- 田主丸町
苗木作りで知られる県南の田主丸町に石垣観音寺という千年以上の歴史をもつお寺があります。
このお寺には、代々伝わる“牛鬼の手”のミイラが、現在も大切に保存されており、話を聞いて
見物に来る人は少なくありません。
康平五年(一〇六二年)の晩秋のことです。稲刈りに忙しい人たちの顔を夕焼けが赤く染め、
日暮れを知らせる観音寺の鐘がゴーン・ゴーンと聞こえてくると石垣村の人たちは何か恐ろしいものを
聞いたかのように恐怖に打ち震えるのでした。
というのは、このところ毎晩のように観音寺の鐘の音とともに牛や馬が煙のように消えてしまうからです。
そして、最近では村の娘や子どもまでいなくなり、村人の不安は募るばかりでした。
石垣観音寺の金光坊然郭上人(こんこうぼうねんかくしょうにん)は村人のこの苦しみを
なんとか救ってやりたいと、ある晩、意を決して鐘つき堂にかくれ、夜中に鐘をつくものの正体を
突き止めることにしました。
次第に夜がふけ、暗黒の世界が木々や家並みなど全て覆い尽くすと、一陣の風とともにどこからともなく
鐘つき堂に現れたのは、頭は牛、体つきは鬼というもの凄い怪物だったのです。
息を殺して、隠れている和尚さんは、修行を積んだ高僧でしたがこの時ばかりは全身鳥はだ立ち、
足の震えをどうすることもできません。
間もなく、牛鬼も和尚さんに気づき、真っ赤な口を開けて、今にも和尚さんに飛びかからんばかりです。
思わず和尚さんはお経を唱え始めました。
するとどうでしょう。牛鬼は急に苦しみだし、和尚さんの一心な読経に神通力を失い、
とうとう鐘つき堂で死に絶えてしまったのです。
あくる朝、知らせを聞いて、鐘つき堂に集まってきた村人たちは牛鬼の首を切って京に送り、
手は寺に保存することにしました。
また、この時、牛鬼の耳をさいて付近の山に埋めたのでそれからはこの山を誰言うことなしに
“耳納山”と呼ぶようになったそうです。
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