発……って、ううっ……」
 まだ回復してなかったのかよ!
「おーい、雫さーん」
「はうッ! な、なによ! あ、あんなこと言われたからって、変な勘違いとかしないでよね! 私とアンタはただの幼馴染なんだからッ!」
「しないから。ところでなんだけど、今日は俺になんか用事があったんじゃないの? いつもは部活があるのに珍しいじゃん」
「えっ! そ、それは……用事はもう済んだからいいのよ」
 済んだのか? いったいなんの用事だったのだろうか?
「そ、そうだっ! 今年の五月会はどうすんのよ」
「五月会か。つーか、今年もどっかに行くの?」
 五月会とは、ゴールデンウィークにみんなで集まって遊びにいく会のことだ。偶然にもこの近所には五月が誕生日の子供が多かったので、自然にそんなことをやり始めるようになった。
「ちょっと、どこにも行かない気だったの」  
「いやいや、雫や光は忙しいかなと思ってさ」
「一日くらいどうにでもなるわよ。それにこれがないと、光の奴、真帆奈ちゃんとまともに会話もできないんだから」
 光とは、雫の弟のことだ。
 真帆奈とはクラスが違うが同級生の幼馴染で、姉と同じくスポーツ万能。現在はサッカー部に所属しており、すでに将来を嘱望されているらしい。体育会系らしく、なかなかの好少年だったりする。
「光ったら、いったいいつまでウジウジしてるつもりなのかしらね」
「なるほど。真帆奈の周りに他の男どもが寄ってくるから気が気じゃないわけだ」
 どこの馬の骨ともわからん馬鹿ガキが真帆奈にちょっかいを出しているのかと思うと、俺だって多少は気が気じゃない。
「そうなのよ。好きだったらさっさと告白すればいいのに。ずーっと片思いしてるんだから」
 純情少年光くんは、物心がついた頃からずっと真帆奈に片想いをしているのだ。本人はまったくばれてないと思っているようだが、関係者は一人を除いて全員その事実を知っている。その一人とは、実に残念なことに当の真帆奈だったりするのだから気の毒な話だ。
「光も色々と考えることがあるんだろ。もし告白して断られでもしたら、幼馴染の関係まで終わってしまうとかなんとかさ」
「あっ……」
 雫はなにかに気づいたような顔をして立ち止まった。
「なに?」
「な、なんでもないわよ! バカッ!」
 なんで怒られるんだ?
「と、とにかくどこに行くかアンタも考えときなさいよね! もうそんなに時間はないんだからね!」
 しかもなぜにそんなキレた口調なのだろうか? こいつは昔っからちょっと情緒不安定なところがある。今みたいに意味もなく不機嫌になったりするのだ。
「わかったよ」
「……涼介!」
 俺が先に行こうとすると、切羽詰まった声で呼び止められた。
「な、なに……?」
 なにかを思い詰めたような雫の真剣な表情を見て、俺は思わずドキッとしてしまった。
「……な、なんでもないわよ!」
 なんだそりゃ!?
 刹那、馥郁たる桜の匂いを含んだ春の風が、横薙ぎに俺と雫の間を通過した。
 彼女の茶色の髪がそれに飛び乗ってふわりとなびき、紅の夕日に照らされながらキラキラと輝いて虚空を舞った。
 綺麗だと思った。
 雫はクラスの人気者だ。竹を割ったようなすっぱっとした性格をしているのと、友達思いで面倒見がいい姉御肌なので、周囲からはリーダー的な存在として頼られ人望も厚い。また時折見せる希少価値の高い笑顔がイケると、男子の間でも結構評判だったりするのだ。
「な、なにジロジロ見てんのよっ!」
「い、いや、な、なんでもないから!」
 不必要に胸の鼓動が加速していく。
 ちょ、なんなのこのこそばゆい空気は!? 相手は雫だぞ! なんで俺はこんなに緊張してんのさ!
 そんな幼馴染とのこっぱずかしい瞬間を見計らったかのように、俺の携帯電話がブルルと振動した。
 メール着信。
 真帆奈からだった。
『おっそーい! なにやってるのお兄ちゃん!! もういつもの時間はとっくにすぎてるよ! 早く帰って来るのだヽ(`Д´)ノ!!』
 やれやれ……。
「誰からよ?」
「真帆奈だよ。早く帰ってこいって」
「ふーん……」
 なぜそんなジト目で見られるのか。
「はいはい。じゃぁ真帆奈ちゃんが待ってることだし早く帰りましょ」
「うん……そ、そうだ。よかったらうちに寄ってくか?」
「今日は無理なのよね。これからちょっとお母さんと出かけなきゃいけないのよ」
「そっか、じゃぁまた今度遊びに来いよ。真帆奈も喜ぶしな」
「……それはどうかしらね」
「えっ、なんで?」
「なんでもないわよ。鈍感。ほらっ、帰るわよ」
 鈍感? こう見えても俺は結構鋭い方だと思うんだけどな。いったいなにが鈍感なのだろうか?
「おーい、待ってよ」
 先にスタスタと歩いていく幼馴染を、俺は早足で追いかけた。
 
 
 ドアを開けると、充満した少女特有の甘ったるい芳香に襲われた。
 そりゃそうだろう。なぜならば、俺の部屋には、二人のお年頃の少女がたむろっていたのだから。
「お兄ちゃん、遅いよっ!! なんでこんなに帰ってくるのが遅くなったの!」
「おにーさん、おじゃましています」
「……いらっしゃい、麗ちゃん」
 片方はもちろん俺の不肖の妹だが、もう片方は真帆奈の親友の秋山麗だった。
 麗ちゃんは、真帆奈と同じ三笠市立第三中学校に通う中学二年生。しかし、その容姿はとても妹と同じ年齢とは思えないほど大人びていた。
 ブラウンが混じったセミロングの黒髪に、可愛いというよりも綺麗と表現したい顔立ちをしており、チャームポイントの泣きぼくろがとてもよく似合っている。なによりも驚くのが、その大人顔負けフェロモンボディーだ。ちょっと中学生とは思えない肉付きのよさだったりする。最近妙に色っぽい仕草をするので、俺の心臓に変な圧力がかかることがあったりするのは内緒だ。
 ちょっと前まではちんちくりんだったのに、最近の子供の成長は本当に早いものだ。特に麗ちゃんの胸は、真帆奈とは比べ物にならない発育ぶりだった。毎日牛乳でも飲んでいるのだろうか。
「あー! しかもお兄ちゃん、全然反省しないでまた麗ちゃんのおっぱいをガン見してるよー!」
「み、見てないだろ! な、なに言ってんだよ!」
 またってなんだよ! またって! 自分の兄をおっぱい星人扱いするんじゃない!
「おにーさん、そうだったんですか? それならそうともっと早く言ってくれればよかったのに。おにーさんにだったら、私はべつに構いませんよ。はい、どうぞ……」
 とんでもないことに、麗ちゃんはずいっと俺の目の前にその豊満な双子の果実を差し出してきた。
 この真帆奈の親友さんは、かなりの小悪魔キャラなのだ。
「だめだよ麗ちゃん! お兄ちゃんにそんなエッチことさせるの禁則事項なんだからー!」
「あらっ、なぜ駄目なの? おにーさんにはいつもお世話になってるんだから、これくらいならどうってことないわよ」
 むしろこれくらいなら当然の権利、と付け加える麗ちゃん。
 俺にチラチラとアイコンタクトを送りながら笑いを堪えている。
「だめだよー! それだったら真帆奈のおっぱいを差し出す方が筋は通っているよ!」
「お前には触るようなおっぱいなんてないじゃないか」
 間髪入れずに俺がツッコんだ。
「なんて失礼なこと言うのお兄ちゃん! これでも真帆奈のおっぱいは、去年よりも三ミリもおっきくなってるんだからねっ!」
 誤差の範囲じゃねーか。
「嘘つけ。小学校の頃から全然変わってないじゃないか」
「な、なんて酷いことを! だったら直に触って成長を確かめてみればいいよ! ほんとにおっきくなってるんだから!」
「真帆奈、もう諦めなさい。おにーさんは、私のおっぱいの方がいいって言ってるんだから。これで私は名実ともにおにーさんの女ね。これからは涼介さんって呼ぼうかしら。ふふっ」
 頬に両手を当てて身体を艶めかしくくねらせる麗ちゃん。
 この娘は、本当にエロイ身体をしているな……。
「だったら俺も麗ちゃんのことは、麗って呼び捨てにするよ」
 できるだけ平静を装ってはいるが、内心はドキドキの俺。
「涼介さん……」
「麗……」
 俺と麗ちゃんがふざけて見詰め合っていると、
「だめだめだめーっ!!」
 と、真帆奈が叫びながら俺と麗ちゃんの間に割って入った。
「いくら麗ちゃんでもお兄ちゃんだけはだめなんだよ! お兄ちゃんは真帆奈だけのお兄ちゃんなんだからー!」
「真帆奈、それは涼介さんが決めることよ」
「麗ちゃんの裏切り者ー! お兄ちゃん! 真帆奈と麗ちゃんのどちらを選ぶのか今すぐ決めて! 真帆奈はお兄ちゃんのことを信じてるよ!」
 なんか調子に乗って麗ちゃんと話を合わせてたら、とんでもない方向に話が進んでしまったな。もうこのあたりでお開きにしておくか。
「はいはい、冗談はもう終わりな」
「……えっ! ええっ!?」
 狐に抓まれたような顔をしている単純なマイシスター。
「もしかして冗談だったの!?」
「あたりまえだよ」
「ごめんね、真帆奈」
 クスクスとさも楽しそうに謝罪する麗ちゃん。
「うー、二人ともいじわるだよ! なんでそんなことばっかりするのー!」
「そもそもお前が馬鹿なことを言うのが悪いんだろ」
 俺が麗ちゃんの胸をガン見していたのはまぎれもない事実なのだが、不都合な真実はいつも闇の中に隠されるものなのである。
「だいたいなんでお前は俺の部屋にいるんだよ」
「ごめんなさい。勝手におじゃましてしまって」
「いや、麗ちゃんはべつにいいんだけどね」
「なんで真帆奈はだめで麗ちゃんはいいの!」
「自分の胸に聞いてみなさい」
 真帆奈は以前に大掃除と称して(自分の部屋はめったに掃除しない癖に)、俺がいない間にマル秘コレクションを全部粗大ゴミに出したことがあるのだ。以来、お宝は全てパソコンの中に保存することにしている。
「そんなことはどうでもいいよ。なんでこんなに帰って来るのが遅くなったのか説明して」
 わざわざ妹にそんな説明する義務が兄にはあるのだろうか。
「真帆奈はおにーさんの帰りが遅くて、ずーっと寂しかったんですよ」
 いつまでもたっても子供な奴だな。
「帰りは雫と一緒でな、買い物しながら色々と話してたから、ちょっと遅くなっただけだよ」
「雫ちゃんと……いったいなんの話をしたの?」
「べつにたいした話はしてないよ。学校のこととかだけど……」
「うー、あれほどよその女には気を付けてって真帆奈は言ったのに……」
 雫はべつによその女ってわけじゃないだろ。だいたいなんで妹にそんな恨みがましい目で見られなきゃならないんだ。
「おにーさんおにーさん」
 チョイチョイと手招きしてくる麗ちゃん。
「真帆奈は、大好きなおにーさんが雫さんに取られないか心配しているんですよ」
 で、耳元でゴニョゴニョと説明してくれた。
 馬鹿らしい話だ。雫はただの幼馴染なんだから、そんな関係になるはずがないのだ。でも、まぁ今日はほんのちょっとだけ可愛かったような気はするけど……。
「あー! お兄ちゃんの顔が赤くなったよ! いったい雫ちゃんとなにかあったというの!? お兄ちゃんには真帆奈という将来を誓った妹がいるというのにーっ!」
「あ、赤くなんかなってないだろ! だいたいお前と将来を誓った覚えはないよ!」
 妹と将来を誓って、いったいどうしようというのだ。
「なぁ、お前ももうすぐ十四歳になるんだから、そろそろ兄離れでもしたらどうなんだ」
 いつまでも俺にべったりでは困るのだ。
 ……べ、べつに真帆奈が兄離れしても寂しくなんかないんだからねッ!
「なんて罰当たりなことをいうの! 離れるくらいだったら駆け落ちエンドに決まってるよ! 真帆奈とお兄ちゃんは、ずーっとずーっと未来永劫死ぬまで一緒の運命で結ばれているんだよ!」
 そんなにずっとお前の面倒を見させられるのはごめんこうむりたい。
「それなら私もおにーさんとずっと一緒ですよ。ふふっ」
 麗ちゃん、そんなに面白がらないでよ。真帆奈がまた調子に乗っちゃうからさー。
「兄妹なんだからいつまでも一緒にいられるわけないだろ」
「そんなの愛の力があればだいじょーぶなのだ!」
 ビシッと人差し指を突きつけて自信満々に言う真帆奈。
 その根拠のない自信は、いったいどこから来るのだろうか。
「お兄ちゃんの老後のお世話は、真帆奈がちゃーんとしてあげるんだから安心だね」
「老人になるまで独身のままは嫌だよ。平凡でもいいから温かい家庭を築きたいよ」
「だったら真帆奈と結婚して温かい家庭を築けばいいよ。その頃には、兄妹でも結婚ができる法律ができているに決まってるんだから」
 そんなぶっとんだ法律は、お隣の独裁国家でもできるわけねーよ。
「それなら真帆奈は、おにーさんの赤ちゃんを産んじゃうつもりなのかしら?」
 また麗ちゃんが余計なことを……。
「赤ちゃんっ! ……う、うん。もしお兄ちゃんが望むんだったら、真帆奈はお兄ちゃんの元気な赤ちゃんをいっぱい産んであげるよ。はぁ、はぁ……」
 真帆奈は瞳をうるうるさせながら、ボッと頬を染めてこちらを見詰めてくる。なにやらよからぬ妄想でもしているのか、鼻息がさかった牛のように荒い。
「はいはい、もう馬鹿な話は終了ね。麗ちゃんも、あんまり真帆奈をけしかけたら駄目だよ」
「ふふっ、ごめんなさいです」
 ペロっと可愛らしく舌を出して反省の振りをする麗ちゃん。
 火のないところに火種を起こし、せっせと薪をくべて大火事にしてしまう。それが真帆奈の悪巧みの参謀長、秋山麗の歓迎されざるお仕事なのだ。
「全然馬鹿なことじゃないよっ! お兄ちゃんと真帆奈の幸せな未来設計の話なんだからね! 赤ちゃんはちゃーんと計画的に作らないと、後で困ることになってしまうんだよ!」
「さてと、じゃあ俺はそろそろ夕飯の支度でもしよっかな。麗ちゃん、よかったらうちでご飯を食べていかない?」
「お呼ばれしてもいいんですか?」
「なんで真帆奈のことを無視するのー!」
 ギャーギャーと妄想妹がうるさいが、もうきりがないので放っておくことにする。
「もちろん大歓迎だよ。二人分作るのも三人分作るのも手間は同じだからね。それに、大勢で食べた方が美味しいしね」
「そうですか。それではお言葉に甘えることにします。ふふっ、おにーさんの手料理ゲットです。だったら私もお手伝いしますね」 
 麗ちゃんは手先が器用なので即戦力なのだ。
「ありがとう。じゃぁキッチンに行こうか」
「真帆奈もお手伝いするー」
「えー、お前はいいよ」
 邪魔されるだけがオチなのだ。
「なんで真帆奈だけ仲間はずれにするの! ま、まさか! 麗ちゃんと二人でいちゃいちゃしながらご飯を作るつもりなんだね! いやらしすぎるよお兄ちゃん!」
「するかアホ! お手伝いするったって、お前はなんにもできないじゃないか」
「真帆奈だってやろうと思えばなんでもできるよ! 野菜の皮を剥いたりとか、炊飯ジャーにお水を入れたりとか、お皿並べたりとか、ほらーっ、いっぱいできよっ!」
 野菜の皮剥きはピーラーを使っても雑だし、炊飯ジャーの水の量は間違えるし、皿は割るだろうが。
 しかし、このままだとずっとうるさいだろうしな。諦めるしかないか。
「わかったわかった。じゃあ三人で作ることにしよう」
「うー、いじわるしないで最初からそう言えばいいんだよ。でも、それがお兄ちゃんの真帆奈に対する愛情表現なんだよね。そんな素直になれない初心なお兄ちゃん心を、真帆奈はちゃーんと理解してるんだからね」
 えっへん、と慎ましい胸を張る真帆奈。
 もう好きに妄想してくれていいよ。
「おにーさんと真帆奈は本当に面白いですね。ふふふっ」
 麗ちゃんは、本当に楽しそうに笑うのであった。


 三人で作った特製ふわふわハンバーグ(真帆奈はお皿を並べただけ)を歓談しながら完食してから、俺たちは食後のアールグレイを楽しんでいた。
「おにーさんって、本当に料理が上手ですよね。毎日こんなに美味しいご飯が食べられる真帆奈が羨ましいです」
「いいでしょー。真帆奈へのお兄ちゃんの愛情がたーっぷりと入っているからこんなに美味しいんだよ」
 そんな得たいの知れないものを入れたつもりはないよ。
「べつにたいしたことないよ。麗ちゃんの方が、俺なんかよりも料理は上手いと思うよ」
 玉葱を素早く微塵切りにして手際よく炒めていく手捌きや、熟練した技術が必要な肉の焼き方など、麗ちゃんの腕前はいつもながらおみごとなものだった。麗ちゃん、また腕を上げましたね。
「そんなことないですよ。私一人ではあんなに美味しいハンバーグは絶対に作れません」
「いやいや、それはちょっとしたレシピの問題だから。麗ちゃんの料理の腕だったら、もっと美味しいハンバーグが作れるよ。もういつでもお嫁さんに行けるレベルだと思うよ」
「本当ですか。だったら、おにーさんが私を貰ってくれませんか♡」
 中学生とは思えない艶っぽい声色で、麗ちゃんが爆弾発言。
 ブブーと横で紅茶を吹き出す真帆奈。
「もちろんいいよ。麗ちゃんがお嫁さんに来てくれるんだったら大歓迎だよ。うちには一人だけうるさいのがいるけど気にしないでね」
「やりましたっ。これで真帆奈は私の妹になるんですね」
「そんなのならないよ! 真帆奈はお兄ちゃんだけの妹なんだからー! お兄ちゃん、大切な妹の目の前で麗ちゃんを誘惑して楽しむのはいい加減にやめて!」
 お約束どおり、真帆奈がガーと噛み付いてくる。
 そんなんだからいいようにからかわれるんだよ。
「真帆奈、ごめんなさい。私とおにーさんは、もう契を結んでしまったのよ」
「せ、契りを結んだっ!? いったいいつの間にそんなことになってんだ、こんちきしょーっ! お兄ちゃん! 真帆奈に内緒でそんな犯罪的なことは許されないよ!」
「お前は今までなにを聞いてたんだよ。そんなもん結んでるわけないだろ」
「えっ? う、麗ちゃん、そうなの……?」
「テヘペロッ(^_-)-☆」
「うー! なんでそんなにいじわるなことばっかりするの!」
「なんでもかんでも信じるお前が悪い」
 俺は砂糖をたっぷりと入れたアールグレイをズズズと啜った。
 心地よい爽やかな香りと、気品溢れる芳醇な甘さが口内いっぱいに広がった。
「あっ、ところで話は変わるけど。五月会のことなんだけど、二人はどこか行きたいところあるかな?」
「もう五月なんですね。今年もみんなでどこかに行くんですか?」
「雫と光は大丈夫みたいだよ。麗ちゃんも行けるんでしょ?」
「もちろん大丈夫ですよ。おにーさんの行くところだったら、東京ビックサイトにだってお供しますよ」
「いや、夏じゃないし、だいたいそんなところには行かないから」
 時々この娘がどこまで本気なのかわからなくなるよ。
「真帆奈はどこか行きたいところないのか?」
「うー!」
 プクーっと真帆奈は頬を膨らませて拗ねてる真っ最中。
「おーい。真帆奈さーん、聞いてるー?」
 膨らんだホッペをツンツンしながら聞いてみた。
「うー!」
 アレをやってくれないと絶対に機嫌を直さないぞ、という固い意思表示だった。
 しょうがない奴だな。
 真帆奈の頭をナデナデしてやった。こいつの柔らかい黒髪は、本物の絹のようにすべすべで優しい手触りだった。
「うにゃ〜♡」
 途端に真帆奈の顔が破顔した。
 もう機嫌が直りやがった。山の天気のような奴だな。
 麗ちゃんは、そんな光景を母性溢れる眼差しで見詰めていた。
「真帆奈はねー。うーん……お兄ちゃんと一緒ならどこでもいいや」
 もっと自主性を持って貰いたいんだよな。まったく。これだからゆとり世代はというやつは。
「去年はどこに行ったんだっけ?」
「千葉にあるネズミの楽園に行ったんだと思います」
「そうだよー。それで米ネズミの中に人の顔を一目見ようと、暫くストーキングしたのを真帆奈は覚えているよー」
 夢のないことすんなよ。
「そうだったな。それだったら今年はどこがいいかな……。いっそのこと温泉にでも行ってみるのはどうかな。なんだったら一泊してもいいし」
「それはいい案ですね。みんなと一緒に温泉に行ってみたいです」
「真帆奈も温泉に行きたいよー。それでお兄ちゃんと一緒に温泉に入って身体の洗いっこをするのだ。お兄ちゃんったら最近はぜんぜん一緒にお風呂に入ってくれないから、真帆奈はずっと寂しかったんだよ。昔は毎日一緒に入ってたのにー」
「私も一緒に入ってましたよね。オ、フ、ロ♡」
「それは子供の頃の話でしょ!」
 勘違いしないでくれよ。まだ真帆奈と麗ちゃんが小学生だった頃の話だ。小学五年生になったくらいから麗ちゃんの胸がどんどん膨らみ始めたので、流石にこれはマズイと思ったよ。
「くっくっくっ、照れてる照れてる。お兄ちゃんったらホントに可愛いんだから。温泉に行ったらお兄ちゃんの身体を隅々まで洗ってあげるからね」
「……」
 あまり深く考えずに適当に言ってみただけなんだけど、二人の食い付きぶりは凄かった。
「じゃあ、温泉の方向で決めようか。雫に連絡しとくよ。でも、あの二人、一泊するのは大丈夫なのかな?」
「雫さんも光くんも部活がんばってますからね」
「雫ちゃんと光ちゃんが泊まるの無理だったら、真帆奈とお兄ちゃんと麗ちゃんだけで泊まればいいよー」
 児玉姉弟は日帰りか。それはちょっとかわいそうな話だな。後で雫とメールで相談でもしとくかな。
「あっ、もうこんな時間です。私、そろそろ帰りますね」
 ストレートのアールグレイを飲みきった麗ちゃんは、おっぱりを上下に揺らしながら立ち上がった。
「麗ちゃん、もう帰っちゃうのー」
「うん。また遊びに来るからね」
 なんだかんだでこの二人は、本物の姉妹みたいに仲がいいよな。いいコンビだ。麗ちゃんみたいなしっかりした娘が真帆奈のそばにいてくれるのは、兄としては大変にありがたい話なのだ。
「家まで送ろうか?」
「すぐそこなんですから大丈夫ですよ」
 麗ちゃんの家は、ここから歩いて三分もかからない場所にある。
「そっか、じゃあ気を付けて帰ってね」
「はい。今日は本当にご馳走様でした」
 麗ちゃんは、礼儀正しくペコリと頭を下げた。
「麗ちゃん、またねー」
 俺と真帆奈は、玄関まで行って麗ちゃんをお見送りする。
 で、また一悶着がありました。 
「こんなに素敵な夕飯をご馳走になったんだから、おにーさんにはなにかお礼をしないといけませんね」
「そんなの気にしないでいいよ」
「いーえ、それでは私の気が済みません」
 人差し指を朱色に染まった唇に押し当てて、麗ちゃんはなにやらよからぬ悪巧みを考え中。
「そうだ」
 で、ちょいちょいと手招きしてくる
 もの凄く嫌な予感がするな。
「今度、真帆奈に内緒でおっぱいタッチ券を進呈しますね。おにーさんなら特別に直接でもいいいですよ♡」
「そんなの許されないよ! 麗ちゃん、真帆奈に内緒でお兄ちゃんにそんなことをさせたらぜーったいにだめなんだからね!」
「あらっ、だったら内緒じゃなければいいのかしら?」
「内緒じゃなくてもだめなのー! お兄ちゃんは真帆奈のおっぱいだけで充分に満足してるんだから!」
「あらっ、そうだったんですか。それは残念です。真帆奈のだけで満足できなくなったらいつでも言ってくださいね、おにーさん♡」
 ボヨンとその巨大な幸せの塊を一揺れさせる麗ちゃん。
 まったく。この小悪魔ときたら……。
「丁重にお断りします。麗ちゃん、早く帰らないと本当に遅くなるよ」
「それではおじゃましました。真帆奈も、またね」
 先っぽが尖った見えない尻尾をフリフリしながら、麗ちゃんはご機嫌に帰った。
「うー」 
 で、真帆奈はご機嫌ナナメの様子だ。
「なに?」
「……実は前々から真帆奈は怪しんでいたことがあるんだよ」
「なに?」
「……お兄ちゃんと麗ちゃんは、異様に仲がよすぎると真帆奈は思うんだよ」
 やたらと深刻な表情で真帆奈が言った。
 仲がいいというか、あれは遊ばれてるって感じだけどな。高校生を簡単に手玉に取るとは、末恐ろしい娘だ。
「そうかな。普通と思うけどな」
「どうみても普通じゃないよ! まるで肉体関係があるみたいだよっ!」
「ねーよ!」
 前々からそんなことを怪しんでやがったのか!
「……本当にないんだね?」
「あるわけないだろ! そんな下衆な発想ができるお前が凄いよ!」
 本当にトンデモない奴だな。
「うー……ホントにホントなんだね?」
「ホントにホントだよ! 馬鹿なことばっかり言ってないで、風呂を沸かすからさっさと入りなさい」
「あー! 今、明らかに話をそらそうとしたよ! やっぱり真帆奈には言えない重大な秘密が隠されているんだね!」
「あーあー、うるさいうるさい」
 もう妄想妹は無視することにして、俺はバスルームへと向かった。

 
 風呂を沸かして夕食の後片付けをしたら、俺のささやかなプライベートタイムが始まる。うるさい真帆奈は風呂に入ったので、暫くの間は静かなはずだ。この時間を有意義に使うことにしよう。
 自分の部屋に行きパソコンを起動。鞄の中から今朝入手したDVDを取り出した。
 べ、別に疚しいことをするつもりなんかないんだからね! 
 ただ折角黒木にコピーして貰ったんだから、中身ぐらいはちゃんと確認しておかないと悪いしな。おっと、ちなみにゲームやアニメを勝手にコピーして人に渡したりするのはいけないことだから、よい子のみんなは絶対に真似しちゃ駄目だぜ(キリッ)。
 全部エロゲーだったので、まとめてインストールしておいた。
 エロゲーといっても、雫みたいに馬鹿にするなよ。一般のゲームと比較しても遜色ない作品だってかなり沢山あるのだ。まだまだ世間からは偏見が強かったりするので、市民権を得るのは難しいだろうがな。それに、アグ○スから目の敵にされても文句が言えないような作品があったりするのもまた事実。エロゲーとは、横に狭くて果てしなく奥が深いものなのである。
 ちなみに黒木の守備範囲は、ことの他広い。つーか、広すぎ。萌え、泣き、笑い、陵辱、触手、ロリ、妹、姉、熟女、寝取られ……、とあらゆるジャンルの属性を保有している。一人で内野と外野を守り、投手と捕手とバッターまで兼任しているようなもんだ。
 俺なんか黒木と比べたら、まだまだファームで素振りをやっているルーキーみたいなもんだろう。特に妹物だけは、どうしても身体が受け付けないしな。つーか、実妹がいたら普通はNGだろ。更なる高みを目指して、己の変態を日夜練磨する黒木には本当に頭が下がるよ。
 とりあえずゲームを起動させてみた。
「『聖奴隷牝犬学園〜お金を払ってでもいいから貴方の犬にさせてください!〜』か……」
 最近発売されたばっかりの新作調教ゲームだった。
 実は、俺はあまりこの手のジャンルが好きではないのだ。妹物ほど受け付けないわけではないのだが、好んでやりたいとも思わない。しかし、ゲームを親切でコピーしてくれた友人は次の日に決まって、
「んっ? どうだった? おもしろかったか?」
 と、子供のような純真な顔をして感想を聞いてくるお約束があるので、それに対応できるようにある程度はゲームを進めておく必要があるのだ。わざわざコピーして貰っておいて、まだ全然やってないとは言いづらいだろ。小市民とは、細かい気を使う哀れな生き物なのである。
 暫くゲームを進めてみることにした。
「ふーん……意外におもしろいな……」
 ゲームの内容に関して深く説明はしないが、これは充分使えそうだぞ、というのが率直な感想だった。ヒロインの黒髪ロングがもの凄く変態で可愛いのだ。このエロゲーのライターは、なかなかいい仕事をしている。下半身のアレがムクムクと鎌首を擡げようとしてくる。そんな時であった。俺の携帯電話がニャーと鳴いた。
 メール着信。
 麗ちゃんからだった。
『今日は本当にありがとうございました。これは私からのささやかな感謝の印です。これで満足できなかった場合は、べつのを送りますのでメールください♡』
 添付されていた画像を開けたら吃驚仰天。
「ブーーッ!! う、麗ちゃん、これはなんのつもりなのっ!!」
 おそらく脱衣所の鏡に向かって写真を撮ったのであろう。スッポンポンの麗ちゃんが、その完熟した胸の果実たちを片腕だけで覆い隠し、パチコンと妖艶にウインクをしている犯罪スレスレ画像だったのだ。いや、これは場合によっては、完全に児童ポルノ法違反だろう。
 お風呂上がりなのだろうか、麗ちゃんのピチピチとした柔肌はほんのりと桜色に染まっており、髪はしっとりと濡れて色っぽく、華奢な片腕からボヨコ〜ンとはみ出た下乳横乳はまさに圧巻の一言。ムンムンのお色気が、携帯のディスプレイの向こうからでも漂ってきそうな画像ファイルだった。
「けしからん! 本当にけしからん!」 
 俺はドキドキしながら説教メールを送信した。
『麗ちゃん、女の子がこんなけしからん写真をおいそれと男に送ったら駄目だよ!』
 返信がきた。
『ふふっ、おにーさんに喜んで貰えて光栄です。真帆奈には内緒ですから(*^^)v』 
 まったく! 麗ちゃんだけはまったく! 女の子がこんなはしたないことをしたら駄目なんだからねっ! ……で、でも、これはエロイな。中学生がこんなにいやらしい身体をしていて本当にいいのだろうか。もう下半身の第二人格がパオーンなことになってしまったぞ。
 一刻を争う状態に追い込まれてしまった俺は、黒髪ロングの手ごろなシーン回想を選択して、自家発電に勤しむべくおもむろにズボンをずり下げようとした。
 そんな瞬間を見計らったかのようにして、
「お兄ちゃーん、ブラッシングしてー」
 と、バスタオルを頭に巻いた風呂上りの招かれざる妹が、俺のプライベートルームを急襲してきた。
 慌てて俺は脱ぎかけていたズボンを履き、エロゲーを終了させた。まさに間一髪だったよ。
「ま、真帆奈!! 部屋に入るときはノックしなさいって言ってるだろ!」
「あっ、ごめんなさい。エヘヘ……」
 まったく反省の色なし。
 危うく修行中の俺とニアミスするところだったんだぞ。想像しただけでも身の毛がよだつじゃねーか。
「で、なんなの?」
「ブラッシングだよ。ブラッシングー」 
 真帆奈は、愛用のドライヤーとブラシを手に持っている。
 うちの妹様は、これで俺に髪をブラッシングしろというのだ。
「そんなことはもう自分でやりなよ。俺は忙しいんだから」
 お兄ちゃんは、これからアリストテレスの形而上学についての論文をまとめないといけないから、お前に構っている暇などないのだ。
「えー、なんでなんでー。急にそんなことを言われても真帆奈は困るよー」
 妹の髪をブラッシングすることまでもが、なぜか俺の仕事のようになっているのがこの家の七不思議の一つだ。
「お前ももう中学生なんだから、自分でできることは自分でしような」
「だめだよー。ブラッシングの時間は、真帆奈とお兄ちゃんがマリアナ海溝よりも深い兄妹の絆を確かめ合うとっても大切な時間なんだからー」
「俺にとってはそんなたいした時間じゃないよ」
 むしろかなりめんどくさい。
「なんでそんなこと言うの! お兄ちゃんは真帆奈のことを愛してないの! はっ!? やっぱりそういうことだったんだね! お兄ちゃんは真帆奈をお払い箱にして、麗ちゃんを自分の妹にしようと目論んでいたんだねっ!」
 実現不可能なことを言いながら地団太を踏む真帆奈。
「わかったわかったた。やればいいんだろ。ほらっ、そこに座りな」
 もううるさいので、さっさと済ませて追い出すことにした。あまり甘やかしてもこいつのためにはならないのだろうが、俺がやらないとちゃんとブラッシングしない可能性もある。女の子の髪の毛は非常にデリケートなのだ。濡れたまま状態ので放っておくと、キューテクルが破損してすぐに痛んでしまう。特に真帆奈のように柔らかい髪質の髪は、毎日のケアが肝心なのだ。
「やったー。だからお兄ちゃん、好きー」
 真帆奈は頭に巻いたタオルをはずして、クッションの上にペタンと女の子座りした。華奢な背中に濡れた黒髪に覆いかぶさった。濡れた髪をいきなりブラシで梳くと髪が痛むので、まずはドライヤーで乾かすことにしよう。
 まぁなんだかんだとは言ったけど、俺は真帆奈の髪をブラッシングするのは嫌ってわけじゃないんだよね。よく訓練された黒髪ロンガーとしては、痛んだ黒髪を見るほど心が痛むことはない。これで真帆奈の黒髪が綺麗になるんだったら、黒髪ロンガーとしては本望だよ。
「お前、髪伸びたよな」
「これはね〜。お兄ちゃんのために伸ばしてるんだよ」
「そうだったのか?」
「そうだよ〜。お兄ちゃんが髪が長い女の子が好きって言ったから、真帆奈はそれからずーっと伸ばしているのだ。えらいー?」
 べつに偉くはないけどな。
「伸ばすのは好きにしていいんだけど、毎日きちんと手入れしないと綺麗な髪にはならないんだぞ」
「それはお兄ちゃんが毎日ちゃーんとやってくれるから、真帆奈は安心だねっ」
「安心されても困るから。いつまでも一緒にいられるわけじゃないんだから。なんでも自分でできるようにならないとな」
「真帆奈はずーっとお兄ちゃんのそばにいるから平気だよー」
「そんなわけにはいかないだろ。お前だっていずれはお嫁に行く時が来るんだから」
「なにを言ってるの、お兄ちゃん。真帆奈がお嫁さんに行くのはお兄ちゃんのところにだよ」
「……だから兄妹だというのに」
「障害が大きい方が萌えるものなんだよー。うっしっしっ」
 いやらしい笑い方だった。
 ふー、こいつもまだまだ子供だな。つーか、本当に告白とかされてんのかね。確かに見た目はいいと思うよ。後二、三年もすれば、あの東郷さんと正面から張り合えるくらいになるかもしれない。しかし、中身の方はとてもじゃないが成長するとは思えない。
「そういえば、お前、学校で告白とかされてるんだってな?」
「うにゃー! な、な、なんでお兄ちゃんがそのことを知ってるのっ!?」
 予想外の取り乱しようだった。
「なんでって、聞いたから」
「ま、まさか、麗ちゃんからなの!? お兄ちゃんには言わないでって口止めしておいたのにー!」
「いや、麗ちゃんから聞いたんじゃないよ。風邪の噂でちょっと耳にしたんだよ」
 深い意味はないが、雫から聞いたとは言わないことにした。
「べ、べつにお兄ちゃんに隠しごとをしていたわけじゃないんだよ! 全員、断ってるんだし、いちいちお兄ちゃんに報告する必要ないって思ってただけなんだよ! 本当なんだよー!」
「なんだ、断ってるのか?」
 ちょっとだけほっとした俺がいた。だいたい全員って……いったいお前は何人から告白されてんだよ。
「あたりまえだよー! 真帆奈がお兄ちゃん以外の男の人と付き合うわけがないのだ!」
「何度も言うけど、兄妹は付き合えませんからね」
「うー、またそんないじわるなことばっかり言って……」
 まったくの正論だと思うんだけどな。
「お兄ちゃんは、真帆奈がお兄ちゃん意外の男の人と付き合ってもいいって思ってるの……?」
「えっ……そ、そりゃいずれはお前にも好きな人ができるだろうし、そうなれば付き合うことにだってなるだろ」
「いずれのことなんか聞いてないよ! 今、お兄ちゃんがどう思ってるのか真帆奈は知りたいんだよー!」
 俺がどう思ってるかね。まぁぶっちゃけ、こいつが恋人を作るのはまだまだ早いと思うよ。正直もう少し大人になってからにして貰いたい。でないと心配で心配で胃に穴が開いちゃうよ。
「そういうことに興味がある年頃だとは思うけど、べつに無理して付き合う必要はないんじゃないかな。お前もそう思って断ってるんだろうけどな」
「……お、お兄ちゃん、真帆奈は感激してるよ!!」
 真帆奈は目をキラキラと輝かせながら、俺の右手をひしっと両手で握りしめた。
 そんなにこいつが興奮するようなこと言ったつもりはないんだけどな。
「なにが」
「つまりお兄ちゃんは、真帆奈を独占してアヘ顔でダブルピースをさせたいってことなんだねっ!」
「そんなこと一言も言ってねーよ! 妹にそんなことさせるとかありえないだろ!」
「安心してお兄ちゃん、真帆奈の身体を自由にしていいのはお兄ちゃんだけなんだからねっ!」
 話を聞けよ!
「はいはい、もう馬鹿なことはいいから」 
「うー、バカなことじゃないのにー」
 そんな一銭の得にもならない話をしながらも、俺は真帆奈の濡れた髪をドライヤーで乾かし終えた。これだけ長いとそれだけでも結構な労力なのだ。
「だいたい乾いたんじゃないかな」
 照明に照らされた真帆奈の黒髪は、まるで鮮やかに光り輝く黒曜石のようだ。俺はその黒曜にブラシを入れて優しく梳いていく。
「うにゃ〜、気持ちいい〜。し〜あ〜わ〜せ〜」
 ほにゃ〜、といった感じで全身を弛緩させる真帆奈。
 妹様に喜んで貰えて兄も幸せだよ。これは決して皮肉ではないよ。達観してるだけだから。
「ね〜、お兄ちゃん〜」
「んー?」
「お兄ちゃんは、よその女の子から告白とかはされたりしてないよね?」
「生憎そんな幸運に巡り合ったことは一度もないな」
 いったいこの兄妹格差はなんなのだろうか。まさに格差社会の縮図がここに存在するな。
「ほんと〜?」
「嘘なんか言っても仕方ないだろ」
「よかったー。女の子にはくれぐれ気を付けないとだめだよ。お兄ちゃんに言い寄ってくる女の子は、必ず後で壺とかお墓とか買わせようとしたりするんだからね」
「俺には詐欺師しか言い寄ってこないのかよ!」
「それから睡眠薬をそれとなーく飲まされて、その後、練炭で……こ、これ以上は真帆奈は怖くて言えないよー!」
「殺されちゃうのかよ!」
「だ〜か〜ら〜、真帆奈意外の女の子はみんな仮想敵女だって思わないとだめなんだよ。お兄ちゃんには真帆奈が一人いれば充分なんだからー」
「ブルーになることばっかり言うのはやめてくれないかな……」
「真帆奈はお兄ちゃんのためを思って忠告してあげてるだけなんだよー」
 どう考えても嫌がらせとしか思えん。
「もういいよ。つーか、終わったぞ」
 こんなに酷い仕打ちを受けながらも、俺は真帆奈の髪のブラッシングを綺麗に完了させた。
 偉い兄だろ。
「えー、もう終わり?」
「そうだよ」
「うー」
「そんな物欲しそうな目をしても、もうやんないからね」
「わかった。お兄ちゃんのブラッシングが気持ちよすぎて、真帆奈はなんだか眠くなってきちゃったよ。ふにゃ〜……」 
「そうか、じゃあ部屋に戻ってさっさと寝なさい」
 お兄ちゃんは、これから荒修行を行わないといけないんだからな。
「うん、そうするよ……」
 あろうことか真帆奈は、俺のベットの中に潜り込みやがった。
「……」
「うにゃ〜、お兄ちゃんの匂いだー。くんかくんか……はう〜、いい匂い。お兄ちゃ〜ん、早く来て……はぁ、はぁ……」
 呼気を荒げる真帆奈の首根っこを取っ捕まえて、ポイッと部屋の外へ放り出した。で、素早くドアを閉める。
「うー、なんでこんなひどいことするの! 真帆奈をこんなにも甘い言葉でその気にさせておいて、こんなのヤルヤル詐欺だよー! おにー! あくまー! 兄でなしー!」
 ありもしなかった事実をワーワーと喚きながら、真帆奈がガチャガチャとドアノブを回す。部屋の中からドアを押さえているので開くわけがない。
 去れ!!
 暫くの間、真帆奈は虚しくドアと格闘していたが、俺の気迫が伝わったらしく、「うー!!」
 と、捨て呻き声を残して隣の自分の部屋にすごすごと退散。
 はぁ……。なんかやることやる前に疲れちゃったな。俺も風呂に入って寝ることにしよう。
 そんなこんなで今日も無事に一日が終わった。
 おおむね乃木家の日常は、だいたいこんな感じだったりする。
 どうか明日も平和で平凡な一日になりますように。
 

 主婦の朝は早い。
 学校が休みだからといっても、兄は妹様のように暢気にいつまでも寝ていられるわけではないのだ。
 溜まった洗濯や掃除をしたり、買い物もしなければならない。散らかすだけ散らかしてなにもしない人が約一名いるので、俺が働かなければこの家はあっという間に廃墟になってしまうことだろう。
 さいわい昨日に続いて本日も快晴なので、洗濯物がよく乾いて大変に気持ちいい。トイレ掃除をしながらそんなささやかな小市民の幸せに浸っていると、ぐーと腹時計が鳴った。そろそろ正午になりそうなうな時間だった。真面目に働いていると時間が経つのが早い。そろそろ真帆奈も冬眠から目覚める頃なので、昼食の準備に取りかかることにした。
 ピンポーン。
 インターホンが鳴った。
 玄関を出ると佐川急便だった。青と白の縞々佐川ルックのやたらと元気な若い運転手から宅配物を受け取った。アマゾンから荷物だ。『乃木真帆奈』宛になっている。最近ちょくちょく真帆奈に荷物が届くのだ。あいつはいったいなにを買っているのだろうか? 気にはなるけど、流石に中身を確かめるわけにはいかない。真帆奈が起きて来たら渡そうと思い、荷物をキッチンのテーブルの上に放置した。
 この真帆奈宛の一つの荷物が、後に俺たち兄妹の運命を変えてしまうような重大な事件の発端になるなんて、この時の俺は、まったく想像すらしていなかった――。


 昼食は、涼介特製ラーメンに決定なう。
 『サッポロ一番 みそラーメン』を使用する。
 なんだインスタンとかよ、と侮るなかれ。ほんの少し手間を加えるだけで、普通にお店で食べるようなラーメンと引けを取らない美味しさになるのだ。実に簡単だから、ぜひみなさんにもやって貰いたい。
 昨日の挽肉が残っているので、これをもやしとキャベツで一緒に炒める。塩と胡椒で味付けしたら、はい完成。この肉もやしキャベツ炒めをとき卵をかけたラサッポロ一番の上に乗せて、最後に決め手となるネギ油を垂らすとあら不思議。激うまラーメンの出来上がりなのだ。ねっ、簡単でしょ。
「お兄ちゃん、おはよ〜。うにゃ〜、いい匂い〜」 
 腹を空かせた妹クマが、匂いに釣られて巣から這い出てきたようだ。
「おはよう。よくこんな時間まで寝れるな」
「寝る子は育つんだよー」
 真帆奈は、寝起きのだらしないパジャマ姿のままテーブルの自分の席についた。出来立ての涼介特製ラーメンをじーっと見詰めている。今にも涎を垂らしそうな勢いだ。
「……食べる?」
「えっ、いいのー?」
「いいよ。俺のはまた作るから」
「わ〜い、食べるー。だからお兄ちゃん、好きー」
 寝たいだけ寝て、食べたい時に食べる。まさに野生児だな。
「いただきま〜す」  
 フーフーと麺を冷ましながら、真帆奈はラーメンをがっつき始めた。
「あっ、そういえばお前にアマゾンから荷物届いてるぞ」
「ぶーーっ!!」
 吹き出しやがった。 
「ちょ、なにやってんのっ?」
「ま、真帆奈の荷物、お兄ちゃんが受け取ったのー!?」
「そうだよ。そこに置いてあるだろ」
 俺が指差す先のアマゾンの箱を見て、真帆奈は明らかにほっとした表情になった。
 つーか、あからさまに態度が怪しい。
「なに買ったの?」
「えっ……べ、べつにお兄ちゃんの興味がある物じゃないよ」
「だから、なに買ったのさ?」
「……さ、参考書だよ」
 真帆奈の目は、キョロキョロと熱帯魚のように泳いでいる。お巡りさんに一発職質並の挙動不審さだった。
 増々怪しいな。
 こうなってくると荷物の中身がもの凄く気になってくる。だが、俺はあえてそれ以上追求するのはやめることにした。告白の件でもそうなのだが、なんでもかんでも俺に話す必要はないのだ。兄妹でも秘密があって当然。こいつも少しづつ成長してるってことだな。
「そうか、参考書か。あんまり無駄遣いはしないようにな」
「うん、わかってるよ。ごちそうさま〜」
 早っ!
「もう食べたの!?」
「すっごく美味しかったよ。じゃあ真帆奈は部屋に戻るねー」
 怪しげな宅配物を抱きしめるようにして、真帆奈はそそくさと自分の部屋に戻った。
 うーん、さっきはああ言ったけど、やっぱり気になるな……。
 ズズーと麺を啜りながらそんなことを考えていると、俺の携帯電話がニャーと鳴いた。
 メール着信。
 麗ちゃんからだった。
『お忙しいところすいません。実は真帆奈の携帯に電話が繋がらないので、おにーさんからこちらに連絡するように言って貰えませんか? お礼に今度、おにーさんがリクエストするボヨヨ〜ンな写真を送っちゃいます。メイドにしますか(*´∀`)ノ ナースにしますかヽ(´∀ `*) それとも、ハ、ダ、カ(≧д≦)v』
 そんないやらしいお礼はいいですから! もっと自分を大切にしないと駄目なんだからねッ! まったく。これは一度、あの小悪魔を説教しておかないといけないな。
 そんなわけで、俺は二階に上がって真帆奈の部屋のドアをノックした。
「おーい、真帆奈。入るぞー」
「えっ! お、お兄ちゃんっ!?」
 ドアを開けて部屋の中に入ると、真帆奈は例のアマゾンの箱から中身のブツを取り出している最中だった。
「だ、だめーーっっ!!」
 つんざくような悲鳴を上げて、真帆奈はその取り出したブツを素早く背中の後ろに隠した。
 しかし、ほんの少しだけ隠すのが遅かったようだ。
 兄は、決して見てはいけない物を目撃してしまっていた。
「み、見た……?」
「……」
 咄嗟にはなにも言葉が出てこない。 
 それほど強烈な衝撃だったのだ。
 エクトプラズムを強引に引っこ抜かれたかのように、俺はその場に立ちすくんで茫然自失としていた。
「あ、あうあうあう……」
 そんな俺の素の反応で事実を突き付けられた真帆奈は、頭から湯気を出さんばかりに頬を真っ赤に染めていく。
「あ、あの……そ、その、真帆奈……」
「で、出て行ってーっ!」
「えっ、ちょ、ちょっと待って、話せばわかるから――」
「いいから早く出て行ってーっ!!」
 ぴょんぴょんとぬいぐるみミサイルが飛んでくる。
「こ、こらっ、あぶないからやめなさい――って、うわっ!」
 りょーすけの特攻をもろに顔面で受け止めた俺は、そのまま後ろに倒れ込んで尻餅をついた。目の前でバタンと激しくドアが閉まった。
「あたたた……」
 俺はお尻をさすりながら立ち上がった。 
 ドラフトを狙えるようなみごとな豪速球だったぜ。いやっ、そんなことよりも……。
「ま、真帆奈、その……ごめんな。変なタイミングで部屋に入っちゃって……。あのさー、麗ちゃんからメールがあったんだけど、お前に連絡して欲しいって言ってたぞ。お前の携帯電話、電源が入ってないんじゃないか?」
 無言。
 どうやら完全に拗ねてしまったようだ。
「真帆奈さーん、聞こえてますかー?」
 応答なし。
 まいったな……。
「と、とにかくちゃんと伝えたからな。ちゃんと麗ちゃんに連絡するんだぞ」
 そういうと俺は、逃げるように自分の部屋に行ってパソコンを起動した。で、ググる。暫くの間、静寂の部屋にカチャカチャとマウスが動かされる音だけが木霊する。そして、網膜に焼き付いた記憶を元に目的のサイトを見つけ出した。
「間違いない……こ、これだ……」
 俺が現在見ているサイトは、鬼畜・陵辱系美少女ゲームで有名な某メーカーの公式HPだ。
 商品情報には、あられもない姿の美少女たちが白濁に塗れた画像と共に、こう宣伝文句が書かれてあった。

『犯りまくれ! 嵌めまくれ! 射精しまくれ! 
 レイプの伝道師、あのザビエール正岡が驚天動地のグランドスラムレイプ!
 世界中の女は、神が俺に与えたもうた玩具!!
 猛々しい特大マグナムを肉悦の本能のままに牝穴に叩き込めっ! 無垢なる処女を犯し尽くすのだっ!!

 「レイプ!&レイプ!&レイプ!」 大好評発売中!!』

 記憶と完全に一致。
 真帆奈がアマゾンで購入した物とは、間違いなくこの『レイプ!&レイプ!&レイプ!』だった。
 オーケ、わかった。とりあえず落ち着いて考えてみよう。真帆奈がなぜこんなエロゲーを購入していたのか? ……理解に苦しむな。だいたいザビエール正岡って誰だよっ! レイプでグランドスラムを達成してどうしようってんだっ! お、おっと、いかんいかん。冷静にならねば。
 真帆奈もそういうお年頃なんだし、女の子でもこの手のゲームに興味を持ったりするのかもしれない。しかし、よりにもよってこんなエロゲーはないだろ……。教育上問題が大ありだ。今は両親がいないんだから、保護者である俺が注意するべきなのだろうか。まぁ俺も黒木にエロゲーをコピーして貰っている分際だから、あまり偉そうなことは言いにくいんだけどな。
 さて、どうしたものか。
 ……ピキーン! そうだ! 
 そういえば黒木にも妹がいたはず。もしあいつの妹がこの手のゲームを購入していたらどうするのか、それとなく聞いてみるのはどうだろうか。うむ、なにごとも情報収集が肝心だ。
 さっそく黒木の携帯電話にメールを送信。
『突然こんなことを聞いて悪いんだけどさ。もしお前の妹が内緒でエロゲーを買ってて、それをたまたまお前が見つけたとしたらどうするよ?』
 暫く待つ。
 返事が帰ってきた。
『断固脅迫する!!』
 お前に聞いた俺が三国一の大馬鹿だったぜ。まぁ所詮は黒木か。本当に糞の役にも立たない悪友だったな。
 さて、次の手を考えるかな。他にこんなことを相談できる相手といえば、やっぱり麗ちゃんくらいかな。いやいやっ、それだと勘の鋭い麗ちゃんに真帆奈の秘密がばれてしまうかもしれない。こんなことであの二人の友情にひびが入ってしまっては元も子もない。そうなると雫に相談するのもアウトだ。そもそもあいつは、この手のゲームを毛虫のように毛嫌いしているからな。……うーん、今さらかもしれないが、俺の交友関係の狭さがハッキリと露呈してしまう結果になってしまったぞ。
 そこで、俺のお腹の中の人がぐーと悲鳴を上げた。そういえば昼食の途中だったのだ。腹が減っては戦はできぬということで、俺はキッチンに戻って伸びたラーメンで腹ごしらえをすることにした。


「真帆奈さーん。ケーキ買ってきたんだけど一緒に食べないかー。お前の大好きなストレイキャッツのチーズケーキだぞー」
 ……反応なし。
 あの卑しん坊のことだから、ケーキにころっと釣られるだろうと思って買ってきのだが、俺の見通しは甘かったようだ。どうやらケーキ程度では惑わされないほどに、真帆奈の心の傷は大きかったみたいだ。
「真帆奈、部屋に閉じこもってないで顔を見せてくれよ。俺は全然気にしてないんだぞ」
 できるだけ優しい声でドアの向こうに声をかけてみたが、やはり返事はなかった。
「真帆奈、開けるぞー」
 意を決して部屋の中に入ろうとドアノブを回してみたが、押しても引いてもドアは開かない。
「あれっ?」
 ガチャガチャやってみたが無理だった。
 どうやらドアの前になにかを置いて、開けられない状態にしているようだ。
「真帆奈、開けてよ。ちょっと話があるんだけどさー」
 ドアをドンドンと叩いていると、俺の携帯電話がニャーと鳴いた。。
 真帆奈からメールだ。
『しばらく一人にしておいて……』
 そんなそっけのない内容だった。
 それを見てなんだかもの凄く心配になってきた俺は、真帆奈の携帯に電話をかけた。
 実際に顔を見て話せないことでも、電話越しでなら大丈夫かもしれない。
 プルル……ガチャ。
『おかけになった電話番号は、現在利用されていないか電波が届かない――」
 電源を切りやがった! 
 どうやら真帆奈は、完全に篭城するつもりのようだ。これはべつの手を考えるしかないな。
 俺は自分の部屋へと戻り、一人で作戦会議を行うのであった。


 あっ、という間に日は陰り夜が更けた。
 真帆奈はまだ部屋に閉じこもったままだった。せっかく作った夕飯の鳥の唐揚げも冷めてしまっていた。結局、一人で考えてみたところで名案など思いつくはずもなく、ただ悪戯に時を浪費するだけだった。妹が鬼畜エロゲーを購入していた事実を知ってしまった兄の対処方法など、どこのインターネッツを探して書いてないのだから仕方がない。
 藁にもすがる思いで某巨大掲示板にスレッドをそれとなく立ててみたのだが、

【ニュー速VIP+】 ちょっwww妹が鬼畜エロゲーを買ってやがったwww  

 1名前:名も無き地球外生命体
 妹が内緒で鬼畜エロゲーを買ってやがったのをさっき偶然見つけた。そしたら妹は部屋に閉じこもって出てこなくなった。めちゃくちゃ気まずい。俺はこの先どうしたらいいのかお前らも考えろ。

 2名前:名も無き地球外生命体

 こんなクソスレでもオレ様が2ゲット!!
  
 3名前:名も無き地球外生命体
 それってなんてエロゲーよ?

 4名前:名も無き地球外生命体
 引きこもってるからそんな妄想するんだ。社会へ出ろ!!

 5名前:名も無き地球外生命体
 糞スレ立てんな! さっさと削除依頼出しとけよ!

 6名前:名も無き地球外生命体
 マジレスすると、肛門に指を突っ込んでその匂いを嗅いでみろ。それですべて解決だ。


 こんな感じでまったく話にならなかった。
 これ以上真帆奈を待ってもきりがないので、仕方なく夕飯は一人で食べることにした。
 静かな夜だった。
 普段はうるさいほど真帆奈がしゃべるので、余計に静かに感じる。思えば一人で夕飯を食べるのなんて、初めての経験かもしれない。冷めた唐揚げもあまり美味しくなかった。
 あんなんでもいなかったらいないで寂しいもんだな……。今まで真帆奈が理不尽に怒って拗ねた(俺が珍しくバレンタインで義理チョコを貰った時とか)ことは何度もあったけど、部屋に閉じこもって出てこないなんて初めてだ。原因が原因だけに顔を合わせづらいのはわかるけどな。これで真帆奈が、引きこもりになってしまったらどうしよう。
 本日何度目かの溜息を吐いたところで、俺の携帯電話からG線上のアリアが奏でられた。
 電話の着信だ。
 真帆奈からかと思い、俺はマッハで携帯に出た。
「もしもし、真帆奈か!?」
『はぁ? 違うわよ、私よ』
 電話の主は雫だった。
「なんだ雫か……」
『なんだとはなによ。人がせっかく電話してあげたのにっ!』
「悪い。で、なんの用?」
『温泉の件なんだけどさー。部活の休みもありそうだし、私は大丈夫よ』
「温泉……なんの話だっけ?」
『昨日アンタがメールしてきたことでしょ! もう忘れたの!』
 あー、五月会のことか。昨晩、寝る前にメールしといたんだった。  
「そうだったな。思い出したよ」
『……ったく。ボケてんじゃないの?』
 悪いけど今はそれどころじゃないんだよ。
「それで、光も大丈夫なのか?」
『真帆奈ちゃんと一泊できるんだから、光は殺されてでも来るわよ。今から興奮して寝れないんじゃないかしら』
「そうか……」
 健気な話だ。ただ今のこの現状では、果たして真帆奈は俺と一緒に温泉へ行くと言うだろうか。もしも行かないと言った場合は、真帆奈を一人で家に残して行くのは論外なので、俺も温泉には行けなくなる。うーん、困ったことになったな……。
『なによ。元気ないわね。なんかあったの?』
「えっ、いや、べつになにもないけど……」
 待てよ。雫には光という弟がいるんだし、姉弟喧嘩をした場合の仲直りの方法とか聞いてみたらいいんじゃないか。兄妹とは微妙に関係が違うけど、なにかの参考になるかもしれない。
「いや、その……実はなんだけど。真帆奈とちょっと喧嘩みたいなことしちゃったんだよ。それで、あいつ、部屋から出てこないんだよ」
『あ〜……そういうことね』
「うん。それでなんだけど、なんか上手く仲直りする方法とかないかな?」
『いったいなにが原因なのよ?』
「えっ、そ、それは、ちょっと言えないんだけどな……」
『原因もわからないのにアドバイスなんかしようがないでしょうが』
 まったくの正論だった。
「いや、一般論でいいんだよ。雫と光が喧嘩した時は、どんな感じで仲直りしてるんだ?」
『私と光? まぁ昔はよく喧嘩したけど、最近はあんまりしないわよ。お互い忙しいしね」
「昔はどうっだったのさ?」
『えーっと、どうだったかしらね? うーん……次の日になったら普通に話してたと思うけど』
「……そんなに簡単なもんなの?」
『うちはそんなもんよ』
 なるほど。頭の中がプロテインでできているような姉弟の話を聞いても、なんの参考にもならないわけだ。
『だいたい私は前々から言ってんでしょ。アンタはいい加減にシスコンを卒業しなさいって』
「だから俺はシスコンじゃねーよっ!」
『シスコンよ。正真正銘のシスコン。そうじゃなかったら、ちょっと妹と喧嘩したくらいでそんな死にそうな声は出さないわよ』
 今の俺ってそんな声をしているのか?
『だいたいアンタたち兄妹って仲がよすぎるのよね。普通はそんなにベタベタしたりしないもんだんだから。まぁ仲がいいのはべつに悪いってわけじゃないんだけど。アンタたちの関係はちょっと異常よ。ものには限度ってもんがあるんだからねっ!』
 なぜだか知らないが、また雫のお説教が始まってしまった。
「お前がどこでなにを見たのかしらんけど、俺と真帆奈はそんなにベタベタしているわけじゃないぞ」
『嘘ばっかり。私は麗ちゃんから色々と聞いて知ってるんだからっ!』
 情報源は麗ちゃんだったのか。きっとあることないこと面白おかしく吹き込んでいるに違いない。
 そんな時であった。
「お兄ちゃん……」
 背後から思わぬ人物の声が聞こえてきた。
「うおっ! ま、真帆奈か!?」
 どうやら妹様が天岩戸から顕現なされたようだ。
「えっと……雫悪い。用事ができたんで切るわ」
『えっ、ちょっと待ちなさいよ! まだ話は――』
 途中で通話を切って電源もオフにした。
「誰と電話してたの?」
「……し、雫だよ」
「ふーん、そうなんだ……」 
 奇妙な沈黙がキッチンを支配する。 
 気まずい……。
「……そ、そうだ。御飯食べるか? 温めるよ」
「……その前に真帆奈はお兄ちゃんにお話があるんだよ。真帆奈の部屋に一緒に来てくれる?」
 当然、例のエロゲーの話だろう。
「わかった……」
 俺たちは真帆奈の部屋に移動した。
 これから先の展開がまったく想像できない。
 もはや行き当たりばったりでいくしかないようだ。
 クッションに腰を下ろして少し待っていると、真帆奈は例のアレを無言で俺の前に差し出してきた。
 これをどうしろと……?
「……ごめんなさい」
 真帆奈が蝶の羽音のようなか細い声で謝罪した。
「いや、べつにあやまることはないんだけどな。その……なんでこんなゲームを買ったんだ?」
「……ちょっと前に、お兄ちゃんの部屋でこういうゲームを見つけたんだよ。それで、真帆奈はお兄ちゃんがやっていることをどうしても知りたかったら、そのゲームをしてみたの……」
 えっ、黒木にコピーして貰ったエロゲーを勝手にやってたのかよ。
「本当はこんなことをしたらだめなのはわかってたの。でも、そのゲームをしていると真帆奈はすっごくドキドキして、そ、それで……」
 どうしても我慢ができなくなって自分で買ってしまったわけか。
「お兄ちゃんに隠しごとをしていてごめんなさい。本当のことを言ったらお兄ちゃんに嫌われちゃうって思ったから……それだけは真帆奈は耐えられないから……ご、ごめんなさいっ。ううっ……」  
 ついに真帆奈はうつむいて、グスグスと鼻を啜りながら泣き出してしまった。
 胸が痛かった。昔から俺は真帆奈の泣き顔を見るのが苦手なのだ。
「お、おい、泣くなよ。俺がこんなことぐらいでお前のことを嫌いになるわけないだろっ」
「ほ、ほんと……?」
「本当だよ。だいたい趣味なんて人それぞれなんだから、べつに気にする必要なんかないんだぞ」
 俺にも責任の一端がないとは言えないしな。そもそも人間は間違いを犯す生き物じゃないか。ついつい魔が差してしまうことくらい誰にだってあることなのだ。たかがエロゲーをやってるってだけの話だ。誰かに迷惑をかけたわけじゃないんだからな。兄である俺が妹を理解してあげないでどうするというのだ。
「お兄ちゃん……実はこんなゲームはこれだけじゃないの……」 
「えっ! ま、まだあるの……?」 
「うん……」
 真帆奈はすくっと立ち上がると、部屋の隅のカーペットをめくり上げた。なんと床下収納庫の扉が現れた。
「お兄ちゃん、真帆奈の秘密を全部知ったとしても、今までと変わらずに真帆奈のお兄ちゃんでいてくれる……?」
「あ、あたりまえだろ……お前は俺のたった一人の妹なんだから……」
 そんな妹を思いやる言葉とは裏腹に、俺の声は明らかに不自然に裏返っていた。脇の下からいやーな汗がじんわりと分泌する。床下から漂ってくる負のオーラがものすんごいのだ。これは藪の中からとんでもない大蛇が飛び出してくるに違いないぜぇ、と俺のゴーストが耳元で囁く。
「受け止めなさい、お兄ちゃん!」
 真帆奈はどこかの公国の姫様のように叫ぶと、床下収納庫の扉を開放した。
 そこから世界へと解き放たれた真実とは――。
「こ、これはっ!!」
 床下収納庫の中には、大量の鬼畜・陵辱ゲームがところ狭しと詰め込まれていた。新作から旧作までずらりと揃えられている。かなりショッキングなコレクションの数々だった。
 なんてこったい! ついつい魔が差したとか、ほんの気の迷いとかってレベルじゃねーぞっ! もう完全にドランカー状態の鬼畜エロゲーマーじゃんか!
「これでも真帆奈のことを嫌いになったりしない……?」
 真帆奈は瞳に淡い涙を湛えて言った。
 いくらなんでもこれはちょっと……。流石にこの手のゲームをこれほど集めるのは偏りすぎだと思う。せめて純愛系とか泣き系とかもやろうよ。
「お、お兄ちゃん……やっぱり真帆奈のことをいやらしい妹だって思ってるんだね。ううっ……」
「いやいや、思ってない思ってない! 俺はこんなことでは真帆奈のことを嫌いになったりしないぞ。たとえ世界中の人がお前を非難したとしても、俺だけはずっとお前の味方だ」
「……じゃあ、お兄ちゃんは真帆奈のことを受け止めてくれるんだね?」
 俺はこんなことで可愛い妹を突き放すような酷薄な兄ではないぞ。まぁ、少なからずドン引きしてしまったのは事実ではあるがな。
「もちろん受け止めるぞ。今も言ったけど、俺はなにがあってもお前の味方だからな」
「あ、ありがとう、お兄ちゃんっ!!」
 喜びのあまりその華奢な身体を震わせた真帆奈が、俺の胸に飛び込んできた。
「うわっ! おいおい……お前はいつまでたっても甘えん坊だな」
「うう……っ! ありがとう……ありがとう……お兄ちゃん……」
 俺は胸の中の大切な存在を優しく抱きしめて、黒髪を優しくナデナデしてあげた。
「ほらっ、もう泣きやみな。可愛い顔が台無しだぞ」
「もしお兄ちゃんに拒絶されたら、もう真帆奈は富士の樹海に永住しようって思ってたからホッとしちゃったよ……。ううっ……ご、ごめんね……」
 そんなに思い詰めてたのかよ! 拒絶しないで本当によかった……。
「簡単にそんな物騒なこと言うなよっ」
「うん、もう大丈夫だよ。……それでね。真帆奈はお兄ちゃんに折り入ってお願いがあるんだよ……」
「なんだ? この際だから遠慮しないで言ってみな」
「あのね。真帆奈はお兄ちゃんにご主人様になって欲しいんだよ」
 …………えっ? 
 聞き間違いかな。ご主人様がどうたらこうたらって聞こえてきたんだけど。ちょっと理解できないですね。うん、これは聞き間違いに違いない。つーか、頼むから聞き間違いであってくれ!
「ごめん、真帆奈。よく聞こえなかったからもう一回言ってくれるか?」
「お兄ちゃんに真帆奈のご主人様になって欲しいんだよ」 
 聞き間違いじゃなかったのか……。
「うーん……そのご主人様っていうのは、具体的になにをすればいいのかな?」
「お兄ちゃん、そんなに深く考える必要はないよ。真帆奈はただお兄ちゃんと繋がりが欲しいだけなんだから」
「兄妹なんだから充分に繋がりはあると思うけどな。家族ほど強い繋がりなんて他にはないんぞ」
「お兄ちゃん、真帆奈はそれよりももーっと強い絆が欲しいんだよ」
 真帆奈の瞳の奥には、強い意志の力が込められていた。
 どうやら冗談でこんなことを言っているわけではないようだ。
「強い絆とか言われてもなー。なぜそれがご主人様とやらになってしまうのだろうか?」
「それだったら、お兄ちゃん、真帆奈の恋人になってくれる?」
 こ、恋人!? いったいこの娘はなにを言っているんだ。これがゆとり教育の弊害なのだろか。
「兄妹が恋人になれるわけないだろ」
「ほらねっ、そういうことを言うでしょ。だからお兄ちゃんには真帆奈のご主人様になってもらうんだよ。これで全てが丸っと解決だね」
 いやっ、全然解決になってないから。だいたい説明しているようでなんの説明にもなってないよね。
「やっぱりちょっと意味がわからないですねー」
「うー! なんで意味がわからないの! お兄ちゃんは真帆奈を受け止めるって言ったはずだよ!」
「そんな逆ギレされても困るよ。意味がわからないものはわからないんだから」
「やっぱりお兄ちゃんは真帆奈のことを恥ずかしい妹だって思ってるんだね! きっと戸籍から抹消して赤の他人になりたいって思ってるんだよ!」
「そんなことはこれっぽっちも思ってないよ!」
「じゃあなんで真帆奈のご主人様になってくれないの!」
「だから意味がわからないからだよ。そんな必要性がいったいどこにあるのか理解に苦しむよ」
 ズガーンと電気ショックを受けたような表情をして、真帆奈は再び瞳に涙を溜めていく。
「お、お、お兄ちゃんに拒絶されたら、真帆奈はもう生きていけないよーっ!!」
 で、床に突っ伏してオイオイと泣き始めた。
「おいおい、泣くなよ。ご近所にも迷惑じゃないか……」
「うわぁぁーん!!」
 泣き声のボリュームが跳ね上がった。
 さて、俺はいったいどのような選択をすればいいのだろうか? 真帆奈はこのままでは納得しそうもないし、かといって軽々しくご主人様とやらになってしまっても後が怖い。つーか、これがエロゲーだったら間違いなく選択肢が出てくる場面だよな。 

1.『真帆奈のご主人様になる』
2.『真帆奈のご主人様になる』
3.『真帆奈のご主人様になる』
 
 出たよっ! 
 えっ、ちょっ、これ全然選択肢になってないじゃん! バグってんじゃねーの!?
「わ、わかったよ。真帆奈のご主人様になるよ。それでいいんだろ。だからもう泣きやんでくれよ」
 他に選択肢がないのだから仕方がなかった。
「ホントに?」
 あれっ、不自然なくらいピタッと泣きやみやがったぞ。
「うん、本当だけど……。でも、あれだぞ。ご主人様とやらになっても、おかしなことはなにもしないからねっ」
「や、や、やったよーっ!! ホントにお兄ちゃんが真帆奈のご主人様になってくれた! 全部麗ちゃんの言ったとおりになったよ! 麗ちゃん、すっごーい!!」
「えっ?」
「あっ!」
 なんか真帆奈が、聞き捨てならないことを口走ったような気がしたんだけど。確か麗ちゃんがどうたらこうたらとか……。
「おい、真帆奈。今なんて言ったんだ?」
「ほよ? な、なにかな? 真帆奈はなにもおかしなことは言ってないよ?」
 真帆奈は唇を尖らして、わざとらしく口笛を吹いている。
 つーか、お前、泣いてたんじゃなかったの? 今まで号泣していたような顔には見えないんだけどな。なんだろう。もの凄い違和感を感じる。
「そ、そんなことよりも、お兄ちゃん。気が変わらないうちにこれにサインして欲しいよ」
「サイン……? いったいなんのサインが必要なの?」
 真帆奈は、机の引き出しから一枚の書類を持ち出してきた。
「ここがお兄ちゃんがサインするところだから。それと拇印も一緒に押して。早くしてして」
 名前を書く欄を指差してくる。その欄の下には、すでに真帆奈のサインと拇印がしてあった。
「待ってよ。なんの書類なのかちゃんと読ませて――」
「読むのは後でいいの! まずはサインしてからなのーっ! はーやーくー!!」
「ちょ、なんで読ませないんだよ!」
「うー! ご主人様になってくれるって約束したのに、舌の根も乾かないうちにもう真帆奈を裏切るつもりなのっ!!」
「なんでまた逆ギレするのさ! 意味がわからないことの連続だよ!」
 どう考えても、ご主人様に対する接し方とは思えなかった。
「いいから早くサインしてっ!」
「わ、わかったよ。もうっ、しょうがない奴だな……」
 真帆奈の剣幕があまりにも凄かったので、俺は勢いに負けてサインをしてしまった。
 まぁどうせたいした内容ではないだろうし、後で適当に確認しておけばいいかな、とこの時の俺は致命的に楽観していたのだ。もちろん、すぐに後悔することになった。
「こ、これでお兄ちゃんは、正真正銘に真帆奈のご主人様になったんだね。ま、真帆奈は猛烈に感激しているよっ!!」
 真帆奈は、ひしっとその書類を大切そうに抱きしめた。
「で、それはいったいなんだったの?」
 向日葵のような満面の笑顔で、真帆奈が書類を差し出した。
 それを一通り目を通した俺は、戦慄した。

『奴隷誓約書』
 
 私こと、乙(乃木真帆奈)は、ご主人様である、丙(お兄ちゃん)の忠実なる性奴隷として、健やかなる時も病める時も永久にご奉仕することをここに誓うからね♡

 1. 乙は丙の命令に対して絶対服従なので、いつでもどこでもどんなエッチな命令だってしてもいいのだ。
 2. 乙の肉体の所有権は丙に譲渡しているので、いつでもどこでもどんなエッチなことだってしてもいいのだ。
 3. 乙が誓約に反するような行為を行った場合は、丙は乙に対してすっごいエッチな罰を与える権利を保有しているのだ。
 4. 丙は好きなように誓約の内容を追加することができるので、乙にやらせたいエッチことを色々と考えて付け足してもいいのだ。
 5. 仮にこの誓約書が物理的に破棄されたとしても、誓約の効力は関係なく永久に持続するので、乙に無断で捨てたりとかしても無意味なのだ。

 ナ、ナンデスカコレハ?
 ちょ、ちょっと待つのだ! いったい奴隷誓約書ってなんなの!? 兄妹だというのに! 国連で採択された世界人権宣言で、奴隷制度は禁止になってるんだからねっ!
「これは真帆奈が大切に保管しておくよ」
 俺の手元にあった奴隷誓約書が、ささっと真帆奈に奪い取られた。
「……それはなにかの冗談だよね?」
 そうだ。これはちょっと遅いエイプリルフールに違いない。こいつは昔っから少々思い込みが激しかったからな。ま、まさかこれは本気なわけがないだろ……ハハハ……。
「冗談なんかじゃないよ。たった今からお兄ちゃんは、真帆奈の正式なご主人様になったんだからね。ちゃんとその自覚を持って、お兄ちゃんが理想とする性奴隷になるように真帆奈を調教しないとだめなんだからね」
「……」
「不束者ですが、これからも末永くよろしくお願い致します」
 真帆奈はビシッと正座をすると、三つ指を立ててお淑やかにお辞儀をした。見た目だけはいいので、その姿は実にさまになっている。言ってることは無茶苦茶なんだけどな。
 で、猫科の動物のようにギランと瞳の奥が光ると、しなやかに全身を躍動させて俺の胸にダイビング。
「これで真帆奈とお兄ちゃんの主従関係は成立だよ! お兄ちゃん、だぁ〜い好きだからねっ! うにゃー、真帆奈のご主人様〜っ!!」
 俺の胸の中で無邪気に喜ぶ真帆奈を見ていると、なんかもうどうでもよくなってきたよ。少なくとも泣いているよりはましだ。
 そして、俺は大部分が諦念で構成された溜息を吐いた。

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