「電子教科書」「デジタル教科書」等のメディアを活用した教育図書に対して,様々な批判を試みます。

慌て過ぎたデジタル教科書教材のスナップショット

批評対象文献

 中村伊知哉・石戸奈々子『デジタル教科書革命』ソフトバンククリエイティブ

批評執筆者

 林向達

本文


 本書が刊行されてから2年弱の時間が経過している(初版は2010年10月7日発行)。

 この時期に当該文献を批評するのは,鮮度の悪くなった食材に文句をつけるようなものとなり,不公平といえるかもしれない。そして,すでに絶版扱いとなっており,販売されていた電子書籍版も現在では入手できなくなっている以上,批評は時機を逸しているともいえる。

 しかし当該文献は,一部でデジタル教科書の基礎文献として参照されることも少なくないため,古書であるからといって無視することはできない。なにより,当該文献は深刻な問題をはらんだ文献である。それが絶版の理由かどうかは定かではないが,確認できる範囲内で問題を指摘しておくことは重要なことであると考える。

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 本書には,以下のような問題がある。
  1. いくつかの「参考URL」が,当該文献発売直後にもかかわらず接続不可だった。印刷出版のタイムラグがあるとはいえ,その後,訂正情報が発信された形跡はない。
  2. シンガポールの一部記述(86頁)は内橋美佳氏の「シンガポールの小学校における IT 教育」から引用していると思われるが出典表記がない。
  3. 台湾に関する記述(89頁)は参考URLの影戸誠氏・市川隆司氏の「台湾におけるICTの教育戦略と教育情報」に手を加えた文章となっているが,その旨や出典を明記していない。
 こうした明確に確認できるもの以外にも,企業のプレスリリースを書き写したような記述が散見される。

 当該文献が,学術書ではなく一般書物を目指していると思われることを勘案すれば,情報の詰めの甘さを突くことはあまり意味を成さないかもしれない。しかし当該文献は,当時としてデジタル教科書教材の周辺情報を広く網羅していた点は評価できるだけに,今後も引用文献や参考文献として挙げられるような事態が起こることも予想される。その際,誤った二次引用が派生する恐れもある。

 短い時間に多くの手を得て情報を集約した労力は買うとしても,慌ただしさの中で著作物としての基本的な作法やルールをないがしろにしたことは本書の汚点であり,著者である中村氏と石戸氏の責任は大きいと書かざるを得ない。

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 そのような問題をはらみながらも,当該文献は2010年時点の〈デジタル教科書〉事情のスナップショットとして大変幅広い題材を扱った意欲的な書であり,デジタル教科書教材協議会の船出を飾る最初の一里塚であった。

 田原総一朗『緊急提言! デジタル教育は日本を滅ぼす』の発刊より後となったため,急遽内容も対抗色を出すことになったようだが,本来的には進むゆく諸外国の教育を横目に,日本がもてる未来の教育の萌芽をもっと前面に押し出すべきであるというのが主張である。

 しかし,著者の中村氏は「情報利活用」という総務省(旧郵政省)用語の世界で長らく活躍をしている人物であるため,デジタルの教科書もデジタル・コンテンツの一種と捉えて普及させようとするニュアンスが強かった。

 この書でも第3章「電子書籍端末の現在」や第4章「進化するデジタル教材」は,あれもあります,これもあります,面白いでしょう,期待したいでしょう,といった展示会さながらの内容であり,中村氏や石戸氏が何をしたいのかという点は,本書を通読してもほとんどの読者に伝わらない結果となっている。

 「おわりに」には,サマーキャンプに参加した小学生について「こんなに目をキラキラさせながら学ぶ機会はあっただろうか?」と記すなど,執筆者本人としては最大限自分たちの夢を語っているようではあるが,この表現がまた「キラキラさせればよいのか」という誤解を招く形となって,いったい何が目的かが不鮮明になり,結果的には「ハードウェアやソフトウェアを売らんがために企業が集まって協議会をつくった」という月並みな解釈へと誘う遠因となっている。

 実際,中村氏や石戸氏が唯一掲げる教育的理想像はワークショップであり,その事例もNPO法人「CANVAS」が行なっているイベント「ワークショップ・コレクション」のものだけといった状況では,一般的な学校教育に向けた言説としてかなり物足りない。もっとも,こうした問題は中村氏も認識をしていたのであろう。2012年現在で氏が行なっている講演では,もう少し学校教育をイメージした教育像を語るようになってきている。

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 現在,中村氏・石戸氏が率いるデジタル教科書教材協議会は,デジタル教科書を正規化する提言を行ない,大学研究者や政治家なども巻き込んで精力的な活動をしている。

 何をもって「正規化」とするのかは慎重に議論されるべき論点である。

 ところが,民主党が2012年7月に出した「教育における情報通信(ICT)利活用促進に関する提言」(中間とりまとめ)には,「デジタル教科書の検定教科書化の必要性」という文言が入り,法改正へ動こうとしている。こうした動きも中村氏・石戸氏を始めとした人々の働きかけによるものだと考えると不安材料は多い。

 「巧遅拙速」という言葉は,拙いなれど速く行なうことが,巧みなれど遅いよりも良いことを意味している。

 しかし,当該文献が慌ただしさの中で侵した過ちを鑑みるにつけ,同じような過ちを国家レベルで行なってしまうのではないかという懸念はぬぐえないし,そうなれば看過できない大きな問題を残すことになりかねない。

参考文献

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