子育ての失敗を広く浅く、ゆるやかに追跡。

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『ベートーヴェン』作曲家◎人と作品(音楽之友社)



目次

■生涯篇■
◎第一章 音楽家の誕生(1770〜1780) 6
家系 〜ファンvanはフォンvonにあらず/家族 〜少年時代の家族構成と住居

◎第二章 ボンの音楽環境と宮廷楽師(1781〜1792) 11
学習・演奏・教師/師ネーフェと作曲の試み/選帝侯マックス・フランツとボン宮廷楽団/初めてのウィーン、モーツァルトと本当に会えたのか?/ブロイニング家の人々とヴァルトシュタイン伯爵/ボン大学と読書協会と友人・知人/国民劇場の再開/ふたつのカンタータ/ハイドンとの出会い/一七九一年、創作の活発化とドイツ騎士団メルゲントハイム総会への旅/ボン最後の年と旅立ちの記念帳
 
◎第三章 ウィーン初期〜ピアニストから作曲家へ(1793〜1800) 37
ハイドンの許での学習と三人の師:シェンク、アルブレヒツベルガー、サリエーリ/リヒノウスキー邸コンサートの仲間たち/精神的な支援者ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵/ふたりの弟カールとヨハンもウィーンへ/プラハ〜ベルリン旅行の成果/ピアニストから作曲家へ/交響曲と弦楽四重奏曲への挑戦/貴族サロンからの解放と初めての自主アカデミー/貴族子女へのピアノ教授と音楽家志望の弟子

◎第四章 革新への目覚めと苦悩の兆し(1801〜1802) 59
プロメテウスの創造物/ヴェーゲラーとアメンダに宛てた苦悩の手紙/生彩に富んだ交響曲第二番とオペラ創作への意欲/ハイリゲンシュタットの遺書とその危機の克服

◎第五章 名声の確立(1803〜1811) 68
新しい道、英雄様式とオペラへの意欲/《英雄》交響曲/シュテファンとの仲直りとヨゼフィーネへの愛/《エロイカ》公開初演とオペラ《レオノ―レ》作曲/《レオノ―レ》初演とフランス軍のウィーン占領/爆発的創造期:《ラズモフスキー四重奏曲》と交響曲第四番、ヴァイオリン協奏曲/《コリオラン》序曲ハ短調、「ミサ曲」ハ長調、そして交響曲ハ短調へ/リープハーバーコンツェルトへの出演/慈善演奏会出演と自主アカデミー開催権/一八〇八年十二月二十二日のアカデミー/カッセル宮廷楽長への就任要請とウィーン残留条件/ナポレオン軍の第二次ウィーン占領と《告別》ソナタと《皇帝》協奏曲/結婚への憧れ、新しい恋、片思いと失恋/ブレンターノ家の人々、ベッティーナとアントーニエ/初めてのテープリッツ、一八一一年夏
 
◎第六章 不滅の恋人との出会いと別れ、ゲーテとの邂逅、そしてスランプ(1812〜1816) 127
再び交響曲の世界へ/プラハからテープリッツへ、「不滅の恋人への手紙」/経済的苦境と二人の兄弟たち/《フィデリオ》の勝利/栄光の瞬間、ウィーン会議は踊ったか/弟カールの死と甥カールの後見問題

◎第七章 最後の十年(1817〜1827) 154
後期への意識転換/フーガ研究再び、《ハンマークラヴィーア・ソナタ》作曲/実現しなかったロンドン旅行、甥カールの後見問題/カールの教育と後見問題で翻弄された一八一九年/カール問題を抱えながら:孤高期作品の芽生え/カール問題の決着/ルドルフ大公のテープリッツ大司教就任:《ミサ・ソレムニス》/最後のピアノ・ソナタと《ディアベッリ変奏曲》/外国からの作曲依頼、第九交響曲/歓喜への道のり:会場選び、ソリスト選出そして練習と本番/孤高様式あるいはアルカディア、究極としての弦楽四重奏曲群/ウィーンの室内楽ブーム/最晩年の悲劇、カールの自殺未遂/グナイクセンドルフ滞在と最後の創作/衰える体力と衰えぬ創作意欲/レクイエム・エテルナム
 
■作品篇■
交響曲 212
協奏曲 217
弦楽四重奏曲 222
ピアノ・ソナタ 232
ピアノ変奏曲 246
チェロ・ソナタとヴァイオリン・ソナタ 248
その他の室内楽作品 252
声楽作品 256
管弦楽曲 266

あとがき 268

■資料篇■(ページ数は後から)
ベートーヴェン年譜 7
ジャンル別作品一覧 25
主要参考文献 59
人名索引 2

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