子育ての失敗を広く浅く、ゆるやかに追跡。

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『フルトヴェングラー』(筑摩選書)

 


目次

はじめに―「優れた音楽」とは何か 009

第1部 青年期からナチ前夜まで 017

 第1章 ヴィルヘルム青年の徒弟時代 018
  一族期待の星
  二人の家庭教師
  作曲への志
 第2章 反ユダヤ主義とドイツ主義―マンハイム時代(1915年‐1920年) 026
  音楽批評家パウエル・ベッカーへの共感と距離
  プフィッツナー/ベッカー論争をめぐって
  ヴァイマル期のゲッペルスと「よきドイツ」
  ゲッペルスの反ユダヤ主義
  反ユダヤ主義をめぐるヴァイマル時代の雰囲気
  ドイツ音楽とユダヤ人
 第3章 ヴァイマル憲法と音楽―ベルリン時代(1920年‐1933年) 048
  憲法記念日か、建国記念日か
  ベルリンの憲法記念祭
  海外公演の意味
 第4章 ヴァイマル期の音楽と政治 060
  ヴァルター、トーマス・マン、十一月革命
  クレンペラーとイタリア・ファシスト
  ゲッペルスのみた憲法記念日
  ヴァイマル期の「ドイツ音楽」利用
 第5章 フルトヴェングラーの音楽理論 075
  ドイツ音楽の普遍性
  シュトッケンシュミットのフルトヴェングラー批判(『メロス』1932年5−6月号)
  「趣味の独裁者」
  主知主義への違和感
  「魂の必然性」と「新音楽」
 第6章 ナチ凱歌としての<<マイスタージンガー>> 090
  ゲッペルスとフルトヴェングラー
  ゲッペルスとヴァーグナー
  政権掌握後の音楽界へのナチの介入
  「ポツダムの日」

第2部 ナチ時代の音楽と政治 113

 第7章 ナチ政権掌握後のフルトヴェングラー 114
  ゲッペルスとフルトヴェングラーの公開書簡
  エルンスト・クルシェネクによる批判
  「無調音楽はドイツ的ではない」?
 第8章 ブラームス記念講演とその背景 126
  「ほんのりナチにそまった演説」
  「ドイツ的」な音楽とは何か
  ハインリヒ・シェンカーの影響
  シェンカーの音楽理論―構造分析の恣意あるいは有意
  「音楽の未来」への懸念
  クレーメンス・クラウスの危機意識
  ヴァルターの率直、フルトヴェングラーの老獪
  「自然」とその限界
 第9章 抵抗・交渉・妥協―ヒンデミットをめぐって 156
  ユダヤ系音楽家招聘計画の挫折(1933年)
  「ヒンデミットの件」(1934年)
  介入の失敗と失脚
  フリーランスとしての活動再開
  党大会への音楽動員
  ゲッペルスの批判禁止令
 第10章 そして破局へ―戦時下のフルトヴェングラー 185
  党大会の街ニュルンベルクとオーストリア併合(1938年)
  鬼門としての「総統誕生日」関連行事(1942年)
  避けたかった占領地への客演
  ゲッペルスの最期、フルトヴェングラーのドイツ脱出
 第11章 フルトヴェングラーの対ナチ姿勢―権力の利用か、自由の闘士か 208
  内面の亡命―ユダヤ系秘書ガイスマール
  フルトヴェングラーの「反ユダヤ主義」―ベートーヴェンと比較して
  「カラヤンの奇跡」
  「民(族)と結びついた音楽」―デュッセルドルフの全国音楽祭(1938年、1939年)
  権力と批評―「批評の自由」の闘士?
  権力とその源泉―二重の民の声
  「ヒトラーのために働く」?
  ナチに対するレジスタンス、あるいは犠牲者としてのヒトラー?

第3部 音楽における「戦後処理」 247

 第12章 敗戦後の音楽と政治 248
  戦後―スイスのフルトヴェングラー
  ホロコースト事後体験
  楽檀復帰と戦後再興、そしてドイツ国歌
  巨匠の最期
 第13章 アーベントロートの場合 272
  ヴァイマル時代のアーベンロート
  ナチ政権とアーベンロート
  フルトヴェングラーのロジック―アーベンロート擁護にあたって
  戦後のアーベンロート
 第14章 現代音楽との「再戦」と総括 288
  バーデン=バーデン客演インタヴュー(1949年)
  シュトローベルとの対談(1947年)
  ヴァイマル期・ナチ期の音楽メディア状況とシュトローベル
  戦後のシュトローベルとフルトヴェングラー
  現代音楽という名のテロリズム
 第15章 アドルノのみたフルトヴェングラー 308
  アドルノのフルトヴェングラー論
  アドルノのジャズ批判
  ジャズとベートーヴェンの違い
  生きた連関とその喪失
  新音楽の哲学
  「音楽の社会形成力」の限界と意義

あとがき 333
参考文献 344
人名索引 350

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