ここは某巨大掲示板のSS職人であるチョ ゲバラのエロSSの保管庫です。現在、君の名は、ソードアート・オンライン、ラブプラス、けいおん、とある魔術の禁書目録、ペルソナ4、To LOVEる とらぶるのエロ小説が保管されています。

episode7 「永遠が望む君」



「真帆奈、さっさと出てきなさい。本当に遅れちゃうぞー」
 俺――乃木涼介は、早朝からトイレに籠城したアホな妹――乃木真帆奈に声をかけた。
「う〜……」
「う〜、じゃないから」
「うにゃ〜……」
「言い方を変えろって言った覚えはないから。つーか、お前がなにをしたいのかさっぱりわかんないよ」
「なにを言っているのお兄ちゃん! お兄ちゃんは真帆奈と離れ離れになってもいいというの!?」
「だから、それは散々話し合っただろうが……」
「ちょーっとお話しただけで、お兄ちゃんは真帆奈を簡単にヤリ捨てにするつもりなんだね! 大切な妹のことをいったいなんだと思っているの!」
「なにもヤッてないですから! 人聞きの悪いことを言うのはやめて!」
「ま、真帆奈は……お兄ちゃんと離れ離れになったら、もう生きていけないよーっ! わーん!」
 全然聞いてないし。
「あのなー。離れ離れとか言っても、たかが三日間だけの話だろうがっ!」


 六月である。
 憂鬱な中間テストが無事に終了し、真帆奈の中学校は修学旅行へ行くことになった。三泊四日の京都の旅である。中学生が寺巡りなんかしてなにが楽しいんだよって話だが、友達とワイワイしながら旅行をするのはいい思い出になる。が、真帆奈は早々に修学旅行へは行かない宣言をした。
「真帆奈がいない間、お兄ちゃんの性処理はいったい誰がするというの!」
 というのが主な理由だった。
 妹にそんな処理を頼んだ覚えは一度もないのだが、俺は怒りに身を任せず気長に説得を試みた。数日後、硬軟合わせ持つ説得工作が功を奏したのか、真帆奈は渋々俺の言葉を聞き入れ宣言を撤回した。一安心したよ。
 ところがだ。修学旅行出発当日、低血圧の妹を叩き起こして俺主導で旅行の準備を進めていた矢先に、真帆奈はトイレに閉じこもって再び修学旅行へは行かない宣言をした。
 なんでも怖い夢を見たらしい。
「京都は危険だよ! 絶対防衛線が突破されて地球外起源種に制圧されてしまうんだよ! 真帆奈も麗ちゃんもそいつらに生きたまま食べられちゃうよーっ!!」
 どうやら前日に見た某アニメの影響を受けてしまったようだった。
 まぁ、そんなこんながあって冒頭のやり取りに続くわけだ。


「三日もお兄ちゃんと会えないなんてこの世の地獄だよ! 生き地獄だよーっ! わーん!」
 トイレの中でオイオイと泣く真帆奈。
 面倒臭いことになってしまった。またしてもこのアホを説得するのは激しくうんざりなのだが、早くしないと修学旅行のバスが出発してしまうかもしれない。残された時間は限られていた。
「だからメールでも電話でも好きなだけしてくればいいじゃないか」
「メールや電話で体液の交換はできないよ!」
「たとえ修学旅行には行かなくてもそんな交換はしねーよっ!」
 せっかくセカンドシーズンが始動したというのに、うちの妹は相変わらずで本当に困ったものだ。さて、どうしたものか。トイレに籠城されてしまっては、こちらからはなにも手が出せない。アホをトイレから誘き出すなにか上手い手はないものだろうか。
「ところでお兄ちゃん。真帆奈は折り入って聞いて欲しいことがあるんだよ」
 不自然にピタっと泣きやんだ真帆奈が言った。
「……なに?」
 どうせ碌な話じゃないのはわかっていたが、一応聞いてみることにした。
「ゲッター2を作ったらハイブ攻略だって簡単な話だよ! ちまちま戦術機なんか作ってる場合じゃないよ!」
「物語の設定を根底から覆すような屁理屈を言ってんじゃねーっ!」
 なっ、俺の思ったとおりだったろ。
「そんな馬鹿なことばっかり言ってないでさっさと出てこいよ!」
「嫌だよ! 真帆奈はお兄ちゃんとずーっと一緒だよ!」
 やれやれ。また振り出しに戻ってしまったな。
 ピンポーン。
 俺が自分の無力感に歯噛みしていたところで、インターフォンが鳴った。
「ほらっ、麗ちゃんが迎えに来たじゃないか。早く出てこないと麗ちゃんに怒られるぞ」
「麗ちゃんは、真帆奈の良き友人であり、志を共にする仲間であり、理解ある協力者だよ。きっと真帆奈を支持してくれるよ」
 どこかで聞いたような台詞だったが、もういちいちツッコミは入れずに俺はインターフォンに出た。
『おにーさん、おはようございます。麗で〜す』
 予想どおり麗ちゃんだった。朝から元気いっぱいの挨拶だ。
「おはよう、麗ちゃん。今、ちょっと面倒なことになってるから、悪いけど中に入ってくれるかな。ドアは開いてるから」
『面倒なことですか。わかりました』
 すぐに麗ちゃんは、推定88センチのバストをゆっさゆっさと揺らしながらやってっきた。
 これほど巨大な物体を胸に装備していながらも、彼女――秋山麗はうちの妹と同じ中学二年生だ。容姿も非常に大人っぽく、泣きぼくろがとてもよく似合うお色気たっぷりな美少女である。
「面倒なことって、いったいなにがあったんですが?」
「実は今朝になって真帆奈が修学旅行には行かないとか言ってゴネだして、トイレに閉じこもったんだよ」
「あらっ、それは確かに面倒なことになっていますね」
「そうなんだよ。うちの妹は本当にアホでバカで……。申しわけないんだけど、麗ちゃんからもなにか言ってあげてくれないかな?」
「だいたいの事情はわかりました。私にお任せくださいっ」
 流石、麗ちゃんだ。頼りになるぜ。
「真帆奈、話は聞いたわよ。本当に修学旅行には行かない気なの?」
 麗ちゃんは、トイレに向かって話かけた。
「麗ちゃんなら真帆奈の気持ちを理解してくれるはずだよ」 
「気持ちはわからなくはないけど、たった三日くらい我慢なさい」
「三日もお兄ちゃんと会えないなんて、真帆奈には我慢できることじゃないよ。ひとりエッチをたった三日くらい我慢できない麗ちゃんと同じだよ」
「私はそれくらいなら我慢できます!」
「それは嘘だよ。なにがあっても絶対に毎日かかさずしていることを三日も我慢できるわけないよ」
「毎日はしてないわ! 失礼なことばっかり言わないでちょうだい!」
 なんかいきなり話が脱線しているような気がする。
「おにーさん、本当ですよ! 毎日はしてませんからね!」
「う、うん……」
 俺に言われても困るんだけどな。
「そんなことよりもお兄ちゃん。真帆奈は折り入って聞いて欲しいことがあるんだよ」
 またかよ。
「どうでもいい話なら、もう聞きたくないから」
「どうでもいい話じゃないよ。真帆奈たちの今後に関しての重要なお話なんだよ」
「全然、信用できないところが凄いな」
「少しは自分の妹を信用して欲しいよ」
 日頃の行いが悪すぎてとても無理だけど、話の構成上どうせ最終的には聞かなきゃいけないことになるんだろな。
「時間がないから手短だったら聞いてやってもいいぞ」
「なんだかんだ文句は言っても最後はやっぱり聞くんだね。お兄ちゃんは、ツンデレの鑑だよ」
「できるだけ文字数を少なく抑えるためだ。いいからさっさと言えよ」
「この小説がアニメ化されたら、真帆奈の声は名塚佳織さんにやってもらおうと思っているよ! だから今のうちにスケジュールを押さえておいて欲しいよっ!」
「そんな露骨なメタ発言で受けを狙おうとしないで! しかもそんな上から目線でッ!」
 だいたい名塚さんは、今まで汚れ仕事をしていない純粋培養型の声優なんだぞ! 今さらお前みたいな汚れヒロインの声なんかするわけないだろ!
「オープニングはブレンパワードみたいな感じでいいよ」
「そんなの地上波で放送できねーよ!」
「これからのアニメは、地上波でももっと乳首券を発行していくべきだよ。DVDで修正なんて邪道だよ」
「そこは大人の事情があるんだから少しは察しろよ!」
「ちなみに、お兄ちゃんの声は若本規夫さんで決まりだね」
「俺ってそんなネタキャラだったの!?」
「なにか不満でもあるの?」
「高校生が音速丸の声とかおかしいだろ! いくらなんでも適当にキャスティングしすぎだぞ!」
「だったら石丸博也さんでいいよ」
「ジャッキー・チェンの中の人じゃねーか! 石丸さんの声は若く聞こえるかもしれないけど戦中の生まれの人だから! ベテランすぎてとてもこんな小説の声なんかオファーできないよ!」
 だいたいアニメ化そのものがありえない話だからな。前提からすでに間違えている。
「でも実は真帆奈は、本当はアニメ化なんかしなくてもいいって思っているんだよ」
「それはそれでまた生意気な発言だな。なんでだよ?」
「もしそれで蛆壺屋に目をつけられでもしたら、どんな酷い内容の薄い本を書かれるかわかったもんじゃないよ!」
「特定の同人サークルをあからさまに毛嫌いするのはやめろ!」
「おにーさん、少し落ち着いてください。真帆奈の術中にはまっていますよ」
 横から麗ちゃんに言われて、俺はハッと気がついた。これでまた貴重な時間を浪費してしまったのだ。
「くっくっくっ……」
 トレイの中からしてやったりの忍び笑いが聞こえてくる。
 く、悔しい……。
「ごめん。つい我を忘れてしまったよ」
「わかりますよ。ボケられたらツッコまずにはいられないのがツッコミ職人の性ですからね。でも、できれば私にはべつのものを突っ込んで欲しいです」
 なぜか上目使いで意味深な発言の麗ちゃん。
 いったいなにをツッコむというの?
「善処するよ……」
「ところで私にちょっといい考えがあるので、耳を貸してもらえませんか?」
「いいよ。なにかな?」
 俺は麗ちゃんに耳を差し出した。
「はい。実はですね――ペロリ……」
「のわっ! ちょ、ちょっと麗ちゃん! なんで耳を舐めるの!?」
「すみません。ついついやってしまいました。テヘッ♡」
「ついついじゃないでしょ! 舐めるのは禁止なんだからねっ!」
「もうしませんから、改めて耳を貸してください」
 俺は恐る恐る耳を差し出した。
「実はですね……ゴニョゴニョゴニョ……」
「ふむふむ……なるほど」
 麗ちゃんの話の内容を簡単に説明するとこうだ。

 俺と麗ちゃんが演技でいちゃつき始める。
 ↓
 真帆奈が引っかかってトイレから飛び出してくる。
 ↓
 ポケモン、ゲットだぜーっ!
 ↓
 ウマーヽ(´ー`)ノ。

 実に単純明快な作戦だった。
 いくらうちの妹がアホとはいえ、こんなブービートラップに引っかかるだろうか? しかし、他になにか対案があるわけでもなく、この作戦でいくしかないのが現状だった。
「わかった。その作戦でいくことにしよう」
「了解です。では時間もないのでさっそく始めましょう。おにーさん、お願いします」
「うん……」
 なぜに朝っぱらからこんなことをしないといけないのか大変に疑問だが、俺は気持ちを切り替えてシナリオどおりに小芝居を始めることにした。
「ど、どうやら真帆奈は出てくる気はないようだなー。これはもう諦めるしかないのかなー(棒読み)」
「そうですね」
「ところで麗ちゃん、最近またおっぱいが大きくなったんじゃないかな?(棒読み)」
「えっ……お、おにーさん、急になにを言うんですか? 恥ずかしいです」
「そんなに恥ずかしがらないでいいじゃない。どれどれ、おにーさんが確かめてあげよう。ちょっと向こうに行こうか(棒読み)」
 ちなにみこの台詞は、俺が考えて言ってるんじゃないよ。麗ちゃんのカンペどおりに読んでるだけだからな。誤解しないように。
「急にそんなことを言われても困ります。できれば真帆奈がいない時にしてください」
「真帆奈はトイレから出てこないから大丈夫だよ。すぐに済むから。さぁ、早くこっちにおいで」
「ほ、本当に困ります。きゃあっ! お、おにーさん、本当に駄目です! そ、そこは……はぁんっ!」
「ウホッ! 柔らかいな〜。まるでマシュマロのようだぜぇ。麗ちゃん、この中にはいったいなにが詰まっているのかな〜。正直に言ってみな〜。ハァ、ハァ……」
「あんっ! い、いやっ、そんなに揉んだら……ミ、ミルクが出ちゃう……」
 しかし、なんだかなー。朝からどんだけ発情してんだよ。流石にこんなアホな小芝居では、うちのアホな妹ですら騙すことはできないだろう。常識的に考えて。むしろ、俺がこんな変態キャラだと思われている方が侮辱的だ。
「ダ、ダメーーッ! お兄ちゃん、おっぱいなんてしょせんは脂肪の塊なんだよ! 偉い人にはそれがわからないんだよーっ!」
 あっさり出てきやがったよ。
「アホかーっ!」
 俺は素早く真帆奈の首根っこをひっ捕まえた。
「んにゃーっ!」
「ゲットですね」
 麗ちゃんがニッコリ笑顔でピース。
「な……っ!? ま、真帆奈を騙したんだね!」
「作戦は成功したけど無性に腹が立つわ」
「最愛の妹を陥れるような真似をして、いったいなにが楽しいというの!」
「うるさい黙れ。さっさと学校に行く。それじゃあ麗ちゃん、後は頼んだからね」
「お任せください。さぁ、真帆奈行くわよ。後で覚悟しておきなさい。ふっふっふっ」
「酷いよー! こんなのインチキだよーっ!」
 さてと、これで安心だな。巣からノコノコ出てきたこいつなど、赤子の手をひねるよりも簡単。後は鞄を持たせてと……あれっ? なんだこの鞄。えらい重いぞ。しかも、パンパンに膨れ上がっている。昨晩はこんな状態じゃなかった。下着類以外は全部俺が用意したから知っているのだ。とても嫌な予感がする。
「……真帆奈、なにかよからぬものを鞄の中に入れただろ」
「えっ……な、な、なにを言っているの、お兄ちゃん。真帆奈がそんなことをするわけないよ……」
「だったら中をチェックするぞ」
「だ、だめだよーっ! いくらお兄ちゃんでも勝手に妹の鞄を開けるなんてルール違反なんだよ!」
「勝手にじゃないから。今、許可を取ったからな。麗ちゃん、ちょっとそいつを押さえておいて」
「了解で〜す」
 ビシッと海軍式の敬礼してから、麗ちゃんは真帆奈を羽交い絞めにした。
「あーん! 麗ちゃん、後生だから離してーっ! お兄ちゃん、鞄の中は絶対に見たらだめなんだよ!」
 もちろん往生際の悪い妹は放置して、俺はおもむろに鞄を開放した。
 中から飛び出してきたものは、パンツ、パンツ、パンツ。大量の俺のパンツだった。 
「てめーっ! なんで俺のパンツがこんなに入ってんだよ! 途中でコインランドリーにでも寄る気か!」
 奥の方には、俺のシャツやパジャマや枕カバーまでもが目一杯詰め込まれていた。
「それは三日間のお兄ちゃん分の補充にどうしても必要なんだよ! 世の中には必要悪ってのが存在するんだよ! 綺麗事だけではなにもやっていけないんだよ!」
「ふざけるな! ふざけるな! バカヤロー!」
 スティンガーをぶっ放した後のような心境だった。
「これは全部没収だ!」
「そんなのないよー! せっかく苦労して集めたお宝なのにーっ!」
「俺は今日ほどお前が妹で恥ずかしいと思ったことはないよ」
 さっさと鞄の中から汚れ物を取り出した。鞄の中身はだいたい半分くらいになった。どんだけ密輸するつもりだったんだよ。まったく。
「麗ちゃん、お待たせ。じゃあ、本当に後は頼んだからね」
「わっかりました。それでは行って参ります。お土産、楽しみにしていてくださいね」
「おにー! あくまー! 兄でなしー! わーん!」
 号泣する真帆奈は麗ちゃんに襟首を引っ張られ、ズルズルと子牛のように連行されて行った。ドナドナのBGMがあるならぜひ流してやって欲しい。
 ようやく一仕事が終わり、俺はホッと一息吐いた。
 これで三日間、この家は俺一人になる。うるさいのがいないので、さぞや静かなことになるだろう。これは神様が与えてくれたご褒美なのかもしれないな。せいぜい有意義に羽根を伸ばすことにしよう。
 そんなわけで登校の時間にはまだ余裕があるので、俺はゆっくりと朝食を取ることにした。


 その日、我がクラスは震撼した。
 そのおみ足の太さからドムの愛称でクラスのみんなから愛される大山由香里が食中毒で入院したのだ。
「まさかっ、あの鉄人大山が食中毒などありえない!」
「あの豚一頭食いの大山が……なにかの間違いではないのか!?」
 大山の早食いと大食いの名声は、他県にも轟くほどである。鋼鉄の胃袋を持つと謳われる大山の霍乱は、誰もが信じられない出来事であった。
「お前らも知ってのとおり大山が食中毒で倒れた。これは由々しき事態である。関係者各方面から昨日の大山の足取りの情報を収集したの聞いて欲しい」
 教壇に立ったクラス委員長の野津恋愛が、軍人のようによく通る声で発言した。
 隣のクラスに当然のようにゴスロリファッションで登校する双子の妹を持つ委員長の野津さんだが、その妹に負けず劣らず彼女もちょっとした変わり者だったりする。
「本日0030時、大山は小腹が空いたと母親に伝え、自転車ですき家に向かう。0050時、すき家に到着。同時、メガ盛りととん汁三点セットを注文。0105時、完食。0115時、ローソンに寄りLチキとからあげクンを購入。0120時、店の外で完食。0130時、帰宅。大山はそのまますぐに就寝するが、0300時、再び起床して冷蔵庫を漁り、半年前に韓国で購入したキムチをあるだけ完食。0400時、母親に極度の腹痛を訴える。0410時、救急車に乗り病院へ搬送。以上だ」
 ちょっとじゃなかった。かなりの変わり者だな。
 ちなみに委員長はサラサラの黒髪をショートカットにしており、宝塚の男役でも務まりそうなクールビューティーだ。
「まだ正確な情報を得てはいないが、韓国で購入したキムチから未知のバクテリアが検出されたとの報告があるようだ。お前らもキムチにはくれぐれも気をつけるように」
 いったいどこでそんな情報を集めているのだろうか? 激しく謎だ。
「そこでだが。大山がしばらく学校を休むことになるので、図書委員に空きができてしまった。よって今から大山の代理の図書委員を決めたいと思う」
「ええー!」
「マジかよー!」
 教室に不満たらたらの声が沸き起こった。
 好き好んで誰も図書委員などやりたくないのだ。
 高千穂学園図書館は、地上三階、地下一階の建物である。
 延床面積は約三千平方メートル、蔵書数は約三十万冊を数え、平日には学生以外の一般人にも開放され、貴重な市民の憩いの場所となっている。
 何名かの専従の職員はいるが、それだけでは人手は足りず、中等部及び高等部の各クラスからニ名ずつ選出された図書委員の役割は非常に大きい。週に一度のペースで回ってくる図書委員の当番日では、図書の整理や受付カウンターでの業務、館内の美化などを主に行うことになる。
 そして、このクラスのニ名の図書委員というのが、俺と食中毒で散った大山さんだったというわけだ。
「静まれッ!」
 委員長が一喝した。
 教室はシーンと静まり返った。
 みごとな統率力だ。俺にもこれくらいの威厳があれば、アホな妹のコントルールをもっと簡単にできそうだ。素直に見習いたい。
「不満を口にしても仕方がないだろう。大山が抜けた穴はクラスの仲間でカバーしなければならないのだ。確かに図書委員は大変かもしれないが、この経験が社会に出た時に役に立つかもしれない。もっと前向きに考えてもらいたい」
 男前な発言の委員長。
 横で置物と化している担任教師がウンウンとうなづいている。
「それではこれよりくじ引きを実施するが、その前に志願者を募ろうと思う。
誰か我こそはと思う勇敢な若者はいないか!」
 なんか特攻隊員でも求めているかのようなもの言いだが、募集しているのはただの図書委員だからな。
 クラスの空気は、そんなもの好きはいないからさっさとくじ引きやれよって感じだ。そりゃそうだろう。わざわざ火中の栗を拾うような馬鹿はいない。ある者はとばっちりを恐れて目を背け、またある者は我関せずにメールのチェックに勤しんだりしている。
 そんな弛緩した空気の中だった。
「はい」
 一人の眼鏡の少女が静かに手を上げた。
 我が学園が誇る最大最強して史上最高のアイドル――東郷綾香であった。
「ふむ。東郷か。お前は本当に図書委員に志願するのか?」
「はい。立候補します」
 ざわざわ……。
 教室に不穏な空気が漂い出す。
「なぜ東郷さんが……」
「まさか乃木か? 乃木がいるからなのか……?」
「あの二人……最近、ちょっと怪しいって思ってたのよね」
 複数の嫉妬や好奇に満ちた視線が俺の身体に突き刺さる。
「ウギギギ……」
 聞き慣れた歯ぎしり音まで聞こえてくる。
 言わずもがなの人だろう。どうせ後で出てくるだろうから、あえて名前は明かさないことにする。
「よろしい。東郷ならばこの大役をつつがなく遂行することができるだろう。
他に志願者はいないようなので、大山の代理は東郷に決定する。乃木と東郷の両名は、ホームルーム終了後、図書委員会に赴いてくれ。私からは以上だ。先生、他になにかありますか?」
「……ないね」
 レム睡眠に入ろうとしていた担任教師が寝言のように呟いた。
「わかりました。それでは本日の午後のホームルームはこれで終了する。起立ッ! 礼ッ! 解散ッ!」
 というわけで、今日はこれから図書委員会があるのだ。
「乃木くん、それじゃあ行きましょうか」
 風になびくようにエアウェーブした長い黒髪が今日も素敵な東郷さん。本日は暁美ほむらみたいなメガネをしている。とてもよく似合う。伊達メガネなんだけどね。
「えっと……東郷さん、図書委員になっちゃって本当によかったの。仕事の方が忙しいんじゃないのかな?」 
「そっちの方はようやく一息ついたところよ。後はサブキャラのあのシーンを書くだけだから」
 彼女は現役女子高生でありながら、エロゲーライターを副業にしているのだ。なぜそのように荒ぶられるのか? お金には困ってないと思うんだけどね。
「それに図書館の仕事にも少し興味があったのよ。乃木くんがいるなら安心ね。わからないことがあったら色々と教えて欲しいわ」
「なるほど。そのチャレンジ精神は実に感心だな」
 俺と東郷さんの会話に割り込んできたのは、委員長の野津さんだった。
「あら、委員長」
「東郷、今日はお前が大山の代理を快く引き受けてくれて助かったぞ。クラス委員長として改めて礼を言わせてもらいたい」
「その必要はないわ。自分で決めたのことなのだから気にしないでちょうだい」
「そうか。殊勝な話だな。私も見習わなければならない。乃木は東郷のようなできた女が恋人で幸せ者だな」
 委員長が唐突にとても爆弾な発言。
「ちょ、委員長! 俺と東郷さんはべつに付き合ってるわけじゃないから!」
「なんだ。お前たちは付き合ってなかったのか?」
「そ、そうだよ。ねえ、東郷さん」
「そうね。確かに厳密に言うとそういう関係ではないわね」
「ふむ。そうだったのか。最近お前たちはよく一緒にいるようだから、てっきり付き合っているのかとばかり思っていた。いやっ、変な勘違いをしてすまなかったな」
 クラスの連中がまだ教室に残って聞き耳を立てている時に、そんな空気を読まない発言は控えて欲しい。また親衛隊に拉致監禁されてしまうではないか。
「そうか……しかしそれならまだ愛恋にもチャンスはありそうだな……」
 野津さんがなにかボソボソと小声で呟いた。
「えっ、なんて言ったの?」
「こちらの話だ。気にしないでくれ」
 なんて言ったのだろうか?
「あーっ!! 乃木さん、見つけたーっ!」
 とても奇抜なゴスロリワンピース姿の少女――野津愛恋が教室の中に飛び込んできて容赦なく叫んだ。
「乃木さん乃木さんーっ!」
 で、こちらに向かって突進してくる。
「まだ学校にいてくれてよかったよぉー。積もる話がいっぱいあるのに、乃木さんったらホームルームが終わったらすぐに帰っちゃうんだもん。一時は避けられてるのかと思ったんだから。でも今日はもう絶対に帰さないからねっ! 同じ犬を愛する者同士、もっと親睦を深め合うべきだよぉー!」」
 この世でもっとも犬を愛する女――野津愛恋。
 以前に彼女の犬を助けたことがきっかけで、どうやら俺は同類と思われたらしく、以後彼女から大して興味のない犬の話を永遠と聞かされる羽目になった。一時は避けられているのかと思っていたらしいが、実際にできるだけ避けていたのだ。緊急避難だと思ってくれ。
「やぁ、野津さん、久しぶり……」 
「もうっ、乃木さんったら。野津さんだなんてそんな他人行儀だよぉー。お互い犬に命を捧げた同志なのに。愛恋って呼んでっていつも言ってるでしょ。お姉ちゃんがいるとややこしいことになるんだから――って、あれっ、お姉ちゃん、いたの? あっ、東郷さんまでいる!」
 愛恋は、今頃になって東郷さんと自分の姉の存在に気がついたらしい。
「こんにちわ、愛恋」
「ヤッホー。東郷さんはいつ見てもベルジアン・グローネンダールみたいで綺麗だよね。羨ましいなぁー」
 俺から見ると、愛恋もかなりの美少女の分類に入ると思うよ。
 長い黒髪をツインテールにし、双子の姉とそっくりな綺麗な顔を持つ。が、姉とは違って表情が柔和でちょっと舌っ足らずな話し方をするので、その服装も相まって姉妹で随分と違う印象を受ける。パッと見では誰も双子とは気づかないほどだ。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ。愛恋もキャバリア・キング・チャールズ・スパニエルみたいで可愛いわよ」
「私なんてそんなに可愛くないよぉーっ! もうっ、東郷さんったら褒めすぎ!」
 よほど嬉しかったらしく、愛恋はきゃっきゃっとえらい喜びようだ。
 二人は犬の種類かなんかのことを言ってると思うんだけど、犬に例えられてそんなに嬉しいものなのだろうか?
「私なんか全然駄目だよぉー。東郷さんはマンチェスター・テリアみたいにスマートなのに、すっごいボンッキュッボンッだもん。ねぇねぇ、東郷さん。いったい普段からなにをしたらそんなにナイスバディになれちゃうの?」
「そうね。これと言って特に変わったことはなにもしてないわよ。たまに散歩するくらいかしら」
「散歩! 私なんて毎日うちの子たちの散歩をしてるのに、全然東郷さんみたいにはならないよ。はぁ……やっぱり遺伝の問題なのかなぁ……」
 自分の胸に手をやりつつ、愛恋は自分の姉の胸にも視線を向けた。
 この双子の姉妹は、それほど大型の幸せ兵器を保有しているわけではない。だいたい見た感じBカップくらいだろうか。
「愛恋、馬鹿なことばかり言ってるんじゃない。そもそもよそのクラスに入って来て騒ぐな。鬱陶しい」
「なによぉー。べつにいいじゃない」
 姉に叱られて口を尖らせるゴスロリ少女。
「よくない。それで、お前はいったいなんの用なのだ」
「あっ、そうだ。とっても大切な話があったんだ。乃木さん、聞いて! 実はうちの愛染明王が子供を生んだのよぉー!」
 愛染明王とは、彼女の飼い犬のコーギの名前だ。先日彼女から送られて来た写メにコロコロと可愛いのが三匹も写っていた。
「ああ、写メ見たよ。凄く可愛かったね」
「そうなの! もう天使みたいでチョー可愛いの! でね、今日はぜひ乃木さんと東郷さんに新しい家族を紹介しようと思って迎えに来たんだよぉー」
「……」
 驚くべきことに、彼女の家に連れて行かれることはすでに決定しているらしい。
 まぁ生まれた子犬を見るだけならべつに構わないのだが、その後、『私が愛する犬』についての独演会が始まってしまうのは避けられないからな。できることなら遠慮したいミッションだ。
「今日は無理だ。乃木と東郷はこれから図書委員会に出ることになっている」
 俺の代わりに委員長が答えた。
「そ、そうなんだよ。これから図書委員会があったんだ。野津さん、ごめんね。そういうわけだから今日は無理なんだ。いやー、残念だなー」
「えー、そうなんだ。せっかくうちの子たちの将来について語り合おうと思ってたのに。ショックだよぉー」
 危ない危ない。
「愛恋、わがままを言うな。犬はいなくなったりしないのだから、いつでもいいだろ。乃木、そろそろ行かないと本当に遅れるぞ」
「そうだね。じゃあ行こうか、東郷さん」
「そうね。愛恋、今度ゆっくりと子犬に会わせてもらうわ」
「きっとだよぉー」
 ウルウルと瞳を潤ませている愛恋を後にして、俺と東郷さんは図書委員会に向かうことにした。ちょっと可哀想だけど仕方がない。運が悪かったと思って諦めてもらいたい。
 そんなわけで、これにて野津姉妹の出番は終了だ。


 図書委員会が無事終了し、俺と東郷さんは帰宅することになった。
 図書委員会は、近来稀に見る盛り上がり方だった。主に男子どもが。
「みんな面白い人たちばかりなのね」
 下駄箱で靴を履き替えながら東郷さんが言った。
「まさか東郷さんが来るとは誰も思ってなかったはずだから、ちょっとしたトランス状態に陥ってしまったんだと思うよ」
 特にA組のモブ山くんとD組のモブ川くんなんかは、薬物を直接血管に投入したくらい興奮してたからな。改めて学園での東郷さんの人気を垣間見た気がするよ。
「でも根は悪い奴らじゃないからね。すぐに慣れると思うし、ちょっとだけ長い目で見てあげて」
「そうね。ところで乃木くん、今日から真帆奈ちゃんは修学旅行でいないのよね」
「そうだけど……あれっ、東郷さんにそのこと話したっけ?」
「麗ちゃんから聞いたわ」
「そ、そうなんだ……」
 うん。べつに麗ちゃんが悪いわけではないんだよ。悪いわけでは……。
「真帆奈ちゃんがいないと寂しいわね」
「そんなことないって。うるさいのがいなくて清々するよ。まぁしばらくは奴の世話から解放されるから、ゆっくりとさせてもらうよ」
「またそんなこと言って。ふふっ」
 クスクスと楽しそうに笑う東郷さんだが、なぜかレンズの奥の瞳はまったく笑っているようには見えなかった。
「でもそうなると今日は、私と乃木くん二人っきりということになってしまうわね」
「……えっ、東郷さん、もしかして今日うちに来るつもりなの?」
「そのつもりよ」
 さも当たり前のようにおっしゃる東郷さん。
 中間テストがあったり例のエロゲーの仕事があったりで、しばらく東郷さんはうちには遊びに来てなかったのだ。本当に忙しかったらしい。したがって、今日東郷さんがうちに来るつもりだったとは夢にも思ってなかったよ。
「そ、それはどうなんだろう……いいのかな?」
「あらっ、なにか問題でもあるのかしら?」
「……べつに問題はないと思うんだけど……どうなんでしょうか?」
「問題ないのなら決まりね。それで乃木くんはなにが食べたいのかしら。乃木くんが食べたいものならなんでも作るわよ」
 あっさり決定してしまったぞ。本当にいいのかな? 若い男女が一つ屋根の下に二人っきりという状況はどうなんだろうか。東郷さんの暴走癖を考えると、とても危険な香りがするのだが……。
「うーん、東郷さん、やっぱり今日はちょっとまずいような気が……どうしたの?」
 一緒に校舎を出たところで、東郷さんが前方を凝視していた。彼女の瞳の先には一匹の黒猫がいた。その黒猫もこちらをジーッと見詰めている。まるで俺たちを待っていたみたいだ。
「……もしかして、カエサル?」
「カエサル?」
 どこの外人さんのことかと思い、俺は東郷さんに問いただした。
「ニャー」
 黒猫がノソノソと近づいて来、東郷さんの足元にじゃれついた。
「やっぱりカエサルね」
「カエサルって、その猫の名前なの?」
「そうなの。私の知り合いの猫なのよ。カエサル、なぜあなたがここにいるの? ご主人様はどうしたの?」
 東郷さんはしゃがんで黒猫の頭をなでた。黒猫は気持ちよさそうな顔をしている。かなり東郷さんに懐いているようだ。首には宝石ようなものが散りばめられたいかにも高級そうな首輪がしてあった。どうやらかなりのお金持ちの飼い猫だと思われる。
「ニャー」
 突然、黒猫はぴゃーっと校門に向かって走りだした。途中でピタッと止まってこっちに顔を振り向ける。どうやらついて来いと言っているようだ。
 俺と東郷さんは無言で黒猫の後を追いかけた。校門前に高級外車が停車しているのが見えた。メルセデス・ベンツS550。庶民にはとても買えないタイプのやつだ。
「ニャー」
 黒猫がベンツの後部座席に近づくと、ゆっくりとそのドアが開いた。
 車内から現れたのは、一人の和服姿の少女だった。
「ご無沙汰しております、綾香さん」
「永遠!」
 東郷さんは珍しく驚いたように叫ぶと、和服姿の少女の近くに駆け寄った。
「いったいどうしたの。いつ帰っていたの?」
「わたくし、実は日本には三日ほど前に帰っていたのですよ。ですが、綾香さんを驚かせて差し上げようかと思いまして、たった今まで黙っていたのでございます」
 フフフ、と笑う和服姿の少女。
 その和服姿の少女は、光り輝くような豪奢な金色の髪とサファイア色の瞳を持っていた。つまり外人さんなのだ。しかも、東郷さんと見比べてもまったく遜色がないほどの美少女だ。そんな美少女が和洋折衷とでもいうのか、その金色の髪を夜会巻きにして和服を着こなしているのだから、それは珍しく目立つことこの上なかった。
「人の悪い娘ね。でもいいわ。元気そうで安心した。それで、なぜこんな時期に帰って来たのかしら?」
「その理由は色々とあるのでございますが、その前にそちらの方をご紹介してはいただけませんでしょうか」
 そちらの方とは、なぜか先程からニャーニャーと黒猫にじゃれつかれている俺のことだと思う。
「あらっ、ごめんなさい。紹介するわ。彼はクラスの友人の乃木涼介くんよ。プライベートでもとても仲よくさせてもらっているわ」
「まあっ、やはりあなたが乃木様でございましたか。申し遅れました。わたくしは、東郷・ロジェストヴェンスキー・永遠と申します」
 和服姿の少女――東郷・ロジェストヴェンスキー・永遠は、礼儀正しく深々と頭を下げた。


「まあっ! これがハンバーガーというものでございますか!」
 黄金色の髪の少女は、アイスブルーの瞳をキラキラと輝かせながら言った。
「そうだね。えっと、東郷さんはチキンのやつだったね。それと……こっちの東郷さんは、てりやきマックバーガーにしといたから」
「乃木様、わたくしのことは永遠と呼び捨てでお呼びくださいませ。わたくしの方が年下でございますから」
「えっ、う、うん……」
 初対面の人を呼び捨てにするのは抵抗があるんだよな。なんか馴れ馴れしい感じがする。それが女性なら特にだ。野津姉妹みたいにどちらかが委員長なら、上手く呼び分けができたんだけどな。
「じゃあ……永遠さんって呼ばせてもらうことにするよ」
「はい。かしこまりました」 
「乃木くん、私のことも綾香でいいわよ」
「いやっ、それはちょっと遠慮しとくよ……」
 もし東郷さんを名前で呼んでいることが親衛隊の連中にばれたら、今度は逆さ十字刑にされてしまうかもしれない。
「そ、そんなことよりも温かいうちに早く食べようよ」
 さて、校門前からの途中経過を簡単に説明しておこう。
 あれから立ち話もなんだというので、三人でどこかでお茶でもしようということになった。
「わたくしは、ぜひマクドナルドというお店に行ってみたいのでございます」
 と、永遠さんのたっても希望で、彼女の車(運転手付き)で駅前のマックまで行くことになった。なんでも永遠さんは、今まで一度もハンバーガーを食べたことがなかったらしい。
 車中で少し話を聞いたところ、永遠さんは東郷さんの従姉妹で年齢は十五歳、学年でいうと俺と東郷さんの一つ下だそうだ。母親はロシア人。つまりハーフ。きっと母親も相当な美人に違いない。つい先日まで母親の故郷のロシアに留学していたのだが、先日わけあって日本に帰って来たということらしい。
「綾香さん、これはどのようにして食べればよろしいのでございましょうか?」
 なんと。お金持ちはハンバーガーの食べ方もわからないのか。普段はいったいどんなものを食べているのだろうか。
「こうやって食べるのよ」
 東郷さんは優雅な動作で、ぱくりとハンバーガーに齧りついた。
 ただハンバーガーを食べているだけなのに、この人がするとハリウッド映画のワンシーンを見ているように思えてくるから凄い。
「まあっ、手づかみで食べるのでございますか」
「そうよ。これがハンバーガーを食べる時のルールよ。永遠もやってみて」
「わ、わかりました……。それでは挑戦いたしますのでございます」
 永遠さんは恐る恐るハンバーガーを口元に運ぶと、小鳥が突っつくようにほんのちょびっとだけ齧りついた。
「はむっ……モグモグ……なかなか難しいものでございますね」
「ふふっ、ソースが鼻に付いているわよ」
「ふえぇ! ど、どこでございますのでしょうか!?」
「ちょっと待ってね」
 東郷さんがナプキンを使って、永遠さんの鼻に付いているソースを綺麗に拭き取った。
「はい。取れたわよ」
「これはお手数をおかけいたしました」
 どうやらかなり仲のいい従姉妹のようだ。見ていて実に微笑ましい。しかも、どちらもちょっとした芸能人顔負けの美少女だからな。片や金髪碧眼で和服姿の美少女、片や黒髪眼鏡の正統派の美少女。店に入った瞬間から目立つこと目立つこと。他の客がしきりにこちらを気にしている。テレビの撮影でもやってるのかと勘違いされているのかもしれない。居心地はかなり悪かった。
「乃木様、お恥ずかしいところをお見せしてしまって申しわけございません。なにぶん食べ慣れないものでございますから。はしたない女とは思わないでくださいまし」
 永遠さんは、白皙の頬をポッと火照らせて言った。
 このように彼女は、終始、非常に丁寧な言葉を使いおっとりと虫も殺せないような優しい口調で話す。もう爪先から頭の天辺まで純度100%の箱入りお嬢様だ。そういえば、一緒にいた黒猫も普通の猫とは毛並みがかなり違ったような気がする。
「全然気にしてないから大丈夫だよ。ハンバーガーなんか好きに食べればいいんだから」
「乃木様はお優しいのでございますね。綾香さんからお聞きしていたとおりの殿方のようなのでございます」
「東郷さんからなにか聞いてたの?」
「はい。わたくしがロシアにいました頃、綾香さんから毎日のように乃木様のことが仔細に書かれたメールが届きましたのございます。綾香さんがそのようなことをなされるのは初めてでございましたので、わたくしは乃木様がどのような殿方なのかを、ずっとロシアで想像いたしておりましたのでございます」 
「永遠、乃木くんにそんなことまで話さないで。恥ずかしいわ」
 東郷さんが珍しく照れているようだ。今日は珍しいことが続くな。その毎日届いたメールとやらには、いったいどんなことが書いてあったのだろうか? 激しく気になる。
「まあっ、叱られてしまいました」
 ウフフ、と口元に手を当てて上品に笑う永遠さん。
「そんなことよりも、永遠はなぜこんな中途半端な時期に帰ってきたの? ロシアの学校はまだ休みではないでしょう」
「はい。それはやむにやまれない事情があったのでございます。お母様からお聞きしておりましたとおりロシアは大変よい国でございましたが、食事情に少々問題がありましたのでございます」
「食事情?」
「はい、乃木様。わたくしは、朝は白米とお味噌汁でなければ、その日一日はどうしても元気がでないのでございます」
「そんな理由で日本に帰ってきたの?」
 東郷さんがやや呆れ気味に言った。
「綾香さん、そんな理由などと簡単におっしゃられることではございません。日本人の基本は白米とお味噌汁とお漬物なのでございます。それを口にできなかったわたくしが、いったいどのように辛い思いをいたしましたことか」
 永遠さんは少し憤慨している様子だ。
 彼女は生まれも育ちも国籍も日本ってことらしいから、正真正銘の日本人であることは間違いない。ただ見た目がまったく日本人には見えないだけだ。
「それにわたくしが日本を発ってから、カエサルの元気がないと聞いておりましたので、それならばと一時帰国を決断いたしましたのでございます」
「カエサル元気なかったの?」
「はい。あまり食事を取らないと聞いておりましたのでございます。ですが、わたくしが帰ってきた途端に元気になりましたようで、今朝は食事のおかわりを要求する始末でございました」
「あらっ、現金な猫ね」
「そのとおりでございますが、わたくしはロシアでとても心配しておりましたので、元気なカエサルの姿が見ることができて安心いたしましたのでございます。ところで乃木様」
「なに?」
「乃木様は随分とカエサルに懐かれておいででございましたね。カエサルが初対面の方にあのように懐くことなど今までありませんでしたから、わたくしは少々驚いてしまいましたのでございます」
「てっきり人懐っこい猫なんだとばかり思ってたよ」 
 車の中であの黒猫は、ずっと俺の膝の上で寝てたんだよ。なかなか可愛い猫だよ。
「そのようなことはございません。むしろ人見知りをする猫なのでございます」
「そうなんだ。まぁ俺って結構動物には好かれる質なんだよね」
「そのようでございますね。動物は野生の本能で人の善悪がわかると聞き及びます。きっとカエサルは、乃木様が清い心の持ち主だと察知したのでございましょう」
「乃木くんからは、動物を惹きつけるフェロモンかなにかが放出されているのかもしれないわね。動物か……次のネタは獣姦もありかもしれないわね……」  
 東郷さんが真顔で恐ろしいことを呟いた。
「それはあまり嬉しくない体質だな」
「そんなことはないわ。生物学的な見地から見れば人も動物なのよ。きっと乃木くんは、これまで周囲の人たちから自然に好意を持たれてきたのだと思うわ。特に異性からとか」
「異性から……そんな覚えはまったくないんだけど」
 それなら年齢=彼女いない歴の説明がつかないよね。せいぜいアホな妹の変態行為に悩まされていたくらいしか覚えがない。
「そうかしら。乃木くんが気づいてなかっただけなのかもしれないわよ」
「そんなことないって。俺なんかよりも、東郷さんや永遠さんの方がよっぽど異性から好意を持たれていたはずだよ」
 この二人なら、きっと小学生の頃からそういうエピソードにこと欠かなかったはずだ。
「私と永遠はずっと女子校だったから、生憎そういう話とはまったく縁がなかったのよ。ねえ、永遠」
「はい。おっしゃるとおりございます。わたくしと綾香さんは、中学校までは敷島聖心女子学院に通っておりましたのでございます」
 聞いたことのある学校の名前だ。確か都内にあるミッション系の超有名なお嬢様学校だったと思う。東郷さんが中学まで女子校だったとは全然知らなかったな。つーか、そんなお嬢様学校でどんな教育を受ければ、エロゲーライターなんてヒャッハーな職業に就くことになってしまうのだろうか?
「中学を卒業してから綾香さんは共学に移られましたけれども、わたしくは留学先もまた女子校でございますので、こうして乃木様のような同じお年頃の殿方とご一緒することは、とても珍しいことなのでございます」
「それは光栄なことだと思うけど、俺なんかがご一緒してごめんね」
 一応遠慮したんだよ。図々しくついて来たわけじゃないからな。
「なにをおっしゃるのでございますか。こうして乃木様とご一緒することができまして、わたくしはとても有意義に感じておりますのでございます。綾香さんからメールで色々と伺っていたからなのでございましょうか、乃木様とは今日初めてお会いしたような気がいたしません。まるで古くからの友人と再会を果たしたような心境なのでございます」
 こんな綺麗な女の娘からそんな風に思われているなんて嬉しいかぎりだよ。しかし、東郷さんのメールの内容が本当に気になる。ペット関連のことは書いてなければよいのだが……。
「それだったら、いっそのこと永遠も本当に乃木くんと友達になっちゃえばいいんじゃないかしら」
 ゆったりとコーヒーを飲んでいる東郷さんが、とても気軽に言った。
「まあっ! それはとても素晴らしいご提案なのでございます! 乃木様、どうかわたくしと正式なお友達になってはいただけませんでしょうか?」
 えるたそみたいな食いつきぶりで、永遠さんは俺の右手をしっかりと握って言った。
「うん……俺でよければ喜んで友達になるけど」
「あ、ありがとうございます! なんと素敵なことなのでございましょうか。綾香さん、わたくしにも殿方のお友達ができましたのでございます」
「よかったわね」
 東郷さんは、子供のようにはしゃぐ従姉妹を温かい眼差しで見守っている。
「はい。これも綾香さんのお力添えのお陰なのでございます。乃木様、正式にお友達になったのでございますから、携帯電話のアドレスを交換いたしませんか?」
 永遠さんは、すでに自分の携帯電話をスチャッと俺に向けて待ち構えている。おっとりさんのようで意外と積極的な金髪さんだな。これでは拒否しようがない。まぁ拒否する理由はないんだけどね。
「いいよ。ちょっと待ってね……」
 俺は急いで携帯電話を取り出し、赤外線で永遠さんとアドレスを交換した。
「お父様以外の殿方のアドレスが、初めてわたくしの携帯電話に登録されましたのでございます。ああっ、今日はなんと素晴らしい日なのでございましょうか」
 ニャーと俺の携帯電話がメールを受信した。
 眼の前にいる青い瞳の少女からだった。
『ふつつか者ではございますが、末永いお付き合いいただきますよう、謹んでよろしくお願い申し上げます』
 なんか恐縮する内容だった。
「乃木様に初めてのメールを送らせていただききましたのでございます」
 永遠さんは、眩しいほど可憐に微笑んだ。
『これはこれはご丁寧にどうも。こちらこそよろしくお願いしますm(__)m』
 俺は急いでメールを返信した。 
 まだ知り合って間はないけど、永遠さんはとても好感が持てる女の子だと思う。綺麗で、清楚で、お淑やかで、礼儀正しくて、立ち居振舞い一つ一つに気品が感じられる。彼女はまさに、巷で絶滅危惧種と心配されている大和撫子そのものだった。
「帰宅いたしましたら、すぐにお父様にご報告をしなくてはならないのでございます」
「えっ……なにを報告するの?」
「わたくしが殿方とお付き合いをすることになった時は、必ずお父様にご報告をする決まりだったのでございます」
「そうなんだ……。えっと……永遠さんのお父さんってどんな人なの?」
「わたくしのお父様でございますか? それはもう、優しくて、逞しくて、とても頼り甲斐になる一家の大黒柱なのでございます。わたくしは、お父様のことを心から尊敬いたしているのでございます」
「伯父さんはとても優しい人よ。特に永遠にはね。目の中に入れても痛くないほど溺愛しているから。でも永遠にもしものことがあった時は、ちょっとだけ恐ろしいことになるかもしれないわね。なんせ伯父さんは柔剣道合わせて十段の猛者なのだから」
「あ、合わせて十段!?」
「そうよ。孔雀王に出てくる王仁丸によく似ているわ」
「怖いよ! それはちょっとどころの騒ぎじゃないよ!」
「なにもご心配をする必要はございません。乃木様ならば、きっとお父様もお認めになってくださると思うのでございます」
「そのお付き合いって言い方は、なにか余計な誤解を招くかもしれないと思うんだよ。俺と永遠さんは普通に友達になるってことだよね?」
「そのとおりでございますか。ハッ! も、もしかして乃木様は、もっと深いお付き合いをご所望でございますのでしょうか? あ、綾香さん、どうすればよろしいのでございましょうか。乃木様からもっとディープな関係を求められてしまいましたのでございます」
 オロオロと東郷さんに助けを求めるロシアンハーフ。
「違います。そんなことは言ってません」
 王仁丸と敵対関係になるのだけは死んでもお断りしたいだなのだ。
「わたくしの早とちりでございましたか……」
 永遠さんは、なぜかちょっと残念そうに見えた。
「乃木くん、安心してちょうだい。伯父さんには私からもちゃんと説明しておくから」
「うん。頼むよ……」
 しかし、東郷さんと永遠さんの家は、親戚同士でえらい仲がいいみたいだな。うちにも親戚はいるけど、遠くに住んでるからほとんど交流はないんだよな。
「東郷さんと永遠さんは従姉妹なんだよね?」
「そうよ。従姉妹とはいっても、家も近かったし学校もずっと一緒だったから、ほとんど姉妹みたいな関係といってもいいかもしれないわね」
「確かに綾香さんは、わたくしの本当のお姉様のようなお方でございます。世間知らずなわたくしに、本当にたくさんのことを教えてくださいました」
「そうね。本当に世話のやける妹だったわね」
「まあっ、そのようなおっしゃり方は酷いのでございます」
「冗談よ。ふふっ」
 なるほど。家も近く年も近い従姉妹なら、仲よくなって当然だな。
「五月にみんなで熱海旅行に行ったでしょう。その時に泊まった旅館が、永遠のお父さんが経営している旅館の一つなのよ」
「そんな繋がりがあったんだ」
 経営している旅館の一つだって。いったい幾つの旅館を経営しているのだろうか。
「あれっ、でも確かあの旅館は、遠縁の親戚が経営してるとか言ってなかったかな?」
 episode 4参照な。重箱の隅を突つくようで申しわけないが、東郷さんと永遠さんの関係なら、それは遠縁の親戚とは言わないはずだ。とても近い親戚だよね。
「乃木くん、設定なんてものは話の都合で簡単に変更されるものなのよ。覚えてないかしら? 二人組でちゃんと編集者まで付いているのに、とてもプロとは思えない強引な設定変更や後付け設定なんか日常茶飯事だった漫画家がいたことを。ほらっ、ペンネームは人の名前じゃなくて、茹でるだけで簡単にできてしまう食べ物の名前の」
「そこまで言うんだったらもうはっきりと『ゆでたまご先生』だってぶっちゃけようよ! なにか問題が起きたら俺がちゃんと謝罪するから!」
「前方後円墳が地球の鍵穴だとか寝ぼけたことを言い出した時は、流石に私もうんざりしたのを覚えているわ」
「フィクションなんだからべつにいいじゃない! チビッ子はそんなに深くものを考えたりしないんだから!」
「ウォーズマンがわけのわからない理論で1200万パワーを出した時は、わたくしも少々作者の頭の構造を疑ってしまいましたのでございます」
「もうそれ以上攻撃するのはやめてあげて! ゆでたまご先生のライフはゼロよ!」
 永遠さん、結構毒舌だぞ。ゆでたまご先生にはなぜか厳しいようだ。
「ところで乃木様」
「なに?」
「わたくしは、乃木様にどうしてもお聞きしなければならないことがあるのでございます」
 永遠さんは、随分とかしこまっている。彼女の様子から察するに、かなり大切な話のようだ。
「どんな話かは知らないけど、なんでも気軽に聞いてくれていいよ」
「本当でございますか。それではお言葉に甘えて、単刀直入にお聞きしてもよろしゅうございましょうか?」
「いいよ。俺に答えられることならなんでも答えるよ」
「乃木様は、童貞でございますのでしょうか?」
「…………えっ? ごめん。よく聞こえなかったよ。もう一度言ってくれるかな?」
「乃木様は、童貞でございますのでしょうか?」
 ど、童貞だと……俺が童貞だと問うているのか? いったいどういうことだ? 知り合ってまだ間もない女の子が、そんなものすんごい失礼な質問をしてくるなんて。そんなのぜったいありえなーい! 童貞に童貞ですかなんて安易に聞いたりしたらダメなんだからね! ドキッてするんだからッ!
 さて、なんと答えればいいのだろうか。質問の意図は不明だし、正直に「童貞です……」と答えるのもなんだか癪な話だ。セックス大辞典をダウンロードして精読している俺ならば、少々ツッコまれても非童貞を装うことは可能なはず。ていうか、これ真面目に答える必要あるのか?
「乃木くんは童貞よ。それは私が保証するわ(キリッ)」
 俺がそんな葛藤に苛まれているところで、なぜか東郷さんが自信満々で答えた。
「ちょっと東郷さん! そんなことを勝手に保証されても困るよ!」
「あらっ、もしかして乃木くんは、童貞ではなかったのかしら?」
「……いやっ、それは……まぁ、そうだけど……」
「そうよね。安心したわ」
 なぜ君が安心するの?
「やはりそうでございましたか。先程初めてお会いいたしました時から、わたくしは乃木様は童貞ではないかと愚考いたしておりましたのでございます」
「それは奇遇ね。私も乃木くんと初めて知り合った時は、この人はきっと童貞に違いない! って直感してしまったわ」
 ええっ! そんなことを直感されていたの!? まるでニュータイプみたじゃないか!
「まあっ、綾香さんもそう思っていらしたのでございますか」
「もちろんよ」
 ウフフ♡ とお上品に笑い合う金髪美少女と黒髪美少女。
 俺ってそんなに常時童貞オーラを放出してたのかよ……。あー、なんかもう死にてー。
「そんなことよりも、このハンバーガーというお料理は、なかなか美味しいものなのでございますね。わたくしはとても気に入ってしまいました。綾香さんは、よくお召し上がりになるのでございますか?」
 そんなことよりも!? またつまらぬ物を切ってしまった程度で俺の童貞話が軽くスルーされてしまったぞ! どうしてもお聞きしなければならないとかもったいぶってたじゃん! これではただ単に俺を辱めるのが目的だったとしか思えない……ぶわっ。
「よくは食べないわね。たまによ。でも、久しぶりに食べると美味しいわね。夕食が食べられなくなってしまいそうだけれど」
「かなりボリュームがありますので、これだけでお腹が一杯になってしまいますね。あら? 乃木様はお食べにならないのでございますか? お食事があまり進んでないように見えますが」
「そうだね。なんだか急に食欲がなくなったよ……」
「それはいけないわね。体調が悪いのかしら?」
「べつに体調は悪くないんだけど……」
 精神的なダメージの方が遥かに大きいよ。致命の一撃を食らった黒ファントム状態だよ。
「だったら乃木くんの食欲が戻るように、エロマンガ島の話でもしましょうか。エロマンガ島とは、バヌアツ共和国のニューヘブリディーズ諸島の一つで、周囲は珊瑚に覆われ島の中心部には火山が――」
「いきなりそんな話を滔々とされてもこっちは困惑するだけだよ!」
「あらっ、もういいのかしら?」
「もういいよ! 俺はそんな島になんの興味も持ち合わせてないから! 小馬鹿にされているとしか思えないよ!」
 確かに小学生の頃は、南太平洋に夢の楽園が存在すると思ったこともあったけどな。
「それでしたら、わたくしが南斗水鳥拳の切れ味についてお話いたしましょうか? わたくしは、南斗水鳥拳については一家言を持っているのでございますよ」
 少々うるさいのでございます、となぜか鼻高々の永遠さん。
「いやいやっ! それはもう食欲がどうとかの話とは全然別次元の話になってきているよね!」
「永遠は昔から南斗水鳥拳が好きね」
「はい。愛していると言っても過言ではございません。指だけで岩を豆腐のように切り刻めてしまうのでございますよ。なんと便利な特技なのでございましょうか」
 そんなに便利かな……? 世紀末ならともかく、今の平和な日本では相当持て余す特技だと思うよ。
「それなら南斗紅鶴拳の方がよっぽど便利だわ。衝撃波を飛ばして遠くの敵を切り倒すことができるのよ。南斗紅鶴拳、テラ便利」
「綾香さん、衝撃波など邪道でございます。戦いたるもの直に拳と拳で決着をつけなければなりません。そもそも南斗紅鶴拳よりも南斗水鳥拳の方が優れているということは、劇中で明確に証明されていることなのでございます」
「それは使い手の戦術が悪かっただけよ。私ならもっと上手くやれたわ。南斗紅鶴拳、マジ最強」
 なぜか熱い北斗の拳談義が始まってしまったぞ。童貞や体調のことなんかもう放ったらかしだ。そして、またしてもネタが古い。北斗の拳もキン肉マンも80年代のジャンプ黄金時代のラインナップだ。この人たち、本当に女子高生なのか?
「ところで乃木様」
 急にこっちに玉が飛んできたぞ。
「……なんでしょう?」
「わたくしは、まだ乃木様にお聞きしなければならないことがあるのでございます」
 またかよ。なんだろうな。この喉元に匕首を突きつけられているような感覚は。
「……遠慮なくどうぞ」
 もう毒まんじゅうを食べるなら皿までの心境だった。
「乃木様は、アブノーマルでございますのでしょうか?」
 ア、アブノーマル……だと……。今度は俺の性癖が問われているのか? なぜそんな必要性がある。目的がまったく見えてこないぞ。
「乃木くんはアブノーマルよ。それは私は確信しているわ(キリッ)」
 再び自信に満ち溢れた表情で東郷さんが答えた。
 ほぼ即答だった。
「ちょっと東郷さん! 勝手にそんな確信されても困るよ!」
「あらっ、もしかして乃木くんは、アブノーマルではなかったのかしら?」
「アブノーマルじゃないよ! 俺はいたってノーマルだと思うよ!」
 そ、そんな馬鹿な的な顔で一時停止する東郷さん。
「ごめんなさい。ずっと乃木くんはアブノーマルだとばかり思っていたわ」
「どんなボタンの掛け違えでそんなトンデモない誤解が生じてしまったのか理解に苦しむよ!」
 ずっとそんな風に思われていたのかよ! 信じられないよ!
「まあっ、乃木様はアブノーマルではなかったのでございますか?」
「そうだよ。そんなことを聞いてどうしたいのか切実に知りたいよ」
「そうでございましたか。その事実は、わたくしの想像外でございました。遺憾でございます」
 なんで遺憾の意を表明されなきゃいけないんだ。つーか、政治家以外で使う人を初めて見たよ。
「それでは、乃木様のおペニスのごサイズは、いかほどなのでございますのでしょうか?」
 お、お、おペニス!? それは男性の象徴のことか! そんなバカなッ! なぜそんなことをこんなところでカミングアウトしなければならないのだ! だいたい、それではの『それ』はなにを指し示しているのか皆目不明だぞ!
「ちょっと永遠さん! いくらなんでもそれは失礼だと思うよ!」
「わ、わたくしは、なにか失礼なことをしてしまいましたのでございますか?」
 永遠さんは、狂犬に襲われたロシアンブルーのように動揺している。
「も、申しわけございません! どうやらわたくしは、取り返しのつかない過ちを犯してしまったようなのでございます! どのようにお詫びをすればよろしいのでございましょうか!」
 で、蒼い瞳を潤ませて深々と頭を下げた。
「……ちょっと待ってよ。そんなオーバーに謝罪されても困るよ」
 もの凄く目立ってるからな。周囲の連中になにがあったのかと訝しまれているよ。
「そんなことはございません! どうかわたくしに罰をお与えくださいませ!」
「ば、罰!?」
「はい! 罪には罰をでございます!」
 明らかに過剰反応だった。正直、ドン引きしている俺がいる。
「それで乃木様のお気が済むのであるならば、わたくしはどのような罰でも厭わない所存なのでございます。そ、その……乃木様が常日頃から妄想しておられるとてもえげつないことでも一向に構いません!」
「俺が常日頃からどんなえげつない妄想をしているというの!」
 この人、本当に失礼だよ!
「乃木くん、少し落ち着いてちょうだい。永遠もべつに悪気があったわけじゃないのよ。ただ男の子にちょっと慣れていないだけなの。そこをわかってあげて」
 東郷さんがとても涼しい顔をして言った。
 果たして男の子に慣れていないという理由だけで、うっかりペニスのサイズを聞いてしまうものなのだろうか? これは純粋培養された箱入り娘に歪んだ性知識を植え付けた第三者がいたとしか思えない。宮崎駿が高畑勲に思想洗脳されたみたいにな。極身近にいた邪悪な何者かによって……。
「べつに俺は本気で怒ってるわけじゃないからね。ただ友達の間で罪とか罰とかはおかしいと思うよ」
「乃木様は、まだわたくしのことを友達だと思っていただけるのでございますか?」
「もちろん友達だと思ってるよ。まぁ悪気はなかったんだと思うし、これから気をつけてくれればそれでいいから。あまり大げさに考えないで」
「な、なんとお優しいお人なのでございましょうか。乃木様は、菩薩様のようにお心が広い殿方なのでございますね」
 永遠さんは、今にも手を合わせて拝み出しそうな勢いだ。
 絶対にそんないいもんじゃないだろ。こんなことぐらいで。菩薩様に申しわけないよ。
「わかってくれればそれでいいから」
「はい。本当にありがとうございます」
 うん。わかってくれればそれでいいんだ。ちょっとばかり天然なだけで、根は本当にいい子だと思うよ。
 そうやって半ば強引に自分を納得させようとしていたところで、永遠さんが再び意気揚々と質問してきた。
「それで、乃木様のおペニスのごサイズは、いかほどなのでございますのでしょうか?」
 ……駄目だ。全然わかってないよ。今までのやり取りはいったいなんだったんだ。この徒労感はちょっと言葉では言い表せないな……。
「乃木くんのペニスのサイズは、勃起時で15.6センチよ(キリッ)」
 さも当然と言わんばかりに東郷さんが答えた。
「だからキリッじゃないよっ! だいたいなぜミリの単位まで正確にサイズが把握されているのか納得できる説明が欲しいよ!」
 つい先日測った時のペニスのサイズと数字が完璧に一致していた。
 おいおい……。
 ありえないレベルの個人情報が流出しているぞ。いったいどうなってんだ。カメラか? やはり監視カメラが設置されているのか?
「15.6センチでございますか……。そ、それはかなり大きなサイズのように思われるのでございますが……」
 自分の指と指の間隔で大きさを想定しながら、永遠さんは少し戸惑い気味に言った。
「そうね。日本人の平均サイズの三割増しってところかしら。平均を優にクリアーしつつ、かと言ってもそれほど巨大すぎない理想的なサイズだと思うわ。可愛い顔してなかなかやるわね。ちなみに太さはこれくらいよ」
 東郷さんは自分の指で輪っかを作ってみせた。
 それを見た永遠さんが、「まあっ!」と感嘆の声を上げた。
 その輪っかが示す太さも見事にピタリ賞だった。どうやらこれは、早急に部屋のガサ入れをする必要があるようだ。
「乃木様はとても立派なものをお持ちなのでございますね。おみそれいたしました」
 永遠さんはテーブルの上に三つ指を立てて、深々と頭を下げた。
「……」
 これはおかしい。きっとなにかがおかしい。
「じゃあ話も上手くまとまったことだし、そろそろ帰りましょうか」
 ええっ! こんな話を最後にしてお開きにしちゃうの!? なにがどう上手くまとまったのかもさっぱりだよ!
「そうでございますね。それと綾香さん、言い忘れておりましたが、本日はこれより本家に招集なのでございます」
「えっ、本家に? そんな話聞いてないわよ」
「はい。本日は緊急招集なのでございます」
 本家に緊急召集……。いったい誰が集まってなにをやるのだろうか? 東郷一族にはまだまだ謎が多いようだ。
「そんな急に困るわ。私は今日は乃木くんの家に泊まることになっているのよ。ねぇ、乃木くん」
「東郷さんがうちに泊まるなんて今初めて聞いたよ!」
「あらっ、言ってなかったかしら。確かそういう話の流れだったと思うのだけれど」
「そんな話の流れは全然なかったと思うよ!」
 そんな大切なことを勝手に決められては困る。
「まあっ、綾香さんは乃木様のお宅にご宿泊のご予定でございましたか。となりますと、今夜は初夜ということでございましたのでしょうか? きゃっ♡」
「それはご想像にお任せするわ。ふふっ♡」
 まるで上流階級のサロンで談笑でもしているかのような従姉妹二人組。内容はとてもゲスな話だけどな。
「でも困りましたわね。招集はお父様がお決めになったことでございますから」
「そうね。無視するわけにはいかないわね……困ったわ」
「あの……その招集がなんのことなのかよくわからないんだけど、もし大切な用事ならそっちを優先してくれて構わないよ」
 俺は、整った眉間に皺を寄せて考え込んでいる東郷さんに言った。
「そんなの悪いわ。今日、私が乃木くんの家に泊まることは、ずっと前から約束していたことなのに」
「そんな約束をした覚えは全然ないよ! どんどんありもしない事実が現在進行形で作られているよ!」
「乃木様、せっかくの童貞喪失の千載一遇の好機をふいにしてしまってよろしいのでございますか?」
「そんな予定は最初からありませんでしたから! それと人を童貞童貞言うのはやめてッ!」
 もうツッコミ疲れたよ。一週間分はまとめてツッコんだような気がする。ダブル東郷、恐るべし。
「なら乃木くんの家にお泊りするのは、また後日ということでいいかしら?」
「う、うん……できれば勝手に決めないでちゃんと相談して欲しいよ」
「本当にごめんなさいね。この埋め合わせはいずれ必ずするから」
「ご自分の性欲よりも綾香さんの私用を優先なされるのでございますか。乃木様は、マハトマ・ガンジーのように禁欲的な殿方なのでございますね。わたくしは心から感服いたしました」
 惜しみのない尊崇の念を向けてくる永遠さん。
 もうガンジーでもなんでもいいよ。
 そんなわけで、波乱に満ちた三者会談はこれにて終了だ。


 家に帰り着いたのは、午後七時半をすぎた頃だった。
 今日は飢えた野獣のような妹がいないので、急いで帰ってくる必要はなかった。なので本屋などを適当に寄り道しつつ、晩御飯を作るのも面倒なのでローソンでよくばりペペロンチーノを買ってきた。これがなかなか美味い。一人しかいないんだからこれで充分なのだ。
 玄関のドアを開けようとしていたところで、向かいの家から鋭い声が飛んできた。
「涼介、ちょっと待ちなさい!」
 真向かいに住んでいる茶髪の幼馴染――児玉雫だった。そのままジャージにTシャツのラフな姿で向かいの家からこっちにやって来た。つまり普段と同じ格好だ。その幼馴染は、いつにも増して険しい顔をしていた。 
 はて? 俺はまたなにか怒られることでもしてしまったのだろうか?
「なに? 言っとくけどこれはあげないよ」
 俺はローソンの袋を背中に隠した。
「はぁ? そんなもんいらないわよ!」
 なんだ。よくばりペペロンチーノを強奪されるわけではなかったのか。よかったよかった。じゃあ、いったいなんの用なんだろう。
「アンタ、今帰ってきたの? 遅かったわね」
「そうだよ。ちょっと寄り道してたからね」
 そういえば、こうやって雫と面と向かって話すのは久しぶりな気がする。おっぱい揉み事件から微妙に避けられていた感があったからな。
「寄り道ね……フンッ」
 なんだろう。幼馴染から猜疑心に満ちた眼差しを向けられているぞ。
「……なにか問題でもあったのでしょうか?」
「どうせ東郷さんと一緒だったんじゃないのっ」
 吐き捨てるような言い方だ。
「途中までは東郷さんと一緒だったけど、用事があるらしいから帰ったよ」
「えっ、帰ったの!? ……だったら、今日はもう東郷さんはアンタんちに来たりしないわけ?」
「来ないと思うけど」
「……そんな。信じられない。あの東郷さんがこんなチャンスを逃すなんて……。いやいやっ、まだ油断は禁物だわ。これからどんな奇策を使ってくるかわかったもんじゃないんだからっ」
 なにかボソボソとつぶやいているがよく聞き取れない。
「それで、なんの用なの?」
「えっ……ああっ、これを持ってきたのよ」
 雫が手に持っていたタッパを差し出してきた。
「お母さんが作ったサムゲタンよ」
「サムゲタン!!」
「なによ? 突然大きな声を出して?」
「流石にこんな微妙な時期にサムゲタンはどうかと思うんだけど……」  
 俺の妹がこんなにとびっきりにキムチなわけがない、とかディスられそうで怖いよ。
「お母さんがたまには変わったものを作りたいからとか言って作ったんだけど。なに? いらないの?」
「いやいやっ、ありがたくいただくよ。うん。ありがとう」
 サムゲタンか……炎上しないことを祈りたい。
「それと……私が作った卵焼きもあるんだけど……」
 なぜか唇をツーンと尖らせた雫が、もう一つのタッパを怖ず怖ずと差し出してきた。
「おー、ありがとう。どこまで上達したのか楽しみだな」
「べ、べつにアンタのために作ったわけじゃないんだからっ。たまたま作ったのをお母さんが持って行けってうるさかっただけなんだからねっ」
 たまたまにしては結構な量だった。卵、五個分くらいはありそうだ。食べきれるかな……。
「そっか。まぁどっちにしろありがとう。茜さんにもお礼を言っといて」
「うん……わかったわ」
「じゃあそういうことで。おやすみ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「うげ……っ!」
 家の中に入ろうとしたところで襟首をぐいっと引っ張られた。
「な、なに……?」
「なに勝手に話を終わらせてんのよ! 久しぶりに二人だけで会ってるんだから、まだまだ話すことがいっぱいあんでしょうがっ!」
「なにか話でもあるの?」
「……そ、それは……しまった、なんにも考えてなかった……」
「えっ、なんだって?」
「なんでもないわ! ちょっと待ってなさいよ。すぐに考えるから」
 話があるとか言っておきながら、今から考えるのかよ。よくわからんな。つーか、お腹が空いてるから早くして欲しいんだけどな。
「ほら……だからあれよ……その、ほらっ……わかるでしょ?」
 さっぱりわからん。困ったことに、なんか長引きそうな予感がする。
「じゃあ、とりあえず家の中に入るか?」
 立ち話もなんだしな。サムゲタンのお礼に美味しい紅茶の一つくらい出してやろう。
「な……っ!!」
 プシューッと一瞬で雫の顔が真っ赤に染まった。
「なに家の中に連れ込もうとしてんのよ! へ、変態じゃないのっ!」
 で、なぜか微笑ましい程度に膨らんだ胸元を両腕で隠しながら怒る。
「意味不明だから。紅茶でも淹れてあげようかと思っただけなんだけどな」
「えっ、紅茶……」
「そう。紅茶だけど」
「……本当に紅茶だけなんでしょね?」
 いったい俺はなにを疑われているのだろうか? 失礼な話だと思うよ。こっちはただ善意で誘っているだけなのに。
「よくよく考えると、一人で御飯を食べるのもなんか味気ないしね。食べてる間だけでいいから付き合ってよ。食べながらちゃんと話も聞くし」
「……しょ、しょうがないわね。そういうことなら、ちょっとだけ付き合ってあげてもいいわ。で、でも、もし調子に乗って変なこととかしようとしたらただじゃおかないんだからねっ!」


 そんなわけで、俺は雫を家の中に招き入れた。
 電気がついてないので家の中は真っ暗だった。おまけに静かだ。誰もいないんだから当然なんだけどね。
「適当に座って待ってて、すぐに紅茶を持ってくるから」
 雫を居間まで案内して言った。
「うん……」
 ささっとアールグレイを淹れて居間に戻ると、雫は座布団の上に女の子座りで待っていた。なんか落ち着かない様子だ。あまりこっちを見ようとしない。
「どうぞ。粗茶ですけど」
「ありがと……」
 俺は、ミルクと砂糖をたっぷりと入れたアールグレイを一口啜った。
 ミルクと合わさることでベルガモットの爽やかな柑橘系の香りがほどよく引き立ち、程よい甘さと共に口の中が幸福感でいっぱいになった。美味い。今日一日の疲れがじんわりとほぐされていくようだ。
「あっ、美味しい」
 雫もミルクティーにしてアールグレイを飲んでいる。
 どうやら気に入ってもらえたようだ。
「えっと……やっぱり今日は真帆奈ちゃんいないのよね?」
「いないよ。修学旅行に行ってるの知ってるだろ」
「そ、そうよね。ちょっと聞いてみただけよ」
 再びそわそわし始める雫。
 ピキーン。
 なるほど。そういうことか。
「雫……お前、もしかして……」
「な、なによ……?」
「トイレ我慢してるのか? 遠慮しないで行ってきたら」
「そんなもん我慢してないわよ! 馬鹿じゃないのッ!!」
 あれっ、違ったのか。鉄板と思ったんだけどな。
「だってさっきからずっと落ち着かないみたいだし」
「落ち着いてるわよ! 落ち着きまくりよ! な、なに? ふ、二人っきりだからって私が緊張してるとでもいいたいわけ!? アンタ、ちょっと自意識過剰なんじゃないのっ!」
 誰もそんなことは一言も言ってないんだけどな。過剰な反応をされているのは、むしろこちら方だと思うのは俺だけなのだろうか。
「それならいいんだけど……」
「ホントにデリカシーにかけるんだからっ!」
 どこかのパパのいうことを聞かないといけない家族の次女みたいなことを言いながら怒り心頭の雫。
 さっさと話題を変えよう。
「ところで、真帆奈たちは修学旅行楽しんでるかなー」
「……さぁ、どうかしらね。確か京都だっけ?」
「そうそう、京都。朝からひっきりなしに、真帆奈からメールや写真が送られてくるよ」
 言ってなかったけど、すで百通近いメールが真帆奈から送られてきているからな。最初の十通以降は一切読んでないけど。ほとんどストーカー状態だよ。
「行く前は一悶着あったけど、なんだかんだで一応は楽しんでるみたいだよ。光からメールとかこないのか?」
 光っていうのは、雫の弟のことな。うちの真帆奈と同じ年で同じ中学に通っている。
「そんなのこないわよ。うちはアンタらみたいにベッタリじゃないの」
 幼馴染の冷たい眼差しが痛い。
「うちだってべつにベッタリじゃないよ」
「アンタ、よくしゃあしゃあとそんなことが言えるわね。フンッだ。……まぁいいわ。それよりも光で思い出したんだけど、あの子、最近ちょっと様子が変なのよね」 
「様子が変? 光の様子が変なのか?」
「そうなのよ。なんかおかしなことになってんのよね」
「具体的にどうおかしいのさ?」
「それなんだけど、『三次元の世界にはもう夢も希望もないから、おれはこれから二次元の世界で生きていく!』とかわけのわからないことを突然言い出して、部屋でずっとゲームをやったりアニメばっかり見たりしてんのよね」
 なるほど。それはかなり重症だな。
「私の勘では、たぶん真帆奈ちゃん関連でなにかあったんだと思うんだけど。アンタ、なんか聞いてない?」
「俺はなにも聞いてないな」
 そういうことなら、麗ちゃんに聞くのが一番早いと思うよ。
「ちなみにどんなゲームとかしてんの?」
「私はよくわかんないんだけど、なぜかスカートが透明のいやらしい女の子が出てくるゲームとかしてるみたいね。ダウンロードでナースと水着がどうとか言ってたような気がするわ」
「そういう誤解を招く発言はどうかと思うよ。ファンの人も読んでるかもしれないから」
 雫はゲームやアニメには疎いので、今の発言は許してやってほしい。 
「しかも、この間チラッと見たら、なんか泣きながらゲームしてんのよね。見ててちょっと哀れだったわ」
 うーん。それはもはや末期症状だな。できるだけ早く対処したほうがいいぞ。麗ちゃんが帰ってきたらさっそく相談してみよう。
「さてと」
 一服したことだし御飯でも食べようかと思って俺が立ち上がると、
「ひゃああっ!!」
 と、雫が軽く飛び上がって悲鳴を上げた。
「ななな、なにッ!?」
 で、なぜか胸をガードしながら動揺を隠せない様子だ。
「なにって、御飯を食べようかと思っただけだけど」
「えっ、御飯……?」
「そうだけど」
「だ、だったら最初からそう言いなさいよ! まぎらわしいのよ! バカッ!!」
 怒られた。なにがまぎらわしかったのかよくわからないんだけど、まぁいいだろう。
 そんなタイミングだった。
 俺の携帯電話から、エスカフローネのDance of Curseが流れた。
「あれ、茜さんから電話だ」
「ええっ、お母さんから!? ……ていうか、なんでアンタがうちのお母さんとアドレス交換してんのよ?」
 先日、情報交換を密にしたいから、というよくわからない理由で、雫の母親である茜さんと俺はアドレスを交換したのだ。
「もしもし……」
『あっ、涼介君。茜だけど』
「はい。こんばんわ。えっと……雫ですか? こっちに来てますけど。変わりましょうか」
 雫は電話の内容を聞き取ろうとして、こちらに耳を傾けている。
『いいのいいの。雫がそっちに行ってるのは知ってるから。それよりも、涼介君にちょっとお願いしたいことがあって電話したのよ』
「お願いですか? なんでしょう?」
『実は、避妊の件なのよ』
「ヒニンのケン?」
『そう、避妊。若いから勢いに任せてってのはわかるんだけど、それだと後で面倒なことになっちゃうでしょ。私もまだおばあちゃんって呼ばれたくないわけだし。ハッハッハー。雫にはちゃんと例のアレを持って行くように言ったんだけど、あの子恥ずかしがっちゃって――』
 会話の途中で、雫に強引に携帯電話を奪い取られた。
「な、な、なにふざけたことばっかり言っちゃってくれてんのよっ! こういうことをするのはやめてっていつも言ってんでしょうがっ!!」
 で、マツコ・デラックスのような勢いで怒鳴り散らす。
『べつにふざけたことじゃないでしょ。ちゃんと避妊しとかないと後で困るのはアンタなのよ』
「そんなことしないわよ!」
『避妊しないと赤ちゃんができちゃうの知らないの? まったく。近頃の高校生はいったいどういう性教育を受けてんのかしらね』
「そんなこと知ってるわよ! 私が言ってるのはそっち本面のことはしないって意味でしょうがーッ!!」
『なに言ってんの。わざわざ新しい下着に穿き替えて涼介くんが帰って来るのをずっと監視してた癖に。アンタ、やる気満々じゃない』
「な、なんでそれを!?」
『べつにすることをとやかく言ってるんじゃないの。若いんだからどんどんやればいいのよ。ただ避妊だけはちゃんとしなさいって言ってるだけだから勘違いしないでちょうだい』
「アーーッッ!! も、もういいわ! とにかくこんな嫌がらせをするのは金輪際やめてッ! いいわねッ!!」
『なにが嫌がらせ――』
 プチッ。
 雫は一方的に通話を切った。
「はぁ……はぁ……」
 で、まだ興奮が収まりきらずに肩で息をしている。
 児玉親子の会話はまったく聞き取れなかったが、どうやら余程のことがあったようだ。
「それで……いったいなんの電話だったの?」
「なんでもないわ! あの女の言うことは全然真に受ける必要はないんだからねっ!」
 あの女って……自分の母親に向かって……。
「でも、確かヒニンがどうのこうのって言ってたような……」
「アーーッ! アーーッ!」
 なんだ? 幼馴染が暴走直後の初号機みたいになってるぞ。
「大丈夫?」
「そんなどうでもいいことは綺麗サッパリ忘れなさい! いいわね!」
 鋭い眼光でこちらを睨みつけてくる優しい幼馴染様。
「はい……わかりました」
「と、とにかく私はもう帰るからっ!」
「えっ、もう帰るの?」
「ここでモタモタしてたら、帰ってなに言われるかわかったもんじゃないわ!」
 雫は、ドスドスドスと荒々しい足音を立てて玄関へと向かう。
 俺は上様に従う小姓のように後を追った。
「なんだかよくわかんないけど、じゃあまた明日」
「じゃあね。それと、御飯ちゃんと食べなさいよね。わざわざ持ってきてあげたんだから」
「もちろん食べるよ。ありがとうな」
「……またね」
 雫はまだなにか言いたそうな顔をしていたが、一瞥をくれて家から出て行った。
 家に一人残された俺は、キッチンに行って雫が持ってきたタッパを開けた。形の悪い玉子焼きが大量に入っていた。一つ摘んで頬張ってみた。
「ふむ……なるほど……」
 形はともかく味は悪くなかった。まぁ、卵焼きを不味く作るほうが逆に難しいんだけどね。
 静かだった。
 妙にハイテンションだった幼馴染が帰ったばかりだからなおさらだ。これでうるさいのがいると、ベタベタとくっついてきてずーっとどうでもいいことを一人でしゃべってるんだけどな。それを思うと、なんかちょっとだけ寂しい気がする。
 俺はもう一つだけ卵焼きを摘んで口の中に放り込むと、電子レンジの中にサムゲタンの入ったタッパを突っ込んだ。


「東郷氏が休みとは珍しいな」
 ただクラスが同じだけの知人――黒木貴史が言った。
 本日、東郷さんは学校を休んでいる。詳しい理由は不明だ。先程ちょっと気になったのでメールをしてみたのだが、今のところ返信はない。昨日の様子から察すると病欠ではないと思う。
「そうだな。心配はないと思うけどな」
 もしかすると、緊急招集とやらが長引いているのかもしれない。
「ていうか、なんかお前と会うのは久しぶりな気がするな」
「まぁな。実時間で一年と五ヶ月ぶりの登場になるからな。よつばとのみうら並に再登場の期間が空いてしまったぞ。まったく。よくもこんな長期にわたって放ったらかしてくれたのものだ」
 実時間ってなんのことだろうな。オラ、さっぱり意味がわからねーぞ。
「それで、例のブログの件はどうなったんだ。少しは落ち着いたのか?」
 黒木が運営している個人ゲームブログは、ステマ疑惑によって炎上し、某巨大掲示板から名指しで転載拒否を宣言されたのだ。
「開店休業中だ。まったく。ほ○のあきのように直接金を受け取ったわけではないというのに、なぜにあのような攻撃を受けねばならんのか理解に苦しむぞ」
 こいつは有志による身辺調査で、本人はおろか家族全員の個人情報を特定されているのだ。気の毒としか言いようがない。
「人の嫌なことを生きがいにしてる人たちはどうかなくなればいいのにな」
「そんなどこかのナマポ芸人みたいな発言は、さらなる反感を買うんじゃないか」
 まぁ確かに気の毒ではあるのだが、あまりこいつには関わらない方が身のためだろう。ただクラスが同じだけの人だしな。君子危うきには近寄らずだ。
「そうか。まぁとりあえず頑張ってくれよ」
「ちょと待て!」
 俺が席を立とうとすると、黒木が鋭い声で呼び止めてきた。
「なんだよ?」
「まさかこれで俺の出番は終わりか!? いくらなんでもそれは殺生だぞ! 一年半以上も放置しておいてその仕打ちか!」
「意味がわからんから。つーか、ちょっと用事を思い出したんだよ」
 俺を恨まれても困るよ。それに、用事を思い出したのは事実だからな。雫に昨日のお裾分けのお礼をしようと思って、家でマドレーヌを焼いてきたのだ。渡すのをすっかり忘れていた。
「嘘をつけ! どうせ、あまりこいつには関わらない方が身のためだろう、とか思っていたはずだ!」
 こいつ、時々俺の心の中を的確に読んでくるな。
「そんなことは微塵も思ってないから。あまり被害妄想に囚われるのはどうかと思うぞ。じゃあ、まぁそういうことで」
 俺は鞄の中からタッパを取り出して、そそくさと席を立った。
 そんわけで、黒木の出番は終了だ。次に出てくるのは、さらに一年後くらいになるかもしれない。
 俺は、雫のグループが談笑する方向に足を進めた。
「雫〜」
 気軽に声をかけると、女子バスケ部の凸凹コンビと話していた雫が、やや意外そうな顔でこちらを向いた。
「なによ?」
「これ、昨日のお礼なんだけど。よかったら食べてくれ」
 俺は、手に持っていたタッパを雫に差し出した。
「えっ……なにこれ?」
「マドレーヌだよ」
「マドレーヌ……わ、私にくれるの?」
 完全に予想外だったらしく、雫は目を丸くして戸惑いを隠せないようだ。
「そうだよ。甘いもの好きでしょ」
「うん……ありがと……」
 雫は、ロボットみたいな動作でタッパを受け取った。
「もしかするとそれは、乃木くんの手作りマドレーヌだったりするわけですかな?」
 興味津々な目で一部始終を見ていた凹さんが言った。
「そうだよ。昨日の夜に焼いたんだ」
「ほほー。乃木くん、料理できるんだ。これはポイントが高いな。雫めっ。羨ましい奴」
 これは凸さんの台詞な。
 で、凸凹のジト〜とした視線が雫を襲う。
「な、なによアンタたち」
「「べっつに〜」」
 ハモる凸凹。
「よかったら二人も食べてよ。いっぱい作ってきたから」
 つい気まぐれで俺が気軽に言ったら、
「えっ、いいの! ラッキー!」
「流石乃木くん、太っ腹ですな!」
 と、凸凹は目の色を変えた。
「ちょっと待ちなさいよ! これは私がもらったんだからね!」  
 スウィーツと聞いて野獣に変貌した凸凹コンビから、雫はマドレーヌ入りのタッパを死守しようとする。
「せこいこと言うな! 作った本人が食べていいって言ってるんだぞ!」
「そうだそうだ! 雫はいつでも作ってもらえるんだからいいだろ!」
「作ってもらえないわよ!」
 いかに我が校が誇る女子バスケ部期待のエースと呼ばれる雫でも、ツーマンセルのマークがついては分が悪い。じりじりと追い寄せられていく。
「だからちょっと待ちなさいって言ってんでしょ! わかったわよ! あげるから少し落ち着きなさいよね!」
 あまりの圧力に早々に死守を断念した雫が、渋々タッパの蓋を開けて机の上に置いた。
「まったく。アンタらは遠慮ってもんがないんだからっ」
 雫は不満タラタラで本気で嫌そうだ。
「美味しそ〜う! 乃木くんに感謝ですな!」
「キャッホー! いっただっきまーす!」
「一人一個だけなんだからね!」
 雫は、マドレーヌの行く末をハラハラと見つめて言った。
 ここで不運が起きた。
「このマドレーヌ、乃木くんが作ったの?」
「うっそー、私も食べたい〜」
 甘い匂いに釣られたミツバチのごとく、クラスの名前の不明なモブ女子たちがわらわらと集まってきたのだ。
「えっと、俺はべつにいいんだけど……」
 チラリと雫に目をやると、聞いてないよー! ってな顔をしている。
「やりー。雫、一個もらうね」
「児玉さん、私もちょうだ〜い」
「ちょっと! アンタたちまで! 待ちなさいって!」
 雫の抗議を軽く無視して、モブ女子たちはタッパの中のマドレーヌをかっぱらっていく。女の子は甘い物には逆らえない生き物らしい。アッという間にタッパの中からマドレーヌの姿が消えってなくなった。
「美味しいー! こんなの作れるなんて凄いね」
「乃木くん、今度作り方教えて〜」
 スウィーツ効果すげーな。こんな短時間で俺の好感度がかなりアップしたぞ。
「せっかく涼介が作ってくれたマドレーヌが……まだ一つも食べてなかったのに……ううっ」
 マドレーヌを食べそびれてしまった雫が半泣きになっている。
 哀れな……。
 しかし、雫がそんなにマドレーヌが好きだったとは知らなかったよ。ちょと可哀想な気もするから、近いうちにまた焼いてやろう。
 キーンコーンカーンコーン。
 昼休み終了の予鈴のチャイムが鳴った。
 気だるい午後の授業が始まる。
 

 家に帰ってくると、玄関で素っ裸の美少女と遭遇した。
 流石にそんな怒涛の展開は、『ToLOVEる』でも読んだことねーよっ! とツッコミが入りそうだが、実際にこうして俺は全裸の美少女とご対面しているのだから仕方がない。
 その美少女の名前を、俺は知っていた。
 東郷・ロジェストヴェンスキー・永遠。
 昨日、知り合ったばかりのロシアンハーフで、東郷さんの従姉妹だ。
 なぜかその少女の裸体と長い金色の髪は、濡れているように見えた。そのそばには、同じくなぜか濡れ鼠になった黒猫が一匹。彼女の飼い猫のカエサルだ。
「と、永遠さん……」
「えっ……」
 彼女のライトブルーの瞳がこちらに捕らえた。俺の目とがっしり交差する。
「……!?」
 永遠さんは、全裸のままでピタリと動きを止めた。唖然呆然としている。突然の再会すぎて、どうやら状況が飲み込めていない様子だ。
 まぁそれは俺も同じなんだけどね。とにかくだ。俺は彼女のその美しすぎる裸体をただ眺めること以外考えられなかった。
 す、素晴らしい……。
 目の前の金髪の美少女の裸体は、本当にその一言だった。正直、感動モノのレベルだ。挿絵がないのが非常に残念な話だよ。みなさんにも俺の感動が伝わるように、少し詳細に語ってみよう。
 まずもっとも印象に残るのは、その肌の白さだ。
 ロシア人の血を色濃く受け継いだ白人特有の彼女の素肌は、一切の汚れを知らない真珠のような玉肌で、その黄金色の髪と共になると、まるでファンタジーの世界から召喚されたエルフのように見えた。
 次に、そのスタイルの素晴らしさについて語る。
 昨日は和服を着ていたのでよくわからなかったが、胸の双子の柔肉がもう凄いことになっている。流石に東郷さんほどはないが、それでも、Eかッ! Fかッ! ってなくらいの巨大さで、ちょっと呆れるほどセクシーな円錐型をしている。そして、ツンと上に向いた乳頭は薄い桃色。これが特に重要。大切なことだから二回言います。ツンと上に向いた乳頭は薄い桃色。
 抱きしめれば簡単に折れてしまいそうなほど腰は細く、魅惑の乙女の丘には、大切な秘裂を覆い隠すように、一房の産毛のような金色のちぢれ毛がふさっと繁茂していた。
 まぁとにかく端的に言うと、ちょっとやそっとじゃお目にかかれない貴重な美少女の全裸だったのだ。
「ニャー」
 なにやってるの〜? とカエサルが首を傾げた。
 それを合図にして、俺たちの間で止まっていた時間が動き出した。
「の、乃木様ッ!! な、な、なぜこちらに!?」
「いやいやいやっ! ここは俺の家ですから!」
 俺は自分の家に帰って来ただけだからな。なんの落ち度もないはずだ。
「み、見ないでくださいまし! ご無体でございます! 」
 ちょっと気の毒なくらい狼狽している永遠さんは、両手をあたふたとさせて大切な部分を隠そうと努力している。
 見るなとか言われても……本当にごめんなさい。無理です。なんか一部では、俺には性欲がないとか誠しやかに囁かれているようだが、性欲ぐらいちゃんとあります。これでも健康な男子高校生なんだからな。したがって、こんな綺麗な女の子の裸をタダで見れるチャンスを逃すことなどできはしないのだ。
「あううう……」
 永遠さんは俺のそんな容赦のない視線の暴力にたじろぎ、へっぴり腰でずるずると後退る。が、間が悪かったのかあるいは神の悪戯か、そこで彼女はツルンと足を滑らせた。
「ふにゃああっ!!」
 永遠さんは可愛い悲鳴を上げて、その場にドスンと尻餅をついた。
 その時だった。
 見えてしまったのだ。
 決して見てはいけないものが見えてしまったのだ。
 がばっとM字に開脚された股座の奥に静かに潜む、肉々しい花びらを開かせた乙女の秘部を。
「――――ッッ!!」
 その神々しいほどに可憐な女性器を目の当たりにして、俺はただ言葉を失いその一点だけを見つめ続けるだけのチンパンジーに成り果ててしまった。
「あいたたた……えっ……?」
 痛そうにお尻をさすっていた永遠さんは、俺がガン見する視線の先に気がつくと、
「はにょああぁぁっ!?」
 と、よくわからない奇声を発して、はしたなくおっ広げていた両脚をさっと閉じた。が、時は既に遅かった。彼女の一番大切な部分の造形は、完璧に俺の脳内SSDに永久保存されてしまったのだから。
「あうあうあう……」
 で、永遠さんは羞恥のあまり顔面を真っ赤に火照らせると、バッと立ち上がり家の奥に飛んで逃げた。どこに行くの〜? とカエサルがぴょんぴょん跳ねてそれを追いかけて行く。その時に見えた彼女の白桃のようなお尻は、もう飛びかかって食いつきたくなるくらい超可愛かった。
 は、初めて女の子のアソコを生で見てしまったぞ……。ネットやDVDでなら何度も見たことはあるが、その中でもぶっちぎりの断トツで綺麗なビラビラだった。いやっ、もうほとんど別物だったと言っても過言ではない。色艶がマジで半端ないくらい新鮮で美しいんだ。こいつは本当にいいものを見せてもらったよ。
「我が生涯に一片の悔いなし!!」
 と、俺は天に向かって右手を突き上げたい心境だった。
「お帰りなさい、乃木くん」
 俺がそんな小市民の素朴な幸せに身を浸らせていたところで、東郷さんが奥から軽い足取りでやってきた。
「ブーーッ! と、東郷さん、その格好はいったいなんなの!?」
 彼女は長い黒髪をアップにしてうなじを晒し、バスタオルを裸体に巻き付けただけのとても守備力の低い格好だった。
 さっきのすっぽんぽんの永遠さんと比べると多少インパクトは落ちるが、それでも東郷さんのバスタオル姿はホンマにえらいこっちゃだ。火照った肌がなんとも色っぽく、完熟しきった巨大な胸の谷間がどーんと露出されており、もう色んなものを挟んでみたい衝動に駆られてしまう。
「なにって……永遠みたいに全裸の方がよかったのかしら?」
「違います! なんで二人してそんな格好をしているのか知りたいよ!」
「それは永遠と一緒にお風呂に入っていたからよ。後、カエサルもね」
 東郷さんは、さも当然のように答えた。
 家主がいない家で勝手にお風呂に入るのはどうかと思うよ。そもそも家に忍び込んでいる時点で犯罪なんだけどな。
「ん? ちょっと待ってよ。その前にどうやって家の中に入ったのさ?」
 先日、ドアチェーンの修理をしてもらうついでに、ドアの鍵を新しいのに変えてもらったのだ。東郷さんがなぜか保有しているうちの合鍵では、もう家の中に入れないはずなんだが……。
「二階の窓の鍵が開いていたわ。ちゃんと戸締りはしておかないと物騒よ」
「本当に物騒なことが起きているよ! なぜにそんなアクロバッティックなことまでする必要があるのかとことん知りたいよ!」 
「まぁ細かいことは気にしなくていいじゃない」
 なんて怖い娘なの……。
 あんまりおかしなことばかりしていると、誰かに通報されてしまうかもしれないから本当にやめてもらいたい。
「それでね。途中でカエサルが逃げてしまったのよ。それを永遠が追いかけて行って乃木くんと鉢合わせになったようね。まぁよくあるラッキースケベなイベントよね。乃木くんには少々物足りなかったとは思うのだけれど」
「そんなラッキスケベーの熟練者みたいに言われるのは不本意だよ」
 しかし、本当に目のやり場に困るな。今にも肢体にゆるーく巻き付けられているだけのバスタオルがずり落ちそうで気が気じゃないよ。
「と、とにかく早く服を着て。いくらなんでもリラックスしすぎだと思うよ」
「乃木くんの家はなぜか落ち着くのよ。自分の家よりも心地がいいくらいだわ」
 東郷さんは手に持っていたエビアンのキャップを外し、やや気だるい仕草で口に咥えた。コクコクと喉を鳴らす。口角から溢れた出たミネラルウォーターが、艶かしく動く彼女の喉を通って胸元まで伝い落ちていく。正直、下腹部がとても刺激される扇情的な光景だった。
「ふぅ〜、美味しい」 
 東郷さんは、法悦の吐息を零した。
 つーか、この人、服を着る気はあるのかな?
「ところで、乃木くんの家のお風呂は大きいのね。永遠と二人で入っていても、とても快適だったわ」
「うん……。うちの父親が風呂が好きでね。色々と改装とかしてるんだよ」
「そうだったの。あれだけ大きいと色んなサービスができてしまいそうね。とても迷ってしまうわ」
 いったい君はなにをするつもりなの……?
「そんなことよりも服! 早く服を着てください!」
「あらっ、サービスシーンはもういいのかしら。最近肌色率が少なかったようだから、もうしばらくこの格好でいても私はいいのだけれど」
「なんの心配をしてくれているのかよくわからないよ! おかしな気は使う必要はないから!」
「そう……。でも、このまま終わってしまっては、なんだか永遠に負けたような気がするわ。だからとても恥ずかしいのだけれど、乃木くんがどうしてもやれと命令してくれるのなら、思い切ってここでご開帳してもべつに構わないわよ」
 ポッと頬を染めた東郷さんが、バスタオルが巻かれただけの身体を妖艶にくねらせて言った。
「そんなことはしなくていいですから! だいたい勝ち負けの問題じゃないですから! いいから一刻も早く服を着て欲しいよ!」
「それは残念ね。またお預けになってしまって、なんだか申しわけがないわ」
 いったい誰に申しわけがないのやら。とにかく、そこまで神対応をする必要はないだろ。
「じゃあ着替えてくるわね。永遠も今着替えていると思うから、乃木くんは紅茶でも飲みながらゆっくり待っていて」
「わかったよ」
 かなり名残惜しい気もするが、いつまでもこんな挑発的な格好でいられては、俺の理性は焼きただれてしまうのだ。
「それと、言い忘れていたのだけれど、もし覗くのだったら――」
「覗かないからっ!」
 言い終わる前にさっさとツッコんだ。もうキリがないからな。
「そう……」
 東郷さんは、なぜか親からはぐれた子鹿のような寂しそうな目をして奥に戻った。
 ていうか、わざわざ学校休んで俺の家でなにをしていたのだろうか? 激しく気になるな。


「先程はお見苦しいものをお見せしてしまい、誠に申しわけございませんでした」
 素早く和服に着替えて髪を整えた永遠さんが、とても綺麗な正座で深々と頭を下げた。
「そんな大げさに謝らないで。もういいから頭を上げて欲しいよ」
 タダであんな綺麗な裸を見させてもらったうえに謝罪までされてしまっては、罰が当たるというものだ。
「は、はい……」
 永遠さんはゆっくりと頭を上げたが、すぐに頬を紅潮させて俯いた。もう耳たぶまで真っ赤になっている。実に初々しい。
「殿方に素肌をお見せしたのは初めての経験でございますので、正直どのような対応を取ればよろしいのか戸惑っております……」
 で、消え入るようなか細い声で話を続ける。
「も、もう穴があったら飛び込んでそのまま引きこもってしまいたい心境なのでございますっ!」
 はわわわ! と永遠さんは火照った顔を両手で覆い隠した。
「乃木くんは罪作りな人ね」
 東郷さんは、からかい混じりの笑みを浮かべながら言った。
 このメガネっ娘、本日は私服だ。ジーンズにロングカットソーというラフな格好だが、モデル体型なのでなにを着てもよく似合うし、とてもセクシーだったりする。
「そんなこと言われても困るよ……」
 果たしてそれは俺の罪なのだろうか。実に悩ましいところだ。
「綾香さん、それは違います。決して乃木様には罪はございません。他所様のお宅であまりにも無防備だったわたくしに全ての責任があるでございます。……ですが、わたくしがもうお嫁に行けない身体になってしまったのは事実でございますが」
「そ、そんなオーバーだよ。お嫁にはちゃんと行けると思うよ」
「いえ……あのように奥の方までつぶさに見られてしまっては、もうお嫁には行けません」
「乃木くん、奥の方まで見てしまったの?」
「奥の方までは見てないよ!」
 確かに永遠さんの綺麗なビラビラは、くぱぁ〜と開いてはいたけれども、奥の方まで見えるわけないからね!
「このような結果になってしまっては、もはや乃木様に責任を取っていただくしかございません」
「せ、責任!?」
「はい。責任でございます。具体的に申し上げますと、け、結婚でございます!」
「け、結婚!?」
「はい。結婚でございます。」
 永遠さんは、驚くべきことをきっぱりと言い切った。先程までとは打って変わって、視線にただならぬ強い意志を感じる。
「いきなりそんな……冗談キツイよ、永遠さん。ハハハ……」
 とりあえずここは笑ってごまかすしかないよな。てか、たぶん本気で言ってるわけじゃないと思うし。
「わたくし、子供は最低でも二人は欲しいのでございます。一人っ子では少々寂しゅうございましょうから。乃木様、まずは男の子と女の子を一人ずつということでよろしゅうございますか?」
「もう子供の話になってるよ!? ちょっと展開が早すぎるよね!」
「乃木様は、子供はお嫌いなのでございましょうか?」
「えっ……いやっ、べつに嫌いではないけど……」
「それはよろしゅうございました。乃木様がお望みなるのであれば、わたくしは何人でも乃木様の赤ちゃんをお産みいたしますのでございます。子供は宝物でございますから。きゃっ♡」
 永遠さんのテンションがちょっとおかしなことになっている。
「それとわたくしは、できれば猫をたくさん飼ってみたいのでございます。猫と共に過ごしておりますと、とても心が安らぐのでございます。乃木様は、猫はお好きでございましょうか?」
「まぁ、どっちかっていうと好きだけど……」
「やはりそうでございましたか! 短期間でカエサルがこんなにも懐いているくらいですから、きっと乃木様はそうではないかと確信を持っておりましたのでございます!」 
「ニャー」
 鼻息を荒げて力説する永遠さんに呼応するように、俺の膝の上で丸くなっているカエサルが気持ちよさそうに鳴いた。
「永遠さん、本当にちょっと落ち着いて……」
「たくさんの子供とたくさんの猫に囲まれた家庭を築くことが、わたくしの子供の頃からの夢だったのでございます。ああっ、なんと素敵なことなのでござましょうか!」
 はううう♡ と永遠さんは青い瞳をキラキラさせている。
 駄目だ……。全然話を聞いてくれないぞ。誰かさんと同じパターンだ。妄想がどんどんエスカレートしていってるぞ。
「乃木くん、結婚しちゃうの? 結婚式にはもちろん呼んでもらえるのよね」
 東郷さんがニヤニヤしながら言った。
「しません! 東郷さんからもなにか言ってあげて欲しいよ。君の従姉妹がちょっとおかしなことになっちゃってるから」
「部外者の私がなにか余計な口を出してもいいのかしら。ふふっ」
 この人、なぜか知らないけど本当に楽しそうだな。 
「全然余計なことじゃないから。ていうか、ぜひお願いします!」
 だいたい部外者じゃないからな。どストライクで関係者だから。
「乃木くんがそう言うのなら仕方がないわね」
 東郷さんは、なぜか暁美ほむらメガネを優雅に外した。
「永遠、ちょっと冷静になりなさい。そんなに先走ってしまっては、乃木くんも困ってしまうわ」
 で、素顔になった東郷さんが永遠さんに向かって言った。
「あ、綾香様……おっしゃるとおりでございます。よくよく考えれば、乃木様は綾香様の大切な殿方でございました」
 綾香様……? なぜ急に呼び方が変わったのか? オマケに永遠さんは、心なしか若干緊張しているように見える。
「わかればいいのよ、永遠」
「は、はい。どうやらわたくしは、後先を考えずに先走ってしまっていたようでございます。乃木様、不快な思いをさせてしまって申しわけございません」
 永遠さんは、借りてきた猫のように素直に頭を下げた。
 理由は見当もつかないが、どうやら永遠さんは素顔の東郷さんには逆らえない様子だ。奇妙な人間関係としかいいようがないな。
「べつに不快な思いはしてないんだけどね。ただ急に結婚とか言われてもちょっと……」
「困惑をされるのも無理はございません。乃木様のような素敵な殿方が、わたくしなどをお娶りになるのはお嫌でございましょう。ああっ、わたくしはなんと愚かな夢想を抱いてしまったのでございましょうか」
 今度は一転してダウナーモードの永遠さん。
 結構感情の起伏が激しい人だな。
「わかりました。わたくし、出家したします」
「それは両極端すぎるよ!」
「そうは申されましても、わたくしはもうお嫁には行けない身体でございますから……」
「お嫁にはちゃんと行けますからっ! だからそんなに心配しないで!」
「そのようなお慰めはおやめくださいませ。もう決めたことでございますから。わたくしは尼となって仏門に身を委ねる所存なのでございます」
 これはまずい。このままでは永遠さんは、本当に尼なってしまうかもしれない。もしそんなことになっては、王仁丸が黙っていないはず。
「困ったことになったわね。永遠はかなり思い込みの激しい子だから。一度言い出したらなかなか言うことを聞いてくれないのよ」
 本当にどこかの誰かさんとそっくりだな。
「ことが穏便に運ぶように彼女を諭してあげて欲しいよ。もう東郷さんだけが頼りだから」
 俺はすがりつくように懇願した。
「そんなに乃木くんに頼りにされているのなら、頑張らないわけにはいかないわよね。それじゃあ、ちょっと乃木くんは席を外してもらえるかしら」
「席を外すの?」
「そうよ。永遠と二人だけにしてもらえるかしら」
「うん……わかった」
 なぜ席を外す必要があるのかわからないが、ここはもう東郷さんに説得してもらうしかない。よくわからない胸騒ぎがするのは気のせいということにしておこう。
 そんなわけでしばらくの間、俺は隣のキッチンで待機することになった。
 微かに話し声が聞こえてくる。
「永遠、あなたが出家する必要はないのよ……」
「例え綾香様のおっしゃられる……もう決めて……ございますから……」
「だったら……いい方法が……るわ」
「えっ……どういう……ざましょうか……」
 うーん。よく聞き取れないな。どんな話をしているのかとても気になるんだけど、東郷さんに任せると決めたわけだし、彼女を信じて大人しく待つことにしよう。
 手持ちぶたさなので、俺は夕食の準備などをしながら話が終わるのを待つことにした。そのまま二十分ほど時間が経過すると、東郷さんと永遠さんがこちらにやってきた。
「乃木くん、もういいわよ」
「終わったの?」
「そうよ。話はすぐに上手くまとまったわ。でも細かいところを詰めるのに少々時間がかかってしまったのよ。待たせてしまってごめんなさいね」
「乃木様、先程は愚かなことを口走ってしまって申しわけございません」
「いいんだよ。わかってもらえてホッととしたよ」
 大切なところを見られたからと言っても、なにも尼になる必要はないのだ。あれはただの幸運な……いやっ、不幸な事故なんだから。犬に噛まれたくらいに思っておけばいいのだ。
「それででございますが……綾香様との協議の結果をお話したいと思うのですが、よろしゅうございましょうか?」
 永遠さんは、とても恥ずかしそうにモジモジしている。
「大丈夫よ、永遠。勇気を出して」
 きっと乃木くんもわかってくれるわ、と素顔の東郷さんが隣で永遠さんを励ましている。
「うん。聞くけど……」
「その……結論から申し上げますと、わたくしが乃木様のセックスフレンドに就任するということで話は決着いたしましたのでございます」
「セ、セックスフレンド!? ちょっと待って! まったく意味がわからないよっ!!」 
 だいたい就任ってなに!? 役職じゃなんだから!
「セックスフレンドの意味がおわかりになりませんか? 簡単に申し上げますと、友人の関係でありながらもお互いの気持が高まり合えば性行為を行う、という現代の男女交際ことなのでございます。このような画期的な制度があろうとは、わたくしも今の今まで存じ上げませんでした」
「そんなことくらいは知ってますからっ! どんな話し合いをしたらそんな誤った結論が導き出されるのか理解不能だよ!」
「乃木くんは結婚は困ると言っていたから、それならその間を取れば八方丸く収まると思ったのだけれど、なにか問題があったのかしら?」
 こんなことを真顔で言えるのが東郷さんの凄いところだ。
「いったいなにとなにの間を取ったのかさっぱりだよ! だいたい丸く収まっているとは到底思えない結論だよ!」
 まぁ、嫌な予感はしてたんだよ。うん。今回の件からお前が得るべき教訓、安易に人に任せてはいけない、ということだな。
「これから乃木様のことは、ア・ナ・タ♡ とお呼びした方がよろしゅうございましょうか? きゃっ♡」
「ダメダメッ! セックスフレンドもそんな呼び方も認められません!」
 結局、セックスフレンドの件は保留ということになった。後日、東郷さんと永遠さんとでまた協議の場を設けるそうだ。なんか一方的に主導権を握られたような気がしないでもないが、どうしようもないことだから諦めるのが肝心なのだ。


「実は乃木くんに、私と永遠からプレゼントがあるのよ」
 本日、我が家に勝手に侵入していた理由を聞いてみたところ、東郷さんからそんな答えが帰ってきた。
「プレゼント?」
「そうよ。いわゆる、サプライズプレゼントというやつね」
 驚きの贈り物か……これは予想外の展開だな。
「ていうか、プレゼントをもらう理由が見当たらないんだけど」
「わたくしに初めて殿方の友人ができた記念にと思いまして、乃木様になにかをお送りしたい綾香さんに相談しましたところ、それならば二人で乃木様が喜びそうなものを選んでプレゼントをしましょう、ということになったのでございます」
「そういうことなのよ。受け取ってもらえると嬉しいわ」
 六月なのに桜の花が再び咲きそうなほど優しい笑顔の東郷コンビ。
「そんなに気を使ってくれなくてもよかったのに。なんか悪いよ」
「お気になさらないでくださいませ。乃木様とは、これから末永いお付き合いになるのでございますから」
「悪いと思っているのは私の方よ。今までなに一つペットの義務を果たせていないのだから」
 いったいそのペットとやらには、どのような義務が課せられているというのだろうか。
「まあっ、綾香さんもペットを飼っていらしたのでございますか?」
 それは存じ上げませんでした、と誤解した永遠さんが食いついてきた。
「私じゃないわ。ペットを飼っているのは乃木くんよ」
 うふふ、と妖しく笑う東郷さん。
 えっ! お、俺……!? そんなキラーパスを突然出されても処理しきれないよ!
「そうでございましたか。乃木様は、どのようなペットを飼っていらっしゃるのでございますか? 猫でございますか? 犬でございますか?」
「え、えっと……それはその……」
 とても返答に窮する。なぜならみなさんも知ってのとおり、我が家ではペットを飼っていないのだから。ただ、人の話をまったく聞いてくれない自称ペットの人が約一名いるだけだ。
「牝犬よ」
 間髪入れずに東郷さんが答えた。
 うーん。この人の真意が知りたい。もう切実に。
「牝犬でございましたか。牝猫ならカエサルといいお友達になれたのでございますが。乃木様、その牝犬さんは、どちらにおられるのでございましょうか? ぜひお会いしてみたいのでございます」
「い、いやっ、それはちょっと……ごにょごにょ……」
 チラッと横目で東郷さんを確認すると、彼女は恍惚とした表情で身体をゾクゾクと震わせている。
「えっと……今はちょっといないんだ。ジステンバーが悪化して今は保健所に行ってて……」
「そうでございましたか。それは残念でございます」
「本当に残念ね。私も乃木くんの牝犬に会ってみたかったわ」
 ふぅ〜、と東郷さんは気だるく甘ったるそうな吐息を零した。
「……」 
 これはいったいなんのプレイだったの? 勝手におかしなプレイを強行するのはやめて欲しいよ。せめて最低限の打ち合わせくらいはしてもらはないと……いやっ、どっちにしろ困るか。変態すぎて。
「……そ、そんなことよりプレゼントの話を聞きたいんだけど」
「ちょっと話が脱線してしまったわね。とにかく私と永遠が選んだプレゼントを受け取って欲しいのよ。きっと気に入ってもらえると思うわ」
「わたくしと綾香さんが一晩じっくりと話し合って決めたプレゼントでございますから」
 鉄板でございます、と永遠さんは自信満々の様子だ。
「もしかして今日東郷さんが学校を休んだのは、プレゼントを買いに行ってたからなの?」
「そうよ。メールの返信ができなくてごめんなさいね。乃木くんを驚かせようと思っていたものだから」 
「そうだったんだ。そこまでしてくれたのなら受け取らないわけにはいかないよね。東郷さん、永遠さん、本当にありがとう」
「それはよろしゅうございました。それでは、さっそく乃木様のお部屋に参りましょうか」
「えっ、俺の部屋に行くの?」
「そうよ。乃木くんの部屋にプレゼントはセッティングしてあるのよ」
「そうなんだ……」
 なるほど。俺の部屋に勝手に入ってセッティングとやらをしたのか……。まぁいいんだけどね。見られて困るようなものはパソコンの中にしかないわけだし。真帆奈対策で、パソコンにはパスワードを設定しているから安心なのだ。
 俺たち三人は一緒にぞろぞろと二階に上がり、俺の部屋の前で立ち止まった。
 しかし、プレゼントっていったいなんだろうな? セッティングとか言ってたから、結構大きなものなのかもしれない。うーん。ちょっと想像がつかないな。なんか緊張してきたぞ。
「どうしたのかしら、乃木くん?」
 ドアの前でフリーズしていた俺に、東郷さんが不思議そうに声をかけた。
「な、なんでもないよ」
 ほのかな期待を胸に宿しつつ、俺は部屋のドアを開けた。
 そこには、一人の女の子がいた。俺のベットの上にちょこんと座っている。
「えっ……」
 かなり戸惑っている俺がいた。
 その女の子は子供だった。おそらく小学生くらいだろうか。真帆奈よりも年下なのは間違いない。そして、なぜかウェディングドレスを身にまとっていた。
 ……なぜこんな子供が俺の部屋にいるのだろうか? まさか結婚式から逃げ出してきたなんてことはないだろうけど。そもそもプレゼントとやらはどこにあるの? 謎は深まるばかりだ。
 東郷さんと永遠さんは、俺の反応を期待の表情で見つめている。どうやらこれでなにも問題はないらしい。うーん。これは自分が置かれた状況がちょっと把握できないな。覚醒したと思ったら首輪爆弾を付けさせられたくらいのレベルだ。
 しかし、とても愛らしい女の子だった。
 ちょっと幼いがまるで人形のように可愛くて、とても整った顔立ちをしている。ん……? 人形……。ちょ、ちょっと待てよ。よく見るとこれって、人形じゃないかっ!
「乃木くん、私たちのプレゼントはお気に召してもらえたかしら?」
「……も、もしかしてプレゼントってこれのことなの?」
 俺は震える人差し指を、その非常に精巧にできた女の子の人形に向けた。  
「そうよ」
「そのとおりでございます」
 たちの悪いドッキリと思いたかったが、孫にプレゼントを与える祖母のような慈愛に満ちた二人の顔を見ると、とても俺をからかっているとは思えない。かえって深刻な話だった。
「こ、これはなに……?」
 ゴクリと生唾を飲み込んでから問うた。
「ラブドールよ」
「ラブドールでございます」
「ラ、ラ、ラブドール!? ちょっと待ってよ! 二人で一晩じっくりと話し合ったって言ってたよね!?」
「激しいディスカッションを繰り返して、最終的に私と永遠の意見はこれに集約されたわ」
「議事録があるならぜひ読ませて欲しいレベルだよ! つーか、もしかしてもしかすると、朝からオリ○ント工業に行ってこれを買ってきたの!?」
「そうよ。あんなにたくさんのラブドールが飾ってあるなんて正直圧巻だったわ。夢に出てきてしまいそうよ」
「その数多くあったラブドールの中から、乃木様が一番好みかと思われるラブドールをお選びいたしましたのでございます」
「それでなぜこんなゴリゴリのロリータドールをチョイスしてきたのか納得できないよ! しかもウェディングドレスなんか着てるし!」
 むしろそこはかとない悪意を感じてしまうのは俺だけなのだろうか。
「でも、乃木くんのパソコンの中からロリコンが親バレしたクジラックス先生なんかのいやらしい本が大量に見つかったものだから、てっきりそうだったのかと納得してしまったのだけれど」
「ど、どういうことなの! もしかして俺のパソコンを勝手に調べたの!? ちゃんとパソコンにはパスワードがしてあったはずだよね!?」
「乃木くん、八桁のパスワードくらい簡単に解除できるものなのよ。甘く見てもらっては困るわ」
「お願いだからそんなスパイみたいなことをするのはやめてッ!!」
 だいたいあれはスキャン職人の黒木にコピーしてもらったものなんだ! 決して俺の趣味ってわけじゃないんだよ!
「ちなみにこのラブドールの名前でございますが、僭越ながらわたくしと綾香さんとで、『みつ子』と命名させていただきましたのでございます」
「えっ……み、みつ子?」
 なんか今風の名前ではないな。他界した森光子を連想してしまう。
「そうよ。私たちがとても敬慕する祖母の名前からもらったのよ。大切にしてあげて欲しいわ」
「そんな身近でとても敬慕する人の名前をラブドールにつけないでッ!!」
 そのお婆さんに失礼な話だし変な想像しちゃうから!
「あらっ、どうやら乃木くんの食いつきはちょっと悪いようね。想定外だわ。なにか選択を誤ってしまったのかしら?」
 むむむー、と東郷さんはその整った眉間に皺を寄せる。
「もしかすると乃木様は、ドールのバストのサイズがご不満の理由なのではないでしょうか。やはり無難にペッタンコのドールにしておけばよかったのではないかと思われるのでございます」
「そうね。ロリ巨乳の方がギャップ萌えで喜んでもらえると思ったのが間違いだったのかもしれないわね」
 ボソボソとよろしくない密談を交わす金髪着物と黒髪眼鏡。
 確かにこのラブドールは、ロリータタイプでありながら結構なバストのサイズをお持ちだったりする。
「そこそこっ! みつ子の胸のサイズは全然関係ないからねっ!」
 駄目だ。この二人のペースに巻き込まれていては、いくらツッコんでもきりがないぞ。もっと冷静になれ。深呼吸だ。ヒッヒッフー、ヒッヒッフー。
「……べつに不満があるわけじゃないんだよ。二人の気持ちは大変にありがたいんだけど、ただプレゼントがラブドールというのは流石にどうかと思うよ。だいたいこれって凄く高いよね。こんな高価なプレゼントはちょっと受け取れないよ」
 ラブドールなんて、昨日の夜に決めて今日の朝に簡単に買えるようなもんじゃないからな。ブルジョワの資金力と行動力には脱帽だよ。
「乃木くんが喜びそうなプレゼントを考えていたら、たまたまちょっと高価なものになっただけだから。なにも遠慮する必要はないのよ」
 できれば常識の範囲で選択して欲しかったよ。方向性が飛び抜けすぎてるよね。
「それに、乃木くんに受け取ってもらわないとこちらも困るわ」
「そうでございますね。わたくしと綾香さんがみつ子さんを所持しておりましても、有効な使い道はございませんから」
「ただ鑑賞するか、せいぜい添い寝するくらいよね。乃木くんのように有効な使い道はないわ」
「俺がみつ子をどう有効に使うというの!」
 俺はまだラブドールで童貞を捨てるほど切羽詰まってないですからっ!
「困ったわね」
 なにがいけなかったのかしら? と東郷さんが結構真剣な顔で考え込んでいる。
 こんなに頭がいい人なのに、なぜそれがわからないのだろうか……。
「綾香さん、わたくしはこう思うのでございますが……」
 またよろしくない密談の予感だ。
「つまり乃木様は、俗に言うツンデレという属性ではございませんでしょうか? わたくしと綾香さんがいるので気がないようなツンな態度を取っておられだけで、みつ子さんと二人っきりになればきっとデレるのではないか、と愚考いたしますのでございます」
「なるほど。その可能性は高いわね。どうやら私たちは野暮なことをしていたみたいね。だったら早く二人っきりにしてあげましょうか」
「はい。そのようにいたしましょう」
 そして密談終了だ。
「ごめんなさい、乃木くん。私たちは用事を思い出したからこれで帰ることにするわ」
「すっかり予定があることを失念しておりました。早くお暇しなければ間に合いませんのでござます」 
 東郷さんと永遠さんは、いかにもわざとらしくいそいそと時計や手帳なんかを確かめながら言いやがった。
「もう話はぬるっと全部聞こえてたから! わざわざそんな下手な小芝居しないでっ!」
「用事があるのは本当なのよ。永遠の家で昨日の続きがあるの。大変だわ」
「急なことになってしまい本当に申しわけございません。次にお招きにあずかりました時は、ゆっくりと乃木様のお話をお聞きしとうございます」
 招待した覚えはないんだけどな。勝手に入り込んでいただけで。まぁいいんだけどね。ところで昨日の続きってなにするんだろう。謎が謎を呼ぶ東郷家の一族だ。
「ちょっと待ってよ。冗談抜きでこの人形はどうすればいいのさ?」
「あまり急いで結論を出す必要はないと思うの。とりあえず一晩くらいはゆっくりと考えてみてちょうだい。もちろん、べつに考えるだけじゃなくてもいいのだけれど」
 東郷さんは、くいっと口角を妖しく釣り上げた。
「そんな一晩あればこっちのものだみたいな顔をされるのは不本意だよ!」
 パパパパーン、と東郷コンビは一緒に結婚行進曲を口ずさみながらそそくさと帰り支度を始め出した。
「本当に帰っちゃうの!? みつ子と二人っきりにされても困るよ!」
「乃木くん、明日学校でね。それじゃあごゆっくり。ふふっ♡」
「乃木様、後日よろしければぜひご感想などをお聞きしたいのでございます。きゃっ♡」 
 で、結局二人組は本当に帰ってしまった。無表情のみつ子だけがこちらを見つめている。
 どうすんだよこれ……いや、マジで。まさかラブドールをプレゼントされるなんて夢にも思わなかったよ。グローバルの視点から見てもこんなケースは稀だろ。
 しかし……このラブドール、本当によくできてるな。肌なんかも……おおっ! 思ったよりも柔らかいぞ! 少々ひんやりするが人肌の感触によく似ている。なんという職人魂だ。日本人の匠の真髄を垣間見てしまったぜ。
 つーか、こうなると服の中身がどうなっているのかとても気になってくるな。……いやいやっ! 誤解される嫌だからあらかじめ断っておくが、これは猥褻なつもりで言っているわけじゃないからな。日本の技術力の粋を結集して作り上げられたこのラブドールの構造を、俺はただ把握したいだけなのだ。純粋に知的好奇心を満足させたいだけなのだと思っていただきたい。まさか俺がラブドールで童貞を卒業しようとか思っているわけないじゃないか。ハハハ、こやつめっ。こんな説明をクドクドとしなくても、賢明な読者の皆様ならわかってもらえているはず。さっさと作業を済ませてしまおう。
 さてと……それでは、ふ、服を脱がすぞ。ハァ……ハァ……。てか、これなんか脱がしにくいな。まぁ相手は動かない人形だからな。オマケにウェディングドレスがひらひらしてて脱がし方がよくわからん。ふぅー。焦らしやがるぜ。
 そんな時だった。俺の携帯電話からClariSが歌うルミナスが奏でられた。
 ドッキーン! こ、こんな時に誰だよ。まったく。空気ぐらい読んで欲しいよな。……って、あれ? 東郷さんからだぞ。いったいなんだろう?
「もしもし……」
 俺は恐る恐る携帯電話に出た。
『乃木くん、忙しいところなのにごめんなさい』
「べ、べつに俺は忙しくはないよ。ちょ、ちょっと仮眠を取っていたところだから。ハハハ……。それでなにかな?」
『大したことじゃないのよ。ただちょっと手こずっているようだから電話をさせてもらったのよ』
「て、手こずっているってなんのことかな?」
 明らかに動揺している俺がいた。
『そのラブドールのウェディングドレスのことなのだけれど。胸の横にボタンが付いてあるから、それを外したらもっと簡単に脱がすことができると思うわ。それじゃあ頑張ってね』
「ちょっ! なんでそんなことがわかるの! エスパー魔美の親戚かなんかなの!?」
『……』
 プチッ。通話は一方的に切られた。
「もしもし! もしもし!」
 ツー、ツー。
 虚しい発信音だけが耳元で木霊する。
「なんてこったい!」
 つーか、これはもう完全に監視カメラが設置されているだろ。疑惑が確信に変わった瞬間だ。ラブドールといかがわしいことをやっている場合ではない。探さねばッ!!
 そんなわけで、一晩かけて家捜しをするはめになった。


 翌日。
 朝から学園内がなにやら騒々しいような気がしていた。はて。なにかあったのかな?
「なんだ。お前は知らんのか?」
 もう当分は登場しないと思われていた黒木が言った。
「なんか知ってるのか?」
「なんでも一年にトンデモない美少女の転校してきたそうだ」
「トンデモない美少女? どんな美少女なんだ?」
「知らんよ。実際に見たわけじゃなからな。俺は三次元の女なんぞに興味はない。ただそういう情報が駆け巡っているというだけの話だ」
 あいかわらずブレない男だな。
 しかし、それが理由で学園内全体が騒々しいということになると、相当なレベルの美少女ってことになるな。いったいどんな娘なのだろうか。うーん。ちょっと気になる。
「乃木、お前にお客さんだ」
 クラス委員長の野津さんが教室の入口付近から言った。
「お客さん……誰?」
「女だ」
 で、不敵な笑みを零す。
 女? まさか野津さんの妹のゴスロリ愛恋じゃないだろうな。あまり昼休みには捕まりたくないんだけどな。犬の話をされるから。
「君、遠慮は無用だ。中に入りたまえ」
 そのお客さんとやらに、うちの委員長が入室の許可を出した。
 すると、青い瞳をしたトンデモない美少女が、ポニーテールにしたその黄金色の髪をてふてふと揺らしながらこちらにやってきて俺の前で立ち止まった。
「ごきげんよう、乃木様」
 どこかで見たような美少女なんだが……どこだっけ? ……はっ、まさか!?
「……と、永遠さん?」
「はい。永遠でございます。乃木様、ご挨拶が遅れてしまい申しわけございません」
 まぎれもなくその美少女は、東郷・ロジェストヴェンスキー・永遠だった。
「えっ? なぜ永遠さんがここにいるの?」
「実はわたくし、本日この学園に転校して参りましたのでございます」
「て、転校!?」
「はい。炎の転校生なのでございます」
「いやっ、島本和彦先生の漫画は全然関係ないと思うけど……」
 よく見ると永遠さんは、うちの学園が指定する制服を着用していた。リボンは付けずブラウスの胸元は第二ボタンまで開けられおり、かなりきわどいミニスカートを穿いて、その長い両脚は色っぽい黒のパンストで覆われていた。昨日までのピシっとした和服姿とは程遠いラフな格好だが、これはこれでとてもよく似合っていた。美人はどんな格好をしても様になる法則発動だ。
「本来なら真っ先に乃木様の元にご挨拶に参らねばならないところでございましたが、わたくしはまだこの学園のことは右も左もわからない雛鳥のような存在。このようにご挨拶が遅れてしまいましたのでございます」
「はぁ……」 
 なんとコメントすればいいのかな。ちょっと突然すぎて思い浮かばないよ。
「話は全部聞かせてもらったわ! 永遠、転校ってどういうことなの。そんな話は一言も聞いてないわよ」
 いつの間にか俺の背後に忍び寄っていた神出鬼没の東郷さんが、颯爽と現れて言った。
「まあっ、綾香さんもごきげんよう」
「挨拶はいいからちゃんと説明してちょうだい」
「はい。それはもちろん綾香さんを驚かせて差し上げようかと思いまして、今まで水面下で計画を進めていましたのでございます」
「もうっ、またそんなこと言って。本当に人の悪い娘ね」
「驚いていただけてなによりなのでございます。うふふっ」
 ドッキリが大成功してかなりご機嫌の永遠さん。
「そういうことでございますので、これからは同じ学園に通う先輩としてもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
 で、礼儀正しく深々と頭を下げた。
 ざわざわ……ざわざわ……。
 無数の好奇の視線がこちらに寄せられているぞ。まぁそりゃそうか。この金髪碧眼の美少女の正体が気にならないわけないよな。どうやら後で色々と大変なことになりそうだ。茶髪の幼馴染から親の敵みたいに睨みつけられているような気もするしな。
「それでは乃木様、こちらをお納めくださいませ」
 永遠さんが紙袋を手渡してきた。
「なにこれ?」
 永遠さんはなぜか頬を桜色に染めている。
 紙袋の中を確かめてみると、布のようなものが入っていた。取り出してみた。んっ? なんか生温かいぞ。花柄のレースがふんだんに使われているがそれほど派手ではなく、上品な美しさを感じさせる水色の布地で生温かいものといえば……? はっ!? ま、まさか……っ!
「と、永遠さん、これはいったいなにでしょうか……?」
 金髪娘を教室の端っこに連れて行って問うた。
「はい。それはわたくしのショーツでございます」
 やっぱり! しかもこれタンガってやつだよね! 君は可愛い顔してなんて大胆なパンツを穿いているんだ!
「ちょっと待ってよ! こんなものを渡されても俺は困るよ!」
「ですが、ショーツをお渡しすると乃木様は大変にお喜びになる、と綾香さんからお聞きしたのでございますが……。その際はできれば脱ぎ立ての方がよろしいと。乃木様ともっと親しい友人になりたいのなら、このくらいは当然だとアドバイスをちょうだいいたしましたのでございます」
 やっぱり眼鏡の入れ知恵か!
 ちなみにその眼鏡はというと、ドヤ顔で立てた親指をこちらに向けている。
「ですから、とても恥ずかしかったのではございますが、つい先程脱いだものをお持ちいたしましたのでございます。乃木様は、罪作りなご趣味をお持ちなのでございますね」
「俺はそんな変態趣味は持ってないし、ブルセラショップの店長みたいなことはしてませんからっ!!」
 なるほどな。そりゃまだ体温が残っているわけだ。
「涼介!」
 鬼気迫る顔をした茶髪の幼馴染がズサーと滑り込んできて言った。
「今その娘からなにか受け取ったわね! 花柄のレースが使われていて水色の布みたいなのを! ちょっと見せなさい!」
 教室の一番奥にいたはずなのになんと目のいい奴だ。
「いやっ……これはちょっと他人に見せるわけにはいかないんだけど……ごにょごにょ」
「なんですってーっ!」
 雫は今にも飛びかかってきそうな勢いだ。
 これは非常にまずいぞ。力ではこの脳筋にはとても敵わないからな。
「ちょっと待ってちょうだい。いったいなにをそんなに興奮しているのかしら、グリセリン児玉さん」
「ちょっと東郷さんッ!! 変なあだ名で呼ばないでって言ってんでしょうがーっ!」
「べつに変なあだ名だとは思わないわ。確かこれからは新ジャンル『ツンゲリ』で売り出していくって話だったと思うのだけれど」
「ツ、ツ、ツンゲリってなに!? そんなこと一言も言った覚えはないわよ! 本当にもういい加減にして! だいたい本編とぶっちゃけトーク祭りはなんの関連性もないんだから! ごちゃまぜにしてストーリーをややこしくしないでッ!!」
「つーか……グリセリンってなに?」 
「アンタは黙ってなさい! 全然関係ないんだからっ!!」
 めちゃくちゃ怒られた。どうやら俺の知らないところでなにか一悶着があったようだ。
 で、眼鏡と茶髪の女の戦いが始まってしまった。
「あの、乃木様。綾香さんとあのジャージの女性はなぜ口論をなさっているのでございましょうか?」
 永遠さんが不思議そうに小声で聞いてきた。
「さぁ……? 俺にもよくわかんないよ」
 半分は君のせいだということはあえて伏せておこう。そんなことよりもこれはチャンスだ。今のうちに凶暴な幼馴染の前からとんずらのアビリティを使用することにしよう。
「あっ! 待ちなさい涼介!」
 というわけで、俺は雫の隙を見計らってこの場から遁走した。もちろんパンツ入りの紙袋を胸に抱きしめて。
「乃木様、わたくしもお供いたします」
「永遠さん!?」
 なぜか永遠さんが俺の隣を並走していた。ポニーテールにした金色の髪がぴょんぴょん跳ねている。
「それで、どちらまで行かれるのでございますか。はっ! も、もしかしてもしかいたしますと、わたくしはこのまま誰もいない体育用具室や保健室などに連れ込まれてしまうのでございましょうか。な、なんとご無体な」
「そんなところに連れ込んだりしないから! だいたい自分の意思でお共してるんだよね!」
「はい。もちろん自分の意思でどこまでも付いて行きますのでございます。ところで乃木様、やはりこれから乃木様のことは、ア・ナ・タ♡ とお呼びした方がよろしゅうございましょうか? きゃっ♡」
「なんでやはりなのかさっぱりだよ! 学校でそんな呼び方をするのは絶対に禁止します!」
 そんなわけで、今回のエピソードはこれにて終了だ。ありきたりのオチなどとは言わずに王道だと思って納得してもらいたい。なお、後にこの天然ロシアンハーフが我が学園の歴史に残る大事件を引き起こすことになるのだが、それはまたべつの話。

このページへのコメント

待ちわびてました!
続きにも期待!

0
Posted by nns 2013年03月03日(日) 21:07:25 返信

会話とかタイトルとかネタが仕込まれてて、すっごく面白いっす!!
文章力が素晴らしいと思います

0
Posted by ニラ 2013年03月01日(金) 20:20:58 返信

待ってました!
続きがとても気になるのでお願いします!!

0
Posted by ドルトムント 2013年03月01日(金) 20:17:14 返信

待ってました\(^O^)/

うpおつです。

0
Posted by 名無し 2013年02月26日(火) 23:48:56 返信

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