その昔、小さな貧しい農村だった東谷(小倉南区呼野)には、こんな悲しい話が伝わっています。
江戸時代のことです。東谷に大洪水が起るたびに、田んぼを潤し村人たちの命をつないでいた大事な堤が崩れて
しまい、村人たちは絶えず飢えの恐怖にさらされていました。そのつど村をあげ不眠不休で堤の修復工事にあたる
のですが、大洪水が三度も続いたときにはもう疲れ果て、立ち上る気力もなくしてしまいました。
「人柱をたてれば堤はいつまでも壊れない」おたねがふと口にした人柱の話に村人たちが心を動かされたのは、
そんな年の夏のことでした。みんなで相談し、着物のほころびに布をあてている人を人柱にしようと決めたのです。
そうして人柱に決まったのが、おたねの娘お糸です。気立てが良く孝行娘のお糸は村のためならと、嘆き悲しむ母を
なだめ人柱になることを引き受けました。いよいよ人柱の当日。村人たちが見守るなか、土手の底におかれた棺に
白装束姿で横たわるお糸。その上から少しずつ土がかけられ、ついに埋められました。
その後、堤はどんな大雨にも揺るぐことなく満々と水をたたえ続け、東谷にまた平和な時が戻ってきました。
村人は犠牲となったお糸を供養するため、堤のほとりにお糸の墓をたて、またお糸の地蔵堂を建ててまつりました。
そして約三百年。今なおお糸の墓には献花が絶えることはありません。
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