子育ての失敗を広く浅く、ゆるやかに追跡。

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ムソルグスキーの作品


舞台作品

歌劇『サランボー(英語版)』(露語:Salammbô)(1863-66,未完)
フローベールの原作に基づき、作曲者自身が台本を作成。しかし途中で放棄したため未完となる。現在は台本のほぼ大半と3曲のナンバーのみが現存する。
歌劇『結婚(英語版)』(露語:Женитьба)(1868,未完)
ニコライ・ゴーゴリの原作に基づいて、全4幕のオペラとして作曲が進められたが、作曲者が完成させたのは1幕のみ。残りの3幕はミハイル・イッポリトフ=イワノフの補筆により完成させた。
歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』(露語:Борис Годунов)(1868-69/71-73)
アレクサンドル・プーシキンの原作を基に、スターソフと共同で台本を作成。1869年に初稿を完成させたが、劇場側から上演を拒否されたため大幅な改定を施し、1873年にプロローグ付きの4幕版を完成させた。未完となったオペラが多いムソルグスキーのオペラの中で唯一完成させたものである。
歌劇『ホヴァーンシチナ』(露語:Хованщина)(1872-80,未完)
17世紀に帝政ロシアで起きた史実を基に作曲者自身が台本を作成。第1幕への前奏曲が有名
オペラ・バレエ『ムラーダ』(露語:Млада)(1872,未完)
未完の合作。キュイらによる合作オペラだが、2曲現存する
歌劇『ソロチンスクの定期市』(露語:Сорочинская ярмарка)(1874-80,未完)
ニコライ・ゴーゴリの『ディカーニカ近郷夜話』に基づいて作曲者自身が台本を作成。『ホヴァーンシチナ』と同時並行で作曲が進められていたが、作曲者の死没により未完のまま残された。のちにアナトリー・リャードフらにより補筆完成。

管弦楽曲

交響詩『禿山の一夜』(1883) - リムスキー=コルサコフによる補筆版。原曲は1867年作曲の『禿山の聖ヨハネ祭の夜』。ただし、近年は原典版の演奏が増えてきている(ドレミ楽譜出版社刊『ムソルグスキー 「展覧会の絵」全曲集』より)。

古典様式による交響的間奏曲(1867)

行進曲『カルスの奪還』(露語:Взятие Карса)(1880)
原曲は未完となった合作オペラ=バレエ『ムラダ』のために作曲した『公と僧侶たちの行進』。『トルコ行進曲』という別名もある。

ピアノ曲

騎士のポルカ(1852)
最初期に書かれたピアノ曲。父が自費で出版した。
組曲『展覧会の絵』(1874)
古典様式による間奏曲(1860-61)
アレグロとスケルツォ ハ長調(1860)
子供の頃の思い出(1865)
気まぐれな女(1865)
夢(1865)
紡ぎ女(1871)
クリミア南岸にて(1880)
涙(1880)
村にて(1880)

合唱曲

セレナヘリブの陥落(The Destruction of Sennacherib)(1866-67)
混声合唱と管弦楽のための作品。バイロンの詩による。
イエス・ナヴィヌス(Iisus Navin)(1874-77)
アルト、バリトン、合唱とピアノのための作品。『ヨシュア』の題としても知られる。歌詞は作曲者による。管弦楽伴奏版はリムスキー=コルサコフが1883年に作成している。

歌曲

小さな星よ、お前はどこに(1857)
N.P.グレコフの詞による。1858年に管弦楽伴奏版も作られている。
夜(1864)
カリストラート(1864)
A.I.ネクラーソフの詞による。『カリストラートゥシュカ』の改訂版
ゴパーク(1866)
神学生(1867)
きのこ狩り(1867)
L.A.メイの詞による。他者による編曲版が存在する。
いたずらっ子(1867)
雄山羊(1867)
古典主義者(1867)
イェリョームシカの子守歌(1868)
歌曲集『子供部屋』(1868-72)
全7曲から構成される歌曲集。歌詞は作曲者自身による。
ラヨーク(1871)
または『のぞきからくり』や『人形芝居』とも。歌詞は作曲者自身による。
歌曲集『日の光もなく』(1874)
全6曲からなる歌曲集。歌詞は作曲者自身による。
歌曲集『死の歌と踊り』(1875-77)
全4曲からなる歌曲集。A.ゴレニーシチェフ=クトゥーゾフの詞による。後にドミートリイ・ショスタコーヴィチによって管弦楽伴奏版も作られている。
不幸は落雷のようにではなく襲った(1877)
傲慢(1877)
幻(1877)
蚤の歌(1879)
ゲーテによる。『アウエルバッハの酒倉でのメフィストフェレスの歌』の題でも知られる。

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