太宰府の苔寺として知られる光明寺の門前を小さな川が流れています。
何の変哲もない川ですが、伊勢物語や後撰集に“藍染川”の名で十数種の古歌にうたわれています。
いまは藍染川の字をあてていますが、この川にはこんなお話が伝えられています。
昔、太宰府天満宮の神主に中務頼澄(なかつかさよりずみ)という人がいました。
頼澄は京での修業中に、美しい女性、梅壺侍従(うめつぼじじゅう)と愛しあい、梅千代が生まれました。
修業が終ると頼澄は幼い子とその母を残し、心ならずも太宰府へともどっていきました。
数年ののち。旅ができるほどに梅千代が成長すると、母子は太宰府へと向かいました。
幼い梅千代も、ひとめ父に逢いたさに母と一緒に野や山を歩き通し、ようやく太宰府へとたどり着きました。
そして宿の主人に頼澄あての手紙を託したのです。
それがどこでどう間違ったのでしょう、頼澄の妻の手に渡ったのです。
頼澄の妻はその手紙を一読すると、母子を京へ追い帰そうと偽りの返事を書きました。
梅壺は悲しみのあまり、梅千代を残して藍染川に身を投げ、息絶えてしまいました。
一人残された梅千代はただ母の身体にとりすがって泣くばかり。そこへ通りかかったのが頼澄です。
梅千代の持っていた遺書から全てを知った頼澄は、一心不乱、天満天神に祈りました。そして梅壺はよみ返ったのです。
その後の頼澄については伝えられていませんが、梅千代は長じてのち、光明寺を開設したと伝えられています。
この話にちなんでか、藍染川は“愛染川”または“逢染川”と書かれることもあるそうです。
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