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ここはでもにっしょんch ぼくの考えたサーヴァントスレに投稿されたサーヴァントを纏めるwikiです。


「多治比松寿丸、推参仕りました!

……あの。毛利元就、と言ったほうが分かりやすいでしょうか?」



基本情報

【元ネタ】史実
【CLASS】キャスター
【真名】多治比松寿丸(毛利元就)
【異名・別名・表記揺れ】乞食若殿(渾名)、大江元就、丹比元就、少輔次郎、惟徳惟馨、仰徳大明神、洞春寺殿日頼洞春大居士
【性別】男性
【身長・体重】142cm・32kg
【外見・容姿】まだ鎧に着られているような姿のショタ……もとい十二歳前後の武士。寂しげな表情で庇護欲を抱かせる美少年。
【地域】日本
【年代】戦国時代
【属性】中立・中庸
【天地人属性】人
【その他属性】人型
【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷B 魔力B 幸運A 宝具C

【クラス別スキル】

陰謀作成:B

 陣地作成と似て非なるスキル。様々な陰謀を縦横無尽に張り巡らせる。
 謀将・元就の記憶と手腕を有するが、老境ゆえの深謀遠慮は失われ、1ランクダウンしている。

道具作成:C

 魔力を帯びた器具を作成できる。宝具により精神干渉の魔術礼装を作成可能。

【固有スキル】

歌仙の詩歌:B+

 集外三十六歌仙に選ばれたキャスターの詠む歌は時に人々の心を打ち、鬼神さえも感ぜしめる。交渉や心理戦にも優位に働く。
 元就は和歌・連家の大家である三条西実澄や里村紹巴に歌集を編まれた程の腕前。
 さらに感性の全盛期(少年期)である松寿丸として召喚された事で、その詩歌は生前より優れたものとなっている。

紅顔の美少年:C

 人を惹き付ける美少年としての性質。
 男女を問わず魅了の魔術的効果として働くが、抵抗の意思があれば軽減出来る。対魔力スキルで完全回避が可能。

乞食若殿:A

 麗しの姫君と似て非なる効果を持つスキル。
 逆境に置かれているほどに他者の哀れみを誘い、有形無形の支援を受けられる。(敵が慈悲心から矛先を鈍らせる、なども含まれる)
 幼い松寿丸は井上元盛に所領を横領され零落したが、その後、養母の杉大方や志道広良、井上光兼らの支援を受けて復権したという。

【宝具】

元就詠草・春霞集もとなりえいそう・しゅんかしゅう

ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:‐ 最大捕捉:1人
 毛利元就の和歌・連歌を纏めた遺稿集。元就の遺稿に感激した歌人たちの手で編まれたもの。
 スキル:歌仙の詩歌によって詠んだ和歌・連歌を、精神干渉の魔術礼装として形にできる。
 例えば、世を儚む和歌・連歌の礼装を数十回も重ね掛けすれば、相手を自死に誘う精神攻撃としても機能しうるだろう。

 だが、その本領は複数の礼装を歌集として纏めた上で、誰かに読了してもらう事で
 閲覧者のイメージをキャスター自身に重ねて霊基を改竄できる点にある。
 歌集の閲覧者が毛利元就に対して抱いているイメージ──「このような人間なんだろう」という想念を受け、キャスターの霊基が変質するのだ。

 仮に閲覧者が「元就は周の武王の心を持つ」と思ったのならば周の武王のような英霊に
「周の成王のようだ」と思ったのならば周の成王のような英霊に、
 猛悪無道だと思ったのならば邪悪な権謀家のような英霊に変わる。
 歌集の閲覧者一人に依存する『無辜の怪物』や『可能性の光』と言えば分かりやすいか。
 
 ただし、歌集が礼装を纏め上げたものである性質上、閲覧者の精神にも和歌・連歌による精神干渉が及ぶ。
 また、閲覧者が読了以前に『毛利元就』に抱いているイメージにも影響を受ける為、キャスター側から宝具による変質を制御する事も困難。
 その為、キャスターは、決定的な局面でない限り、この宝具の真価を発揮させたがらない。

【解説】

 戦国時代の国人・大名。権謀術数を以って国人領主から大大名にまで登りつめた文武兼備の将。
 大内家と尼子家という二大勢力の間を遊泳しつつ勢力を拡大し、ついには両家を滅ぼして中国地方の覇者となった。
 優れた謀将である一方、和歌・連歌も達者で、その遺稿を読んだ三条西実澄ら歌道の大家に激賞された。

 †

 元々は兄の毛利興元が当主であり、元就(当時は松寿丸)は分家として多治比の姓を名乗っていたという。
 しかし、兄・興元が大内義興の上洛に付き従って留守にしている間に、後見人の井上元盛に所領を横領され、困窮する幼少期を過ごした。
 それを哀れに思う者も周囲には多くあり、特に養母の杉大方は実家に帰らず、再婚する事もなく、元就の養育に努めたという。

 やがて井上元盛が急死した事で所領を取り戻した元就は、多治比元就を名乗り、分家として兄を支えた。
 その後、兄・興元の酒毒による急逝と、後見していた甥・幸松丸の夭折を経て毛利家の当主となり、毛利元就を名乗る。
 元就は幸松丸を後見している間に大内家を裏切って尼子家についていたが
 幸松丸の夭折後、尼子家が毛利家の当主に弟の相合元綱を推したことから、再度、大内へと鞍替えした。(大内から離反していた頃の責任は幸松丸に押し付けたと思しい)
 以後、大内家に嫡男の隆元を人質に出すなど関係を強化しつつ、硬軟両面の手法を以って周辺の諸勢力を取り込でいった。
 尼子詮久率いる3万の尼子軍に攻め込まれた吉田郡山城の戦いでは、大内家の勇将・陶隆房(後の陶晴賢)の救援を受けて大勝。
 周辺の国人達の盟主的な存在として雄飛する。

 大内家が月山富田城の戦いで大敗を喫したのを契機に、武断派と文治派の内訌を起こしたが
 元就は積極的に関与せず、むしろ吉川家、小早川家の取り込みや井上一族の粛清など自身の地盤の強化を計った。
 やがて武断派の陶隆房が謀反を起こし大内家の当主をすげ替えると、元就はこれに積極的に協力し、陶隆房に反発する大内家臣の領地を征服していった。

 しかし、勢力の急拡大が陶隆房の警戒を呼び、両者の関係は盟友から敵対へと変わっていく。
 元就は尼子家が身内(新宮党)の粛清で動けない間に陶晴賢(陶隆房)と戦う事を決断。
 謀略によって大内家を弱体化させつつ、厳島に敵を誘引して決戦を挑み、陶晴賢を討ち取る大勝利を収めた。

 その後、大内家の旧領の大半を毛利家の手中に収めた毛利家は
 尼子家当主・尼子晴久の死を契機に尼子領をも征服し、中国地方の覇者とも言うべき大勢力へと成長した。
 それ以降も尼子の残党や北九州の雄・大友家とも一歩も譲らぬ戦いを繰り広げた元就であったが、寄る年波には勝てず、75歳で病に倒れる。
 元就の没後は孫の毛利輝元(嫡子・隆元はすでに死去していた)が後を継いだが、吉川元春、小早川隆景ら重臣が輝元を支えて毛利家の動揺を抑えたという。

 †

「能や芸や慰め、何もかも要らず。ただ武略、計略、調略が肝要に候」とは元就の言であるが
 これは我が子・隆元が芸事に傾きすぎて武士の本分を疎かにする事を危惧しての訓戒であり
 元就自身は芸事を疎かにするどころか、一流の風流人にも引けを取らないほどに和歌・連歌を達者とする文人でもあった。
 毛利家は多くの文人を輩出した大江氏の末裔であり、その権威を貶めない為にも、単なる武家の教養に留まらない文芸が必要とされた。
 また、元就は幼い頃に連歌の指南書「分葉」を譲られるなど歌道の才能を見込まれていたと思しく、和歌・連歌の修行に励んでもいたという。

 没後、その遺稿は三条西実澄ら歌道の大家達の目に留まり、元就が暇もない中、超一流の文人にも劣らぬ力量を身に着けた事を激賞。
 元就が残した和歌・連歌を『春霞集』として浄書、編纂した。
 この事を契機として、元就の歌人としての名声は高まっていき、江戸時代には元就を大名としてではなく歌人として紹介する本もあったという。

 実澄曰く、元就の和歌は伝統を踏まえた優美なものだが、どこか寂しげな気配が漂っていたという。
 歌道の天稟と繊細な感性の持ち主が、戦乱の世の荒波に揉まれた事で、このような歌風に至ったのだろうか。

【人物像】

 多治比松寿丸の姿と感性を持つ一方、実感は薄いながらも毛利元就としての記憶・感情も有している。
 英霊は全盛期をどのファクターで捉えるかによって姿・年齢・人格を大きく変えるが、松寿丸の場合、毛利元就という英霊の、愛らしさと感性の全盛期という事になる。

 苦境にあっても希望を捨てず、困窮しても矜持と謙譲を失わず、善を尊び、弱者に手を差し伸べる。
 一見すれば「この子供の力になってやりたい」と周囲に思わせるような、そんな少年。
 しかしながら、それらは他者を自身に助力させる為の演技としての側面が大きい。
 善性の少年として振る舞うのは、それが他者から助力を引き出すメソッドとして有用だからという理由であり、心から行っているものではないのだ。
 相手の同情を誘うより有用なメソッドがあると判断したならば躊躇なく手法を変えていく。
 たとえそれが血腥いやり口であったとしても、最も有効な手段だと認めたならば実行に移すだろう。

 演技をしない松寿丸は頭こそ切れるが、他人に対して疑り深く、物事を悲観的に捉える、物静かで暗い人間。
 出自も年代も違うが、表面的な明るさと内面のギャップは、ビリー・ザ・キッドの同類と言えるかもしれない。

 一方で松寿丸は、責任感が強く、人間という種に対し拗ねた見方をせず、力の及ぶ限り善なるものを守ろうと努める人間でもある。
 他者の利己性に苦しめられた幼少期は、松寿丸(元就)を擦れた人間に育てたが
 義母・杉大方を始めとする多くの人々の利他的な善意に救われた経験から、最後の一線で人間の事を強固に信じ、愛してもいる。
 要は、ペシミスト(悲観主義者)ではあってもニヒリスト(虚無主義者)ではないのだ。
 善良な少年としての演技も、人を騙す事に罪悪感を抱いているからこそ真に迫り、他者の心を打つのである。

 ちなみに、関係が良好になり、利害の駆け引きを必要としなくなった相手に対しては口うるさい説教魔となる。
 しかし、それは交渉を必要としないだけの関係が築けているという信頼と、相手の行く末をより良いものにしようという善意の故である。

【関連人物】

織田信長

「視座というか視点が常人とは違う人ですね。敵に回したくない相手です」

果心居士

「……なんででしょう。彼女を見ると寒気がするんです……」
ある伝承によれば、花信(果心)居士が元就の御前で切った瓜は本成りであり、元就の発音に通じるものだった為に死を迎えたのだとか。

紫式部

「わあ! 源氏物語の作者と会えるなんて光栄です!」(泰山解説祭……内心を暴かれるのは厄介よな)
元就は和漢の古典に通じ『源氏物語』『古今和歌集』『続古今和歌集』を精読し、少年時代から『太平記』を愛読していたとか。

曲亭馬琴

「美少年録ですか……えへへ。善玉の主人公として描かれるのはちょっと気が引けるような、でも嬉しいような……不思議な気持ちです」

太公望 鬼一法眼

「六韜は読みましたが、どうしても分からないところがあって……彼らに聞けば教えてもらえるでしょうか?」

項羽

「ボクが長じた後に打ち倒した武田元繁なるお人は、項羽に並ぶ武勇の持ち主と恐れられていましたが……本物には遠く及びませんね」

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