福岡県の郷土のものがたりです。

  • 香春町

戦国時代、香春岳の中腹に鬼ヶ城と呼ばれるお城がありました。

この城は、前方は見通しがよく、背後は切り立った断崖になっており、守りやすく攻めにくいという

地の利に恵まれていました。その上、城の者しか知らない秘密の水源をもち、山城にありがちな

水不足の心配もなく、まわりの武将たちに恐れられていました。

ここの城主の原田義種には、清瀬姫という美しい娘がいました。清瀬姫は家臣の佐伯四郎と

将来を誓い合った仲でしたが、そこは戦国時代のこと、戦略のため豊後(今の大分領)で絶大な勢力を

誇っていた大友宗麟のもとに無理やり嫁がされました。しかし、姫は片時も四郎のことが忘れられず、

深く悲しんでいました。

ある日のこと、四郎に会いたい一心で、宗麟のもとから逃げ出すことを決意した姫は、苦労の末、

やっと香春にたどり着くことに成功しました。

これを知った宗麟は、激怒して、香春攻めを企てますが、鬼ヶ城のこと、正面から戦ったのでは

とても勝ち目はありません。そこで家来の一人を忍び込ませ、秘密の水源を探らせることにしました。

薬売りに変装したその男は、言葉巧みに城に出入りしていた村の娘をそそのかし、水源のありかを聞き、

壊すことに成功しました。

宗麟はこれを聞くと、もう勝ったとばかり、三万の兵を率いて鬼ヶ城を攻めたてました。

さすがの鬼ヶ城も、頼りの水源がなくなったからたまりません。茂みに隠していた岩を落として

防戦しますが、喉の渇きには苦しめられました。そこで、城内には貯水が充分あると思わせる奇策を

考えつきました。それは、山の上から白米を落とし、滝のように見せかけることでした。

しかし、これもやがて見破られて天守に火を放たれました。城主の義種は、もはやこれまでと

東山の里に逃げ、清瀬姫は敵に辱しめを受けるのに偲びずと、倉谷と呼ばれる千尋の谷に

身を投げて死んでしまったということです。

姫の名前は、清瀬川、清瀬橋とともに今も残っており、この物語は盆踊口説(ぼんおどりくどき)に

謡いこまれて、姫の霊を慰めているそうです。

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